191 終わらない悲劇
長かった戦いも終わりを迎えて、静寂が訪れる。
わたしはカリブルヌスの剣を腰に納めて、玉手箱を目で確認して小さく息を吐き出して口角を上げる。
それから、仰向けで倒れているリネントさんの顔の横に立ち、その顔を見て微笑した。
「殺してはくれないのか?」
「殺しませんよ。あ、先に言っておきますけど、リネントさんの中に残っていた玉手箱の力を斬りました。もう老化は止まってるので安心して生きて下さい」
「そんな事まで出来てしまうのか。俺にまだ生きろとは……残酷だな。……君は」
「そうですよ、残酷です。敗者は勝者に従うのみってやつです。諦めて生きて罪を償い続けて下さい。わたしはいい子ちゃんじゃありませんので、死んで逃げて終わりだなんて許しません」
「敗者は従うのみ……か。だが、これで俺の大事なものは全て失ってしまった」
「どうしてですか?」
「あの玉手箱の中に入っているリンとフナとステラは、常に煙の中にいる。俺が手放して暫らく経つ。もう老化の力で死んでいるだろう」
リネントさんは悲し気な表情を見せ、顔を動かし玉手箱に視線を向けた。
そして……。
「何故……だ?」
リネントさんは驚いて、目を見開き問う。
だから、わたしはその問いの先に視線を向けて、微笑んで答えてあげる。
「きっと、リングイさんもリネントさんと一緒なんですよ」
リネントさんの瞳から一粒の涙が零れ落ちた。
わたしとリネントさんの視線の先。
そこには、玉手箱を抱えてわたし達を見つめるリングイさんとフナさんが立っている。
2人とも何も変わらないその姿で、そこに立っていたのだ。
その近くには、いつの間に集めたのかレオさんとウェーブも倒れていて、レオさんの年齢も元に戻っていた。
「かっかっかっ。良いザマだな、イング」
「どうして……っ?」
リングイさんはリネントさんと目を合わせながら、ゆっくりと近づいてくる。
その瞳は悲し気で、その眼差しはわたしが知るいつものリングイさんとは別のもの……少年の様なものでなく、優しい少女の眼差しだった。
わたしは場所を譲る為に、リネントさんから少し距離を置く。
リングイさんはリネントさんの顔の前に立つと、屈んでリネントさんの頬に触れた。
「ねえ、イング。ごめんね、今まで貴方を1人にしてしまって。でも、もう遅いかもしれないけど、また2人で家族を支えようよ。ね? イング」
「待ってくれ。ステラは? ステラの力を君が使っているのか!?」
「眠ってもらってる。私は貴方がやった事と同じ事をしてるだけだよ」
「しかしそれでは君の命が!」
「うん。私達、一緒だね? イング」
「――っ!」
リネントさんは若返っていく。
年老いた体が元に戻っていき、そしてそれは、ステラさんの力でリングイさんの寿命が縮んでいっている証。
リネントさんが元の年齢に戻ると、リングイさんは玉手箱の蓋を開けて、眠っているステラさんだけを外に出した。
ステラさんの大きさも、出す前の寸前でスキルを使ったのか、玉手箱から出ながら大きさが元に戻った。
リネントさんは大粒の涙を流し、声を出さずに泣いた。
わたしはその涙を見ない様に顔を上げ、その時だ。
「マナ! 避けろ!」
「へ――――っぁぐ!」
モーナの声が聞こえ、突然何かがわたしのお腹を殴打する。
完全に油断していたわたしは、数メートル先まで転がって床の上に倒れた。
「な……にが…………っ?」
殴打されたお腹は焼ける様に熱く、何が起こったのか分からず動揺しながら右手でお腹を押さえる。
焼ける様に熱いのは気のせいじゃ無い。
間違いなくわたしの殴打されたお腹は熱を帯びた様に熱くなっていた。
わたしは誰にやられたのかと視線を上げ確認すると、そこには、ここにいる筈の無い男が立っていた。
「玉手箱は私が頂くぞ! 玉手箱は私の様な男にこそ相応しいのだ! このポンポ=コ=マダーラ様にこそな!」
そう、そこにいたのはラタの父親。
玉手箱を両手で掴み、天に掲げたポンポだ。
ポンポは無くなった両足に義足をつけて立っていた。
義足は熱を帯びているのか、空気と一緒に煙を吹き出す。
そしてそれを見て、わたしはポンポに殴打では無く蹴られたのだと理解する。
更に、ポンポの両隣には騎士がいて、わたしの側にいたリングイさんとリネントさんは騎士に刺されていた。
リングイさんはリネントさんのお腹に覆いかぶさるように倒れ、2人から大量の血が流れて血の池を作る。
「マナ! 無事か!?」
モーナが慌ててわたしに駆け寄り、顔を覗き込んできた。
未だに猫の姿だって言うのに、その顔からは心配そうな表情が窺える。
「うん。わたしは……大丈夫。ケホッ。それより、リングイさんとリネントさんが……っ」
わたしはゆっくりと立ち上がり、自分の体に随分とガタがきている事に焦りを感じた。
リネントさんとの戦いで力を使い過ぎたのだ。
正直、こんな状態で後残り1回使えるライトスピードを使用して、まともに動けるとは思えない。
複数回使えるからと言って、後さき考えず調子にのって使い過ぎた。
「リン姉! ロン兄! ――――っ!」
「フナさん!」
フナさんが駆けだして、ポンポの騎士の1人に斬られ倒れ、わたしは焦る。
「くそっ。こんな事なら先に元に戻して貰うべきだったわ」
「モーナ、あんたのスキルか魔法でどうにかならないの?」
「私も今魔力がカツカツで残ってないわ。それに、この年齢だとまだ【欲望解放】のスキルが使えない。猫の姿に変えるスキルも覚醒してないから、わたしを愛でながら触った相手にしか効かないわ」
「はあ? 何それ? あんたのスキルってそんなだったの?」
「今はそんな事どうでも良いだろ? それよりどうする? メレカはレブルの攻撃のダメージが大きくてまだ眠ってるぞ」
「うん、わたし達だけでどうにかするしかない」
状況は最悪だ。
今この場で意識のハッキリしていて、まともに動けるかどうかは別として、動けるのがわたしと猫の姿のモーナしかいない。
しかもモーナは魔法も使えないただの猫と変わらない。
となれば、わたしが気合を入れて頑張るしかない。
この最悪な状況にどうすればと考えていると、ポンポがリネントさんを何度も蹴りながら怒鳴り出した。
「全くふざけた連中だ! 貴様等のせいで私は極刑に合う所だったのだぞ! 城に忍び込ませていた私が雇った騎士、こいつ等がいなければ、一生牢から出られない所だったのだぞ!」
「それは自分のせいじゃんか! 人のせいにするな! 自分が悪い事してて、それがバレて罰を受けたんでしょ!」
我慢出来ずにわたしは叫び、ポンポと睨み合う。
「何い? 私が悪い事をしただと? 下民風情の小娘が偉そうに何を言う? 私は今まで当然の事をしてきただけだ。それに悪い事どころか、私は私の雇う騎士を大事にしてやっている。私ほどに心が広く優しい者はそうそういない」
心が広いだの優しいだのと、聞いて呆れるとはこの事だ。
しかし、ポンポは本気で自分がそうだと思っているのだろう。
あたかもそれが善行とでも言うかのように、反吐が出るような話を続け出す。
「昔、駆け出しの騎士だった頃に雇ってやった男、名はゲロックと言ったか? そいつに多額の金をくれてやった事もあった。そいつが奴隷のガキを買って、そのガキに孤児院に忍び込ませて女を見張らせる為に金が欲しいと言うのでな。心の広い私は金だけでなく、知恵も用意してやった。しかしその騎士も愚かな奴でな、結局は失敗して死んだようだ」
ポンポは続ける。
平然とした顔で、まるで自慢するように。
「あの時もそうだ。私が通っていたレストランにいた下民が仕事を止めて、他種族のゴミの妻とその間に生まれた汚らわしい混血の娘を連れて陸に上がると言っていてな。そのレストランの味は実に良い味だったが、忌々しい他種族のゴミと汚らわしい混血のゴミの為に私は裏切られた。しかし、私はその裏切り者に優しさを持って慈悲を与えた。騎士から落ちぶれて盗賊になった連中に金を渡して、男に料理を作らせている間に、盗賊にその男の妻と娘を襲わせた。ゴミを掃除し消して、目を覚まさせてやる為だ。だが、結局その男もゴミと同じだった。目を覚まさないどころか、何処かへ行ってしまった。しかし、非常に残念だったが、盗賊連中は私に大層な感謝をした。これで一生分の金に困らないと言っていたな。私は下等な盗賊どもの生活を救ってやったのだ」
それって……メソメとカールさんの…………っ。
ポンポは機嫌良さげにリネントさん達から離れ、フナさんを斬りに行ったのとは別の騎士に近づく。
「勿論この騎士どもにもよくしてやっている。そこにいる死にかけゴミの男が牢に入れられていた時があった。その時牢の警備をしていた騎士が昔雇っていた騎士でな。随分と恩知らずのゴミクズで、ペラペラとその男が関わる事件の事を喋るものだから、この2人に協力させて、恩知らずのゴミを死刑に追い込んでやった。この2人には騎士をやっていたら一生手に入らない量の金をたんまりとくれてやった。それに他にもあるぞ」
「あんたのせいで!」
わたしは大声を上げながら駆け出す。
もう話なんて聞いてられない。
聞きたくもない。
ラタの父親だからって、もう我慢の限界はとっくに超えていた。
わたしは聞いて、知っていた。
リネントさんが騎士を殺した事も、大切な家族を失ってしまった事も、協力してくれた警備の騎士が無実の罪で死刑にされた事も、メソメとカールさんの母親が何故死んでしまったのかも。
リネントさんは全ての元凶、根源がいると言っていた。
全ての元凶はこの男だったんだ!
ライトスピードを無詠唱で使い、一気に間合いを詰めようと駆ける。
だけど、想像以上に体が言う事を聞かない。
そしてそれが、最悪の事態を招いた。
「玉手箱よ! 私を裁こうとする女王を殺す力をよこせ!」
わたしがポンポを間合いに入れるコンマ数秒の差で、ポンポが玉手箱の蓋を開けてしまい、蓋を放り投げた。
そして次の瞬間、箱の中から【老化の煙】が勢いよく飛び出した。
――このままじゃ!
ポンポに斬りに行った足を直ぐに別へと変える。
最早煙は止められない。
わたしは最初に、一番ポンポから近い所に倒れてるリネントさんとリングイさんの許に行き、2人をを同時に掴んで根性で引きずってでも煙から逃れようとするも動かない。
力が、わたしの力が圧倒的に足りない。
2人分の人を運ぶ力がわたしには無い。
「んにゃああああ!」
いつの間にそこにいたのか、モーナがわたしの頭に乗っていた。
そして、魔力を振り絞ったのか、モーナが叫んだ途端にリネントさんとリングイさんが綿菓子のように軽くなる。
「モーナ! 気合入れて他の人もお願い!」
「あーっはっはっゲホッゲホッ! よ、余裕だわ!」
わたしが走り、モーナが魔法で軽くする。
2人とも限界はとっくに超えているけど、わたしとモーナは諦めない。
最後は引きずるどころか全員まとめて押し出すようにして、破壊された壁の合間から竜宮城の外へと飛び出した。
モーナも本当に最後の魔力を振り絞って、外へ飛び出すと同時に竜宮城の空気でわたし達を囲って、なんとか皆無事に脱出できた。
竜宮城は煙で満たされ、その煙はまたもや海水の中だと言うのに外にも広がっていった。
「も、もう……限界。本当に無理……」
「私も駄目だー。後でメレカに見てもらわないとヤバいかもしれん」
「あはは。それなら、わたし達お揃いの魔力欠乏症同士だね、モーナ」
「そんなお揃い嫌だぞ……」
「同感」
2人して力無く笑う。
と言うかカリブルヌスの剣が実際に重くなっていて、腰に下げているからちょっと痛い。
まあでも、とりあえず皆無事で助かった。
「ここは……」
「あ、メレカさん。良かった。目が覚めたんですね」
「……はい――っ! 煙? 何が起きたんですか?」
メレカさんが煙を見て焦った様な表情を見せる。
「ポンポとか言うハゲオヤジがいきなり出て来て、玉手箱を開けたんだ。おまえ等全員運ぶの大変だったんだぞ?」
「全員……そうでしたか」
焦っていた顔は和らぎ、メレカさんが苦笑した。
「それよりこいつ等の回復を頼む。みんな生きてるけど重症なんだ」
「状況はまだあまり理解してはいませんが、かしこまりました」
メレカさんは皆に視線を向けると、再び表情を焦りへと変化させた。
「ラヴィーナは……どこですか?」
「へ?」
メレカさんは竜宮城へと視線を向ける。
「安全な場所だと思い、下の階で寝かせたラヴィーナがいません!」
「――――っ! ラヴィがまだ竜宮城の中にいる…………?」
ポンポと言う男は、どれ程わたし達を苦しめれば気が済むのか。
ラヴィはまだ竜宮城の中で、あの玉手箱の煙の中にいる。
わたしは息をするのも忘れてしまう程に動揺して、体を強張らせた。
最悪の事態が起ころうとしていた。




