054 苦戦の先で掴むもの
楽しい筈の【鬼ごっこ大会】は、とても悲惨なものになりました。
今にして思えば、愛那を一人にしてしまった自分が本当に愚かで情けないです。
ボーアと名乗るフロアタムの新兵さんに聞いた事実は、あまりにもショックで、私の目の前は真っ暗になってしまいました。
愛那が大怪我を負って、その上そんな状態で奴隷商人に誘拐されてしまうなんて、何故私はそんな大事な時に側にいてあげられなかったのか後悔ばかりが押し寄せます。
気がつけば涙が溢れてきていて、私は俯いて泣いていました。
そして、そんな私の肩を誰かの手が掴んで揺らします。
「しっかりしろナミキ! おまえはマナのお姉ちゃんだろ!」
「モーナちゃん……?」
モーナちゃんの声が聞こえて顔を上げると、モーナちゃんが私に真剣な目を向けていました。
「よく聞け! 愛那はきっと大丈夫だ! ラヴィーナを信じろ! ラヴィーナは回復の魔法が使えるんだ! 絶対愛那の怪我を治してくれるわ! だから私達がやる事は、信じて助けに行く事だ!」
「……信じて…………助けに」
「そうだ! 泣いてる場合じゃないぞ!」
そうです!
その通りです!
「ごめんなさい、モーナちゃん。目が覚めました! ありがとうございます! 今は泣いてる場合じゃないですよね!」
「そうだ!」
私は涙を拭って立ち上がります。
モーナちゃんの言う通りです。
こんな所で泣いている場合ではありません。
絶対に愛那を助け出してみせます!
奴隷商人のシップさんに視線を向けると、ランさんと激しいバトルの真最中でした。
「ナミキ、あのシップって奴をラン達と捕まえて、奴等のアジトの場所を吐かせてやるぞ!」
「はい、分かりました!」
「だ、駄目ですよ! 貴女方は避難して下さい!」
「はあ!? こっちは仲間があいつ等に誘拐されたんだ! 黙って見てられるか!」
ボーアさんの言葉に反発して、モーナちゃんがシップさんに向かって跳躍しました。
モーナちゃんは直ぐにシップさんとの距離を詰めて、爪を伸ばして斬りかかります。
私もいつでもモーナちゃんを護れるように、魔力を両手に集中させました。
「ああっもう! どうなっても知らないぞ私は!」
ボーアさんが大声を上げて、シップさんに向かって駆け出しました。
「一二三、三対一……いいや、四対一か? 良いねえ! 興奮するぜ!」
シップさんがニヤニヤと笑いながら、斬りかかったモーナちゃんの爪をかわしました。
更に、そこへボーアさんが炎の玉を出して投げましたが、それもシップさんは避けます。
すると、今度はランさんが空気を圧縮した風の魔法を放ちました。
「ほらよ」
「――なっ!?」
一瞬でした。
ランさんの放った魔法から身を護る為に、シップさんはモーナちゃんの腕を掴んで前に出したのです。
モーナちゃんは一瞬の事で反応に遅れて、ランさんの魔法の直撃を受けそうになり、私は直ぐに魔法を使います。
「アイギスの盾!」
私が魔法を唱えると、モーナちゃんの胸元が光り輝いて、そこから私の魔法【アイギスの盾】が飛び出します。
そして、それはランさんの魔法からモーナちゃんを護りました。
「遠隔用の魔石? へえ、珍しい物を持っているな?」
「大会用に用意したんだ。まさか、こんな形で役に立つとは思わなかったけどな!」
モーナちゃんの言った通り、実はこれは【鬼ごっこ大会】用に、モーナちゃんが用意してくれた物でした。
本来であれば、私の魔法は自分の目の前にしか盾を出せません。
ですが、マジックアイテムの【魔石】と呼ばれる不思議な石に魔法を登録する事によって、離れた場所に自分の魔法を出す事の出来るのです。
と言っても、この【魔石】には種類があって、こんな事が出来るタイプの【魔石】は珍しいようです。
私はモーナちゃんが怪我をしてしまわなかった事に安堵して、小さく息を吐き出しました。
でも、油断なんて出来ません。
今もモーナちゃん達はシップさんと激しい戦いを繰り広げていますが、決して優勢ではないのです。
それ程にシップさんは強く、私からすれば別次元のものを見せられている様でした。
この異世界に来てから、現実離れをしたこういった戦いを何度も目にしてきましたが、これはその上をとんでもない程にいっています。
正直私の目では追うのがやっとで、なんなら気を抜かなくても見失う事だって結構あります。
ですが、弱音を吐いてなんていられません。
このシップと名乗った奴隷商人さんを捕まえて、少しでも早く愛那を助け出さなければいけないんです。
だから、私も見ているだけではいられません。
私はスキル【動物変化】を使って、凍竜へと変化しました。
そして、大きく息を吸ってシップさん目掛けて氷の息を吐き出します
「同族!? いや、スキルを使ったのか?」
一瞬だけシップさんが驚いて動きを止めたのですが、直ぐに氷の息を避けられてしまいました。
ですが、私の吐き出した氷の息は、それだけでは終わりませんでした。
ランさんが魔法で風を発生させて、氷の息を風で運んでシップさんの避けた方向に飛ばしたのです。
しかし、それでも届きませんでした。
シップさんが氷の息に向かって手を前に出して、目の前に緑色の魔法陣を浮かび上がらせます。
「サウスウィンド」
シップさんが呪文を唱えると、魔法陣から勢いよく風が噴き出して、氷の息を打ち消してしまいました。
更に、シップさんはまるで掴みとる様に自分で出した風に触れて、ぐにゃりと手を曲げた瞬間です。
魔法で生み出された風が方向を変えて、ボーアさんに向かっていきました。
「ぐお……っ!」
ボーアさんは低い声を零して、まるで焼かれたように全身を真っ赤にさせて倒れてしまいました。
そして、倒れたボーアさんにシップさんが向かって行きます。
「三流だなボーア。仮にも【炎】を操る火属性の魔法を得意とするお前が、俺の放った熱風如きで全身を焼かれるなんてな。そのままだと苦しいだろう? そんな体では売り物にならないからな、せめて止めをさしてやるよ」
「くそっ! 世話が焼ける奴だな! ナミキ!」
シップさんがボーアさんに手を伸ばすより先に、モーナちゃんが重力の魔法を使って、ボーアさんを私の側に引き寄せました。
私は直ぐにボーアさんを体で受け止めて、ボーアさんの高まった全身の熱に驚きながらも、直ぐに氷の息を吹きかけて冷やします。
「そいつは頼んだぞ!」
「へえ、よそ見するなんて随分と余裕だな」
「――っ!?」
それは一瞬の事でした。
気がつけば、いつの間にかモーナちゃんの背後にシップさんがいて、モーナちゃんはお腹を殴られて気絶してしまいました。
「モーナちゃん!」
「感謝してくれよ~? 顔を傷つけて奴隷としての価値が下がっちゃったら不味いから、比較的に目立ちにくいお腹にしてあげたんだからさ。っと、残るは竜に化けた君だけだ」
「え……っ!?」
私は驚きました。
シップさんの言った通り、ランさんもいつの間にか気絶させられていて倒れていたからです。
すると、ここに集まっていた今まで黙って様子を見ていた大会の観客達の皆さんが、顔を真っ青にして逃げ始めました。
中には腰を抜かして動けなくなっている人もいて、信じられないと言いたげな視線をランさんとシップさんに向けていました。
「しかし参ったな。もう少し楽しませてくれると思ったんだけど……特にこの子、モーナだっけ? 出来るだけこの子の攻撃には触れない方が良さそうだったから、触れないように避けてはいたんだけど、戦闘中に他人を気にしてよそ見をしちゃう様なマヌケだった。この分じゃ平気だったかもしれないな。期待外れだ」
シップさんが残念そうに顔を曇らせて、ため息を吐き出しました。
それから周囲の観客の方々を見まわしてから、つまらなそうな表情で私に向かってゆっくりと歩いて来ます。
私は焦ります。
正直、どうすればこのピンチを切り抜けられるのか全く分かりません。
私に出来るのは動物さんに変身するこのスキルと、魔法で出せる盾だけです。
ですが、焦りながらも考えます。
まず、ここで私がシップさんを倒してしまうなんて事は絶対にありえません。
こうして凍竜に変身して思う事ですが、愛那ちゃんお墨付きの氷の息をいとも簡単に攻略されてしまった時点で、今の私の攻撃は全て通じないと見て間違いないと思います。
そして次に、モーナちゃん達を連れて逃げるなんて事も絶対に出来ません。
このまま背中に乗せるにしても、別の動物さんに変身して乗せるにしても、絶対に掴まる自信があります。
だけど、一つだけ良い案が浮かびました。
魔法で身を護っても最初の一撃の様に、きっと盾ごと吹っ飛ばされてしまいます。
それなら私に出来る事はただ一つ!
「私を愛那ちゃんの所に連れて行って下さい!」
「はあ?」
私の提案にシップさんが顔を顰めて足を止めました。
「今から私達を捕まえるんですよね? それなら、今直ぐ私を捕まえて愛那ちゃんの所に連れて行って下さい!」
シップさんの目を真剣に見つめて言いました。
シップさんは顰めた顔の表情を変えて、私を睨んできました。
本当は凄く怖いです。
モーナちゃん達が気絶させられてしまって、足が震えて立っているだけでやっとです。
でも、私は逃げません!
腰を抜かして震えて怯えている場合でもありません!
大切な妹の愛那ちゃんを助けなければいけないんです!
「はっはっはっはっ! 面白いな君。自分から捕まえてくれなんて言う奴は初めてだ! 大抵の奴は俺を倒して捕まえた奴の居場所を聞き出してやるって言うんだがな!」
「私はよわよわなので出来ません。だから、大怪我した妹を助ける為には、こうするしかありません!」
「へえ、もし俺がお前を妹の許に連れて行かなかったらどうする?」
「へう。その時は連れて行ってもらえる様に、頑張って何度も頼みます」
「頑張って何度も……頼みま………はっはっはっはっ! 面白いな君。じゃあさ、連れて行ってあげるとして、大怪我した妹をどうやって救うつもりだ? 治療の魔法は使えない様だが?」
「側にいてあげる事は出来ます! 側にいて、お姉ちゃんパワーを注入してあげるんです! 愛那ちゃんだって私が側にいてあげれば、きっと元気が出て怪我なんかに負けません!」
「はっはっはっはっ! 何だそれ? そんなんで大怪我が治るわけねーだろ。何も出来ないのと一緒じゃねーか」
「な、治らないかもですけど……とにかく側にいてあげたいんです!」
失礼な人です。
めちゃくちゃ笑ってます。
確かに私には何も出来ません。
でも、辛い時に誰かが側にいるだけで、頑張れちゃうもんなんです。
だから、大怪我で辛い思いをしている愛那ちゃんの側には、お姉ちゃんの私がいてあげなきゃ駄目なんです!
シップさんから目を離しません。
私を笑うシップさんを力強く真剣に見つめ続けます。
シップさんはひとしきり笑うと、ニヤニヤと笑って言いました。
「気に入った。連れて行ってやるよ」
と。