056 教官の苦悩の始まり
※今回は新兵の教官ナオ視点のお話です。
「最悪だにゃ」
思わずそんな言葉を口から出してしまった。
言葉の語尾に『にゃ』と付けるのもいつぶりだろうか?
子供の頃はよく口癖で付けていたけど……って、今はそんな事はどうでも良い。
ニャーは【鬼ごっこ大会】開催中に起こってしまった惨劇にめまいがした。
ニャー達が暮らすこの【獣人国家ベードラ】の首都【王都フロアタム】では、年に一度【鬼ごっこ大会】が開かれる。
大会は国をあげて開かれて毎年大盛況なわけだけど、今年は事件が起こってしまった。
しかも、本気で頭を抱えたくなる程の大事件だ。
それは、大会の実況をしていたランが、ニャーに向かって「ナオ様~、先に昼食に言って下さい。今なら殿下達と一緒に昼食出来るかもしれませんよ」と言った言葉から始まった。
ニャーはその言葉に甘えて、昼食をとる為に休憩に入った。
ワンド第一王子殿下ことワンワンは、黒い髪の女の子マナナと雪女の女の子ラビちゃんと一緒に昼食をとっている。
ニャーは三人の居場所を聞いて、三人が昼食をとっている部屋まで向かった。
宮殿の通路を歩いていると、突然何かが破壊されるような音が窓の向こうから聞こえたではないか。
ニャーは急いで窓から顔を出して、何があったのかと視線を向けた。
そしたらワンワンが昼食をとっていると聞いていた部屋の小さな窓から、どう言うわけか小さくなっている雪女の女の子ラビちゃんが、同じく小さくなったワンワンを引っ張って飛び出す姿を目撃した。
何事かと驚いていたら、鬼ごっこ大会に出場している筈の牛の獣人の新兵レバー=ロースが壁を破壊して、二人を追いかけて行った。
ニャーはこれを見て思わず「最悪だにゃ」なんて言ってめまいがしたわけだけど、それどころじゃない。
あの様子だと、ラビちゃんがワンワンを連れてレバーから逃げてるのは明らかだ。
「あいつ、どう言うつもりよ」
三人を追いかける為に、壁を爪で斬り裂いて破壊する。
とにかく事情は後からたっぷり聞かせて貰うとして、今は急いで助けに行かないといけない。
ニャーは急いで三人を追いかける為に走り出した。
と、その時だ。
不意に、視界の中にマナナと馬の獣人の新兵シーサ=メウバが映った。
マナナとシーサが戦ってる!?
ニャーは焦った。
選択肢が増えてしまった。
マナナを助けるか、ワンワン達を追いかけるかの二択。
ニャーの考えが正しければ、シーサは恐らく先程ワンワンとラビちゃんを追いかけていたレバーの仲間だ。
そして、シーサの実力を考えると、絶対にマナナに勝ち目はない。
迷っている暇はない。
……ごめんね、マナナ。
ニャーが選んだのは、マナナを見捨てる事になるワンワン達を追う事。
シーサはマナナの事を気にいっていた。
最悪な場合でも命を落とす事にはならない筈。
それにマナナがシーサと一対一で対峙しているという事は、ワンワン達を逃がす為に一人残ったという可能性がある。
何か策があるのかどうかは分からないけど、それなら逃げた方を助けなければ、マナナがその場に残った意味を無駄にしてしまう。
だから、ニャーはワンワン達を追う事にした。
後で怒られるかもしれないな。
この国の王様は、国や王は民の為にあると考えている人だ。
だから、もし王族を助ける為にか弱い女の子を見捨てたなんて知られたら、きっと獣人の風上にも置けない面汚しだと罵倒されるに違いない。
王様はそう言う人だ。
でも……。
ニャーは尻尾を逆立てて爪を伸ばす。
ワンワン達と、二人を追いかけるレバーを視界に捉えた。
既にレバーからの攻撃は始まっていて、ラビちゃんが小さな槌を構えて、魔法でワンワンを護っていた。
あの馬鹿は絶対に逃がさない!
ワンワンとラビちゃんには、これ以上触れさせたりだってさせない!
マナナを助ける為に直ぐに捕まえてやる!
ニャーは爪に魔力を集中させて、爪を炎で燃え上がらせた。
「レバー! 覚悟しなさい!」
「――も゛っ!? 隊長!?」
ニャーはレバーに向かって炎で燃え上がった爪を振るう。
レバーはニャーに驚きながらも、直ぐに両手を前にかざして炎の魔法陣を浮かばせる。
「フレイムシールド!」
レバーの目の前に炎の盾が出現するが、そんなものニャーには関係ない。
炎の盾ごとレバーの腹を思い切り爪で斬り裂く。
「も゛ぁああああああああっっっ!」
レバーは悲鳴を上げて腹を押さえて横に飛び退き、ニャーとの距離をとった。
「隊長、酷いなあ。鎧を着でながっだら、オデ死んでだがもしれないモー」
「にゃあ……。流石は我が国の鎧。ニャーの攻撃を結構防いでくれちゃったね」
最悪だ。
腹を斬り裂いてやったと思ったら、鎧のおかげで助かったみたいだ。
ニャーはワンワンとラビちゃんに視線を向ける。
ワンワンは走りつかれて肩で息をして、かなり汗をかいている様だけど、目立った外傷はなかった。
だけど、ラビちゃんは外傷こそないけれど、かなりの魔力を消耗しているのか、顔に疲弊が表れていた。
それなりに早く追いついたとは思うけど、レバーの攻撃を防ぐ為に、結構な量の魔法で抵抗していたかのもしれない。
「隊長、余所見しでる余裕はないモー」
「――っにゃ!」
ニャーがワンワンとラビちゃんを見ていたのは、ほんの一瞬の出来事だった。
秒で表すとコンマ一秒すら無い時間。
だけど、その一瞬をレバーの奴は見逃さなかった。
気がついた時には、ニャーは土草と呼ばれる土の成分で出来た草に絡みとられて、手足の自由を奪われていた。
「その土草はオデ達のボスの魔法で生み出されだ特別な土草だモー。いぐら隊長でも、その土草を引きちぎる事は易々どは出来ない筈だモー」
「油断した……とは言え、おかしいな~。ニャーの見立てでは、レバーはそこまで強くない筈だった。強さを隠してたね?」
「流石は隊長だモー。オデを含め、シーサもシップも隊長の前では本気を出しだごどはないモー」
「シップ? シップも反逆者だったの?」
「モ!」
レバーは慌てて口を手で隠す。
レバーはどんくさいイメージがニャーにはあったけど、どうやらそれは演技では無かったらしい。
それなら隙を見て、何とか反撃するチャンスが訪れるかもしれない。
だけど、その前にやる事がある。
ニャーはレバーが慌てている隙に、ラビちゃんに目で逃げろと伝える。
ラビちゃんはニャーの意図を読み取ってくれて、頷いて直ぐにワンワンを連れて駆け出した。
「また逃げだモ!? いい加減諦めるモー!」
レバーがラビちゃん達に気付いて、ニャーに背を向けた。
反撃のチャンス。
手足を縛られて身動きが取れなくても、十分魔法は使える。
ニャーは魔力を集中し、一気に解放する。
「ピラーファイア!」
瞬間――ニャーの目の前に魔法陣が浮かんで、そこから蒼い炎の柱が一直線にレバーに向かって伸びていく。
「――ッモ゛!?」
気付いたってもう遅い。
レバーのうすのろでは、この炎は避けられない。
「何やってんのよ」
「にゃっ!」
レバーに蒼い炎の柱が当たる直前だった。
マナナと対峙していたシーサが突然現れて、レバーを蹴り飛ばして蒼い炎の柱の直撃をかわさせた。
レバーは蹴り飛ばされた事で地面を転がり、無傷の状態で立ち上がる。
そして、その時ニャーは今更ながらに気がついた。
ニャーの手足に絡みついた土草は、ニャーの魔力を吸収していたのだ。
だからだろう。
ニャーが放った魔法は、本来の威力と比べてかなり減少した威力になっていた。
だけど、今はそんな事に気を取られている場合でも無い。
事態はどんどん悪化していっている。
最悪な事に、シーサは左腕に大怪我をしてぐったりしたマナナをお姫様抱っこしていたのだ。
「シーサアアア!」
ニャーが叫ぶと、シーサはニャーに妖美に微笑んだ。
「あーら教官、随分とマヌケな状況ですね。レバー相手に油断でもしちゃったんですか?」
「そんな事はどうでもいい! マナナに何をした!?」
「この子が無駄に動くから、当てようと思っていなかった私の槍が当たっちゃったんですよ。可哀想でしょう? でも安心して下さい。私の槍の毒で麻痺して眠っているだけで、今の所は命に別状はないですから」
「な――――」
「愛那!」
シーサの言葉を聞いてニャーが喋るより早く、マナナを呼ぶ声がこの場に響く。
ニャーは驚いて、声の主に視線を移した。
「ラビちゃん……っ!?」
マナナを呼んだのはラビちゃんだった。
ラビちゃんは普段感情をあまり顔に出さないような子で、基本無表情な子だと思っていた。
マナナにその話をしたら、楽しそうに「そうですか? ラヴィって、とっても顔の表現が豊かなんですよ。よく見てみて下さい。可愛いですから」と言っていた。
それを聞いてからラビちゃんをよく見てみると、確かに僅かに口角を上げたり、眉根を下げたりとしていた。
でも、本当に僅かで、言われないと分からないくらいだった。
だけど今、そんなラビちゃんがマナナを見て、ニャーでもハッキリと分かるくらいに悲痛な表情をしていた。
こんな草に自由を奪われている場合じゃない!
よく見ると、疲れて眠ってしまったのか、ワンワンがラビちゃんの側で横になって倒れていた。
あんな状態では、ワンワンを連れてラビちゃんが逃げるなんて不可能だ。
ニャーは土草を引きちぎる為に、手や足に力を込める。
「レバー、さっさとワンド王子殿下を連れてずらかるよ」
「分がっでるモー」
「ラビちゃん、逃げてー!」
ニャーは叫んだ。
せめてラビちゃん一人だけでも逃げてほしかった。
だけど、ラビちゃんは首を横に振って答える。
「殿下は体力を消耗して気絶してる。私だけ逃げるなんて出来ない。私は回復の魔法が使える。愛那を魔法で助ける」
「そんな……っ!」
ラビちゃんは抵抗しなかった。
そもそも抵抗した所で、シーサとレバーを相手にラビちゃんがたった一人で太刀打ち出来るわけがない。
ラビちゃんは勝ち目が無いと分かっていたからこそ抵抗せずに、大きな怪我を負ったマナナを回復したいと考えたのだろう。
結局ニャーは見ている事しか出来ず、ラビちゃんとワンワンが一緒に掴まって、マナナと一緒にこの場から連れ去られてしまった。
「くそっ! くそっ! 何をやってるんだニャーは! くそっ!」
この場に残ったのは、殿下と子供を護れなかった無能な兵士だけだった。
だけど、このままでは終われない。
悔しがっている場合じゃない。
直ぐに後を追わなければならない。
「いい加減、離せえええええええっっ!!」
土草を無理矢理引きちぎろうとして、絡んだ部分の手足が切れて血がにじみ出る。
それなのに、土草は全く引きちぎれてくれない。
これ程丈夫な土草なんて聞いた事が無い。
更に魔力は吸収され、魔法で燃やす事も出来なかった。
そんな時、少し離れた場所から「教官?」と声がした。
視線を向けると、そこには新兵の一人である羊の獣人のリープと言う男が立っていた。
「リープ?」
「教官! これはいったい……?」
リープは鬼ごっこ大会に出場していたが、開始後直ぐに戦いに負けて脱落した敗北者だ。
それで情けない結果を出してしまった罰として、昼からは宮殿の警備を任されていた筈だった。
よっぽど大会の続きを見学したかったのだろう。
警備を言い渡された時に、リープは「そんなあ……」とぼやいたのをニャーは覚えている。
つまり、ここにいるのは偶然では無く必然で、このタイミングで来た事を考えても信用していい可能性が高い。
運が良い事にリープは【土属性】の魔法の使い手だ。
レバーの言葉を信じるなら、ニャーを縛る土草は魔法で生み出されたもの。
土草を生み出せる魔法は土属性以外ありえない。
同じ土属性を使えるリープであれば、この土草をどうにか出来る筈だとニャーは考えた。
今は一刻の猶予も無い時だ。
ニャーは直ぐにリープに向かって命令する。
「リープ、今直ぐこの土草を無効化しろ!」
「は、はい!」
リープはニャーに命令されるがままに、直ぐに土草を本来の土草に魔法で戻した。
やはりニャーが思った通り、同属性の魔法であれば無効化出来るようだ。
奪われた魔力は元には戻らなかったが、魔力が奪われる事も無くなった。
ニャーは直ぐに土草を引きちぎり、ようやくその場から解放される。
「教官、何があったのでありますか?」
「説明は走りながら話す。リープ、お前はニャーの話を聞いたら、直ぐにランに報告しろ」
「はっ!」
このままでは終われない。
シーサ、レバー、それにシップ……このまま逃げ切れると思わないでね。




