200 優しいお店
夜が明けて、モーナが働く猫喫茶ケット=シー本店へとやって来た。
店の入り口では無く裏口から中に入って従業員用の休憩室に通され、モーナとスミレさんはボスと3人で話がと言う事だったので、とりあえずそれが終わるまで休憩室で待機する事になった。
休憩室の中には、この世界にしかいない海猫がごろごろしていて、猫喫茶のパンフレットを持ったラヴィが虚ろ目を輝かせて海猫達に近づいて行った。
「おはよー!」
2人を待って少しして、現地集合のジャスミンが元気にやって来たので、昨日はいなかったお姉がジャスミンと自己紹介をする。
そしてお姉とジャスミンが話している時に、ふと気になる事が起きた。
それは、人化していないオリハルコンダンゴムシの状態のロポとも一緒に話していた事だ。
と言うか、一目見て昨日人化していたロポだと分かったのか、人化していないロポに「ロポちゃんおはよー」と挨拶してる。
どうしてだろう? と疑問に思い、わたしは自己紹介の終わったジャスミンに近づいた。
「ロポの事よく分かったね?」
「うん。私は土の加護を持ってるから、生物の声を聞く事が出来るの。だからロポちゃんがおはようって言ってくれたから分かったんだよ」
「凄っ」
「別に凄くも無いです」
「――っ!」
凄くないと言ったのは、手のひらサイズの二頭身の少女。
トンペットでもシェイドでもプリュイでも無い精霊で、ジャスミンが腰に提げているポーチから突然ひょっこりと顔を出して現れて、宙に浮いてジャスミンの頭の上に座った。
少し明るめな茶髪の髪の毛は腰まで届き、小さな冠を被っている。
顔もまん丸で虚ろと言うよりは眠そうな目で、瞳の色はシトリンの様に綺麗な黄色。
お姫様が身につけるようなドレスを着ていて、なんだか凄く可愛らしい。
「あはは。ラテちゃん、ちゃんと自己紹介だよ」
「です」
小さな少女は返事をすると、わたしの目の前まで飛んできた。
「ラテはジャスと契約している土の精霊ラテール=スアーです。はじめましてです」
「うん。はじめまして」
「可愛いですー!」
お姉が目を輝かせラテールに近づいて、ラテールが行儀よく挨拶し、皆に自己紹介を始めた。
それにしてもだけど、今まで全く見た事が無かった精霊。
ジャスミンと出会ってから、その精霊をこんなにも見る事になるとは思いもしなかった。
因みにジャスミンと契約している精霊は他にもいるらしい。
まさに精霊に愛されし少女って感じだ。
ジャスミンをジャスと呼ぶくらいには親睦を深めて、暫らくの間楽しくお喋りしていた時の事。
モーナがゲッソリした顔で戻って来た。
一緒に行った筈のスミレさんの姿は無く、どうしたのかと事情を聞くと、スミレさんは話が長くなるならと、直ぐに退散して何処かに行ったようだ。
モーナはと言うと、ずっと連絡をしなかったのが原因でボスの話が長くて疲れたらしい。
モーナも来た事で、わたしはジャスと一緒にボス、ベルゼビュートと言う人の許に向かう。
お姉とラヴィとロポはラテールと一緒に休憩室に残る。
話す内容はモーナの給料の事だし、大人数でおしかけるような事でも無いと思ったからだ。
もちろんモーナはわたしとジャスで両腕を掴んで連れて行く。
モーナ本人は嫌がっていたけど、当事者がいないと話にならないから仕方が無い。
そうしてやって来たのは関係者以外立ち入り禁止の社長室。
ノックをしたら何故か女の子の声で返事が返ってきて中に入ると、やっぱりそこにいたのは女の子だった。
その姿は、漫画とかアニメで見る様な悪魔的な翼と尻尾を生やした女の子。
服装はダボダボのタンクトップのみで、下は……穿いてない?
まあ、それは今は置いておくとしよう。
他に人がいる気配もなく、話に聞いていたボスのベルゼビュートは女の子だった? なんて不思議に思っていると、女の子がイタズラっぽく笑んだ。
「あはっ。その子がマモンが言っていた豊穣愛那ちゃん? 本当に向こうの世界の住人みたいね」
「アスモデちゃん相変わらずだね。ところでベルゼビュートさんは?」
「ベルゼビュートくんは昨日から出張よ。ここ何ヶ月は帰って来ないわね」
「え? そうなの? じゃあアスモデちゃんでも良いかな?」
「でもって何よ」
2人の会話を聞いて、わたしは何か勘違いしてるのかもしれないと思い至って「あの」と手を上げる。
「いきなり失礼な事を聞くんですけど、ベルゼビュートさんって貴女じゃないんですか?」
「ベルゼビュートくんは私達のご主人さま。私もマモンもベルゼビュートくんに飼われてた猫が魔族になったのよ」
「……へ? マ?」
モーナに視線を向けると、モーナは何か考えるような素振りをして、気まずそうにわたしから目を逸らす。
「すまん、マナ。言ってなかった。ボスはアスモデ様で、ベルゼビュート様はご主人様だ。私はベルゼビュート様じゃなくて、ボスのアスモデ様から命令を基本聞いてるんだ」
「謝らなくていいよ。結局わたしが詳しく聞こうとしなかったからだし。って言うか、昨日帰り道で話してたのは?」
「それはベルゼビュート様だ」
「そっか」
「何? マモン。この子にベルゼビュートくんの事を話したの?」
「別に良いと思って……」
モーナにしては珍しく何だか歯切れが悪い。
やっぱり自分の上司には流石のモーナも強気に出れないようだ。
と、そこで、ジャスが苦笑しながら話を戻す。
「それよりアスモデちゃん。ベルゼビュートさんの代わりに話を聞いてもらって良いかな?」
「良いわよ」
「ありがとー」
「でもその前に、私まだ朝ご飯食べてないのよね。ベルフェゴールに朝食を作らせるから、その間に店内で席に座って話を聞きながら待つって事で良い?」
「うん、もちろん」
ベルフェゴール……多分魔族だよねえ。
なんて事を思いながら、わたしは色々考える。
マモン、ベルゼビュート、アスモデ、ベルフェゴール。
ベルゼビュートはベルゼブブで、アスモデはアスモデウス。
そのどれもをアニメや漫画や小説、それからゲームで目にした事がある。
確か悪魔だとかそんなキャラクターの名前に使われていた。
ジャスと契約している精霊といい、ここに来ていきなり本格的にファンタジーっぽくなってきた。
今までファンタジーな世界なのにSFチックなものばかり出てきたり、童話っぽいマジックアイテムばかり出て来たから、お姉じゃないけど心なしかちょっとワクワクしてきた。
まあ、それは今は置いておくとしよう。
移動中に気付いたんだけど、前を歩くアスモデの下はパンツだけだった。
上がブカブカのタンクトップだから、歩くとパンツが見えるのだ。
露出狂なのこの子? って感じで気になるけど、モーナもジャスも気にしていない様なので、気にしない事にした。
そうこう考えている間に店内に入り、わたし達は向かい合って窓際の客席に座る。
わたしが窓側で右隣にモーナで、その隣にジャス、向かい側がアスモデ。
「それでね、アスモデちゃん。早速本題なんだけど、マモンちゃんに給料をあげてほしいの」
「あはっ。そう言う事ね」
アスモデがイタズラっぽく笑んでモーナに視線を向け、モーナが何やら居心地悪そうにして、わたしの腕にしがみついた。
「そうね~。それはマモン次第かな~」
マモン次第。
その言葉に何だかカチンときて、わたしはアスモデを睨んだ。
「給料を渡さないのはモーナに責任があるって言いたいんですか?」
「あはっ。その通りよ」
「その通りって……モーナの何が気に食わないのか言って下さい」
わたしの質問にアスモデは答えない。
ただニヤニヤ笑うだけ。
その様子に苛々すると、アスモデではなくジャスが何かに気がついたのか声を漏らす。
「アスモデちゃん、もしかして……」
「あはっ。分かっちゃった?」
「もしかしてってどう言う事?」
「それはぁ……」
「本人に聞いてみたら?」
何だか癪に障るけど、とりあえず隣に座るモーナに視線を向けて目がかち合い、モーナは首を横に振った。
「あの、本人は分からないみたいですけど?」
「重症ね~」
何でもいいからさっさと言えと言いたくなるけど、それを言う前にジャスが口を開いた。
「マモンちゃんって、直ぐお店のもの食べたり壊したりするんだよぉ。しかも毎日。もう最近はしなくなったと思ってたけど……」
「…………は?」
聞き間違いだろうか? と、モーナに視線を向けると、モーナが不服そうな顔をジャスに向けていた。
「私は偉い立場だから問題無いわ。食べた食材は買って補充すれば良いし、壊れた備品は直せば良いだろ? 甘狸は何も解かってないな」
「解かってないのはあんたでしょーが! 馬鹿モーナ!」
わたしは理解する。
給料が無いのは、実際は無いんじゃなくて、この馬鹿がその分の食材と店の物を台無しにしてるからだった。
「ま、マナ? いきなりどうした? マナは私の味方じゃなかったのか!?」
「うっさい馬鹿! ちゃんと謝りなさい!」
「えええええっっ!?」
「えええええっっ!? じゃない!」
この後しっかり謝らせた。
と言うか、謝れば済むと言うものでもないけど、まずは謝る所から始めないと絶対この馬鹿は反省しない。
尚、被害総額は1日あたり平均で銀貨50枚分で、ひと月なら金貨15枚。
日本円で表すと、ひと月だいたい1500万円になるそうだ。
飲食店で何故そんな額が? とも思ったけど、納得の理由があった。
まず、食べ物はお客さんの料理を目の前で食べ、注意してもそれを何度も繰り返す。
モーナ曰く「また作れば問題ないわ」だ。
尚、お客さんは笑って許してくれる模様。
次に、店の備品を直ぐ壊す。
モーナ曰く「安物は強度が足りないな」だ。
尚、安物では無いと言うか、モーナ対策で仕入れた硬度の高い高級品な模様。
最後に、そもそも店を魔法で半壊させる。
モーナ曰く「食い逃げ犯を捕まえてやったわ」だ。
尚、その殆どが勘違いの模様。
そんなわけで、数々の失態。
アスモデが魔法である程度はどうにかしているので、被害は最小限におさまってるみたいだけど、だから良いと言うものでは無い。
と言うか、間違いなくアスモデの労力は増えている。
つまりモーナの給料が無いのは当然だった。
寧ろ借金を背負わされないだけありがたいくらいだ。
モーナは何度注意しても聞かないらしい。
だからこそ店と関わりがなさそうな三馬鹿退治と言う任務につけたのだとか。
なんと言うか、この店を悪く思ってごめんなさいと頭を下げたい。
会社とか働いた事のないわたしはよく分からない部分も多いけど、間違いなく従業員に優しい良い職場だと思う。
何はともあれ、マジでモーナは馬鹿モーナだった。
いやホントこの馬鹿は、どれだけ人に迷惑かけてるんだろう?




