146 祭りの終わり
「で、そのリネントさんのおかげでアタリーが住んでるシェルポートタウンに辿り着いたんだよ。すっごく良い人なんだから」
「ふーん」
水の都フルートの美しい景色を眺めながら、わたしはリネントさんやハグレの村の人達の事を話した。
モーナはわたしの話を尻尾を足に巻きつけて珍しく静かに聞いていて、聞き終わると立ち上がって大きく伸びをした。
「そのリネントって奴には世話になったお礼をしてやらないとだな」
「うん。機会があったらお礼したいかも」
そう言ってモーナを見上げて、わたしは都を覆う空気の膜の上に、真っ赤なうにが大量に貼りついている事に気が付く。
そのうには本で見た事のある吸血うに。
水深10万キロと言う想像を絶する程の深海に生息する生物だ。
「何であんな所に吸血うにが……?」
「ん?」
わたしが驚きながら呟くと、モーナも上を見上げてそれ等を確認する。
「どうせ祭りの催しだろ」
「へ? 催し……?」
「違うのか?」
「違うのかって……どうなんだろう?」
モーナに聞かれて考える。
吸血うには他の生物の血を食料にして生きるうにで、そんな危険な生物を祭りの催しに使うのだろうかと。
それで思ったのは、あり得ないだろと言う事で、わたしはモーナにそれを伝えようとした。
だけど、わたしがモーナに伝えるより先に、モーナが話題を変えてきた。
「それよりマナ、フロアタムではあまり何も見れなかったよな?」
「へ? まあ、色々あったしね」
「だったらドワーフの国に戻る前に寄って行かないか?」
「別に良いけど」
「それなら決まりだな!」
モーナが機嫌良さげにニコニコ笑う。
そんなモーナのニコニコ顔にわたしも微笑みながら問う。
「でも、どうしたの急に? 何かあるの?」
「船旅してた時にナミキに言われたんだ。落ち着いたら、この国と獣人の国を皆で見て回りたいって。どうせ直ぐには元の世界に帰れないなら、マナも怒らないかもって言ってたぞ」
「あー、お姉が……確かに言いそう。って言うか、そんな事で怒らないって」
「そうか?」
「そうだよ」
とは言うものの、怒っていたかもしれない。
今はだいぶ自分の気持ちに整理もついて落ち着いてるし、言う通りどうせ直ぐには帰れないしだから、別にこの異世界を観光するのも悪くないと思えてしまう。
でも、もし帰れるとなったらどうだろう?
サガーチャさんから“扉”の話を聞いた時だったら、多分怒ってた。
とは言え、もう過ぎた事。
そんなのその時に言われてなければ分からないし、怒るだなんて言ったら何だかかっこ悪いので、怒らないと言う事にしておく。
「あ、そうだわ! マナに渡す物があった!」
「渡す物?」
モーナがカボチャパンツの中をごそごそと、何処だ何処だと何かを探し出す。
わたしはその姿に、そんな所から何を取り出すつもりだこいつは、と若干引き気味になった。
「仲直りの印に……これだ!」
そう言ってモーナがカボチャパンツから取り出したのは――
「――ひぃっ!!」
「あ、間違えた」
「どうも。マーブルエスカルゴのカトリーヌです」
モーナが取り出したのは、最悪な事にかたつむり。
ここに来てから声を聞かなくなって姿も見ないと思ったら、何でそんな所にと言う感じで、モーナのカボチャパンツの中にいたらしい。
わたしはかたつむりを目の前に出されて小さく悲鳴を上げると、モーナを睨みつけた。
「間違えた、じゃない! って言うか、間違えたって事は、このかたつむりみたいなのをわたしに渡すつもりだったって事じゃん!」
「確かに似てるな」
何だかがっかりした。
仲直りの印がかたつむりに似た何かだとはって感じだ。
「それよりマナ、いい加減そろそろ慣れろ。マーブルエスカルゴもそうだけど、オリハルコンダンゴムシなんて怖くないだろ」
「は? 突然何?」
「丁度良い機会だから言うわ。前から気になってたんだ。ナミキとラヴィーナが無理させたくないって言うから黙ってたけどな。ロポが可哀想だぞ。今回だってマナの為に猫にしたんだからな。名前でくらい呼んでやれ」
「……そんなの分かってるよ。でも無理なものは無理なの」
「そう言わずにほら。まずはこいつで慣れろ」
仲直りした途端に調子にのったのか、突然モーナがわたしの膝の上にかたつむりを乗せる。
「――――っっっ!!!」
わたしは声にならない悲鳴を上げて、全身からは鳥肌を立たせて、恐怖のあまりその場で硬直した。
「よくそれで料理する時に魚の内臓取り出せるな。寄生虫の除去だってあるだろ? あっちの方が気持ち悪いだろ」
「…………低」
「ん?」
「最低って言ってるの!」
恐怖で動けなくなったわたしだったけど、モーナの心無い言葉に怒りが増して、怒りの感情が一気に膨れ上がった。
「ホントにあんたって最低! もう本当の本当に絶交する! モーナの馬鹿!」
「ま、マナ? おい、こんな事で泣かなくても良いだろ?」
「こんな事……っ。馬鹿! 煩い! 泣いてない!」
モーナに言われるまで気付かなかったけど、わたしは泣いていた。
目から涙が溢れてきて、わたしはそれを無雑作に腕で何度も拭う。
本当に最悪の気分だった。
せっかく仲直り出来たと思ったのに、こんな風に嫌がらせみたいな事されて。
モーナが言う事だって分かってる。
わたしはダンゴムシに酷い事してる。
でも、苦手なものはどう頑張ったって苦手で、どうしようもないんだ。
だからこんな風にされるのが悲しかった。
それに、好きな料理を例に挙げられて、それが馬鹿にされているみたいで悲しくなった。
色んな悲しい感情がわたしの心を締め付けて、凄く辛い気持ちになった。
涙を拭う腕の隙間から、モーナが何かオロオロしてる様に見えたけど、もうわたしはわたしの事でいっぱいいっぱいだった。
「……ああ、もう。何処だー? 何処にしまったー?」
モーナがまたカボチャパンツの中に手をつっこんで、ごそごそと何かを探し出す。
そして、何かを思いだしたのか、手を止めて大声を上げる。
「あああああああっっっ!! 思いだしたわ! 二度寝する前に出る時に忘れない様にって机の上に置いてたんだわ!」
あまりにも大きな声を上げるので、わたしは慌てる様子のモーナに視線を向けて目がかち合う。
「マナ! ここで待ってろ! 直ぐに取って来るわ!」
「へ? ――あっ、ちょっと…………」
行ってしまった。
随分と慌てながら、わたしの膝の上にかたつむりを放置して行ってしまった。
「嘘でしょ…………」
わたしが呟くと同時だった。
かたつむりが持ち前? の身体能力で跳躍し、膝の上から屋根の上に着地する。
「これは失礼。我々の種族が苦手なようですね」
「はあ、まあ……」
なんとも紳士的なかたつむり。
その態度のおかげか、膝の上から離れてくれたおかげか、それともたくさん泣いたおかげなのか分からないけど、さっきまで出ていた鳥肌が引いていく。
とは言え、かたつむりとの距離はそう遠くなく、わたしはビクビクと怯えながら出来るだけ見ないようにする。
「ところで、お嬢さんが言っていたあの吸血うに。少し……いえ、かなり変ですね」
「変って……そりゃ、こんな所にいるんだし、変だと思うけど」
答えて上を見上げる。
そして、かたつむりの言った言葉の意味に気がつき、呟く。
「増えてる?」
そう。
吸血うにの数は段々と増えていた。
何処から来るのか、少しずつ、本当に少しずつだけど増えている。
都の人は誰も気が付かないのかと、立ち上がって視線を下にして人々を見る。
だけど、上を見上げて疑問を抱いている様な人は1人もいない。
いや、違う。
そもそもとして、上を見上げる事を殆どの人がしないのだ。
皆は祭りを楽しんでいて、大人達は飲んで騒ぎ、子供達は遊び回っている。
それに、上を見上げた所で吸血うになんて注目しない。
今日は踊歌祭で、所々が綺麗な光で満たされている。
わたしが鐘のある教会を探す為に、上を見上げても気が付かなかったからこそ分かる。
こうして高い所まで登ってから上を見上げる事をしなければ、吸血うにになんて滅多に気が付けないだろう。
「何だか嫌な予感がする。モーナに知らせなきゃ」
「待つ様に言われましたけど、下手に動いて良いのですか? 何処かですれ違いになるかもしれないですよ?」
「……そうだね」
かたつむりの言う事は最もだった。
わたしが今ここから動いて孤児院に向かったとして、モーナ程の身体能力がないから道を走る事になる。
モーナはさっきここから去って行った時の様に、屋根から屋根へと飛び移って移動出来てしまう。
そんなわたしとモーナが運良くすれ違わずに会うなんて、正直起こるなんて思わない。
だから、わたしは椅子に腰を再び下ろして、モーナがここに戻って来るのを待つ事にした。
そして待っている間、出来るだけかたつむりを見ない様にしていたけど、何だか気まずくてついつい話しかけてしまった。
「えっと……あなたって、何で人の言葉が話せるの?」
「おや? 気になります?」
「いや、別に……」
「良いですよ。話します。それは生きていく為です」
「生きていく為?」
「はい。我々マーブルエスカルゴは元々は人に食料として扱われていました。しかし、それではいつか絶滅してしまうと、我々の先祖は進化したのです」
「……うん? もしかして、人の言葉が話せるのって、言葉が通じれば人の情が湧くと思ったから……とか?」
「おお、ご明察です。お嬢さんはとても賢い方ですね。話し合う事で共存の道を掴んだのです」
「どうも……」
わたしの言った事はあたっていたらしい。
つまり、かたつむり達は食べられない為に進化して、人と話し合う力を得たのだ。
確かに言葉が通じる相手を食べようだなんて思えないし、かなり良い方向に進化したと思う。
だからこそ共存できて、こんな風にラタのペットとして生活するこのかたつむりの様な者もいるのだろう。
「……話し合う…………か」
わたしは呟いて、都の景色を眺めた。
不思議な気持ちだった。
さっきモーナに言われたからか、こうして話しているからなのか、側にいるかたつむりに対しての恐怖は随分と消えていた。
と言っても、だからと言ってかたつむりを直視しようとは思えないけど。
多分見ればまた怖いのは変わらない。
そればっかりはどうしようもない。
でも、こうして見ずに話せば、意外と普通に話し合う事さえできた。
ダンゴムシも、ダンゴムシももし人の言葉が話せたら、こんな風に普通に話せるのかな?
そしたら、少しは――――
次の瞬間、わたしの目の前に吸血うにが降り注ぐ。
わたしは驚いて椅子から立ち上がり、吸血うにから距離をとった。
そして…………。
『我々はこの腐りきった国を洗浄し、誰もが平等に暮らせる差別の無い楽園にする為に来た!』
突然聞こえたマイクを使った声の様な、大きな声が都全体に響く。
おそらくマジックアイテムによるものだ。
多分だけど、わたしがお披露目会で使ったマイクと似たようなもの。
しかし、今はそんな事はどうでもいい。
わたしは都に視線を向けて絶句した。
だけど、それも直ぐに終わる。
吸血うにが都のあちこちに降り注ぎ、賑わっていた祭りは今やその見る影が無い。
叫び声、子供の泣く声、助けを呼ぶ声、怒声に悲鳴。
人々を襲っているのは、上から次々に降り注ぐ吸血うにだけじゃない。
「嘘……なんで?」
信じられ無くて、声が漏れた。
わたしが見たのは革命軍が人々を襲う姿。
そしてそれは、わたしのよく知る人物達。
『我々は革命軍【平和の象徴者】だ! 水の都フルートにする愚かな貴様等に告げる! 今日この時をもって、混血種を差別し虐げる貴様等を粛清する!』
わたしのよく知る人物達……それは、わたしとラヴィを助けてくれた、メソメのお父さんがいたハグレの村に住む人達だった。




