021 甘い休息地レイククリーム
モーナが凍竜と呼ばれるドラゴンの鱗と肉を斬り裂き血しぶきが飛ぶ。
だけど、それは止めとはいかなかった。
ドラゴンは怒って咆哮し、モーナを尻尾で地面に叩きつけた。
モーナが地面に叩きつけられた場所からは、砂煙の様に雪が舞い上がり、視界を遮断しモーナの姿を隠してしまう。
「モーナ!」
「愛那!」
目の前にお姉が飛び出して、魔法でアイギスの盾を構える。
「――っ!?」
お姉が盾を構えた瞬間に、白蟻の突進が盾にあたり、お姉は歯を食いしばってそれを受け止めた。
「お姉!」
「私は大丈夫です。それより……」
そうだ。
護られてるばかりじゃ駄目だ!
わたしはもう一度集中力を高めていく。
狙うはドラゴンでは無く、目の前に群れを成してわたし達を囲む白蟻。
冷静に、そして見極めて、わたしはカリブルヌスの剣を構えて薙ぎ払う。
薙ぎ払った瞬間に、斬撃は真空の刃となって一直線に白蟻の群れを横一文字に斬り裂いた。
そして、その刃は止まる事を知らずに突き進み、わたしの目の前にいた白蟻を全て絶命させた。
「凄いぽん!」
「なんて子だよ。あの数の蟻を一振りで……」
ラクーさんとフォックさんが驚きわたしを見つめた。
そして、この危機的状況に変化が訪れる。
白蟻の群れは、わたしが放った斬撃を見て逃げ出したのだ。
「やりましたね! 愛那!」
「うん。後は……」
上空を見上げる。
じーじさんとラヴィは、未だにドラゴンに襲われたままだ。
急いで二人を助けないとと、カリブルヌスの剣を構えた。
「グラビティプレス!」
「――っ!」
わたしがカリブルヌスの剣を構えたその時、モーナの声が聞こえて、その瞬間にドラゴンが何かに上から押さえつけられる様に急速落下した。
それだけでは終わらない。
ドラゴンが地面に堕ちるその前に、モーナがとんでもなく速く飛びかかり、ドラゴンを殴り飛ばした。
凄……。
開いた口がふさがらなかった。
モーナの動きは最早別次元で、今まで見た何よりも早く、瞬きする暇すらも与えなかったからだ。
「ラクー、この子達凄いんだよ。ラヴィはとんでもない友達を連れて来たんだよ」
「本当に凄いぽん。こんなに強い子達、しかも凍竜をやっつける子供なんて、僕は初めて見たぽん」
「私の自慢の妹とお友達です。二人共凄いんですよ」
ラクーさんとフォックさんが驚いて呟くと、それを聞いたお姉がドヤ顔で自慢げに話した。
すると、空を飛んでいたじーじさんがラヴィと一緒に降りてきて、お姉に向かって「それは違う」と言って言葉を続ける。
「凄いのは君もだ。瀾姫君、君が受け止めていた白蟻の突進。本来アレを食らえば、体中の骨が折れてしまうだろう。君はそれを受けて傷一つなく立っていられる。君がやった事は、愛那君とモーナス君同様に凄い事だ」
「そう。瀾姫も凄い」
「そうですか~? 何だか照れちゃいます~」
じーじさんとラヴィに褒められて、お姉は顔を赤く染めて照れながら喜んだ。
「油断したわ。まさか最初の一撃で仕留められないなんて、あのドラゴン中々やるわね!」
モーナが鼻先に擦り傷を作って血で塗らしながら、わたし達の所に戻って来た。
思ったよりも元気みたいで安心する。
わたしはモーナに微笑んで、「おつかれ」と、絆創膏を取り出して差し出す。
「ん? 絆創膏か? 私にこれをつける趣味は無いぞ」
「趣味? わけわかんない事言ってないで、鼻の上から血が出ちゃってるから、これつけなよ」
「絆創膏って股間に着けるものじゃないのか?」
「は? アンタ何言ってんの?」
わたしとモーナは見つめ合い、二人の間には沈黙が訪れる。
すると、お姉が顔を真っ赤にさせたまま、何故か慌てた様子で話し出す。
「モーナちゃん! これはそんなエッチなものじゃありません! 傷口につける物なんですよ!」
エッチ?
絆創膏でエッチって何?
「そうなのか? ふーん、それなら頂くわ!」
モーナが手を出すので、わたしは再び絆創膏を差し出してモーナに渡す。
お姉は何だかホッとした様な表情を見せて、それがわたしを訝しめたのだけど、その時ラヴィがわたしの顔を覗き込む様に目の前に現れてどうでも良くなった。
「どうしたの?」
じぃっと見つめられたので、なんとなく頭を撫でながら訊ねると、ラヴィは不思議そうに声を出す。
「バンソーコって何?」
「あれ? ラヴィは絆創膏知らないの?」
「そう。知らない」
ラヴィが頷くと、それに続いてじーじさんが話し出す。
「吾輩も初めて見る道具だね。少なくとも、この国には無い物だ。何処の国の道具なんだい?」
じーじさんが質問すると、ラクーさんとフォックさんもじーじさんに同意するように首を縦に振るう。
絆創膏を知らないと言う予想外の事実を知り、わたしが驚いて答えを返し損ねていると、わたしの代わりにモーナが答える。
「ドワーフの国にあるわよ」
「ほお。ドワーフか。確か、遥か西の大地の鉱山に住むと言われている種族だったね」
「それなら納得だぽん」
「ドワーフと言えば、未知の道具を作りだす事で有名だよね。ボクちんも一度ドワーフには会ってみたいんだよ」
「私もドワーフさんに会いたいです!」
お姉……。
わたしはお姉がフォックさんと意気投合して目を輝かすのを見て、冷や汗を流しながら考える。
この世界の事はまだ解らない事だらけだけど、もしかしたら、ドワーフに会えば元の世界に帰る方法が何かわかるかもしれない。
何故なら、ラヴィやじーじさん達が知らない絆創膏をモーナが知っていて、それがドワーフの国にあると言っていたからだ。
わたしとお姉の世界にある絆創膏とドワーフの国にもある絆創膏。
まったく関係ない物かもしれないけれど、その二つの絆創膏がもし同じ物ならと考えていると、そこでモーナに抱き付かれて思考が止まる。
「何?」
モーナに視線を移して訊ねると、モーナは顔をスリスリと私に擦りつけて話す。
「さっき雪の上に落とされて寒くなったんだ! マナ~、温めろー!」
「はあ……仕方が無いなあ。今回だけだよ」
「それでこそマナだ!」
今回は本当に結構危なかったし、モーナのおかげできり抜けられたんだから、これ位のご褒美はあげないと可哀想だと受け入れてあげる事にした。
でも、だからと言ってわたしからモーナに抱き付いてはしてあげない。
そんな事をしていたら、歩けなくなってアイスマウンテンを登れないしね。
一通りの会話を終えると、わたし達は再びアイスマウンテンを登り始めた。
モーナはわたしにべったりくっついて離れないから登り辛かったけど、自分から良いと言った手前、離れろと言うのは可哀想なので我慢する。
暫らく登り続けていると、先頭を歩いていたフォックさんが立ち止まり、わたし達に振り向いた。
「レイククリームが見えたんだよ!」
えっと……確かモーナの家の本で見た。
甘いクリームでできてる湖で、寒い地域の山の上にあって、場所によっては観光地になってる所だったはず。
などとわたしが考えていると、甘い香りが鼻孔をくすぐり、わたしの背後を歩くお姉に変化が起きた。
少し前からお姉は体力の限界がきていて、最後尾を歩くラクーさんに背中を押してもらいながら、辛そうな顔をして歩いていた。
肩で息をして今にも倒れそうなお姉は、ラクーさんに凄く心配されていた。
そんな状態だったお姉に起きた変化、それは……。
「クリームの湖ですかあーっ!?」
お姉はさっきまでの状態が嘘のように、急に元気になって駆け登る。
その速度は呆れる程に速く、普段のお姉の平地を走る速度を超えていた。
わたしは呆れながらお姉を見つめて注意する。
「お姉、走ったら危ないよ」
「大丈――へぷっ」
「ナミキがこけたわ! 馬鹿ね!」
お姉が転び、未だにわたしに抱き付いているモーナが爆笑する。って――
「いい加減離れてよ! 鬱陶しい!」
「えー! いーだろー? マナが良いって言ったんだぞ~」
「もうお終いなの!」
わたしは無理矢理モーナを押し離し、やっとモーナから解放される。
今度からは、簡単にオッケーだなんて言わないでおこうと心に決めた。
「わあああっ! 愛那、早く来て下さい! 本当にクリームで出来た湖ですよ! 美味しそうです~」
いつの間にか立ち上がって先に進んでいたお姉が、わたしに元気な笑顔を向けて手を振った。
だけど、わたしはあくまで自分のペースでゆっくり登る。
お姉のペースに合わせていたら、無駄に体力を消費してしまうから合わせてなんてられないのだ。
お姉がいる場所まで登ると、いよいよ本格的に甘い香りがわたしの鼻孔を刺激する。
そして、わたしは目の前に広がる景色を見て思わず口を広げて魅入ってしまう。
そこはクレーターの様に大きく円状に凹んでいる所の中心にある湖で、真っ白でキラキラ輝く美しい湖だった。
周囲には真っ白な草が生えていて、野生の動物達も沢山いた。
ここからだと湖までまだ結構距離はある様だけど、歩いても十分くらいあれば辿り着きそうだ。
「あ、あそこに誰かいます」
お姉が呟いて指をさした所に視線を向けると、湖の近くにテントが張られていて、そこには確かに誰か人がいるようだった。
「あー! 村の奴だ!」
「よくわかるねって、知ってる人なの?」
「宝を取って来いって言った女の村だ」
「あ~……え? バンブービレッジの事?」
「そうだな!」
もう一度テントの近くにいる人に視線を向けてみたけど、わたしには誰だかわからなかった。
まあ、あの村に知り合いがいるわけでもないし、ちゃんと顔が確認できても知らない人の可能性は高いけども。
そんなわけで、わたしは気にせず歩き始めた。
わたしとモーナが話している間にも、既にラヴィやじーじさん、それにお姉が先を進んでいるから立ち止まってばかりもいられない。
私が歩き出すと、ラクーさんが後ろから話しかけてきた。
「レイククリームの湖畔に着いたら休憩するぽん。ラルフが作ってくれたお弁当もあるぽん」
「そう言えばお腹が空いたわ! マナ! どっちが早く湖畔に行けるか競争だ!」
「やだよ、疲れるし」
間髪入れずに即答で断ると、モーナは不満気な表情をした。
モーナには悪いけど、わたしは無駄に体力を消費したくない。
ここまで来るのに、白蟻や凍竜に襲われるなんてトラブルもあったけど、実はここからが本番なのだとわたしは知っているんだ。
この湖の先は、アイスマウンテンの中でも最も恐ろしい氷山地帯。
昨日じーじさんに教えて貰って、わたしの胸にその恐ろしさは十分刻まれた。
だから、これからの事を考えると体力の温存は必要不可欠だった。
まあ、それは今は置いておくとしよう。
湖の近くに来たわたし達は、早速お弁当を広げて食事をとる。
周囲に漂う甘い香りが食事中気になるかなとも思ったけど、それはいらない心配だった。
こう言う不思議な湖があるのが当たり前なこの世界では、きちんとそれ用の対策方法があるからだ。
フォックさんとラクーさんが魔石を取り出して、わたし達を囲むように四方に置いて結界が完成する。
四方に置かれた魔石には無臭効果があるらしく、内側まで臭いがけっして届かない結界を作れるらしいのだ。
おかげでわたし達は甘い匂いに邪魔される事なく、美味しくお弁当を食べる事ができた。
だけど、この時わたしは気がついていなかった。
楽しくお弁当を食べているわたし達を、怪しく見つめる人物がいた事に。
そしてその人物が、氷雪の花を求めるわたし達と、これから先大きく関わってくる人物だという事に……。