178 新魔法
「【終焉を呼ぶ雫】……?」
突如現れたウェーブの言葉に、わたしは驚いて目を見開いた。
ウェーブの周囲からは毒がゆっくりと広がり海水を侵食していく。
間違いなく、毒海を発生させていたのはウェーブだった。
「前言撤回だ。黙って様子見はここまでだな」
レオさんが呟き、ウェーブとカールさんに視線を移す。
「そこの2人、悪いが俺はこっちにつくぜ」
「――何!?」
「だろうね~」
レオさんの裏切り発言にカールさんは驚いたけど、ウェーブは全く驚く様子も無く微笑する。
「モーナスとか言うあの猫の子が連れて行くって言った時から、何となくこうなることは分かってたんだよな~」
「それはどっちのお前だ?」
「――っ!」
わたしには何を言っているのか全く分からなかったけど、レオさんが「どっちの」と言った瞬間に、ウェーブの顔色が変わった。
にやついていたその顔はみるみると怒気を孕んだ表情へと変わっていき、レオさんを鋭い目つきで睨み見る。
「レオっていったっけか? お前、消した方が良いな」
「隠してたのか? そりゃ悪かったな」
瞬間――2人が消える。
いや、正確には目に見えない速度で移動した。
「マナ、戦えるか!?」
「へ――――っ!」
レオさんとウェーブの会話を聞いている場合では無かった。
気が付けば、わたしとリングイさんは毒を含んだ海水、そして蠍に囲まれていた。
わたしは直ぐにカリブルヌスの剣を構え、リングイさんがわたしの側に来て甲羅を構える。
「よく分からないけど、ウェーブの奴はあのレオって奴に任せるとして、こいつぁ厄介だなあ」
「毒海の毒……触れたらヤバいですよね?」
「オイラは不味い。だけど、マナはメレカさんの魔法を全身に纏ってるから平気かもな」
「本当ですか?」
「なんだよ、聞いてなかったのか? その魔法はマナの全身を覆ってて、マナ自身が自分の魔法を自分にかけられなくなってる」
「あ、はい。それは知ってます。他者との魔法の二重掛けは不可なので、メレカさんの魔法で海の中で陸と同じように動ける今は、自分の加速魔法がかけられないって」
そう。
今のわたしが自分に加速魔法を使わない理由はこれ。
だから、例えばここにラヴィがいたとしても、わたし同様の魔法をかけてもらっているラヴィにも加速魔法が使えないのだ。
しかし、わたしが知っているのはここまでだ。
毒の中で平気だなんて初耳だった。
「それは知ってるんだな。で、メレカさんのその魔法だけど、あの人の魔法ってもの凄く洗練されてるんだよ。だからこそ、この深海の水圧と言う攻撃もマナには届いてない。一回自分の手の平でも何でも良いから目を凝らしてよおく見てみな? 0.1ミリにも及ばない本当に薄い膜に覆われてるから」
言われて左手を目の近くまで上げて凝視する。
すると、本当に見えた。
あまりにも薄くて気付かなかったけど、確かにそれはそこにあった。
「その膜は水系の攻撃を全て無効化する程の膜だ。だからそれ以外には対応してない。だけど、だからこそスキルとは言え水属性である毒なんか効かないだろうよ。まあ、危険である事には変わりないけどな」
毒が水の属性と言うのは、魔法の事を勉強したわたしには分かる。
水の属性の上位魔法が【氷】と【毒】なのだ。
だから、リングイさんの言った言葉は間違いがない筈。
「た、試してみます」
「は?」
わたしは恐る恐る、わたしを囲む毒に左手を思いっきり突っ込んだ。
そして直ぐに引っ込めて、どうなったかを見て確認する。
「わっ。ホントだ。何ともなってない」
「マナちゃんさあ、平気かもとは言ったけど、まさか自分からそんな勢いよく左手を突っ込むなんてな。……かっかっかっ。やっぱマナはおもしれえなあ!」
リングイさんが愉快そうに笑い、わたしは改めてリングイさんの隣に立つ。
そして、カールさんも笛から口を離す。
カールさんは別にわたし達が話しを終えるのを待っていたわけでは無い。
毒海蠍をずっと増やし続けていたのだ。
おかげで既に蠍は数えきれない程の数になり、通路は毒と蠍で見通しは最悪だった。
でも、そんな中、わたしは不思議と落ち着いていた。
わたしは誰もが知っている通り、虫が大の苦手だ。
見ただけで鳥肌を立てて青ざめてしまう程に苦手で、下手すると気を失ったりする事もある。
そんなわたしが、大きな蠍……つまり大きな虫に囲まれているのにも関わらず冷静でいられている。
だけど、思い返してみると、この世界に来てからこんな場面は幾つもあった。
何故なのかは今のわたしには分からない。
でも……。
「まあいっか」
「マナ? どうした?」
「何でもないです。それより、毒の中にいる蠍……それと、カールさんはわたしに任せて下さい。リングイさんはそれ以外の蠍の相手をお願いします」
「何だったら毒の中の蠍は無視しても良いぜ。虫だけにな! かっかっかっ」
「うわあ、全然面白くないですよそれ」
ちっとも笑えないオヤジギャグを聞いて、わたしは若干引きながら呟き、そしてカールさん目掛けて走る。
「そうか?」
リングイさんもそんな事を言いながらも、蠍に攻撃を繰り出した。
平気だって言っても、視界は悪い……っ!
毒の中に突っ込んだわたしは、視界の悪さに顔を顰める。
わたしが狙うのはカールさんの笛。
だけど、毒の海水の色は見事な紫。
多少の透明感はあるものの、こうも視界が悪ければ笛どころかカールさんすら見辛い。
例えるなら、数メートル先が見えない濃い霧の中を進んでいる感じだ。
とは言え、リングイさんは毒の中に入れないので、これはわたしにしか出来ない役目。
「娘に良くしてくれた君と戦いたくは無かったよ。まさか毒の中を動けるなんてね」
「――っ!」
突然聞こえた右上からの声。
いつの間に接近していたのか、直ぐそこにカールさんがいた。
カールさんは手に銛を持っていて、それをわたしに向かって突き出した。
「だけど、それはきみだけじゃない!」
「くっ」
寸での所で受け流し、カールさんを見失わない程度の距離を取る。
「彼のスキル【終焉を呼ぶ雫】によって発生する毒にも抗体があるんだ。そして、【平和の象徴者】の中でも選ばれた者だけが、その抗体を持つ事が許されている」
カールさんは銛の切っ先をわたしに向け構える。
「僕はその内の1人と言うわけさ。勿論ここにいないメソメもね」
「……そっか。メソメはいないんだ。良かった」
「あの子はこんな危険な場所に連れて来れない。でも、本当にそれで正解だった。君を傷つけなければいけないからね」
「それはこっちのセリフです。父親を目の前で傷つけ無くて助かりました」
わたしとカールさんは同時に動く。
「ウェーブには悪いけど、蠍達には全てあの女性を狙ってもらっている、だから君に毒を撃ちこんで殺すなんて事はしない。安心して気絶すると良い!」
カールさんが狙ってきた突きの軌道は、わたしの両腕と両足。
それを物凄いスピードで繰り出した。
気を抜いたら間違いなく両腕と両足を一瞬で貫かれる。
気絶とか言ってるけど、下手したら気絶なんかじゃ絶対にすまない。
わたしは危険を察知して、背後に跳びながらそれ等を剣で受け止める。
「――っつう」
背後に跳んだのは正解だった。
本当にギリギリで全て受けきって、その上で剣を持つ手に伝わる突きの威力。
びりびりと伝わってきたそれは手を少し痺れさせ、わたしは歯を食いしばった。
考えない様にしてたけど、魚人相手に水中戦では分が悪すぎだっての!
心の中で文句を垂れて、わたしは魔力を集中させた。
もちろんこれは自分に使う為では無い。
今のわたしはメレカさんの魔法にかかっていて、自分に魔法をかけられない。
カリブルヌスの剣にスキル【必斬】を乗せた斬撃で、わたしは床を斬る。
そして、手の平サイズに斬った床の残骸を手に取って、カールさんにわざと見せる様にして魔法を唱える。
「アクセル・セット!」
床の残骸の上に魔法陣が浮かび上がり、そこから光が飛び出して残骸を包み込む。
「――っ何の魔法だ!?」
「なんでしょう?」
言いながら、魔法のかかったその残骸を、カールさんの顔に目掛けて投げる。
そのスピードは恐ろしく速いわけではない。
まさに普通。
子供のわたしが投げる手のひらサイズの残骸が速いわけない。
だけど、それで良い。
わたしが魔法を掛けた事で、カールさんはそれに注視して警戒した。
それもそうだろう。
加速魔法と言うのは、モーナが言うには珍しい無属性魔法。
珍しいからこそ使用者以外からは謎の魔法で、だからこそ向こうからしたら普通以上に警戒してしまう。
しかもわざと見せ、それを投げた事で、必要以上に警戒せずにはいられないだろう。
わたしの狙いはそれだ。
残骸を投げたと同時に、わたしは横に跳んでカールさんからの視界から逸れて、そして身を低くして構える。
そして、スキル【必斬】を込めた斬撃を、カリブルヌスの剣をカールさんの足目掛けて大きく横一文字に振るって飛ばした。
「――っ!?」
斬撃がカールさんに届く前、ほんの一瞬の差でカールさんが気付いてそれを避けようと上へ泳ぎ、斬撃が躱されてしまった。
「危ない危ない。危うく騙される所だったよ」
「そうですね。でも、わたしの攻撃の本命は、そっちじゃないですよ」
「え? そっちじゃな――――」
瞬間――カールさんのみぞおちにわたしが投げた残骸が当たる。
「――がは……っ!?」
わたしが投げた残骸のその威力は絶大で、カールさんは後ろに吹っ飛び、壁にぶつかって血反吐を吐く。
「そんな……なんで…………?」
カールさんがみぞおちを押さえて、その場で立てずに膝を落としてわたしを見た。
わたしはカールさんに近づきながらカリブルヌスの剣を収めて、代わりに短剣を抜き取った。
「わたしの魔法、加速魔法って言うんですけど、対人意外にもかけられたんです」
短剣で床をまた斬り残骸を拾って、再び、今度は無詠唱で魔法をかける。
「メレカさんがここに来る途中で教えてくれたんです。こういう使い方の魔法もあるって」
無詠唱で魔法を使うと言うのも、実はモーナやラヴィがよくやっていたりする方法で、これもメレカさんから教わった。
慣れていないと魔法の威力が落ちると言う欠点があるので、あまり多用はしない方が良い様だけど、結構便利で使いやすい。
そしてその無詠唱で魔法をかけた残骸を、適当にカールさんに当たらないように側に投げる。
「クアドルプル・ブースト」
今度は口に出して魔法を唱える。
するとその瞬間に残骸がスピードを上げて、カールさんの近くの壁にぶつかり穴を開けた。
「――っ!」
「こんな感じで、好きな時に加速を与えるわたしの新魔法です」
わたしが説明を終えてカールさんの目の前に立つ頃には、カールさんは痛みが和らいだのか、みぞおちを押さえながらも立ち上がる。
「もう一つ聞いてもいいかな?」
「はい、どうぞ」
わたしが頷くと、カールさんは苦笑して壁にもたれかかった。
「どうしてこの壁にぶつかって動けなくなった僕を攻撃しなかったんだい?」
「そんなの簡単ですよ」
手に持つ短剣を収めて、カールさんを見上げる。
見上げる顔は、とびっきりとは言えないけど、精一杯の笑顔で。
「カールさんだからです」
「――っ」
「カールさん、また皆でパーティとかしましょう。きっとメソメも喜びます。絶対楽しいですよ」
革命軍が水の都に出した被害はとても大きいから、捕まればどんな罰を受けるか分からない。
だから、皆でパーティだなんて二度と出来ないかもしれない。
でも、それでも、いつかそんな日が来ると良い。
短い付き合いだったけど、わたしはハグレの村の人が好きだから。
だから、これはわたしのささやかな願いだった。
「はは……。絶対楽しい……か」
「はい。絶対楽しいですよ」
「そうだね。それはとても楽しそうだ。そんな魅力的な事を言われたら、もう君と戦うなんて僕には出来ないじゃないか。僕の完敗だよ」




