220 突然の転換点
客室に案内されると、仕事中のボウツさんを待つ事になった。
そして、クランさんに淹れてもらった紅茶を飲み始めてから、かれこれ30分が経過する。
未だにボウツさんは現れず、紅茶を飲んでいたからか、わたしは尿意を催した。
「やば。トイレ行きたくなってきた」
「おちっこ?」
「うん。トイレ借りたいけど、場所も分からないし誰かいないかな」
ここにいるのは現在わたしとラーヴの2人だけ。
館の人間は誰もいなかった。
わたしが困っていると、ラーヴがトテトテと扉に向かって歩いて行き、わたしに振り向く。
「おトイレ探ちゅ」
「勝手に歩き回ったら怒られない?」
「がお」
何の根拠もない自信に満ちた瞳をするラーヴ。
モーナであればイラッとしそうな所だけど、相手は手のひらサイズの二頭身。
小さな火の精霊ラーヴだ。
可愛らしいその顔に、わたしは顔を綻ばして、ラーヴについて行く事にした。
と言っても、客室を出る前にラーヴを頭の上に乗せるのだけど。
と言うのが、30分は前の出来事。
トイレを探して客室を出たのは良いけど、わたしは若干後悔していた。
何故なら……。
「ここ何所?」
「がお?」
何故なら見事に迷っていたからだ。
理由は……なんだろう?
わたしは別に方向音痴では無い……と思いたい。
この館の同じ様な見た目の廊下を行ったり来たりしてるから、多分そのせい。
うん、そのせいだ。
まあ、それは今は置いておくとしよう。
どうしようかと困りながら、窓から庭を眺めながら歩くこと更に数分後。
庭で働くクォードレターを見つけた。
クォードレターと言う男は正直好きではないけど、背に腹はかえられない。
わたしは直ぐに窓を開けて、クォードレターに向かって大きな声を出す。
「おーい! 聞きたい事があるんだけどー!」
クォードレターが振り向いて面倒臭いとでも言いたげな顔をした。
だけど、話を聞いてくれる気はあるようで、小走りで近づいて来てくれた。
「ちっこいの、こんなとこで何してんだ?」
「トイレ行きたいけど道に迷っちゃったの。トイレの場所教えてよ」
「トイレだあ? そこ等の草むらでしとけ」
「は? 何言ってんの?」
「ガキなんだから誰も気にしねえよ」
「いや、わたしが気にするし。って言うか最低。変態」
「なんで俺が変態呼ばわりされないといけねえんだよ」
「そんなんどうでも良いから教えてよ」
「がお」
「ちっ。しゃあねえな。連れてってやるよ」
場所だけ聞ければ良かったんだけど、何故かトイレまで連れて行ってくれるらしい。
まあ、元いた客室にもこのままだと帰れないし、丁度良かったかもしれない。
と言うか、酒場の件があったからなのか、クォードレターはラーヴに少しだけ怯えているような気がする。
ラーヴが何か言う度に、少し体がビクッてなってるんだよね。
なんて事を考えてクォードレターについて行き、無事にトイレに到着。
クォードレターにお礼を言って、トイレの中に入ると、まるで学校とか公衆用のトイレの様な作りになっていた。
とりあえず間に合って良かったと思いながら、ラーヴに洗面台の上で待ってもらって用を足す。
それから洗面所で手を洗ってトイレを出たのだけど、そこにはクォードレターの姿が見当たらなかった。
「うわ。また道に迷うやつじゃん」
「がお……」
2人でがっかりと肩を落として、今度は客室を探して歩き回る事になった。
こんな事なら、先に客室への戻り方を聞いておけば良かったと思うけど、それはもう遅い。
文句を言っても仕方が無いので、文句を言わずに探すのみだ。
「って、そうだ。庭を注意して見てれば、またクォードレターいるかもだよね?」
「がお」
そんなわけで窓から外を見てみると、雪が降ってきていた。
「雪だ。庭の仕事って、雪の中でもすると思う?」
「がお」
ラーヴが首を振り、そうだよねえ、とわたしは肩を落とす。
と言うか、雪の勢いが凄い。
何だか見ているだけで寒くなってくる……まあ、元々既に寒いんだけど。
そうして広い館を歩き続けてふと思う。
「そう言えば、ここってこんなに広いのにメイドさんとか全然いないよね」
「がお」
「全部クランさんだけで掃除したりするのかな?」
「ちゅごい」
「うん。本当だったらマジで凄いよね。でも、実際はどうなんだろう?」
「分身」
「分身って。流石に……いや、でも、スキルでそう言うのがあればいける?」
「がお」
ラーヴが頷いて、わたしは少し笑う。
そうして話しながら歩いていると、何かの部屋の扉の向こう側から話声が聞こえてきた。
やっと客室の場所を聞けると思って、わたしは扉をノックしようとしたけど、それをする前に固まってしまった。
何故なら、その話声の会話の内容が、とても驚くべき事だったからだ。
「ネージュの連絡によれば、お館様はスタンプの協力もあって“暴食”に呪いを食ってもらう事に成功したらしい。予定通りに例の物を取って7日後に帰ると連絡があった。計画は順調なようだよ」
この声はボウツさんだ。
扉越しで顔は見えないし、いつもの丁寧な言葉使いとは違うけど間違いない。
この話の内容だけでは、正直何の話かは分からない。
でも、わたしはスタンプの名前が飛び出した事で、嫌な予感を感じた。
精霊の里の近くの湖に現れたスタンプ。
あのストーカーは精霊の話を聞いてやって来た。
今までその話をした相手が誰なのか捜していたわけだけど、もしかすると、その相手と言うのがお館様なのかもしれない。
だけど、何かがおかしい。
あまりに突然の情報に頭がおいついていけてないけど、ボウツさんの人が変わった様な喋り方なのもあってか、それだけはハッキリと分かった。
わたしはラーヴと頷き合い、音を立てないように気をつけて聞き耳を立てる。
「クランフィール、お前はあの娘をどう思う?」
「マナって子? そうねえ。とってもいい子だと思うわよ。お館様がお気に入りにしてる理由も理解出来るわ。利用する価値はあるわね」
ボウツさんの話相手は、これまた話し方と雰囲気が違うクランさんだった。
紅茶を淹れてから客室を出て行ったと思ったら、ボウツさんと話をしていたようだ。
わたしを利用すると言うのが気になったけど、話は別の内容へと変わる。
「それより本当なの? ボウツ。お館様が“転生”のスキルを持っているって? この世界を10回以上は繰り返してるなんて未だに信じられないわ。お館様はステータスチェックリングでの情報を全て“不明”表記で固定しているし、真実かどうかの調べようがないわ」
転生……?
転生って、あの小説とかでよくあるアレの事?
「本当……と言いたい所だけど、最近のオレの働きでそれがカムフラージュで言っている事だと分かった」
「カムフラージュ? つまり違うって事?」
「そうさ。正確には思念を分裂させて、思念だけを転生させて過去の人物に憑依するスキル。それが“転生”のスキルの正体【思念転生】さ」
「思念転生……嫌な話ね。まさか、私にもお館様の思念が乗り移ってるなんて事はないわよね?」
「さあね。でも大丈夫だとは思うよ。お館様が乗り移った奴は“ボクちん”なんて変わった一人称になるらしいから。まあ、乗り移っても相性が悪かったり、そこまでしっかり操っていない相手は、たまにそれが出るだけらしいけどね」
「ふーん。それなら私は今の所大丈夫そうね。ボウツ、貴方もね」
「だろうね」
嫌な予感はしたけど、わたしはもっと別の、お館様とスタンプの関係を聞ければいいと思っていた。
だけど、わたしが聞いてしまったのは全くの別物だった。
ラヴィから相談を受けて、それ以降少し気になっていた事の核心に迫る内容。
あの時ウェーブが思念転生と言っていたのをわたしは覚えている。
恐らく……いや、間違いなくあの時に暴走した“ボクちん”と言っていたウェーブの正体はお館様だ。
お館様はスタンプと関わっていて、ベルゼビュートさんに会っている。
呪いを食って貰ったと言う言葉が引っ掛かる。
お館様がボウツさん達従者の人には自分のスキルを偽っている。
この2人が何故こんな話をしているのかは分からない。
でも、それを理解するのには、そんなに時間はかからなかった。
「しかし、真に恐ろしいのは思念転生なんかじゃない。お館様がオレ達に言っている“転生”は偽りであり、とあるスキルを隠す為のもの。いいか? よく聞けよクランフィール。お館様の最も恐ろしいスキルは【巻き戻し】だ」
◇
「……あ、いけないわ。その子供を待たせてるんだった」
お館様のスキル【巻き戻し】の話題が出てから少し経ってから、クランさんがそう口にした事で、わたしは不味いと思ってゆっくりとこの場を離れる。
正直、わたしは……わたし達はかなりヤバい状況に立たされている。
ここで盗み聞きをしていたからと言うわけでは無く、ボウツさんとクランさんの話の内容が問題だった。
この事をお姉達に知らせないといけない。
もう噂話がどうのと言ってる場合じゃない。
何か対策を取らないと大変な事になる。
ポフーの無罪を証明したいと思っていたけど、それどころでもなくなってしまった。
何故なら、彼等の狙いはわたしだけでなく……いや、今はそれよりも、ここをどうにか切り抜けなきゃいけない。
ある程度距離を置いて、わたしは作戦を考える。
そして直ぐにラーヴに小声で作戦を伝え、わたしは大きく息を吸い込んで、なるべく不自然にならない様に大きな声で周囲に呼びかける。
「すみませーん! 誰かいませんかー?」
「いまちゅかー? がおー?」
大声を上げながらボウツさんとクランさんがいた部屋に向かって歩いていく。
これには勿論意味がある。
自分達の存在を2人に知らせ、さっきの話をわたし達に聞かれていないと思わせると言うもの。
話を聞いていた相手が自分から大声を上げて出てくるなんて、流石には考えないだろうと思ったからだ。
案の定、ボウツさんとクランさんは2人して部屋から出て来て、いつもの礼儀正しい雰囲気でわたし達の前に来てくれた。
「ごめんなさい。クォードレターにトイレまで連れて行ってもらった後、客室に戻れなくて迷子になっちゃいました」
「がおぉ」
わたしとラーヴの演技は多分だけど完璧。
ボウツさんは納得した様子で、ボウツさんが苦笑しながら「お待たせしてしまって申し訳ございませんでした」と軽く会釈する。
クランさんもいつものニコニコとしたプロの笑顔で「広いですからね」と、わたしをフォローする様な一言を添えてくれた。
何はともあれ、わたしとラーヴは客室に戻って、ボウツさんと適当な話をして館を無事に出る事が出来た。
館を出ると、雪が結構強く吹雪いていて、傘を借りて帰る事になった。
「冷えるね」
「がお」
わたしはラーヴを腕で抱きながら、2人で一緒に空を見上げる。
吹雪は激しさを増していき、ラーヴが魔法でわたし達を炎の結界で包む。
おかげで吹雪の中でも暖かく、不便な事と言えば視界が見辛いと言う事だけ。
ただ、それで元気に楽しく帰るって気分にもなれなかった。
思いだすのはボウツさんとクランさんの会話。
突然現れた転換点。
間違いなく、それは無視できない重要な話だった。
「帰ったら皆に伝えないとね」
「がお」