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185 失意の竜 後編

 血や肉が床や壁、天井にまで飛び散りまき散らされ、吐き気をもよおす程の強い悪臭が部屋の中に充満する。

 女と少女は声を上げて泣き、少年はむせび泣く。

 そして、その中心には右腕の無い少年……ギベリオが心臓を止めて眠りについていた。

 俺は手を伸ばしギベリオに触れようとしたが、腐りきった騎士どもの血で赤く染まった自分の手を見て触れずに止める。

 ギベリオをけがしたくなかった。

 こんな汚い騎士どもの血を、ギベリオに触れさせたくなかった。


「ああああああああああああっっっっ!!」


 だから俺は代わりに咆哮し、己の無力を呪った。

 そうせずにはいられなかった。


 俺は何故あの時、神父様を見て気付けなかった?

 俺は何故あの時、ギベリオ達だけに神父様を追わせた?

 俺は何故あの時、リンを1人にした?

 俺は何故あの時、直ぐ駐屯地に侵入しなかった?


 きりも無い、今更遅い無意味な終わりの無い後悔が押し寄せて、俺の思考を支配しする。

 ギベリオの死はあまりにも突然で、あまりにも呆気なかった。

 ついさっきまでは笑っていたのに。

 いつものようにウェーブやステラやフナと騒いで、俺とリンに気を使ってくれていたのに。

 妹のフナと一緒に楽しそうに話していたのに。

 何故優しく妹想いなギベリオが、こんな目に合わなくてはいけないのか?

 俺は絶望に打ちひしがれ、動く事すら出来なくなっていた。



 どれ位の時間が経っていたのか、駐屯地の事を聞いて来たのだろう。

 身につけた鎧に国の紋章を付けた騎士が4人、この場に来て騒ぎだした。


「これはっ!? 酷い……っおい! 子供がいるぞ!?」


「子供!? 何でこんな所に子ど……っ!? なんだよこの部屋! 凄い臭いだぞ!?」


「おい、そこら中に飛び散ってるのって……」


「君達! ここで何があったんだ!?」


 国の紋章付き……つまり彼等は城に住み込みで王族を護る精鋭達だ。

 ここ、この駐屯地にいる騎士達とは関係がない。

 だからだろう。

 リンやステラやウェーブ、そしてギベリオの姿を見て、本気で心配してくれていた。

 だから俺は何もせず、彼等は敵じゃないと、ただ呆然と立ち尽くした。




 俺はこの日、駐屯地の騎士を殺した罪で捕まった。







 ギベリオが死んでから、どれ位の時が経っただろうか?

 リン達があの後どうなったのかは分からない。

 俺は城の牢に入れられ、何の意味も無い日々を過ごしていた。

 リンとステラとウェーブが俺を庇ってくれたのか、意外にも死刑は免れていた。


 だが、ギベリオの死が俺を失意のどん底に突き落とした。

 大切な家族だったギベリオの死が、それ程俺を絶望させたのだ。

 生きる気力は消え、感情も日に日に消えていった。

 大切な家族を護れなかった俺に生きる価値などなかった。


 ある日、牢を警備する騎士からあの事件の話を聞いた。


 あの事件の計画をした男の名はゲロック。

 駐屯地の前でボウツと騎士が話していた男だ。

 ゲロックはリンに目を付け、ボウツを大金で雇い、リンの生活を監視していた。

 そして、あの事件を企てた。

 元々はステラやギベリオでは無く、ボウツが貴族に怪我をさせたと嘘を言う事で神父様を呼び出し脅して、他の義妹が犠牲になる計画だった。

 神父様はボウツを助ける事を条件に、他の少女を連れて来いと脅されていたようだ。

 しかし、それを神父様は良しとしなかった。

 約束の場所で抗議し、ボウツの罪は全て自分1人が背負い償うと。

 だが、奴等は神父様を刺して、その時飛び出したギベリオを捕まえた。

 ステラとフナはウェーブに止められ陰に隠れていたから、その時捕まらなかったようだ。

 しかし、ステラがウェーブと共にギベリオを助けに行った事で、逆にステラまで捕まってしまった。


 駐屯地の騎士ゲロックは部下を使い、リンとステラの目の前でギベリオを暴行し、死に追いやる程の傷を負わせた。

 リンの目の前でステラを強姦し、女として大切なものを奪おうとした。

 間一髪の所でステラを強姦しようとしていたゲロックの部下を俺が止めたから、ステラを護る事は出来た。

 だが、ギベリオを助ける事は出来なかった。


 警備の騎士に励まされ、その話は終わった。

 死刑にはならないが、きっと二度と外に出られないだろうと付け足され。

 最後に「俺の後輩がすまなかった」と頭を下げられ、過去にリン達と海宮の土地を探しに行った時に会った人柄の良かった騎士だと思いだした。

 しかし、その騎士はそれきりここには来なくなった。


 だが、今の俺にはそんな事はどうでもよかった。

 俺は騎士の話を聞いて過去を思い出し、ギベリオを救えなかった己に失望しただけだ。

 何も変わらない。




 何度目かの夜を迎えた日、城に忍び込む侵入者が現れた。

 侵入者の数は2人。

 その2人は俺のよく知る人物で、大切な家族、義弟妹のウェーブとステラだった。

 2人は牢に入っている俺の目の前に突然現れた。

 そしてこの時、生きる気力を無くし感情が消えていた俺に、久しく焦りと言う感情が甦った。


「ロン兄、迎えに来ました」


「ウェーブ、ステラ、こんな事をしたら2人まで捕まるぞ。今直ぐ帰るんだ」


「もう遅いよ。それにロン兄、このままだと殺されちゃう」


「殺される? 警備の騎士からは死刑は無いと聞いた」


「貴族どものせいだ。あいつ等、自分等の騎士がロン兄に殺されて、それが気に入らなくて女王様に抗議してるんですよ。ロン兄を国家の反逆者だから直ぐにでも殺すべきだって」


「許せない。悪いのはあいつ等の雇ってた騎士なのに。あいつ等のせいでギベリオは……っ」


「ステラ……。とにかくロン兄、ここにいたら不味いです。神父様とリン姉が話し合いでって言ってるけど、貴族どもが俺達の話をまともに聞くなんて思えません」


「……だが、ここから逃げたとして、その後はどうする? 教会や海宮にでも戻るのか? そんな事をすれば、神父様やリン、それに義弟妹達を危険にさらす事になる。俺はそんな事はしたくない」


「その事は私達もう話し合ったの。だから、早く行こう? 皆が待ってる」


「待ってる……?」


 ウェーブとステラに助けられ、俺は牢から脱走し、義弟妹達が待つと言う都の外れに用意した船へと向かいながら話を聞いた。


 ボウツは罪を問われず国に保護された。

 そして、今回の事件を反省し、教会や海宮で暮らす混血では無い純血の種族だけを、国は保護すると言いだした。

 純血種だけを保護と言いだしたのは、混血種の貰い手が見つからないからだ。

 かと言って、混血でない義弟妹達が教会や海宮に残ると言えば、それは出来ないと全く話を聞こうとしなかった。

 何故なのか調べた結果、その理由を見つけた。


 保護すると言いだしたのは、本当の所は国では無く貴族達だった。

 彼等は自分達が雇っていた騎士が問題を起こした為、己の体裁を守る為に孤児を保護すると言い出した。

 そして混血を嫌う彼等は、醜くも混血だけを拒否したが、彼等は体裁だけは守れていると信じている。

 孤児を引き取ると言う善意に見える行為で、その醜い混血への差別を濁したのだ。


 駐屯地の生き残りの騎士達の罪状も軽く、数日間の自宅謹慎に終わった。

 それもまた貴族が裏で手を回したからだ。

 あの部屋にいなかった、俺が殺さなかった騎士は何人もいる。

 そして、あの部屋にいなかったからと言って、あの事件に関わっていなかったわけでは無い。

 あの駐屯地の騎士は全員がゲロックの共犯者だった。


 ゲロックはあの駐屯地での最高責任者にまで上りつめていた。

 そしてその権威を使い、駐屯地にいる騎士全員を使って犯行に及んだ。

 駐屯地に向かう途中、ひとけが全く無かったのも、真実を知れば簡単な事。

 それは全てゲロックが騎士を使い人払いをし、犯行の現場を見られない様にするためだった。

 普段であれば、そんな事は出来なかったかもしれないが、あの日は踊歌祭のあった日だ。

 踊歌祭を利用すれば、人払いなど容易い事だった。

 貴族たちはそれを知った上で、彼等に罪は無いと罪を軽くしたのだ。


 しかし、1人だけ死刑にあった騎士がいた。

 その騎士は駐屯地ではなく、この城で騎士をしていた男で、俺に事件の話をしてくれた騎士だった。

 罪状はゲロックを裏で操っていた黒幕。

 今回の事件の発端は全て彼の責任だと、貴族が訴え、国がそれを認めたのだ。


 俺はそれが信じられなかった。

 彼は本当に俺の事を気の毒だと同情し、励まそうとしてくれていた。

 後輩であるゲロックの事で謝罪した時も頭を下げられ、俺は彼もまたショックを受けている事に気が付いた。

 そして、この件にも関わっている貴族……俺には心当たりがある。

 確証はない。

 だが、俺は間違いなく、彼はその貴族に全ての罪を着せられたのだと悟った。

 しかし、だからと言って今更遅い。

 既に彼は死刑を受けた後なのだから。


 俺は自分が行った罪を償おうと考えている。

 それが例え死刑であっても、当然の事をした。

 どんな理由があれ、俺は人を殺したのだから。

 それはウェーブとステラからこの話を聞いた今でも変わらない。

 脱走をした罪も含めて、俺はいずれ罪を償うべきだ。

 しかし、義弟妹達の考えは違った。


 義弟妹達は怒った。

 家族のギベリオを殺され、それに続き貴族たちの愚行。

 そして、俺へ向けられた罪状が死罪へと変わろうとしている。

 そんな事が許されるはずがないと、俺と共に都を出る事を決意した。


「俺達は、俺達はロン兄と一緒に都を出ます」


「皆一緒の気持ちだよ。皆もう我慢なんて出来ない。でも……」


 ステラは言葉を濁し、俯いた。

 それをウェーブが表情を曇らせて視線を逸らし、その理由を口にした。


「リン姉とフナは残るってさ」


「……そうか」


 ウェーブの言葉にそう呟いた俺は、自然と笑みをこぼした。

 それで俺は気付いた。

 義弟妹達の気持ちは嬉しいが、巻き込みたくなかったのだと。

 そして、リンとフナを巻き込まなくて安心したのだと。


 俺が笑むと、ウェーブとステラが不思議そうに俺の顔を覗いた。

 俺は2人に視線を移し、また笑み、そして――


「リン……?」


 都の外れに向かう俺達の目の前に、リンが立っていた。

 リンの隣には目から輝きを失った虚ろ目のフナもいて、リンの腕を掴んで俯いていた。


“ロン兄、お願いロン兄! お兄ちゃんを、ギベリオお兄ちゃんを助けて!”


 任せておけと言った。

 あの時、任せておけと言った時の事を思い出す。

 俺はあの時フナに大口を叩き、結果があのザマだ。

 フナの姿を見て、俺は今更それを思いだし、申し訳ない気持ちで何も言えなかった。

 足を止め、罪の重さに体が動かなくなった。


 フナが顔を上げ、俺の顔を見る。


「ロン兄、行っちゃうの?」


「――っ! 俺は……俺は君に…………どう償えば……っ」


 フナは首を横に振る。

 そして、罪深き俺にその目を向けて、辛いだろうに口角を上げて優しく笑む。


「ロン兄は悪くない。リン姉とステラを護ってくれてありがとう、ロン兄」


 フナの言葉に俺は涙を流した。

 溢れてくる涙は止まらなかった。

 あの時……ギベリオが死んだあの時から流れなかった涙が流れて止められなかった。


「でも、私は残る。皆がいなくなったら、リン姉と神父様が可哀想だもん。だから残る」


「ああ。ああ、それが良い。リンを、神父様の事をよろしく頼む。家族が全員いなくなってしまったら、悲しむだろうから」


 俺は止まる事の無い涙を流しながら、フナの言葉に頷いた。

 そして、リンに抱きしめられる。


「イング、私ね、死ぬ前のギベリオに言われたの。フナを頼むって。オイラの代わりに妹のフナの事をお願いだって。だから、だからね、私は……オイラ(・・・)はイングとは行かないって決めたんだ。この子を、フナをギベリオの代わりに護る。暴力に押し潰されない様に今よりずっと強くなって、ずっと護っていくって決めたんだ」


 リンは俺の体を離し、俺に笑顔を向けた。

 その笑顔は泣き腫らした後があり、そして、決意に満ちた顔だった。


「すまない。君の大切なものを幾つも奪ってしまう。だが、誓おう。もう二度と君の大切なものを奪わないと」


「うん。でも、大丈夫。オイラにはこれがあるから」


 リンはそう言って、あの日、踊歌祭の前日に受け取った木彫りの亀を俺に見せた。

 そして、涙を流して俺に告げる。


「さようなら、イング」


「ああ。さようならだ、リン」


 俺達は別れを告げた。

 ウェーブとステラ、フナも入れて、最後の別れを。

 そして、リンとフナをその場に置いて、俺とウェーブとステラは再び走る。

 もう二度とこの国に戻って来る事は無いだろうと、俺は走り続けた。







 リンとフナの姿が見えなくなった後暫らくして、ウェーブが立ち止まった。

 俺とステラが立ち止まって振り向くと、ウェーブは笑みを浮かべて何かを呟く。


「……こんか……ここ…………」


 何かを呟いたようだが、その声は小さくよく聞き取れなかった。

 ステラが訝しみ「ウェーブ?」と名前を呼ぶと、ウェーブはステラを流し見てから俺と目を合わせた。


「ロンに……いや、念の為に今後はミドルネームの“リーニエント”からとって“リネント”さんって呼びますね。皆にもそうさせます。リネントさんはイングロングで名が通ってるので、逃亡するならそれが一番だと思いませんか?」


「あ、ああ。俺は構わないが?」


「ウェーブ? 追われる身だし、私もそれは良い案だと思うけど……その話って、船に乗ってからじゃ駄目? 流石にそろそろロン兄が脱走したのバレてると思うから早くしたいんだけど?」


「それもそうだな。悪い悪い。良い案だと思ったから、ぼくちん早く言いたくてつい立ち止まっちゃったぜ」


「ぼくちん……? ウェーブあんたさ、こんな時にふざけないでよ」


「おっと悪い。ちょっと空気が重くて、少しでも良いから和めばなって思って」


「そう言うのいらないから。早く行こう、ロン兄」


「ああ、そうだな」


「なんかウェーブのせいで微妙な気分になったわ。せっかくリン姉とフナにもちゃんとお別れ言えたのにさ」


「悪かったって言ってるだろ!? ネチネチうっせえんだよ!」


「ウェーブにだけは言われたくないわよ! 煩いのはアンタでしょ!」


 喧嘩を始めたウェーブとステラに、俺は少しの違和感と、それでも懐かしさを感じながら走り続ける。

 ギベリオの死で失意のどん底に落とされようと、己に絶望し生きる価値の無い俺であろうと、それでもやらねばならぬ事が出来た。

 リンと過ごした幸せだったあの頃にはもう戻れないが、せめてこの2人の……俺について来てくれる義弟妹達のこれからの幸せを護ろうと誓う。




 例えそれが、どんな手段、罪になろうとしても……。

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