043 竹取の合戦 決着
それは、わたしがまだ【必斬】のスキルを手に入れて直ぐの事だった。
わたしは早く自分のスキルを使いこなしたくて、木の枝で素振りをしていた。
「愛那、スキルの練習ですか?」
不意に声をかけられて、私は素振りを中断して振り向く。
何故かお姉が眉根を下げてわたしを見ていたから、わたしはどうしたのか気になって尋ねてみた。
すると、返ってきた言葉は「何でもないです」だった。
わたしには、あの時のお姉が何を考えていたのかよく分からなった。
それに、それよりも異世界で手に入れた【必斬】と言う名のスキルを、わたしはもっと知りたかったんだ……。
◇
凍竜に変身したお姉の背中に乗って、ラリューヌの住む村長の家へと急ぐわたしは、背後を気にして何度も後ろを確認する。
スタンプはまだ追って来ない。これなら――
瞬間――ビリビリと肌に感じる嫌な感触。
微量の電流が肌をかすめて、わたしは顔を歪ませる。
奴が……スタンプが来たのだと、わたしは直ぐに理解した。
「充電完了。もう逃がさないよ、マナちゃん」
「しつこい!」
スタンプは行く手を阻む様に前方に現れて、お姉は急停止する。
そして、お姉の身に限界が訪れてしまった。
お姉は息を切らして地面に降りて、元の姿に戻ってしまった。
「お姉!?」
「ご……ごめんなさい、愛那ちゃん。お姉ちゃ……ん、もう……飛べ……ませ…………ん」
元々お姉は運動が苦手で人並みの体力すらないのだから、こうなって当たり前だった。
それなのに、わたしはその事を忘れて酷使し過ぎてしまった。
お姉は立つのですらやっとなのではないかと思える程にフラフラに弱っていて、大量に汗を流しながら肩で息を切らした。
「んん~? よく分からんがババアが使い物にならなくなったみたいだな? こいつは良い! 邪魔者はいなくなったと言うわけか!」
「お姉はババアでもないし物でも無い! ホントにあんたって最低だね!」
「やれやれ、マナちゃんは俺の愛人にしてあげるんだから、そろそろ自分の立場を理解してくれなきゃ困るなあ。君が愛する俺に、いつまでもそんな物言いじゃいけないよ?」
「愛してない! 誰があんたなんかの愛人になるもんか! ロリコン!」
「そうで……す。愛那は、貴方なんかに…………渡しません!」
「お姉……」
お姉の息はだいぶ整ってきていたけど、それでも疲労は隠せない。
お姉の顔を覗くと、限界なのだと一目で分かった。
「今度は逃げ出さない様に、手足を縛ってあげるからね」
スタンプの右手からバチバチと音を立てて、目に見える電撃がわたしに向かって飛んでくる。
電撃のスピードについて行けるわけも無く、わたしはただそれを見ている事しか出来なかった。
だけど、見ているだけのわたしに、スタンプの電撃が届く事は無かった。
「――っ!?」
一瞬だった。
わたしの目の前に氷の壁が現れて、それがわたしを電撃から救ったのだ。
わたしとお姉は勿論、スタンプもが驚いて、その突然現れた氷の壁に視線を向けた。
そしてその時、不意に声が聞こえた。
「愛那。瀾姫」
名前を呼ばれて視線を向ける。
するとそこには、カリブルヌスの剣を抱えて、こっちに向かって走ってくるラヴィの姿があった。
「ラヴィ!」
「ラヴィーナちゃん!」
わたしとお姉が同時にラヴィの名前を呼んで、わたしはラヴィに向かって駆け出した。
わたしとラヴィの間には、まだそれなりの距離があって、多分百メートル以上は離れている。
ラヴィもカリブルヌスの剣を両手で抱えていて、よっぽど重たいのか、結構走る速度は遅かった。
「なんでここに――いや。それよりも、遊んでいる場合じゃなくなったな!」
スタンプの顔つきが変わる。
さっきまで余裕の笑みさえ出てきそうなスタンプの顔は険しくなり、いつの間にか解凍された打ち出の小槌を右手に構えた。
そして、バチバチと電流がスタンプの周囲に漂い、一瞬でスタンプがその場から姿を消した。
――来る!
わたしとラヴィの間にスタンプが一瞬で現れる。
スタンプはラヴィに向かって電撃を飛ばし、ラヴィは両手を前にして複数の魔法陣を浮かび上がらせる。
「アイスシールド」
ラヴィの目の前に浮かび上がった魔法陣から氷の盾が現れて、スタンプの雷撃を防ぎきる。
そして、ラヴィは更に魔法を続けた。
「アイスハンマー」
瞬間――わたしと同じ背丈くらいある巨大な氷の槌が、残っていた魔法陣から勢いよく飛び出した。
その数は全部で八。
それは真っ直ぐでは無く、まるで馬鹿にして翻弄する様に不規則な動きで飛んでスタンプを襲う。
「雪女が!」
スタンプは打ち出の小槌を振るって、自分を襲った氷の槌だけを狙って打ちつけて、その力を発揮させた。
打ち出の小槌で打たれた魔法は小さくなって儚く消えさる。
「打ち出の小槌って、小さくも出来るの!?」
わたしが驚いて声を上げると、スタンプがニヤリと余裕の笑みを浮かべて私に視線を向けた。
だけど、その余裕が……油断が禁物だった。
ラヴィは、決してスタンプの油断を逃さない。
一瞬にしてスタンプを間合いに入れて、スタンプに向かって近距離で魔法の呪文を唱える。
「アイスフリーズ」
「しまった!」
スタンプが咄嗟に左腕で身を守る。
「凄い……」
わたしは思わず呟いていた。
スタンプは、お姉の本気の氷のブレスを受けても、全然凍る事なく無傷だった。
それだと言うのに、ラヴィの放った魔法を受けたスタンプの左腕は見事に凍ったのだ。
だけど、スタンプがまだ動けなくなったわけでは無い。
スタンプは眉根を上げて怒りながら、目の前にいるラヴィの腕を右手で掴んだ。
わたしは急いで駆けだした。
スタンプはラヴィを持ち上げて睨み見る。
「愛那!」
ラヴィがわたしの名を叫んだ。
今までラヴィが叫んだ事なんて全然無かったから、わたしは一瞬だけ驚いて、でも、直ぐにラヴィの意図を読み取った。
そして、スタンプは頭に血が昇っていて、まだ気がついていない。
今がチャンスなのだと、わたしは全神経を集中する。
考えてみれば、ラヴィが現れてから不思議な事が起きていた。
最初に見せた盾の魔法の時には、既にラヴィの所にはカリブルヌスの剣の存在は無く、両手で魔法を使っていた。
わたしの背丈と同じくらいの大きさの不規則に動いていた氷の槌は、全てがスタンプに消されたわけでなく、幾つかはそのまま消えていた。
この二つの要素が無ければ、わたしはきっと気がつかなかったかもしれない。
スタンプの周囲に目を配らせれば、確かにそれは、そこにあった。
「君には出来れば手をくだしたくなかったけど仕方が無い。君は後三年もすれば魅力的になるのに残念だ」
スタンプの右手から電流の流れる音が鳴って、右手で腕を掴まれて持ち上げられているラヴィの表情が歪む。
わたしは考えるより早く動いていた。
スタンプとの距離はそこまで遠くない……いいや、寧ろ近いくらいだ。
今のわたしには魔法が使えなかったけど、それでも一つだけ掛かっている魔法があった。
ここに来るまでにスタンプの妨害で足止めを食らってしまったわけだけど、スタンプの妨害があるまで、ただ何もせずに走っていたわけでは無い。
それはそうだ。
わたしとお姉はラヴィを助ける為に急いでいて、そんな時に【加速魔法】を持つわたしが、魔法を使わないわけが無いのだから。
わたしにはまだ、わたしが現時点で使える最速の加速魔法、動きを四倍速に出来る【クアドルプルスピード】が掛かっていたのだ。
一瞬で決める!
わたしは走り出して、スタンプと目と鼻の先に落ちていたそれを……カリブルヌスの剣を持ち上げ――られない!?
信じられない程にズシンとした重さを感じ取り、わたしはカリブルヌスの剣を持ち上げる事が出来なかった。
「ん?」
――気付かれた!?
当然と言えば当然の事。
カリブルヌスの剣はスタンプの目の前に落ちていて、スタンプはラヴィに気を取られて気がついていなかっただけなのだ。
そして、その場所に今はわたしがいるわけで、だからこそ一瞬で決めなければならなかった。
わたしは焦る。
カリブルヌスの剣は今までもそれなりに重く感じていたけれど、ここまで重くなかった。
何が原因かは分からない。
わたしの体が、わたしの魔法についていけず、それで腕力が乏しくなった可能性が……いや、あり得ない。
そんなの今まで無かったからだ。
スタンプが訝しげにわたしを見る。
そして、わたしが持ち上げようとしているカリブルヌスの剣に気がついた。
だけど、その時だ。
お姉が背後に現れて、わたしの手とカリブルヌスの剣を一緒に握って、一緒に持ち上げてくれた。
それだけじゃない。
ラヴィがスタンプに向けて、魔法を放つ。
「アイスハンマー」
「ぐぅっ……ちぃっ、鬱陶しい!」
ラヴィの出した魔法は、さっきと違って大きさが五百ミリのペットボトルサイズくらいで、それ程大きくは無かった。
それでも、スタンプを怯ませて注意を向けるには充分だった。
スタンプが声を荒げて、ラヴィの頬を凍った左手で叩く。
口が切れたのか、ラヴィの口からは血が流れた。
そして、ラヴィが作ってくれたこの隙を、わたしも黙って見ているだけじゃいられない。
わたしはお姉に力を借りて持ち上げたカリブルヌスの剣を、スキル【必斬】を発動させてスタンプに振るった。
瞬間――手に柔らかな肉を斬る感触が伝わり、同時に鮮血が血しぶきとなって、わたしを赤色に染め上げる。
「――え?」
思わず声が漏れた。
この時、わたしは初めて人を直接斬ると言う事、そして感触を知った。
カリブルヌスの剣から手を離して、剣が地面に落ちる音と、叫ぶスタンプの声が重なった。
スタンプはわたしに斬られたお腹を右手で押さえて、もがき苦しむ。
わたしはそれを、ボーっと見つめた。
「愛那ちゃん! 愛那ちゃん!」
お姉がわたしの肩を揺らし、必死にわたしの名前を呼んで叫んでいる。
スタンプから解放されたラヴィは、直ぐにスタンプに駆け寄って、見た事も無い魔法でスタンプの傷口を水で覆った。
わたしはスタンプの血で染まった自分の体と両手を見て、その時、恐怖を覚えてしまった。
「愛那ちゃん、ごめんなさい! こんな事になるなんて!」
お姉がわたしの両手を握って涙を零す。
「大丈夫。愛那を殺人者なんかにさせない」
ラヴィが真剣な表情で、苦しむスタンプに魔法を使い続ける。
「…………うん」
たったそれだけの言葉を言うのが、今のわたしには限界だった。
わたしは今まで知らなかった。
今までは斬撃を飛ばす事で【必斬】の力を使っていたから、直接誰かを斬るなんて事は無かった。
手に残る肉を斬るという感触……それは何処か、料理している時に食材を切る感触に似ていた。
わたしは恐怖した。
何に?
人を斬っても何とも思わない自分にだ。
わたしはスタンプを斬っても、何の感情もわかなかった。
そして、人を斬っても何とも思わない自分に、酷く心が痛んだ。
モヤモヤとした嫌な感情がわたしの心にまとわりつく。
眉根を下げて心配そうにわたしを見つめるお姉の顔を見て、わたしはあの時の事を思い出した。
ああ、そうか。
あの時お姉は「何でもないです」と答えたけど、わたしが誰かを斬ってしまった時の事を考えてくれてたんだ。
と、そう思った時、わたしは涙を流していた。
そして、お姉の腕に包まれて温もりを感じながら、「あーっはっはっはっ! スタンプが死にかけてるぞ! ざまあみろ!」と、笑い声を聞いた。
……は?
笑い声……って、モーナ!?
笑い声に驚いて視線を向けると、その先には大笑いしてスタンプに指をさすモーナの姿が……。
「マナ、遅くなった! 体が痺れて少しだけ気を失ってたわ!」
「は? 体が痺れて気を失ってたって……大丈夫なの?」
「問題無いぞ。それよりマナ、スタンプの止めは私がさしていいのか?」
モーナはスタンプを見て舌なめずりをしてからそう言うと、スタンプの目の前に立って、怪しく笑みを浮かべた。
「やめんかい」
わたしはお姉から離れて、透かさずモーナにツッコミのデコピンをお見舞いしてやる。
「んにゃっ。何をするー!」
「いや、もうそれ、こっちのセリフだから」
モーナが尻尾を逆立てて抗議の視線をわたしに向けて、わたしはそれを鼻で笑ってやった。
すると、それを見ていたお姉とラヴィに笑顔が戻った。
「まあ良いわ! スタンプをぶっ殺すぞ!」
「だからやめろって」
デコピンの音が綺麗に鳴って、モーナの「んにゃっ」と、お姉とラヴィの笑い声が重なった。
気がつけば、わたしの心の中にまとわりついたモヤモヤも消えていた。




