134 明かされた名
「愛那ぢゃああああああん! 会いだがっだでずううううう!」
「ちょっ。お姉抱きつかないでよ! ほらもう! 鼻水くっつくから!」
「でもでもおっ。本当に心配じだんでずよお!」
「はいはい。分かったから」
リングイさんの孤児院に辿り着き、リリーって言う人とイチャイチャしていたモーナを無視して孤児院の中に入ると、いきなりお姉に抱き付かれた。
いきなり鼻水を垂らした顔で顔にくっつかれて鬱陶しかったので、わたしはお姉の顔を手で押して離す。
「瀾姫も元気そうで良かった」
「ラヴィーナぢゃんもお元気ぞうで良がっだでずうう!」
お姉が泣き叫びながら、ラヴィにも鼻水垂らして汚い顔で抱き付く。
ラヴィはわたしと違って、そんなお姉の頭を撫でた。
「ロポぢゃああん!」
今度はダンゴムシに抱き付いて鼻水を擦りつける。
ダンゴムシはまあ……どうでもいいか。
「メゾメぢゃ――――あれ? メゾメぢゃんがいまぜん」
どうやらやっとメソメがいない事に気がついたらしい。
お姉が涙と鼻水で醜くなった顔でキョロキョロと周囲を見回した。
「メソメは父親の所に帰った」
「本当ですか!?」
「本当。だからいない」
「そうなんですね。良かったです」
ラヴィからメソメの事を聞くと、お姉は今度は柔らかな微笑みを見せた。
でも、涙はともかく鼻水のせいで顔が醜い。
このままお姉の顔を醜くしているのもアレなので、わたしはお姉にハンカチを渡して鼻をかませた。
それから、お姉の姿を見て首を傾げる。
「そう言えば、お姉も水着なんだね?」
「はい。いつ濡れても良い様に着替えました。似合ってますか?」
「うん、可愛いよ」
「やりました! 愛那ちゃんも可愛いですよ!」
お姉が喜んで上下に跳ねて、反動で胸が大きく揺れる。
でも、心配ご無用。
お姉が着ている水着はホルターネックビキニだったので、その大きな胸が零れる事は間違いなく無いだろうし、男達の視線も幾らかは軽減されるだろう。
これならわたしも安心。
と言っても、この場には男がいないわけだけど。
「もちろんラヴィーナちゃんも可愛いですよお」
「ナミキさんは相変わらずだねえ」
「あ、フナちゃんです。お久しぶりですね」
「うん、久しぶり。ところでリン姉は?」
「リンちゃんは子供達と散歩に出かけました。私はモーナちゃんとリリちゃんと3人でお留守番中です」
「散歩かあ。それなら直ぐに帰って来そうね」
「はい。あ、そうだ愛那。孤児院の中を今の内に案内しますね」
「いや、勝手に駄目でしょ」
「全然良いよ。私はこれからやる事あるし、ナミキさんに案内してもらいなよ」
「フナさんがそう言うなら……」
「任せて下さい! ラヴィーナちゃんとロポちゃんも私について来て下さい!」
「分かった」
まるで我が家を紹介するような雰囲気……我が物顔なドヤ顔をお姉が見せる。
ここでどう過ごしてきたのか分からないけど、リングイさんの事をリンちゃんなんて呼んでいたし、わたしの知らない間にお姉は随分とここに馴染んだらしい。
ラヴィが頷くと、お姉はわたしとラヴィの手を握って楽しそうに歩き出した。
孤児院【海宮】の建物内部は外見と同じく和風な雰囲気の造りをしていた。
お姉がわたし達を出迎えた玄関で靴を脱ぎ、靴入れに靴を入れて上がると、木造の廊下を歩いていく。
廊下には子供が落書きしたであろう可愛らしい絵が描かれていて、それが途中でミミズの様な線へと変わっている。
「うふふ。そのらくがきは昨日のなんですよ。らくがきしてた子がリンちゃんに見つかっちゃって、途中で逃げたんです」
お姉が可笑しそうに微笑んで、海宮の案内を続ける。
廊下を歩いて行くと、襖が幾つも見えてきた。
その内の一つを横に開けると、和な部屋がわたしの目に飛び込んだ。
「東の国を覚えてますか?」
「へ? ああ、うん。モーナと初めて会った山のある国だよね?」
「はい、その通りです。東の国の文化が日本に似た文化を持ってるんです。それで、ここの孤児院はその影響を受けて建てられたみたいですよ」
お姉の言った通り、目に映るのは見事な和室。
畳の敷かれた8畳一間。
お姉が言うにはここは勉強部屋らしい。
言われてみると、部屋にあるのは本棚とちゃぶ台に似た机が一つ。
座布団……ではなくクッションが端の方に雑に置いてあった。
そして机にはらくがきが書かれている。
ふと上を見上げると、天井から部屋を照らす明かりは和風ではなく、この世界でよく見かける光る魔石を利用して加工されたランプの類だった。
そうして次に紹介されたのは何故かトイレ。
トイレは洋式で数が10と多かった。
お姉が言うには、これでも足りない時は足りないらしい。
トイレ争奪戦なんてものもあるのだとか。
次に紹介されたのは普段みんながご飯を食べたり遊んだりする居間にあたる部屋。
台所と繋がっていて、和なリビングと洋なダイニングキッチンが繋がったLDKと言った所だろうか。
広さは二つを合わせて、さっき見た部屋の4倍程の広さでとにかく広い。
居間側には座り心地の良さそうなクッションが所々に散らばっていて、子供のおもちゃが散乱している。
部屋の隅っこには、ちゃぶ台の様な大きな机が足をたたまれて壁に立てかけられていた。
続いて居間と繋がる台所。
料理をしながら居間の様子が窺える造りになっている。
子供が料理の手伝いをする為か、子供用の台が2つ程置いてあった。
「お料理は交代制なんですよ」
「そうなんだ? お姉も作った事あるの?」
「私は食べるの専門です!」
お姉はいつも通りだった。
とまあ、それは今は置いておくとしよう。
今度は浴室を紹介された。
「お風呂は思ったより狭いね」
「はい。泳げません」
「いや泳ぐなよ」
「残念」
「もう、ラヴィまでお姉みたいな事言って」
やっぱり最近ラヴィがお姉の悪い影響受けてるなあ。
などと思いつつ、浴室を再度見る。
浴室は確かにそれ程大きくない。
でも、だからと言って一般家庭と比べたら大きいは大きい。
広さは畳部屋で例えるなら4畳程の大きさ。
浴槽はその半分くらい。
とまあ、こんな感じでお姉による紹介は続いていく。
そうして案内をされていて思ったのだけど、この孤児院、思った以上に広い。
「まるで迷路」
そう呟いたのはラヴィだった。
確かにそうだと頷けるラヴィの感想。
本当に迷路の様で、慣れればそうでもないだろうけど迷いそうだ。
「そうですね。初めて来た子は迷子になっちゃう子もいるそうで、フナちゃんのスキルが役に立つそうですよ」
「ああ、確か【迷宮攻略】だっけ?」
「はい。それを使えば迷子の子も直ぐに発見できるそうです。かくれんぼでも大活躍だって聞きました」
「かくれんぼて……。確かにかくれんぼしたら最強だろうけど」
「はい。皆が見つけられぬ者なしと言ってました」
真剣な面持ちで言うお姉の顔をマヌケ面だなと眺めた所で、わたし達は台所と繋がっている居間に戻って来た。
台所に戻って来ると、そこにはモーナとフナさんとリリィさんがいた。
「あ! マナ!」
モーナはわたしを見るなりいきなり飛びついて来て、わたしの顔はモーナのお腹に覆われる。
本来なら後ろに倒れる所だけど、相手はモーナ、重力の魔法の使い手である。
魔法のおかげで勢いのわりにはモーナは軽く、わたしが倒れる事は無かった。
但し鬱陶しいのは変わらない。
「モーナ邪魔」
「マナ成分が不足してたんだ。補充させろー!」
「ええい! 久しぶりに会って早々に鬱陶しいわ!」
両手で無理矢理モーナを剥がして睨みつける。
モーナは気にした様子もなく、ラヴィにニコニコと再会の挨拶を交わした。
そんな相変わらずなマイペース馬鹿に呆れていると、リリィさんがわたしの目の前に歩いてきた。
「あなたがマナね。話は聞いているわ。私はリリィ=アイビー、今は一応ここの警備をしているの。よろしくね」
「はい、愛那です。よろしくお願いします」
改めて見たリリィさんは、とても綺麗な女性だった。
身長を含めて、お姉と同じくらいの歳に見えるその姿は、お姉と比べれば随分と大人びて見える。
黄緑の薄っすらした白い髪は、腰まで届く癖っ毛一つ無いサラサラと流れるような綺麗な髪。
落ち着いた雰囲気を思わせる整った顔立ちに、少しつり目な目では、綺麗な黄緑色の瞳が宝石のように輝いている。
細くも肉付きの良い体は綺麗で、胸はお姉程ではないにしろそれなりで理想的。
まさに美人と言うに相応しい綺麗な女性。
だけど、身につけている服はファンタジーの世界に出てくるような村娘。
全身を白と緑でまとめたコーデに、細いラインを強調するかのようなコルセット。
しかし美人は何を着ても似合う。
そんな村娘な姿でも、格質の高いお嬢様の様だった。
「あああああ! そうだナミキ! ラヴィーナが来たらアレを頼む予定だっよな!?」
「あああああ! そうでした! 急ぎましょう!」
「フナも一緒にいるなんて丁度良かったな! 行くぞ! フナも来い!」
「え? 私も?」
「そうです! 来て下さい!」
突然叫び出したモーナとお姉がラヴィを両端から腕を取り、ラヴィを宙ぶらりんにして居間を出る。
フナさんも困惑しながらその後をついて行き、何故かダンゴムシまで連れて行かれた。
取り残されたわたしとリリィさんの間に静かな気まずい空気が流れ出す。
いや、気まずいと思っているのはわたしだけかもしれない。
4人が出て行くと、リリィさんは苦笑して直ぐに元いた場所に戻って、クッションの上に腰を下ろしてわたしに微笑む。
「一緒にお話しましょう?」
「は、はい」
緊張しながら返事をして、わたしはリリィさんの目の前にあったクッションに腰を下ろした。
そして次の瞬間、わたしは耳を疑った。
「マモンに随分と気に入られてるのね。少しびっくりしたわ」
「……マモン?」
「ああ、そう言えば今はモーナスと名乗ってるんだったわね」
マモン……それはレオさんからカリブルヌスの剣を譲ってもらった魔族の名前。
つまり、それは猫の獣人である筈のモーナが、本当は魔族でマモンと言う名前だったと言う事。
「あ……」
今まで謎だった事の一部が、わたしの中で答えを出す。
そしてそれは、わたしに重くきつい現実をつきつけた。
異世界とわたしの世界を繋ぐ“扉”だけじゃない。
今までずっと、今までずっと騙されてたんだ。
種族も何もかも……ずっと……。
もしかしたら、いずれ本人から打ち明ける時がきたかもしれない。
でも、現実にそれは起きず、モーナの知り合いから聞いてしまった。
それが理由かは分からないけど、胸が締め付けられるような気持ちになった。
だから、わたしの感情は――
「ほんっと最低! もう信用できない! 絶対もう口聞いてやらない!」
昂って再び絶交の意思を見せた。
騙されて騙されて何も言われずモーナ自身の事を本人から語られず、イコール信用されてないとモーナに言われているような気がして、苦しかった気持ちは反感を起こしたのだ。
元々わたしは気持ちを内に秘めてウジウジするタイプじゃない。
だからこそ苦しさよりも怒りが増した。
何に対して怒りが増したかは実のところ分からない。
何も言わないモーナに対してなのか、信じてもらうに値しない自分に対してなのか。
それでも怒りはモーナに向いた。
多分それは“扉”の事があったから。
それがあったからモーナに怒りの矛先が向いたのだろう。
わたしが怒りを表すと、リリィさんが目をパチリと瞬きさせて冷や汗を流した。
そして、まるで同情するかのような視線をわたしは向けられた。




