182 一緒に帰ろう
わたしとモーナの戦いの他にも、ここでは戦いが繰り広げられていた。
それは昔愛し合った2人の男と女の戦い。
リネントさんとリングイさんは睨み合い、お互いの攻撃をぶつけ合う。
しかし、その戦いもわたしとモーナの戦いが終わる頃には、それと時を同じくして終わりを迎えようとしていた。
それは突然だった。
この部屋だけじゃない。
突然竜宮城の全域に響き渡る大きな地響きの様な音。
心を恐怖で震えさせる程に大きなその音は、地の底から聞こえたわけでは無かった。
その音はこの部屋から聞こえていた。
音に驚き目を覚ますフナさんや子供達。
リネントさんとリングイさんも驚き、音の出所へと注目した。
そして次の瞬間、音が止み、音の原因が声を出す。
「ああ、これで、これでやっと殺せる。殺せるんだよ? お母さん、ギベリオ」
黒地の箱を天に掲げて、うっとりとした表情をしたステラさんの姿がそこにあった。
ステラさんは掲げていた箱を胸に抱え、そして足元へと視線を向ける。
「ウェーブ、哀れな人……」
ステラさんの足元にはウェーブが倒れていた。
頭から血を流して意識が無い。
死んでいるのか、それともただ気を失っているのか。
今現状で分かるのは、ウェーブが倒れていると言う事だけ。
「そいつはちょいとお姉さんには荷が重すぎるぜ!」
ステラさんに向かってレオさんがカットラスを構えて接近する。
でも、その前にステラさんが箱の蓋を一瞬だけ開けた。
「――っこれは!?」
一瞬……そう、一瞬だ。
だけど、その一瞬で十分だった。
箱から微量の煙が飛び出して、それをレオさんは浴びてしまった。
時間にすればほんの数秒どころか1秒程度。
しかし、その煙を浴びたレオさんは、一瞬にしてパッと見60歳くらい老いてしまった。
老いたレオさんは年相応に腕力が下がり、持っていたカットラスを持てなくなって床に落とす。
そしてそれを見て、ステラさんが満足そうに笑んだ。
「古代のマジックアイテム玉手箱の力【老化の煙】は本物ね。たったあれだけの煙でここまで老化をさせられるなんて」
「ステラやめて! それは危険だよ! 使ったら関係ない人を巻き込んじゃう!」
さっきの音で目を覚ましたフナさんが叫ぶと、ステラさんがフナさんに視線を向けて、冷めた目つきで目を合わせる。
「フナは黙ってなよ。貴女はリン姉の所に残ったんでしょう? 私はあの日に決めたのよ。貴女のお兄さんが……ギベリオが死んだあの日に!」
「ステラ!」
リングイさんが叫び、猛スピードで接近する。
しかし、それはリネントさんによって止められた。
リネントさんがリングイさんの腕を掴んで、逆方向に投げ飛ばした。
リングイさんは投げ飛ばされると、物凄い勢いで数メートル先の床に叩き落とされた。
そして、リネントさんがステラさんの許へ向かう。
「ロン兄……」
「分かってる。罪を償おう。俺の命と引き換えに」
「うん。ありがとう、ロン兄」
ステラさんがリネントさんに箱を渡し、その瞬間、箱の蓋が開かれて煙がもの凄い速度で部屋に広がる……いや、この部屋だけじゃ収まらない。
竜宮城から外に飛び出す勢いで、煙が一気に溢れだす。
ここが陸の上では無く海底だと言うのに、それを感じさせない程の勢いで、海水の中にまで広がっていく。
普通だったら海水の中に煙が広がるだなんて信じられない不思議な光景。
わたしの世界では間違いなく非現実的な光景だけど、それは間違いなく目の前で起きている事実だった。
わたしはモーナの腕に抱かれながら、何も出来ず、その光景をただジッと見つめていた。
ライトスピードを使ったわたしには今、なんの力も残されていなかった。
モーナはわたしを抱きしめる様に抱えながら、そして、いつの間にか倒れていたラヴィを背中に背負って煙から逃げる。
多分、モーナには何が起きるのか分かっていたのだろう。
ステラさんがリネントさんに箱を渡した時には、既に外に通じる壁を破壊して脱出していたのだ。
しかも、手際よく人質だった子供達とダンゴムシを連れて。
と言っても、子供達とダンゴムシを連れ出したのはカールさんと、子供達の見張りをしていた2人の女性だった。
カールさんがメレカさんを背負ってくれて、それでモーナの後に続いて脱出していた。
革命軍の女性2人は、あの部屋で倒れていた自分達の仲間を連れて、カールさんと一緒に子供達を誘導して脱出したのだ。
だけど、リングイさんとフナさん、そしてレオさんは取り残された。
3人を助け出す余裕は無かった。
煙が広がる速度は想像を絶する速さだった。
だけど、モーナ達が早めに動いたから煙から逃れて、何とか無事に竜宮城の外に脱出したわけだけど、それでも問題はあった。
残してきた3人の安否もそうだけど、それだけじゃない。
ここは深海奥深く。
水深約10万キロと言う海の底だ。
空気も無ければ水圧がもの凄い。
今はモーナが重力の魔法で竜宮城から空気を一部奪って持って来たおかげで何とかなっているけど、それも時間の問題だろう。
空気があっても酸素が無ければ人は生きられない。
「ヤバいな。カール、後そっちのおまえ等の魔法でどうにかならないか?」
「残念ながら出来ないよ。僕は魔法がそんなに得意じゃないし。彼女達は戦闘経験だってないんだ。大した魔法は使えない。せめて、ここに来た時に乗って来た船があれば良いけど……」
「あれは来た時にでかい犬にぶっ壊されたからな」
「元々皆死ぬ覚悟で来ていたけど、アレは本当に予想外だったね」
「そう言えば、何であの犬はおまえのスキルで手懐けれなかったんだ?」
「無茶だよ。僕のスキル【魔獣操奏】は万能じゃないからね。凶暴性の高い生物しか操れないんだ」
「おい、あの犬はどっからどう見ても凶暴だったろ!」
「いやいや、あれは無邪気なだけで凶暴では無いよ」
「一緒だろ!」
「いやいやいや」
こんな時だと言うのに、モーナとカールさんが呑気にくだらない話で盛り上がる。
カールさんの仲間の革命軍の女性2人は魚人の血が流れている混血種だったようで、何かないか周囲を調べると言って何処かに行った。
すると丁度その時、モーナの背中で背負われているラヴィが、ムクリと顔を上げて目を覚ました。
「モーナス、煩い」
「――っラヴィーナ! 良い時に起きたな!」
「ん?」
「今直ぐメレカを回復して目を覚まさせてくれ!」
「……分かった」
ラヴィは気絶する前、モーナと戦っていた。
それなのにも関わらず、目覚めた場所がモーナの背中である事と、モーナがわたしを抱きしめる様にして抱えてる事と、そして、そのわたしが意識を朦朧とさせて何もせずただジッとして動かない姿を見て、直ぐに悟ったようにモーナの言葉に頷いた。
ラヴィはモーナの背中から離れて、メレカさんに回復の魔法を使う。
そして、使いながら口を動かす。
「モーナス、戻って来る?」
「マナが煩いからな」
「そう。それなら良い」
「…………何で裏切ったとか、そう言う事は聞かないのか?」
「聞いてほしいなら聞く。多分愛那と瀾姫は聞こうとしないから」
「そうか? マナは聞いてきそうだぞ?」
「戻って来たなら聞かない。愛那はそう言う所ある。愛那がそう言う事を聞く人だったら、モーナスが自分の事を話さない事にあんなにも考え込まなかった。“扉”の事もそう」
「……なんだそれ? 考え込んでたのか?」
「少し喋りすぎた。それよりモーナスの事」
「私は――」
モーナが何かを言おうとしたその時、竜宮城から海底へと飛び出していた煙が、突然勢いよく竜宮城の中へと集束されていく。
その突然の出来事に子供達は怯え、モーナとカールさんが眉を顰めた。
「終わった」
ラヴィは煙の異変に気付いたものの、気にせずメレカさんの回復を続けて終える。
そして、直ぐにモーナに抱きかかえられているわたしに視線を向けて、そっと静かに触れた。
すると、モーナはわたしをラヴィに預けて、メレカさんの肩を掴んで乱暴に揺らす。
「起きろメレカ! 起きろおおおお!」
大声で呼んでも、体を揺らしても起きる気配はない。
「仕方ないわ。あんまり使いたくなかったけど」
モーナはそう言って、右手にスキルを纏わせ、そしてメレカさんの胸元に触れる。
「これで起きろ!」
モーナの右手からメレカさんの体内に何かが流れ込み、そして、命を吹き返したかのようにメレカさんが目を覚ました。
そのあまりにも不思議な出来事に、ラヴィが虚ろ目を珍しくも大きく開けた。
「ここは……?」
「よし、起きたな!」
「マモン? …………なるほど。そう言う事ですか。理解したわ。本当に人騒がせな人ね」
「そんな事よりマナを助けろ!」
「マナ?」
モーナに言われてメレカさんがわたしに視線を向け、顔を曇らせた。
「これは……この状態は私にはどうにも出来ないわ」
「――っ何!? どう言う事だ!?」
「魔力欠乏症なら、体内に残っている僅かな魔力を外から上手く操作して、それを循環させる事で再び魔力を回復させる事が出来るわ。でも、今のマナは魔力に命を削られている状態。体内の魔力を循環させる仕組みそのものが体を蝕んでるのよ」
「治らない……のか?」
「ええ」
「そんな…………マナアアアアッッ!!」
モーナが大粒の涙を流しながらわたしに抱き付くけど、今のわたしにそれを受け止めて、優しく背中を撫でてあげる力は残されていなかった。
意識はまだある。
でも、もう消えそうだった。
薄れゆく意識の中で、泣いているモーナを見る事しか出来ない。
頭の中も真っ白で、何かを考える事すら出来なかった。
モーナが涙を流し、メレカさんは顔を俯かせる。
だけどそんな中、ラヴィの顔には、その虚ろ目には強い意志が満ちていた。
ラヴィは泣き叫ぶモーナの腕に触れて、ギュッと引っ張る。
「モーナス、さっきのスキル。ちゃんと教えて」
「何言ってるんだラヴィーナ! マナがっマナがっ!」
「だから早く教えて!」
「――っ!」
モーナが驚くほどのラヴィの大きな声。
普段大きな声を出さないラヴィだからこそ、その声はモーナを驚かせ、そして冷静にさせた。
モーナは泣くのを止め、ラヴィの真剣なその虚ろな瞳を真っ直ぐと見て答える。
「ラヴィーナとナミキにはあの時に話した通り、私のスキルは二つある。その一つが、さっきメレカに使ったスキル【欲望解放】だ」
「欲望解放……。欲を解放させる? メレカが起きた理由は?」
「人の欲は色々ある。睡眠の欲、食の欲、性の欲、金の欲、夢の欲、言い出したらキリがない。私のスキルはそれ等の欲を極限まで解放して、本来ではあり得ない程の欲の力でそれを成す力だ。まあ、欲があっても、それをする為の基礎が無いと出来ない欠点はあるけどな。だから、男が女の体に生まれ変わりたいとか、そう言う欲は無理だ。メレカが起きたのは、メレカの中にある“こんな所で寝ている場合じゃない、戦わないといけない”って言う欲を解放したからだ」
「そう……それなら、助けたいと願う欲にも有効? それでメレカがマナの中にある魔力循環機能を回復する事は出来ない?」
「――――っ出来なくない!? それだ! 欲望を解放させて一時的に限界を越えて、魔力欠乏――って、そんな説明なんてどうでも良い! メレカ! やるぞ!」
「ええ。やってみる価値はあるわね」
「でかしたぞラヴィーナ! 私のスキル【欲望解放】の力を見せてやるわ!」
ラヴィの言葉がモーナを動かす。
モーナはいつもの調子を取り戻し、殴りたくなる程のドヤ顔でメレカさん、そしてわたしに触れる。
「いくぞ! おまえ達の欲を解放させてやる! 一緒に帰るぞ、マナ!!」
「一緒に帰るぞって、それはわたしのセリフだっての。馬鹿モーナ」
薄れていた意識がハッキリと戻り、大粒の涙を流して再び抱き付いたモーナをわたしは今度こそ優しく抱きしめ返して、そして背中を撫でてあげた。




