139 ラヴィの不安
時刻は夜の11時。
わたしはラヴィと2人で歩いている。
こんな時間に起きているのは明日の踊歌祭のお披露目会のせいである。
お披露目会で歌う歌を決めるまで、かなりの時間を使ってしまった。
と言うかだ。
お姉達がわたしに見せまいと買った衣装は、無理矢理確認した。
そしてそれは正解だった。
今から丁度3時間ほど前に、こんな事があったからだ。
「……お姉、これ」
「愛那ちゃん可愛いですー!」
「可愛いですじゃない! こんなの人前で着れるかー!」
「似合ってるぞ?」
「そう言う問題じゃない!」
わたしはモーナに怒鳴りつけて、服を脱ぎ捨てようとしてやめる。
何故なら、わたしが今着ているのは明日のお披露目会で着せられそうになっていた衣装で、あの時のビキニアーマーの様な服の布地を更に薄くしたものだったからだ。
そんなものを何故着ているかって?
今直ぐ着るのが条件じゃないと見せないと言われたからだ。
決して進んで着たわけじゃない。
まあ、それは今は置いておくとしよう。
とにかくだ。
こんなの着るのはただの痴女。
上もそうだけど、下なんて紐と大事な部分をギリギリ隠す布しかない。
こんなの妹によく着せようと思ったなと言いたい。
「愛那、大丈夫。涼しそう。暑さも平気」
「……ラヴィ」
どうやら、ラヴィ的には重要なのは涼しそうかどうからしい。
まあ、ラヴィはまだ5歳だし、こう言う事はあまりよく分かってないのかもしれない。
こんな深海の奥底で、暑さなんて心配する必要があるかどうかはともかく、ラヴィは平然とした虚ろ目顔で痴女着なわたしの頭にうさ耳のカチューシャをつけた。
「暑いと言うか寒そうだな。マナ、これを使え」
「へ?」
首を傾げたわたしにリングイさんが渡したのは、白のニーハイソックス。
わたしはそれを受け取るとそれを見つめて、何も言えず呆けてつっ立った。
そんなわたしにリングイさんはきりっとした真剣な表情を見せる。
「悪いな。うさぎの尻尾は無いからそれで我慢し――――べふっ」
リングイさんが言葉を言い終える前に、ニーハイソックスをリングイさんの顔に投げつけた。
すると、フナさんまでもが真剣な面持ちをわたしに見せる。
「マナちゃんの気持ちは分かるよ。でも、勝つためには手段を選んじゃ駄目なのよ。これは戦争なんだから」
「いえ、全然違います。戦争じゃないです」
「甘い! 甘いよマナちゃん! そんなんじゃ勝ち……ぶふっ。残れないよ!」
「笑った! 今フナさん笑いましたよね!?」
「そ、ソンナコトナイヨー」
よく見ると、フナさんの真剣な面持ちは真剣じゃなかった。
目が笑っている。
さっきまでは笑っていなかったかもしれないけど、少なくとも今は笑っている。
完全に楽しんでるなこれ。
などと思いながら、わたしは上着を羽織る。
すると、分かり易いくらいにガッカリした表情をお姉が見せる。
「お姉はさ、わたしにどうしてほしいの? いやらしい目で見てもらいたいの?」
「そんな事ないです! そんなの許しません!」
「じゃあ何でこんなの着せようと思ったの?」
「可愛いからです!」
「これのどこが? 殆ど紐じゃん」
「小っちゃくて可愛いです!」
「誰の胸が小っちゃいって!?」
「へぅっ。そっちのお話じゃないです」
わたしが失礼な事を言ったお姉を怒鳴って、お姉が怯えると、リングイさんが「かっかっかっ」と笑いながら何かを持って来た。
今度はどんなものを持って来たのかとわたしが警戒すると、ニヤリと笑みを見せ、リングイさんはわたしの小学校の制服を出した。
「オイラとしてはこれで良いと思うんだよ。このマナの服って珍しいものだよな? マナが着ているこれしか見た事ないんだよなあ」
「ああ……確かに」
意外と良い意見が出てきてわたしは驚いて、それから小さく呟いた。
言われてみるとその通りで、お披露目会の衣装としては珍しいが故に申し分ない程に目立つ。
「フナも最初からそのつもりだったんだろ?」
「まあね。マナちゃんの反応が可愛いからからかっちゃった。本当にそのままお披露目会に出たら面白いかなって思っちゃったよ。ごめんね」
「……はあ」
わたしは気の無い返事をして、謝りながらも反省していなさそうな笑顔を見せるフナさんにジト目を向ける。
とりあえずとして、背後でがっかりした様子のお姉を無視して、明日の衣装が決定した。
そんなわけで話が長くなってしまったけれど、とにかく今の時刻は夜の11時。
やっと眠れると布団に潜ろうとした時に、ラヴィから相談事があると話しかけられ承諾した。
すると、場所を変えたいと言われたので、話の為に海宮の外に出たわけだ。
お姉とモーナは先に寝た。
と言うか、お姉はわたしとラヴィが今日ここに来る少し前まで子供達と遊んでいたらしくて、実はかなり疲れていたようだ。
気がついた時にはお姉が布団に頭から突っ込んで、お尻を上につき上げた不格好な状態で気絶したように眠っていて、仕方ないからちゃんと布団に入れてあげた。
モーナは「眠いから先に寝るわ」なんて言って、自分から布団に潜って寝た。
ちなみにリングイさんは踊歌祭のお披露目会に参加しろと言った張本人なので流石に起きていたけど、まあ、それは今は置いておくとしよう。
海宮から外に出て、ラヴィと2人で歩いている間は今日あった出来事を話した。
水の都に到着して行った猫喫茶の猫達が可愛かった事。
リリィさんや海宮で暮らす子供達の事。
それからお姉の知り合いのメイド、メレカさんの事。
たくさんの話をして、そして、海宮から程よく距離が開いて豆粒程度にしか見えなくなった頃に立ち止まる。
近くにあった座れそうな大きめの石を見つけて、その上にラヴィと一緒に並んで座る。
ラヴィに視線を向けて気付いたのは、いつもの虚ろ目がどこか真剣だと言う事。
その真剣な目でラヴィはわたしをそのまま見つめて、覚悟をするかの様に話を始めた。
「愛那はフォックを覚えてる?」
「へ? フォックさん? うん。ラヴィを育ててくれた人の1人で、狐の獣人だよね?」
答えると、ラヴィは少し口角を上げて、直ぐにそれを戻した。
「そう、フォックは私のお父さんの1人……」
そう言うと、ラヴィは俯いて黙り込んでしまった。
何があったのか分からないけど、ホームシックと言うわけではない筈。
もしホームシックなら他の人、じーじさんやメリーさん達の名前も出る筈だから。
ラヴィの様子は明らかにそれでは無くて、もっとこう……あまりよくない事な気がしてならない。
黙り込んでしまったラヴィの言葉を、わたしは待った。
催促するのは良い判断では無いと思い、ラヴィから話し始めるのをジッと待つ。
すると、少し間を置いてから、ラヴィが顔を上げて口を開いた。
「愛那を奴隷にしていたバーノルド、ハグレにいたウェーブ、その2人はフォックと共通点があった」
「……共通点?」
「そう」
ラヴィが真剣な表情を崩さないまま頷いた。
話を聞いたわたしは未だにラヴィが何を言いたいのか分からない。
分からないけど、それでも何か嫌なものを感じた。
「ウェーブはたまにしか言わなかった。けど、3人は自分を“ぼくちん”と呼んでる」
「へ? ぼくちん?」
「そう」
意外すぎる共通点。
言われてみればそうだったかも? な共通点に、わたしは面を食らって目を瞬かせた。
そんな事? とも、くだらない。とも思えるその事実は、ラヴィにとってはそんな事でもくだらないでも無いようで、未だに真剣な表情は崩さない。
だからわたしはくだらないと一蹴せずに、ラヴィの話に真剣に耳を傾ける。
「本当はもっと早く伝えるべきだった。でも、瀾姫とモーナスと合流して落ち着くまで黙ってた」
一人称が3人とも一緒なのは偶然にしろ偶然でないにしろ、そのラヴィの判断は同意できる。
お姉達と合流するまでは何だかんだと大変だったし、相談事をするにはあまり良いタイミングとは言えないから。
しかし、ラヴィの相談は事が事だけに、わたしでは何とも言えない話ではあった。
「一度だけ……一度だけ仕事に行くと言って家を出たフォックの後を、こっそりついて行った事があった」
そう言うと、ラヴィが顔を俯かせて黙る。
わたしは言葉を待ちながら、海を見上げた。
とっくに消灯時間を過ぎていて、夜の海は深海に住む生物達によって星空のように輝いている。
この景色を眺めたいと楽しみにしていたけど、ラヴィの様子を考えればそんな気分にもなれなかった。
多分、ここから先の話はラヴィが深刻に事を考えた理由。
俯いたラヴィの真剣な表情は本物で、虚ろ目で表情をあまり変えないラヴィの顔を誰でも分かるほどのものへと変えていた。
「……フォックは何かを探してた。その何かは分からない。それに、私の知らない人達と会って、人が変わった様にその人達を傷つけてた」
「知らない人?」
「そう、知らない人。その人達が誰かは分からない。言い争いをしていたけど、怖くて近づけなかった。フォックが“お前が悪いんだよ”と言っていたから、フォックが何かされたと思った。それだけじゃない。フォックはたまに誰かと話してる様に呟いてた時もあった。そこには誰もいないのに……」
ラヴィがわたしの顔を見上げて手を握った。
「愛那、フォックは“親愛なる分身”と言って誰かに話しかける様に呟いてた。多分それは自分の分身と言う意味」
「自分の分身……親愛なる分身。本当にそうなの?」
「直接確認していないから分からない。それにフォックからその言葉を聞いたのはその時だけ。だから今まで気にした事が無かった。家に帰って来たフォックはいつもの優しいフォックだった。あんなフォックを見たのはその時だけ」
ラヴィの手に力がこもる。
瞳は真剣にわたしの目を捉え真っ直ぐと、そしてどこか悲しげに不安を募らせていた。
「バーノルドの時は偶然だと思った。でも、ウェーブの時に違うと思った。ウェーブは国家の反逆者を革命軍と言って称賛してた。何かがかは分からないけど、嫌な感じがする」
ラヴィの言う“嫌な感じ”は嫌な予感と言う事。
だけど、それが何かは分からない。
だからこそ余計に不安なんだろう。
その虚ろ目は真剣で、そして悲しげに不安を募らせたまま。
だからわたしも真面目に考えて、そして答える。
「ラヴィ……そうだね。ラヴィの言う通り、もしかしたら偶然じゃないかもしれない」
「……うん」
「でも、どんな理由があるにしても、フォックさんが言ってた“親愛なる分身”の意味もハッキリとは分からないんでしょ?」
「そう……」
「それなら気にしなくて大丈夫だよ。嫌な感じがするかもしれないけど、気のせいかもしれないしさ。確かに3人が珍しい“ボクちん”なんて言う同じ一人称なのは不思議だけどね」
笑顔を向けてラヴィの手を握り返す。
ラヴィはまだ不安そうだったけど、それでも口角を上げて頷いた。
わたしとラヴィは2人で手を繋いだまま海を見上げて、そして、ゆっくりと時間が過ぎていく。
静かな時間。
何も言わず、ただ海を見上げる。
わたしはラヴィから受けた相談の事を考えた。
フォックとバーノルドとウェーブの“ボクちん”と言う一人称。
言っちゃ悪いけど“ボクちん”なんて一人称は変だし珍しい。
そんなのを使う人が続けてこんなに出てくるなんて、確かに偶然にしては出来過ぎている。
それを裏付けるかのようなフォックの“親愛なる分身”と言う独り言。
それすらも偶然なのか、この事と関係ない言葉なのか、それとも関係があるのか。
何もかもが分からない。
そしてこれが意味するものに何があるのか……ううん。
意味なんて無いかもしれない。
ただ言えるのは、ラヴィからこの話を……共通点と言われた時に感じた嫌な感覚が妙に引っ掛かった。
だからわたしはこの事を忘れまいと心に留める。
今直ぐ何かがあると言うわけでは無いだろうし、忘れてしまっても問題無いかもしれない。
それでも、ラヴィには気にしなくて大丈夫と言ったけど、わたしは覚えておこうとその事を心に残した。




