026 望まれない女の子
ラヴィの母親の登場で、ラヴィの家に行く事になったわたし達は、ラヴィの母親の後に続いて歩き出した。
そんな中、わたしはモーナが言った言葉に不安を感じていた。
気をつけろマナ。あの女、ラヴィーナの母親は危険だ。
モーナはわたしにそう言葉を残して、じーじさん達にラヴィの家に行く事を伝えに行った。
元々ラヴィの母親の事は、出会う前から警戒した方がいいと思っていたけど、モーナの言葉が気になって、変に意識してしまう。
ラヴィの母親は、今の所変な様子は見せない。
あるとすれば、あの時、わたしが連れて行かないでと言ったあの時だ。
ラヴィの母親は、わたしに一瞬だけ冷たい視線を向けてきた。
でも、わたしの言葉を「娘は返さない」と言われたと捉えれば、そんな視線を向けるのも当たり前の様にも思える。
前を歩くラヴィの母親に視線を向ける。
ラヴィと手を繋ぎながら、楽しそうにラヴィに話しかけて笑っている。
何処からどう見ても普通の母親で、とても悪い人には見えなかった。
わたしが悩んで歩いているそんな時だった。
わたしの横を歩くお姉がラヴィの母親の隙を見て、突然ステチリングの光をかざして情報を入手した。
「お、お姉?」
困惑してお姉の顔を見上げると、お姉は眉根を上げて口角を上げながら、わたしにラヴィの母親の情報を見せてきた。
ミチエーリ
種族 : 妖族『雪女』
職業 : 不明
身長 : 158
BWH: 83・57・86
装備 : 雪装束・草履
属性 : 水属性『水魔法』上位『氷魔法』
能力 : 『鑑識眼』未覚醒
「どうですか?」
「どうって……」
職業が不明と言う部分を除けば、特に怪しい所は無さそうだ。
そう言えば、モーナも不明だったっけ?
「ラヴィーナちゃんのお母さんは、こうやって見ると良いお母さんですね」
「……うん」
わたしは頷くように俯いた。
話で聞いていた様な悪い雰囲気の母親には見えないけど、それでもモーナの言葉が気になる。
「愛那、お姉ちゃんは思います。一つの事ばかりに気を向けていたら、何も見えなくなって、大事な事まで見落としてしまうんです」
お姉の言いたい事がわからず、わたしはラヴィの母親を見つめた。
でも、何もわからない。
一つの事と言われても、ラヴィの母親は一人しかいない。
ううん。違うか。
わたしはメリーさんの事を思い出した。
お酒を飲んで、ラヴィの事を想ってメエメエと泣いていたメリーさん。
ラヴィもメリーさんと一緒にいる時は口角を上げて、楽しそうにしていた。
……あ。
「ありがとう。お姉」
わたしはお姉にお礼を言って、顔を上げる。
「いえいえ。良いんですよ~。愛那、何かあったら、絶対お姉ちゃんが護ってあげます」
「うん」
わたしは気がついた。
ラヴィの母親では無く、ラヴィ自身の事に。
ラヴィはずっと母親を見ていなかった。
それは今も続いていて、未だに俯いたままだった。
それに、母親と手を繋いでる様に見えるけど、実際はそうじゃない。
ラヴィは母親と繋ぐ手に全く力を入れていない。
それがわかる程、母親に握られている手が、だらんとしていたのだ。
わたしはラヴィを見て、もう迷わないと心に誓った。
「着いたわよ」
暫らく歩いて小さな小屋の様な一軒家の目の前まで来ると、ラヴィの母親が立ち止まって、わたし達に振り向いて口にした。
「ここがラヴィの家……」
ラヴィの家は小さくて、日本昔話に出てきそうな木で出来た家だった。
そして、驚く事に、ここまで全く見かけなかった雪が周りに積もっていた。
おかげで透明な木の枝が雪で隠れて、下を向いても雪のおかげで何も見えない。
お姉がしゃがんで雪を掴んで見つめて、わたしにもそれを見せる。
「この雪、私達の世界と同じ様な雪みたいですよ」
「ホントだ」
お姉の言った通り、わたしも何度か見た事のある普通の雪だった。
するとそこで、ラヴィがわたしとお姉に近づいて来て話す。
「アイスマウンテンの雪が特殊。他は全部こんな感じ」
「そうなんだ?」
「そう」
「何だか、雪だるまを作りたくなっちゃいました!」
お姉が立ち上がり、目を輝かせて突然はしゃぎ出す。
「今はそんな事してる場合じゃ……いいね雪だるま。一緒に作ろう。ね? ラヴィ」
お姉に何を馬鹿な事を言いだすんだと思ったけど、思いを改めて考えれば、これは良いアイデアかもしれないと考えた。
今はわたしとお姉しかいないから、モーナが来るまでの時間稼ぎだ。
何故時間稼ぎをするのかと言うと、ラヴィの母親を警戒しての事だ。
今はまだ良き母親を演じているだけだと考えたとして、この先何があるか分からない。
このアイスブランチに来てから、危険な人物に会いすぎている。
もしかしたら、ラヴィの母親が襲って来る可能性だってある。
だからこそ、家の中に入る前に時間稼ぎをしようと考えたのだ。
だけど、わたしの考えを察したのか、ラヴィの母親は微笑みながら話す。
「そんなの後で良いじゃない。ほら、早く家に入りましょ? ラヴィーナも来なさい」
ラヴィが頷いて、母親の許に歩き出した。
ラヴィ……。
わたしとお姉も言われた通り、雪だるまを作るのを止めてラヴィの家に入る。
家の中は外から見た通りに小さくて、広いとはお世辞にも言えない広さだった。
ただ驚いたのが、家の中は外見通りの和風な家で、それも昔話に出て来るような作りになっていた。
床は畳で、更に部屋の真ん中に囲炉裏がある。
「わぁ! 凄いですね! 私、実物の囲炉裏なんて初めて見ました!」
お姉が小走りで囲炉裏に近づいて目を輝かせる。
わたしもお姉と一緒で、囲炉裏を見たのは初めてだから、珍しがるのもわからなくもない。
だけど、今はそれどころじゃないので、わたしはお姉をちょっと睨んだ。
「適当に座って待っていてね?」
ラヴィの母親がそう口にして、何処かへ行ってしまった。
わたしが座った後にラヴィの母親がいなくなった所へ視線を向けていると、わたし達と一緒にこの場に残ったラヴィが口を開く。
「あっちは台所」
「あ、台所か。ありがと、ラヴィ」
お礼を言うと、ラヴィは頷いてわたしの横に座った。
「これって、どうやって火をつけるんですかね?」
お姉が囲炉裏に火を灯そうと、何やら試行錯誤し始める。
わたしはそれを見て、何か変な違和感を感じた。
「ねえ、ラヴィ。ここ、ラヴィの家なんだよね?」
「そう」
「ラヴィって、雪女だから暑いのって苦手なんじゃなかったっけ?」
「そう」
やっぱりそうだ。
この家に囲炉裏があるのは、絶対におかしい。
わたしは小声でラヴィに質問する。
「何で囲炉裏があるの?」
わたしの質問にラヴィは答えず、ただ、ギュッとわたしの手を握った。
「ラヴィ?」
「お待たせしたわね」
わたしがラヴィの名前を呼んだ時、同じタイミングでラヴィの母親が戻って来た。
手には湯気の出ている湯のみが乗ったおぼんを持っていて、湯のみはわたしとお姉の二人分だった。
ラヴィの母親は、それを囲炉裏の近くにいるお姉の側に置いて、ニッコリと微笑んだ。
「冷めないうちに飲んでね」
「ありがとうございます」
お姉はぺこりと軽く頭を下げてお礼を言うと、湯気の出ている湯のみを取った。
「ところで、一つあなた達に伺いたい事があったのだけど、聞いても良い?」
そう話すと、ラヴィの母親がわたしとお姉を交互に見て微笑んだ。
「聞きたい事ですか? 何でしょう?」
お姉が聞き返すと、ラヴィの母親はニッコリと笑う。
その笑った顔は、何故かわたしにはとても悍ましい物に見えてしまい、背筋に悪寒を感じて体が少し震えた。
「あなた達、人間でしょ? それなのに綺麗な黒い髪の毛。いったいどこから来たの?」
ラヴィの母親の口から出た言葉は、全く予想もしていない言葉だった。
わたしはその言葉、質問に驚いて、一瞬何を言われたのかと思考が停止した。
思考を停止させてしまったわたしとは違って、お姉は首を傾げて聞き返す。
「髪の毛が黒いのが珍しいんですか?」
「ええ。他の種族ならともかく、髪の毛が黒い人間なんて初めて見たわ」
「そうなんですか? 私のいた国では、黒い髪の毛の人でいっぱいです」
「へ~、それは興味深いわね」
ラヴィの母親が、本当に興味深そうにお姉と話し出す。
わたしは何だか拍子抜けして、ラヴィに視線を向けて質問する。
「髪の毛が黒い人間って、そんなに珍しいの?」
わたしが質問すると、ラヴィは頷いてから答える。
「私も愛那と瀾姫を見たのが初めて」
「そうなんだ」
それにしても、本当に拍子抜けした。
ラヴィの母親は先程とは全く違う生き生きとした表情をしていて、お姉と話していた。
なんだか、さっきまで真面目に考えていた自分が馬鹿みたいだと思えてくる。
わたしは少し安心して立ち上がり、お姉の横に置かれたおぼんの所まで歩いて、おぼんの上に置かれていた湯のみを手に取った。
熱っ。凄く熱いな。
ちょっと冷まさないと、流石に飲めないかも。
湯のみからも伝わる程それは熱くて、わたしは湯のみを持ったままラヴィの許に戻って座る。
そして、座った後に湯のみに入った液体を見て、わたしの中で何かが引っかかった。
あれ? 何だろう?
何かがおかしい。
湯のみに入った液体は、とくに何もおかしな事は無い。
多分ただのお茶だ。
でも、何かがおかしい。
何がおかしいのか考えても、何がおかしいのかわからない。
わたしはとりあえず、冷静な判断をする為に心を落ち着かせようとして、お茶を飲もうとして湯のみに口をつけた。
「愛那! 飲んでは駄目です!」
「え?」
突然お姉が叫んで、わたしは湯のみから口を離す。
すると、先程まで生き生きとした表情を見せていたラヴィの母親が、お姉を睨んで立ち上がった。
お姉も直ぐに立ち上がって、わたしの所まで走って来て前に立つ。
突然の状況に、わたしだけじゃなく、ラヴィも驚いてその場で固まってしまった。
「愛那、飲んじゃいましたか?」
「う、ううん。飲んでない」
「それなら良かったです」
「どう言うい事?」
わたしがお姉に質問すると、ラヴィの母親がお姉が答える前に大声を上げる。
「いつ気がついた!?」
「わたしは動物さんに変身する能力を持っているんです。だから、こっそりお鼻だけワンちゃんに変身して、臭いを嗅いでわかったんです。このお茶の中に、変な臭いが混じっていました」
「よく分からないけど、厄介な能力を持っているって事は間違いないみたいだね」
ラヴィの母親の顔が豹変する。
ラヴィの母親は眉間にはしわを寄せ、先程とは全く別人の様に顔を歪ませて、わたしとお姉を睨み見た。
すると、ラヴィはわたしの手を強く握って、体を震わせた。
「まあ、いいわ。お茶に入れた睡眠薬で眠らせて、凍らせて売ってやろうかと思ったけど、めんどくさいからもうやめたわ。黒髪の人間なんて珍しいからね。万が一誤って殺してしまっても、高く売れそうだわ」
「何で、何でこんな事するんですか? それにラヴィの目の前で……ラヴィが見てるんですよ!?」
気持ちを我慢出来なくて、わたしはラヴィの母親に向かって叫んだ。
すると、ラヴィの母親は鼻で笑って、ラヴィを見つめながら答える。
「煩いわね。その子は私の娘だけど、母である私を裏切ったのよ? 何で私がそんな子の為に気を使わなきゃいけないのよ。馬鹿馬鹿しいにも程があるわ」
「裏切った?」
「そうよ! 裏切ったのよ! ラヴィーナとその【鶴羽の振袖】を高く買ってくれるって言う奴に、売ってあげようとしたのに逃げたのよ!」
わたしの手を握るラヴィの手に力がこもる。
「海岸で受け渡しにだなんてしなければ良かったわ! アイツも適当に仕事しやがって、どいつもこいつも苛立たせやがって、本当に使えないわ!」
「ラヴィーナちゃんが可哀想です!」
「可哀想? 可哀想なのは私の方よ! こんな何処の相手かもわからない奴の子供の母親だからって、私がどんだけ惨めな思いをしたと思ってるのよ! 私が望んだわけでもなく勝手に――」
「もう喋らないで下さい!」
お姉が今まで見た事が無い程怒り、ラヴィの母親を睨んだ。
お姉だけじゃない。
それはわたしも一緒だった。
こんなにも誰かに怒りを覚えたのは初めてだ。
こんな人がラヴィの母親だなんて、ラヴィがあまりにも可哀想だ。
「何よ偉そうに! 子供が大人の事に偉そうに口を出すな!」
「子供とか大人とか関係ないです! ラヴィーナちゃんの気持ちを、貴女はもっと考えるべきです!」
「ふん。何で私が子供の事を一々考えてあげなきゃならないのよ? まあ良いわ。もうお喋りはここまでよ」
ラヴィの母親が台所の方に一瞬だけ視線を向けて呟く。
「出番だよポレーラ」
ポレーラ!?
ポレーラと聞いて、わたしが驚くのも束の間だった。
突然炎が何処からともなく畳の上に伸びて来て、部屋の中が炎で包まれる。
「呼びましたか?」
畳の上の炎から声がして、そこに視線を向けると、丁度その時炎の中から熊鶴が現れた。
そして、現れたのは間違いなく見覚えのある熊鶴で、リングイ=トータスと一緒にいたポレーラだった。
この炎とポレーラを見て、わたしは感じていた引っかかりに気がついた。
引っかかっていたのは、熱いお茶。
お茶を取りに台所に向かったラヴィの母親は、それなりに早く熱いお茶を持って来ていた。
あんなほんの少しの時間で、あんなに熱いお茶が出来上がるのが不思議だった。
それに、ラヴィの母親ももちろん雪女で、熱いのが苦手。
それなのに、用意したお茶があんなにも熱かったのは、ポレーラが淹れたお茶だったからに違いなかった。
「一々部屋を炎で包むんじゃないよ。私は火が嫌いだって言ってるでしょ!」
「おっとこれは失礼しました」
ポレーラがラヴィの母親に返事をして、その瞬間に炎が治まる。
「ポレーラ、そのガキ共を捕まえてもらえない? 高値で売れそうでしょ?」
ポレーラがお姉とわたしに視線を向けて頷いた。
「仰せのままに」
お姉がいつでも魔法を使えるように身構えて、わたしもカリブルヌスの剣に手を伸ばす。
一触即発の状況となり、緊迫した空気が部屋の中を満たして、わたしの手を握るラヴィの手に力がこもる。
しかし、そんな時だ。
わたし達の目の前に、そんな空気を吹き飛ばす様に、アイツがやって来た。
突然部屋の窓が破壊され、この場にアイツが飛び込んで来たのだ。
「待たせたな!」
アイツ、モーナが声を上げながらわたし達の目の前に着地したと思ったら、着地に失敗して転がった。
そして、いつの間にかお姉が床に置いていた湯のみのお茶を、頭から豪快にかぶる。
「あっつーいっ! 敵の攻撃か!? マナ! ナミキ! ラヴィーナ! 気をつけろ! 敵は熱いお湯で攻撃してくるぞ!」
「いやアンタそれ、お湯じゃなくてお茶……って言うか、殆ど自爆だし、ホントにアンタ何やってんのよ」
「お湯とかお茶とかそんなのどうでも良いわ! いきなり攻撃を仕掛けてくるなんて、中々骨のある連中だ! その卑怯さは戦いには必要だからな! 敵ながら褒めてやるわ! 感謝しろ!」
モーナは胸を誇らしげに張って、ラヴィの母親に向かって指をさす。
モーナの突然の登場と馬鹿っぷりに、ラヴィの母親とポレーラが呆気にとられてしまっていた。
そして、モーナに指をさされて、ようやくラヴィの母親が正気に戻って呟く。
「な、何なの? この獣人……」
「さあ、覚悟しろよ! ぶっ殺してやるわ!」
「こら、殺すな」
と、わたしはモーナの後頭部に軽くチョップした。
まあでも、今回は半殺し程度なら許す。




