206 精霊からの頼み事
背の高い木々が幾つも生える森の中。
男と少女が歩いている。
少女は左手から小さな炎を出して周囲を照らし、右手は男の手を握っていた。
「そろそろか」
男が呟き、立ち止まって空を仰ぐ。
すると、少女は悲しそうな目をして男の顔を見上げた。
「今回はしくじらない。ここで待っていてくれるね?」
男は少女と目を合わせ尋ねた。
でも、少女は何も答えない。
ただ悲しそうな目を男に向けるだけ。
男はそんな少女に微笑んで、握っていた手をそっと離した。
少女の顔は更に悲しさを増し、時間を重ねるごとに曇っていく。
だけど男は微笑むだけで、少女に優しい言葉をかける事も無い。
「行って来る、ポフー」
男はそれだけ告げると、背中を向けて走り出した。
背中を向け去って行く男に、少女……ポフーは曇った表情を向ける事しか出来なかった。
◇
クラライト城下町から馬車で移動してから2日目の朝。
目的地まではまだ遠く、休憩がてらに、とある隠れ里までやって来た。
その隠れ里は周囲が森に囲まれていて、近くに大きな湖がある綺麗で新鮮な空気を味わえる緑豊かな素敵な場所。
そして、驚くべきは住民たち。
住民たちは全てが手のひらサイズの二頭身。
そう。
わたし達がやって来たのは、精霊達が暮らす精霊の里だった。
そしてこの精霊の里には、土の精霊達が暮らしているらしい。
土の精霊であるラテールが御者を誘導して連れて来てくれたのだ。
本来であれば人を連れ込むのはNGらしいけど、御者は猫喫茶ケット=シーお抱えの者だと言うのと、わたし達は特別に許可してもらえると言う事だ。
例の加護を使った通信で、既にこの里の長に連絡を入れてくれたのだとか。
なにはともあれありがたい話しだった。
「可愛い精霊さん達がいっぱいいますね~」
「可愛い」
お姉とラヴィが目を輝かして馬車を出る。
と言うか、最近のラヴィは相変わらずの虚ろ目で表情もいつも通りだけど、それでも分かる人には分かる表情の変化が見ていて楽しい。
このまま行けば、近い未来にはもっと他の人にもラヴィの魅力を分かってもらえる位には、表情が分かり易くなるかもしれない。
「ママ、行こ」
「へ? あ、うん。行こっか、ラーヴ」
不意打ちでマナでは無くママと言われて、苦笑しながら頷いてラーヴを頭に乗せて馬車から降りる。
そんなわけで、わたしは精霊達から“ママ”呼びされている。
事の発端はトンペットだった。
トンペットが「ママさんみたいだからマナママッスね」とか言いだして、それからは“ママ”と精霊達皆が呼ぶようになった。
わたしそんな歳じゃないんだけど? って感じだけど、まあ、相手は精霊だし早く慣れてしまおうと諦めた。
馬車を降りると精霊達に出迎えられて、わたし達は長の家まで案内された。
精霊の里の家は全部小さくて、犬小屋より小さいのだけど、長の家だけは天井は低いけど、4畳くらいの広さがあった。
普段は人を寄せ付けない精霊の里だけど、たまに人を呼ぶから……と言うわけでは無い。
天気の悪い日に集会を開く時に、広い場所が必要でこうなっただけらしい。
だから人用には作られていないので、天井も低くて、お姉だけでなくわたしも屈まないと天井に頭をぶつけてしまう。
ただ、何故か入口は広かった。
理由を聞いてみると、精霊達が並ぶのを嫌っているから一度にいっぱい家の中に入れる様にする為らしくて、ちょっと面白くて可愛いと思った。
まあ、それは今は置いておくとしよう。
長の家に通されると、座ったわたし達の目の前に果物が配られた。
「ようこそいらっしゃいました。ラテールから話は聞いております。何も無い所ですがゆっくり休んでいってください」
「ありがとうございます」
「お世話になります~。ところで長さん、この果物って何て言う果物ですか?」
わたしに続いてお姉が頭を下げると、目の前に配られた果物を手に取って尋ねた。
果物の見た目は真っ白な洋ナシで、大きさは10センチくらい。
この果物を見たのはわたしも初めてだったので、少し興味深く聞き耳を立てる。
「これはここの森で採れるスノウフルーツと言う果物です。皮ごと食べられるので、そのままかじって召し上がって下さい」
「そうなんですねえ。ありがとうそざいます~。では早速いただきます」
にこやかに微笑みながら話す長にお姉がそう言ってガブリと一口。
そして、お姉は目を輝かせて喜んだ。
「はまふっへほいひいへふー!」
甘くて美味しいらしい。
お姉を見てからわたしもいただきますをして一口かじる。
シャクリと気持ちの良い音が鳴り、口の中には甘い果実の甘味が広がっていく。
「――っホントだ。甘くて美味しい」
スノウフルーツの味は柿に近い味で、食感はリンゴとか梨で不思議な感じ。
種はイメージとしてはスイカの様な配置。
だけど、種自体はとても柔らかくて、噛んでも気にならない程だった。
と言うか……。
「種も凄く甘い」
「美味しい」
わたしが呟くと、隣に座るラヴィも頷いた。
種は冷蔵庫で冷やしたチョコの様な食感と味わい。
何とも不思議なこのデザートに、わたしとラヴィは夢中になる。
お姉に至っては、既に食べ終わって幸せそうな顔をしていた。
しかしこの時、にこやかにしていた長の表情……と言うか態度が一変する。
長はにこやかにして細めていた目を片方だけ大きく開け、鬼気迫る表情をわたし達に向けた。
「食べましたな?」
長が言葉を発した瞬間に、モーナとラヴィが長に向かって構える。
天井が低い中だけど、頭をぶつけたりはしない。
モーナは爪を伸ばして、猫っぽい四足の威嚇の構え。
ラヴィはそもそも身長が低いので、天井に頭をぶつける事は無く、そのまま打ち出の小槌を構えている。
そして、2人が構えると、長が立ち上がり跳躍する。
わたしは慌てて短剣を取り出そうとしたけど、同時に立ち上がろうとして天井に頭をぶつけて痛みで頭を押さえる。
更に、わたしの隣ではお姉も同じ様な事になってしまっていた。
そして次の瞬間、長が着地してそのままの勢いで土下座した。
「お願いします! どうか我々を助けて下され!」
何が飛び出すかと思ったら、まさかの土下座と懇願にわたしは動きを止めた。
つまり、このスノウフルーツは賄賂だったわけだ。
純粋そうな精霊が賄賂を使うなんて、よっぽどな事が起きてるのかもしれない。
と言うか、土下座していた長が顔を上げると、滅茶苦茶号泣していた。
「何処かからやって来た魔物が湖に住みついたんです!」
「魔物……?」
「痛いですー」
「瀾姫頭見せて? 治す」
「おまえ等で何とかしろ。精霊だろ」
モーナの心無い一言に、長がショックを受けて更に泣く。
すると、今まで黙ってスノウフルーツを食べていた相棒の精霊達が、わたし達の前に出た。
「馬鹿猫が食い逃げしようとしてるッス」
「食べる物だけ食べてお礼もしないなんて生きる価値ないです」
「そ、それは言いすぎだぞ」
「がお」
トンペットとラテールのジト目な視線がモーナに刺さる。
だけど、流石はモーナ。
まったく気にしない。
「煩いな! そっちが勝手に食べさせたんだろ! 恩着せがましい奴等だな!」
まあ、モーナの言う事も一理ある。
だけど、長のあの泣きっぷりと、この居た堪れない雰囲気。
モーナは平気みたいだけど、わたしは無理だ。
「助けれるかどうかは分からないけど、出来る限りの事はやる。それで良い?」
苦笑して長と目を合わせる。
すると、長が号泣していた顔を晴れさせて、わたしの側まで走ってきた。
「ありがとうございます! 流石は魔性の幼女様だ!」
「魔しょ……? ああ、ジャスの事か。それわたしじゃないです」
「はて? おかしいですな。ラテールと契約した10歳くらいの見た目の女の子と聞き及んでおりましたが?」
「何言ってるです。長に説明したはずです。ラテは今ジャスのお友達の女の子達と一緒に行動してるです。それにジャスはチビなので見た目はもっと幼いです」
「そんな……っ!?」
ラテールの説明がよっぽどショックだったのか、長ががっくりと項垂れる。
と言うか、凄いなジャス。
精霊達からもこんなに信頼されてるなんて。
“扉”に必要な魔力も何とか出来るみたいだし、かなり凄い子なのかもしれない。
「分かったろ? 甘狸を頼ろうとしてたなら、直接頼みに行って来い」
「……うう。狸って誰ですか?」
「馬鹿モーナ。そんな言い方ないでしょ? ホント最低。長さん、安心して下さい。ジャスみたいに頼りにはならないと思うけど、わたし頑張るから」
人でなしな馬鹿モーナを叱ってから、長に微笑んで話すと、長はわたしの顔を見上げて明るく笑った。
「本当ですか? ありがとうございます!」
「うん」
「もちろん私も手伝いますよ、愛那ちゃん」
「私も手伝う」
お姉とラヴィが優しく微笑み、ロポも……ロポは人化していて美味しそうにスノウフルーツを食べてるだけだった。
モーナはと言うと、面白くなさそうな表情になっていた。
「って言うか、モーナは何でそんなに嫌がってるの? いつものアンタなら最強のわたしに任せろーとか言いそうなのに」
思ったままに疑問を口にすると、モーナが表情そのままそっぽを向いて答える。
「行けば分かる」
「は?」
「モーナちゃん、どう言う事ですか?」
答えになってない答えに首を傾げて、お姉がわたしの代わりに聞き返すと、モーナはこっちを向いてわたしをジッと見つめて間を置いてから口を開いた。
「この森、湖の周辺に虫がめちゃくちゃ出るわ」
「…………む……し……………………?」
つまり、そう言う事らしい。
って言うか、え? 何それ? 拷問?




