070 奴隷市場の館の決闘 VS背景人間
「お前の相手はオデだモー」
「あーっはっはっはあー? 背景じゃなくて牛肉が相手か? 上等だ! ひき肉にして今夜の晩御飯にしてやるわ!」
モーナはオメレンカに笑いながらも、牛の獣人レバーや他の奴隷商人たちを相手に戦いを始める。
お姉は自分に怒るオメレンカに驚いて、困惑しながら顔を青くさせていた。
するとそんなお姉を見て、笑いを耐えていたワンド王子が「義姉君!」と言ってお姉の服を掴んだ。
「しっかりしろ! 僕達はマナとラヴィーナを助けに来たんだ。あの筋肉女がこっちと殺り合おうとしているなら、こっちもそのつもりでいくしかない!」
「……はい。分かりました! 私、愛那ちゃんとラヴィーナちゃんの為にも戦います!」
「あら? お話は終わったのかしら?」
「――っ!?」
不意に背後から声が聞こえて、ワンド王子が驚いて後ろに振り向く。
背後にはいつの間にかオメレンカが立っていて、お姉に向かって拳を振り下ろそうとしていた。
「義姉ぎ――」
「アイギスの盾!」
瞬間――お姉の盾がオメレンカの拳を防ぎ、ぶつかり合った衝撃で重低音が鳴り響く。
オメレンカは攻撃を防がれると後ろに下がり、お姉を睨んだ。
「やっぱりあなたには私が見えているようね」
「当たり前です」
「な? え? 義姉君はあの筋肉女の動きが見えるのか? 僕はいつの間に背後をとられたのか分からなかったぞ」
「ワンドくん、何言ってるんですか? オメレンカさんは普通に歩いて後ろに行きましたよ?」
「あ、歩いて!?」
ワンド王子が驚くのは無理もない。
オメレンカのスキル【背景同化】は、使った本人以外は対象の存在を認識できなくなるスキル。
お姉とワンド王子の背後まで歩いたオメレンカは、そのスキルを使って移動したのだ。
だから、突然背後に現れたオメレンカにワンド王子は驚いた。
でも、お姉にはそれが見えていた。
何故か……?
それはわたしにも解からない。
あえて可能性を上げるならば、お姉のコミュ力が理由かもしれない。
お姉はコミュ力が高く、学校でも色んな人に話しかける様な変わり者で、自分のクラスどころか全校生徒と知り合いと言うコミュ力おばけだ。
それだけでも凄いのだけど、お姉が凄い所はそれだけじゃない。
お姉みたいな人間が嫌いと言う相手にまで距離を縮めて話して、挙句お姉が馬鹿なせいで罵倒しても効果が無く親しげに近づいて来るので、皆最後には諦めたり拒み続けるのも馬鹿らしくなったりで仲良くなってしまう。
まあ、そのせいで馬鹿な男からいつも言い寄られたりストーカーされたりで、わたしが苦ろ……とまあ、それは今は置いておくとしよう。
とにかく、そんなコミュ力おばけなお姉だからこそ、オメレンカのスキルがお姉には効かないのかもしれない。
「あら、そっちの王子様には通用するみたいね。それならあなたを先に殺して、王子様は頂いて行く事にするわ」
「させません! オメレンカさんに勝って、二度とこんな事をしないように改心させます!」
お姉とオメレンカが睨み合う。
「今こそ特訓の成果を見せる時です! 動物部分変化フローズンドラゴンバージョンです! ギャオオオオッッ!」
お姉がみるみると姿を変え……違う。
姿を変えると言うよりは、羽と尻尾が生えると言った方がしっくりくる。
そう。
お姉の背中からは凍竜の羽が生え、腰のあたりから凍竜の尻尾が生えたのだ。
お姉が姿を変えるとオメレンカは驚き、お姉達を囲んでいる奴隷商人たちも怯む。
怯んだ奴隷商人たちを見て、オメレンカが奴隷商人たちを睨んだ。
「あらあら、だらしがないわね。まあ、良いわ。この子達は私が相手をする。お前達はあっちの猫の女の子をレバーと一緒に捕えなさい」
オメレンカが命令すると、奴隷商人たちは既に戦いを始めていたモーナとレバーの許へ向かって行った。
そしてオメレンカは上着を一枚脱ぎ捨てて、上半身に身につけているのがスポーツブラの様な肌着……下着だけになって筋肉がむき出しになった。
「その変身する能力でリモーコに化けていたって事ね。まんまと騙されたわ」
「鬼ごっこ大会に備えて特訓した成果と、馬車の中で努力した結果です。私も頑張る時は頑張るんです」
お姉が誇らしげに胸を張った。
鬼ごっこ大会に向けてモーナと特訓していたお姉は、本当に頑張っていたようだ。
それに、わたしとラヴィを助ける為に馬車でここまで向かっている途中も、スキル【動物変化】と魔法【アイギスの盾】をより上手く扱える様に練習していた。
そして努力の結果が遂に実を結んだ。
お姉が胸を張ると、オメレンカが眉を顰めて呟く。
「鬼ごっこ大会? ……ああ、シーサ達がそんな事を言っていたわね。確か獣人の国の催しだったわね」
「はい」
お姉が頷いたのと同時に、オメレンカがお姉に向かって走り出した。
オメレンカは一瞬でお姉との距離を詰めて、手の平にピンボールサイズの炎の玉を乗せて、それを掌底をお姉に食らわすように叩きつける。
だけどお姉も負けていない。
反応は遅いながらも直ぐに尻尾で身を守り、それを尻尾で受け止めて、大きく息を吸い込んだ。
「ワアアアアアアアッッ!!」
瞬間――お姉が大声を上げると同時に、お姉の口から氷のブレスが吐き出されて、それはオメレンカの全身を襲った。
オメレンカは氷のブレスの直撃を受けると、顔の表情を歪めてお姉との距離をとった。
そして、オメレンカはお姉に向けて手の平をかざして、目の前に赤色の魔法陣を浮かび上がらせた。
「フレイムペタル・フィールド」
瞬間――魔法陣から花びらのような見た目の炎が大量に飛び出して、それはクルクルとお姉とオメレンカの周囲を舞う。
「これは……っ! 気をつけろ義姉君! 書庫で呼んだ事がある。この魔法は触れると爆ぜるぞ!」
「爆ぜるんですか!? あ、さっきモーナちゃんを襲った火花ですか?」
「多分それの広範囲版だ。かなり難しい魔法で、使用できる者は一握りしかいない強力なやつだ! だけど、僕の魔法で消してみせる!」
ワンド王子が天井に両手をあげて青色の魔法陣が宙に浮かび上がる。
天井には雨雲が発生して、それはお姉の頭上を覆った。
「レインニードル!」
ワンド王子が浮かび上がらせた魔法陣が発行して、雨雲から鋭い水のトゲが勢いよく降り注いだ。
その水のトゲはオメレンカの魔法を狙う様に降り続け、オメレンカの魔法を相殺……とはいかなかった。
「――そんなっ!」
「この魔法を知っているなんて、流石は最も知識に長けた国の王子様ね。でも甘い。実力不足ってところね。そんな魔法では私の操る魔法を消すなんて出来ないわよ」
オメレンカの言う通りだった。
ワンド王子が放った水のトゲの魔法は、オメレンカの魔法に触れる事なく落ちて床をぬらすか、当たったとしてもその場で蒸発するだけに終わってしまっていた。
「残念だけど王子様、坊やは戦力外よ」
「くそっ」
「それなら私が全部爆ぜさせます!」
お姉が大きく息を吸い込んで、再び「ワアアアアアアアッッ!!」と大声を上げて、周囲を舞うオメレンカの魔法に向かって口から氷のブレスを吐き出した。
オメレンカの魔法は氷のブレスで消滅する。
だけど、オメレンカが黙ってその光景を見ているわけがなかった。
「あらあら。あなた、戦闘のセンスは全く無いわね」
「義姉君危ない!」
ワンド王子がお姉に叫んだの同時に、お姉との間合いを詰めたオメレンカがお姉を殴る。
お姉は身を守る事も出来ずに、オメレンカの拳を胸に受けてしまった。
「きゃああっっ!」
お姉は叫んで後ろに吹っ飛ばされて、数メートル先で床に転がって全身水浸しになる。
ただ意外な事に、オメレンカの攻撃を受けたお姉はゴホゴホと咳き込むだけで、それ程ダメージを受けていなかった。
お姉は直ぐにフラフラと立ち上がって胸をさすった。
「危なかったです。アイギスの盾おっぱいスタイルが無ければ即死でした」
「おっぱ……はあ?」
あまりにも馬鹿げた事を言いだしたお姉に、オメレンカが困惑して呟くと、お姉が「これです」と服をまくり上げた。
お姉の胸には何やら柔らかいゼリーやスライムの様な不思議な白い物体が巻かれていて、お姉が服をまくり上げると胸と一緒にそれが豪快に揺れる。
「これがアイギスの盾おっぱいスタイルです! 戦闘中に服が破れても、おっぱいが丸出しにならない優れものです! 柔らか素材なので肌も傷つきません!」
「あらやだ。私も一枚ほしいわ」
「私専用なのであげれません」
「あらそうなの? 残念だわ」
「あ、義姉君? 今は筋肉女と悠長に話している場合じゃないぞ!」
「そうでした。うっかりです」
「あらら。ついお馬鹿なノリにつき合わされちゃったわね」
気を取り直して、お姉とオメレンカが睨み合う。
緊張が高まり、この場の空気が張り詰めた……けど、お姉達を見ていたワンド王子は呆れていた。
わたしだってこの場にいたら、お姉達の馬鹿さ加減に呆れていた所だ。
まあ、それは今は置いておくとしよう。
お姉とオメレンカが動き出した。
お姉が翼を広げて羽ばたいて、オメレンカは懐から何かを取り出して、それをお姉に向かって勢いよく投げた。
「――きゃっ」
何かがお姉に命中し、お姉が悲鳴を上げて地面に落ちる。
オメレンカはそれを見て、ニヤリと笑って再び何かを取り出した。
「思った通りね。黒髪の女、あなたはあくまで背景化した者を見る事が出来るだけで、背景化した物は見る事が出来ない」
「――っ!? 僕には早くて何も見えないと思ったけど、早くてでは無く本当に見えていなかったのか?」
「うふふ。その通りよ王子様。今投げたのは背景化した魔石。本来は私のスキルで背景化したものは、他のものに影響を及ぼす事が出来ないのだけど、私が投げた魔石は別。私のスキル様に魔力を入れる事で改良をしてあるのよ。うふふ。これで分かったでしょう? この勝負、私の勝ちは決まった様なものね」
そう。
オメレンカがお姉に向かって投げたのは、スキルで背景化した魔石だった。
そして、その魔石はオメレンカのスキルに合わせて改良されていて、背景化しても利用出来る仕様になっていた。
ワンド王子が顔の表情を歪めて後ろに後退り、オメレンカが勝利を確信して不気味に笑う。
お姉はケホケホと咳をしながら立ち上がった。
「義姉君、大丈夫か?」
「はい……。油断しちゃいました。でも、もう大丈夫です」
「何も大丈夫じゃないわよ!」
オメレンカが再び何かをお姉に向かって投げる。
お姉は紙一重……と言うよりは、慌ててギリギリなんとかと言う感じでそれを避けた。
そして、直ぐにオメレンカに向かって、お姉は体勢を崩しながらも氷のブレスを吐き出した。
氷のブレスはオメレンカに当たる事は無く、そのまま床を凍らせた。
「避けられた?」
オメレンカが驚き、そしてその瞬間にオメレンカの足が凍りついて床に張り付く。
「――っこれは!? 避けた筈なのに!」
「捕まえました!」
「僕を戦力外として見ていたのがお前の敗因だ。僕が魔法を使った理由を見誤ったな」
「魔法を使った理由……? まさか、最初からこれを狙っていたって言うの?」
「そうだ。僕が魔法を使った理由、それはこの為だったんだ。お前の魔法に僕の魔法が敵わないなんて最初から分かっていた。だから僕はお前が魔法を使ったのを利用して、足に水が付着しても意識が向かいない様にしたんだ」
「そう言う事ね……。あらあら、甘く見過ぎていたわ」
「ワンドくんは賢くって凄いんです! 子供だからって甘く見ないで下さい!」
「はあ……。まったくその通りで嫌になるわ」
オメレンカは身動きが取れないと判断したからか負けを認めたからなのか、そう言ってその場に座り込んだ。




