032 仲直り
ラヴィの母親のミチエーリさんは男遊びをする女性で、お金にもがめつくて汚いだけじゃなく、自分の娘のラヴィすらも物の様に扱う最低の母親だった。
わたしはそんなミチエーリさんの事が許せなくて、そして何よりラヴィに幸せになってほしくて、ミチエーリさんの悪い心を斬った。
わたしがやった事は、もしかしたら悪い事なのかもしれないとも考えたけど、わたしは後悔していない。
そうだ。後悔していない筈だったのだ。
それなのに、わたしは少しだけ後悔していた。
何故なら……。
ミチエーリさんが目を覚まし、ゆっくりと上体を起こす。
わたしは戻って来たじーじさんとお姉、それからモーナと一緒に、ミチエーリさんを囲んで話しかける。
「えっと、気分は……どうですか?」
ミチエーリさんはわたしが話しかけると、ボーっとした表情で暫らくの間わたしを見つめて目を合わせて、それから周囲をゆっくりと見回した。
わたし達はミチエーリさんが何かを喋るのを待つ。
そうして待っていると、ミチエーリさんは表情を変えずに俯いて、ゆっくりと口を開いた。
「死んでいなかったのね。こうして目を覚ます事が出来るなんて思わなかった。貴女に斬られた時、私は死んだと思ったの。なんだか、不思議で……変な気分だわ」
「それは、その……ごめんなさい」
ミチエーリさんを斬った事への罪悪感は、正直とくになかったけど、わたしは何となく謝ってしまった。
元々謝るつもりだって無かったけど、今のミチエーリさんの雰囲気が、わたしをそうさせたのだと思う。
わたしがミチエーリさんに謝ると、モーナが眉根を上げてミチエーリさんを睨み見た。
「お前、自分が何をやっていたか覚えてるか? ラヴィーナに酷い事してたんだぞ?」
「……ええ。そうね。とても酷い事をしていたわ」
ミチエーリさんはボーっと俯いたまま話すと、表情を変えずに目から涙を流し始めた。
「母親失格ね。なんで……なんで私は、あの子にあんな酷い事をしていたのかしら?」
「そうか。君は、やっとそれに気がつけたんだね?」
じーじさんがミチエーリさんに訊ねると、ミチエーリさんは涙を流しながら、無言で小さく頷いた。
わたしはミチエーリさんのそんな姿を見て、もう安心して良いのだと、ラヴィの事を思いだした。
ラヴィは今、封印の解除をしていてこの場にはいない。
早くラヴィに母親と合わせてあげたいと、わたしは強く思った。
「ミチエーリさん、ラヴィに会いに行きませんか?」
訊ねると、ミチエーリさんはゆっくりと顔を上げて、わたしに顔を向けて目を合わせた。
「会いたい……。会ってあの子を抱きしめてあげたい。でも、あの子は……ラヴィーナは嫌がらないかしら?」
「ううん。そんな事ないですよ」
「そうですよ。ラヴィーナちゃんも、きっとお母さんに会いたいって思ってますよ」
ミチエーリさんの質問に、わたしとお姉が笑顔で答える。
すると、ミチエーリさんは顔をくしゃくしゃにして、両手で顔を隠して泣き続けた。
暫らくして、ミチエーリさんが落ち着いてから、わたし達はラヴィの許に向かって歩き出した。
だけど、一つ気になる人物が一人……違うな。二人ついて来ている。
「いやあ、すっげーな。人って変わるもんだな~。な? フナ」
「な? とか言われても、事情とかよく知らないし。それより、思いっきり部外者なのに、ついて来て良かったの? リン姉」
「オッケ、オッケー。オイラ達は言わば観客。最後まで見守ってやろーじゃないの」
「見守るとか結構なので、今直ぐ帰って下さい」
「ええー? つれないな~マナちゃん。オイラとマナの仲じゃないか~」
「愛那、いつの間にリンちゃんと仲良しさんになってたんですか?」
「仲良くないし。って言うか、リンちゃんって、お姉……」
わたしはため息を小さく吐き出した。
実は良い人だったリングイ=トータスと、フナさんの二人は、わたし達について来ていた。
理由は多分、まだわたしの事を諦めていないからだと思うんだけど、いい加減に諦めてほしい。
どうして、そこまでわたしにこだわる必要があるのか謎だ。
まあ、それは今は置いておくとして……。
「じーじさん、こんなに大勢で行って、儀式の邪魔にならないですかね?」
眉根を下げて質問すると、じーじさんは直ぐには質問に答えずに、少し考える素振りをした。
封印を解く為の儀式は時間がかかるだけじゃなくて、一度ミスをすると最初からになってしまう。
だから、そりゃそうだろうって感じの質問だったわけだけど、わたしが思っていた以上に考えている様だった。
じーじさんの答えを黙って待っていると、お姉がじーじさんの代わりに答え出す。
「大丈夫だと思いますよ」
「なんでそう思うの?」
「多分、もう終わってるからです」
「え? ま?」
「はい。ですよね? じーじさん」
「ああ、そうだね。吾輩が様子を見に行って、瀾姫君を連れて来る頃には、既に後少しの段階までいっていたよ」
じーじさんが、持ち前の渋い声のトーンを上げて楽しげに話した。
わたしはそれを聞いて、それなら何をそんなに考えていたのかと疑問に思って、じーじさんに視線を向けた。
すると、じーじさんはわたしのそんな視線に気がついて、苦笑して答える。
「すまない。終わっているとは思ったんだが、ラヴィーナ達がこちらに向かって来ていないから、途中で失敗したのかと考えていたんだ」
「あー、そう言う……」
つまり本来であれば、もうラヴィ達と再会出来ていてもおかしくないと言う事なのだろうと、わたしは察した。
しかしそうなると、少し心配ではある。
封印解除の儀式が終わっている筈のラヴィ達が戻って来ないのは、何かがあったからかもしれないからだ。
などと、そうこう話して考えている内にわたし達はアイスブランチを出て、目的のラヴィのいる場所にやって来た。
やって来たのだけど……はあ。っと、ため息を吐き出したくなる様な現実がわたし達を待っていた。
ラヴィ、フォックさん、ラクーさん、それからポレーラさんは、とくに何事も無く全員無事。
何かがあったわけでも無く、四人は楽しそうにお喋りをしていた。
と言うかだ。
ラヴィが一番楽しそうに、大きな雪だるまを作っている。
ラヴィの楽しそうに遊ぶ姿を、ミチエーリさんが立ち止まって目を潤ませる。
すると、お姉がミチエーリさんの背中を押して、振り向くミチエーリさんに柔らかな微笑みを見せた。
ミチエーリさんは勇気を振り絞り、歩みながらラヴィの名を大声で呼ぶ。
「ラヴィーナ!」
ラヴィがミチエーリさんに振り向き、雪だるまから手を離して、その場で立ち止まる。
わたし達に気がついたフォックさんとラクーさんとポレーラさんは、ミチエーリさんの姿を見て、とても安心した顔をした。
「ごめんね、ラヴィーナ! 駄目なお母さんでごめんね!」
ミチエーリさんが必死に謝りながら、ラヴィに向かって走り出す。
ラヴィも一瞬だけ目を潤ませて……違う。一瞬なんかじゃない。
ラヴィの虚ろ気だった目に、光の入っていない瞳に、光が宿った。
そして、ラヴィもミチエーリさんに向かって走り出す。
良かったね、ラヴィ。
二人はお互い抱きしめ合い、大粒の涙を…………抱きしめ合わなかった。
さて、わたしは正直、何がおこったのか解からなかった。
ラヴィは、近づいて来て大きく手を広げた母親のミチエーリさんを、思い切り素通りしてしまったのだ。
しかも見向きすらしていない。
そして……。
「愛那!」
「わたし!?」
ラヴィが走り出して飛びついて抱き付いた相手、それはわたしだった。
わたしはまさかの展開に動揺して、困惑しながら、ラヴィとミチエーリさんを何度も何度も交互に見る。
ミチエーリさんは、わたしとラヴィを見つめながら、氷の様に固まってしまっていた。
ラヴィは、結構凄めの力でわたしに抱き付いていて、暫らく離れそうにない。
「あーっはっはっはっ! フラれてやんのー!」
おいこらモーナ。ミチエーリさんに指をさすな。って言うか笑うな。
「まさかの展開です! ラヴィーナちゃんは、よっぽど愛那の事が心配だったんですね」
「それは嬉しいんだけどさ。ねえ、ラヴィ。お母さんの所に――」
「お母さんより、愛那が心配だった。無事で嬉しい」
「それは……うん。ありがとう」
わたしが困惑しながらもお礼を言うと、ラヴィが頷いてから体を離して、ミチエーリさんとの戦闘中に傷ついてしまったわたしの左手に視線を向けた。
そして、固まってしまったミチエーリさんに視線を向けて、口をへの字口にしながら話し出す。
「お母さん、愛那は私の大事な友達。だから、傷つけたの許さない。それと、私はもう家には帰らない」
「……そう、わかったわ。私は今まで、本当に酷い母親だったのだから、ラヴィーナの事……止められ無いものね。マナちゃん、ごめんなさいね」
ミチエーリさんが悲しげに眉根を下げて俯く。
わたしはと言うと、まさかの展開に動揺して何も言えなくなってしまった。
正直左手の傷なんて、確かにまだ少し痛みはあるけど、どうでも良い事だったし気にしていなかった。
それなのに、ラヴィはわたしのこの左手の傷を気にしてくれていて……でも、それよりも、まさかラヴィがミチエーリさんを拒むとは思わなかった。
わたしは何も言えないまま動揺して、ラヴィとミチエーリさんを交互に見る事しか出来ないでいた。
だけど、そんなわたしの代わりに、お姉がわたしの言いたい事を全て代弁してくれる。
「ラヴィーナちゃんはそれで良いんですか? お母さんの事、嫌いになっちゃったんですか? 一緒に暮らしたくないんですか?」
「ううん。お母さんが優しくなってくれたなら嬉しい。それに嫌いじゃない。でも、今は愛那と……愛那と瀾姫とモーナスと一緒にいたい」
「ラヴィ……」
何だか、急に目が潤んできた。
嬉しい反面、ミチエーリさんに申し訳ないとも思えた。
だから、わたしは少しだけ後悔してしまったのだ。
わたしがカリブルヌスの剣で悪い心を斬ってしまった為に、ミチエーリさんに辛い選択をさせてしまう事になったから。
まさかラヴィが、ミチエーリさんと一緒にいる事を選ばないなんて思わなかった。
でも、そんなの関係ない。
わたしの選択で悲しい思いをする人を増やしてしまった事に、わたしは後悔したのだ。
わたしの気持ちに察したのか、モーナがわたしの背中を叩いて笑う。
「マナ、気にするな。今まで散々ラヴィーナに酷い事してた母親だ。これ位の仕打ちは当然だ」
「……ありがと」
「思っていたのとは違う結末になってしまいましたが、でも……ほら。見て下さい」
お姉がわたしの横に立って、ミチエーリさんを見つめる。
わたしもお姉にならって、ミチエーリさんに視線を向けると、ラヴィがミチエーリさんに小走りで近づいて行く姿が目に映った。
ラヴィはミチエーリさんに近づくと、口角を上げて微笑みながら何かを話し出す。
すると、ミチエーリさんは目を潤ませて、嬉しそうに微笑んでいた。
「少しは……意味があったのかな? ラヴィの力になれたのかな?」
呟くと、お姉がわたしの頭を優しく撫でる。
「いーっぱい、いーっぱい力になれましたよ。愛那のおかげで、ラヴィーナちゃんはお母さんと仲直り出来たんです。流石は、お姉ちゃんの妹です」
「うん」
「そうだぞ、マナ。流石は私が見込んだだけあるわ! 堂々と胸を張るべきだわ!」
「うん。……ありがとう。お姉、モーナ」




