144 予兆
時間は少し遡り、お披露目会が終わって控室でわたしが気絶する少し前。
お披露目会の舞台の前にいた観客達はすっかりといなくなり、皆が祭りを楽しみにお城の外へと足を運んでいた。
「フナちゃんもリンちゃん達と一緒に屋台を回るんですか?」
「うん。リン姉だけで子供達の面倒見るのも大変そうだし――って、あっこらあ! スマ、1人で勝手に行かない! ごめんごめん。そう言う事だからメレカさんによろしく言っておいてくれない?」
「分かりました」
「こらあ! 駄目って言ってるでしょ! もおっ。ごめん、私先行くね――って、スマアッ待ちなさい!」
「かっかっかっ。ほら皆も行くぞー」
「「「はーい!」」」
フナさんが心配するのも無理ない話。
孤児院の子供の人数は、元々がフナさんをいれずに16人で、わたし達が連れて来た子供12人をいれたら全部で28人もいる。
しかも、その殆どの子が10歳どころか7歳にも満たない子供ばかり。
最近であれば、いつもはリリィさんも手伝っているけど、今日は孤児院でお留守番している。
そして今日はお祭りで、子供だったらはしゃいで走り回るのは当たり前。
それを考えれば、たった1人でこの数を子守するのは流石にきつい話だった。
そんなわけなので、この後メレカさんと会う約束をしているとはいえ、お姉もモーナもラヴィもフナさんに文句は言わなかった。
寧ろお姉に至っては手伝わなくて申し訳ないとすら思っている。
フナさんが子供の1人を追いかけて、それからリングイさんが子供達を連れて城の庭園から出て行った。
お姉とモーナとラヴィとアタリーの4人は庭園に残って、談笑しながらわたしを待つ。
「マナたん可愛かったでちね~」
「はい! 一番可愛かったです!」
「当然。愛那は可愛い」
わたしの事を過大評価しすぎる面々が、わたしを口々に褒める。
モーナだけは何やら難しい顔して、尻尾の先をピクピクと揺らしていた。
「モナたん、どうちまちた?」
「メレカによろしくってなんだ?」
「あたちは知らないでち」
「メレカさんの事、モーナちゃんにはちゃんと言ってませんでしたっけ?」
「聞いてない。メレカとこの後会う約束をしてたのか? 待ち合わせはアタリーだけじゃなかったんだな」
「はい……あ。そう言えば、メレカさんがモーナちゃんの事知っている様な口ぶりでした……よね?」
お姉が自信なさげにラヴィに視線を向け、ラヴィは頷いて答える。
「モーナスの事をマモンと呼んでた」
「そうか。ナミキ達はメレカと会ったんだな。ここに来てたのか」
「お知り合いなんですね」
「知り合いだ……って、それよりマナ遅いな。行ってくるわ!」
「行くって、愛那ちゃんを迎えに行くんですか?」
「だな!」
モーナはお姉に返事をすると、舞台裏にある建物に向かって走り出した。
「言っちゃいました。どうしましょう? 私達も行きますか?」
「遅くなるかもしれないから先にメレカを迎えに行く」
「そうですね。待ち合わせの場所は愛那ちゃんも知ってますし、そうしましょう。アタリーちゃんもそれで良いですか?」
「はいでち。マナたんとは後でいっぱい遊ぶから問題無いでち」
「それなら決まりですね」
お姉達は城門から庭園を出て待ち合わせの魚人像の許へと足を運ぶ。
そんな中、不意にアタリーが空……ではなく、海を見上げて指をさす。
「あれ、なんでちかね?」
お姉はアタリーの質問に足を止めて、海を見上げて眉根を寄せて目を細め首を傾げた。
「真っ赤なうにですね」
見上げたそこにいたのは真っ赤で大きなうに。
それは都の空気を覆う膜の上にいた。
そのうにを見てお姉が質問を答える様に呟くと、ラヴィも足を止めてお姉に振り向き、それから海を見上げる。
そして、虚ろ目を少し開けて驚くと、小さな声で呟く。
「吸血うに」
「吸血うに? ですか」
「そう、吸血うに。愛那と一緒に読んだ本で見た」
「吸血うにでちか? あたちは知らないでち」
真っ赤な外見を持つ深海に潜むうに。
それが【吸血うに】だ。
それは生物の血を吸い生きる異世界の怪物。
南の国に生息し、普段は10万キロも深い深海で身を潜めて獲物の血を吸って生きている。
真っ赤な色は血の色と思われがちだが、それは赤色の淡い光を発して獲物を目くらませる為の物。
吸血うにの生息する深海では珍しい赤と言う色を淡くだが輝かせれば、光の無い深海で目をくらませた生物の動きも単調になり捕らえやすい為だ。
しかし、この吸血うにがここにいるのは本来あるべき状態では無く、不思議な光景だった。
深海10万キロと言うのは魚人にとっても深く危険な領域で、滅多に近づかない場所である。
だからこそ、アタリーの様に魚人であっても知らない者がいてもおかしくない。
「おかしい。普通はこんな所にはいない」
吸血うにの危険性をラヴィは知っている。
その棘は鋭く、獲物を刺して血を吸う危険なうにだと。
だからラヴィは吸血うにを見て不穏に思い訝しむ。
だけど、それはこの後それに答えたお姉の言葉で消されてしまう。
「運んでいた時に落ちたのかもしれないですね。何だかうにが食べたくなってきちゃいました」
「うには食べれる?」
「はい! 美味しいですよ~。回転ずしに行くと、愛那ちゃんは高いから食べないって意地張ってますけど、私はよく食べます」
「回転ずし?」
「あたちも食べてみたいでち」
「それなら今夜はお寿司ですね! あれ? この世界にはお寿司ってあるんですか?」
「知らない。食べた事ない」
「あたちも初めて聞きまちた」
「へぅ。無さそうですね。残念です。でも、それなら愛那ちゃんに握ってもらいましょう!」
「握る?」
「握手つるでち?」
わたしの知らない所で今晩の献立を決めたお姉達は、怪しげな真っ赤なうにの事を忘れて楽しく盛り上がる。
するとそこで、ラヴィが誰かに背後から体当たりされてよろめく。
「――っ」
「ラヴィーナちゃん、大丈夫ですか!?」
「大丈夫」
「いたた…………」
お姉とラヴィが背後からぶつかった誰かに振り向くと、それはお披露目会に出場した魚人のラタだった。
ラタはラヴィとぶつかった拍子に転んで尻餅をつき、お尻を抑えながら立ち上がる。
「猿の獣人と雪女? たかが下等な種族が私様に……って、あら? よく見たらシェルポートのアタリーじゃない。妙な従者を従えているわね?」
「ラタたん、お久ちぶりでち。ナミキたんは従者ぢゃなくてお友達でち」
「友達……ね」
「はいでち。それよりお披露目会お疲れでち」
「ふんっ。見てたの? ……あの子に負けちゃったけどね」
「アタリーちゃんのお友達ですか?」
「はいで――」
「そんなんじゃないわ。親の付き合いで顔を知っているだけの、ただの顔見知りよ」
アタリーが返事をし終える前にラタが言葉を遮って答えて、アタリーが眉毛を下げて悲しそうな顔を見せる。
だと言うのに、ラタはアタリーの事を見向きもせずに、お姉の顔をジッと見上げた。
「あなた……あの子にどことなく似てるわね」
「あの子? 愛那ちゃんの事ですか? 愛那は私の妹です」
「妹!? じゃあ、あなたはマナのお姉様!?」
「様だなんて照れますー」
「様なんて言ってないわよ下民! 身の程を知りなさい!」
「へぅっ。すみません」
お姉が涙目になって肩を落とす。
それを見て、ラタが少しだけ焦った様子でお姉を見て、首を大きく横に振る。
それから「ふんっ」と荒く鼻息を吐き出して、お姉の胸の間に挟まれているアタリーに視線を向けた。
「アタリー、私様のお父様を見なかった?」
「たっき庭園で目の前にいたでち」
「あら? そうだったの。それからは?」
「マナたんが表彰たれてる時にいなくなったでち」
「……そう、そうよね。あんな無様な姿を見せてしまったんだもの。お父様は私様の事を何か言っていた?」
「あたちの事に気づいてなかったでちから、何も聞かなかったでち」
「……分かったわ。ありがとう。もう行くわ」
「はいでち」
ラタは悲しげな顔を俯かせて、アタリーに別れを告げて走って行った。
「あの子、あの貴族さんの娘さんだったんですね」
「お披露目会で凄かった」
「そうですね。愛那ちゃんと互角な子でした」
本来であれば、互角どころかラタの圧勝だと言うのに、お姉の言葉に同意するかのようにラヴィが「危なかった」と頷く。
確かにお披露目会で勝利したのはわたしだけど、どう考えても試合に勝って勝負に負けるどころか完敗だと言うのに、本当にこの2人のわたしへの評価は過大しすぎている。
勝てたのは本当にただの幸運。
この世界にとって異世界の歌を歌ったから運良く勝てただけにすぎない。
そうじゃなきゃ……まあ、それは今は置いておくとしよう。
お姉とラヴィとアタリーはその後も楽しくお喋りしながら、メレカさんの待つ魚神像の前へと向かって行った。
さっき見上げて見た怪しげな真っ赤なうにが、都を覆うように増え続けている事に気付かずに。
真っ赤なうには増え続ける。
だけど殆どの人は気付かないし、気付いても気にしない。
何故なら今日は踊歌祭。
皆が浮かれて騒ぎ、例え気付いたとしても、それすらも踊歌祭を盛り上げる為に用意された一部だと思い込んでしまうから……。




