133 水の都フルート
水の都フルート。
それは海底国家バセットホルンの女王が拠点とする城のある、水深約30000キロの海底の深くに光を灯す魚人達の首都。
水の都フルートは、まるで楽器のフルートの様な形をした都。
海中だからこそ為せる外観。
フルートの様な形をした都は、音を奏でる為に手に取って構えた時のフルートの様に、若干斜めになって少し浮いているように見える。
遠目から見た都は楽器のフルートの様に細長く見えるけど、始めてここに訪れた者は、実際に近づくとその都の大きさや広さに皆が驚く。
近づけば、いいや、来れば分かるその都の広大さと美しさに。
傾斜に立ち並ぶのは巨大な貝や珊瑚をベースに作られた家の並ぶ住宅街。
淡く光る深海の生物達が都全体を綺麗に照らす。
魚人の暮らすこの都には、他種族も生活出来る様に空気が充満している。
それは都全体を覆っていて、誰しもが都を歩く事を良しと許していた。
しかし、だからと言って深海を泳ぐ魚達が都にいないわけではない。
まるで空を自由自在に泳ぐ様に、魚達は都の中を泳いでいる。
まさに奇跡じみたそれは、この国の女王の成せる魔法。
全ての生物が、この都では平等に生きていた。
水の都に無事に到着したわたし達……と言うかわたしは、既に疲れていた。
頭にシュノーケルゴーグルを付け、スクール水着姿のわたしの肩は落ちていて、目の下には隈が我ここにありと強調している。
「マナたん、大丈夫でち?」
あさりの貝殻を被るワンピース姿のアタリーが、目の前をふよふよと泳ぎながら眉根を下げてわたしを見つめる。
「へ? ああ、うん。一応は」
「マナちゃん凄い頑張ってたもんね」
ビキニ姿がよく似合う細い体のフナさんが、苦笑交じりに冷や汗を流して呟いた。
すると、相変わらずの虚ろ目少女のラヴィがダンゴムシから降りて、頭に被るシュノーケルゴーグルの位置ずれを直し、スクール水着のお尻の食い込みも指先で直して呟く。
「愛那は頑張りや。偉い」
相変わらずのわたし上げをしたラヴィは頷いて、シュノーケルゴーグルと一緒に頭につけたうさ耳を揺らした。
「ははは……」
渇いた笑いが出た。
と言うのも、わたしが疲れていてこんな笑いをしたのにも理由がある。
数日前にアタリーの家で船を出してもらえる事になって、ここまでやって来たわけだけど、それはもう前途多難だった。
それは、アタリーと一緒に行ったシェルポートタウンの海の中の住宅街から全てが始まった。
わたしはあの日、町長の娘を助けだした英雄として歓迎されて、あっちへこっちへと小人な魚人達に振り回された。
それこそ夜遅くまで歓迎ムードは消える事なく、その日に寝たのは深夜2時を過ぎた頃だった。
そして船に乗ってからも休まる事が出来なかった。
アタリーが自分も水の都に行きたいとついて来る事になったのだけど、それを聞いた町長がそれならと用意した豪華な船に乗り込む事になった。
しかし、その豪華な船、残念な事にわたし達の為に準備していた船とは別の船。
おかげで準備していた船にあった食料などが積まれていなくて、わたし達はまたもや食料問題に悩まされた。
そして飛び出したのが、今わたし達が着ている水着、それとシュノーケルゴーグルだ。
何故か異世界にあったスクール水着の謎を深く考えるのを止めたわたしは、フナさんとアタリーからシュノーケルゴーグルの説明を受けた。
このシュノーケルゴーグルはマジックアイテムの一つで、装着すると水の中でも息が出来る様になる代物。
そしてこれ等を装着したわたし達は、食料を求めて海にダイブ。
海中の生物を追いかけ追われて、飢えをしのいできたと言うわけだ。
と言うか、海の中ではラヴィの氷魔法がわたしに危険で、ラヴィは瞬く間に戦力外。
フナさんも戦闘は得意でなく、アタリーは寧ろ大きさ的に狩られる側。
おかげでわたしが殆ど1人で食料調達の為に海の中を泳ぎ続けた。
更に昼夜を問わず襲いくる海上のモンスター。
町長の計らいで船の舵を取る為に一緒に乗船してくれた皆さんが、アタリー同様の小人の魚人で非戦闘員と言う事実。
食事を作れるのもわたしだけと言う止めも加えた結果、わたしはモンスター退治と食料問題で疲労は困憊真っ只中になったわけだ。
なんなら水の都に入港する前も、頭に刀身がくっついてる鮫に襲われて追いかけ回された。
本当に疲れたとしか言えない。
尚、ラヴィが1人で海に潜って魚を捕まえてくると提案したけど、それはわたしが却下した。
ラヴィはわたしの事を心配してくれたけど、ラヴィにそんな危ない事させられないので当然なのだ。
とまあ、そんなわけで、わたしは今もの凄く疲れていた。
船を降りて、やっと心が休まる気分だった。
「えっと、アタリーちゃんはこれから一緒に来た人達と都の中を観光するんだっけ?」
「はいでち。お祭りに参加ちたら帰るので、とれまでは宿をとってここに留まるでち」
「それならお祭りでまた会えるかもね」
「はいでち」
何やら楽しそうに話すフナさんとアタリーを見て、わたしもその話に参加する事にした。
体調はまだ悪いけど、わたしも話に交ざりたい。
「それなら、祭りの日に何処かで待ち合わせしようよ」
「あ、それいいね」
「うん、私もアタリーと会いたい」
「あたちも皆に会いたいでち」
「それなら決定だね」
わたし達は笑い合い、待ち合わせ場所や時間を決めてからアタリーと別れた。
船を降りた場所は上の方で、フルートで言う頭部管の音を出す為に息を吹きかけ空気を送る歌口の部分。
孤児院の場所はここよりずっと下の方で、フルートで言う足部管。
昔はスラム街があったらしくて、今もその名残りが街に少しあるのだとか。
まあ、それは今は置いておくとしよう。
わたし達はフナさんの提案で、水の都を案内してもらいながら孤児院に向かう事になった。
「まずはあそこに行こう」
「あそこ……って何処ですか?」
「猫喫茶。お腹空いたしね。行ったら癒されるよ~。にゃんちゃん達に囲まれて、疲れも吹っ飛んじゃうよ」
「行ってみたい」
「ラヴィは猫喫茶に興味あるの?」
「そう、猫可愛い」
「そっか。それじゃあ行きますか」
「決まりね」
そんな会話から始まった水の都フルートの観光。
猫喫茶から始まり、色々な名所を見て回る。
そしてその間もわたし達はずっと水着を着ていた。
こんな格好で恥ずかしいとも最初は思ったけど、この水の都では普通の様で、水着姿の人が沢山いた。
おかげで恥ずかしさは何処かへ行ってしまった。
そうして色々見て回って、旧スラム街へとやって来た。
「後少しだよ。お姉さんとモーナスちゃんに会うの楽しみ?」
「はい――あっ。いえ、とくに気にしてません」
「私も楽しみ。やっと会える」
「ラヴィーナちゃんは正直でよろしい」
フナさんがラヴィに抱き付いて持ち上げる。
そんな2人を見ながらわたしは苦笑する。
それにしても……。
わたしは周囲に視線を向けた。
昔スラム街だったらしいけど、それを感じさせない雰囲気の街通り。
だけど、そんな事より気になる事がある。
それはすれ違う人達の視線。
わたしやラヴィ、フナさんが注目されているわけではなく、注目されているのはダンゴムシだ。
明らかに奇異な目でダンゴムシを見ていた。
ダンゴムシ……と言うかオリハルコンダンゴムシは珍しい虫らしいので、それで注目を浴びているのだと思うけど、どうにも視線が気になった。
視線の先に視線を向ければ目を逸らされて、何やらそそくさと逃げて行く姿も見かける。
なんか気になるな。
全員じゃないけどダンゴムシに向ける視線が怪しいし、孤児院に着いたらモーナがいるだろうから、ダンゴムシの事を聞いてみようかな。
あ、そう言えば今モーナと喧嘩してるんだっけ。
まあ、わたしが一方的に怒ってただけだけど……はあ。
そのくせカリブルヌスの剣を無くしちゃったし、流石に怒るよなあ。
うーん……気まずいなあ。
なんて言おう。
ま、まあ、ここはしっかり素直に謝ろう。
よし!
…………って、あれ?
気が付くと、旧スラム街を外れて、周囲から家や建物が消えていた。
あるのは綺麗に光り輝く珊瑚礁や海藻、それから宙を泳ぐ魚などの生物達。
周囲にはそれ以外全く無く、水の都から外に出てしまったのかと心配になる。
そんなわたしにフナさんがにこやかに微笑む。
「殺風景でしょ? ここ等辺は水の都の中でもド田舎だから人もあまり来ないのよ」
「そうなんですね」
「ほらあそこ、一応小さい家はあるでしょ?」
「あー、そうですね」
フナさんが指をさして、その先には確かに小さな民家があった。
その他にもぽつぽつと民家があり、全く何も無いわけではなかった。
「ここ等辺はさ、貧困層が暮らしてるの。お金を持ってる人は、女王様が暮らすお城から近い中心街の方に住もうとしてるから、こんな辺境には住みたがらないの」
「貧困層……。やっぱりそう言うのあるんですね。貴族とか聞いた事あるんで、そうじゃないかなって思ってましたけど」
「まあね。他の国はどうか知らないけど、この国は上下関係が特に厳しいから……」
フナさんが少しだけ表情を曇らせる。
その顔は何だか寂しげで、何かを思い出している様だった。
「……あ、見えてきたよ」
フナさんが遠く前方を見つめて顔を綻ばせる。
それにつられて視線を向けて見えたのは、絵にも描けない美しさの竜宮城……では無くて、絵本に描かれた様な見た目の竜宮城。
それは大きすぎず、かと言って小さすぎない程度の大きさの、和を連想させるお城のような見た目の建物だった。
だけど、その建物は思っていたよりも立派なもので、わたしは足を止めて遠目に眺めた。
それにダンゴムシが気付いて立ち止まり、ダンゴムシの上に乗っていたラヴィがわたしを見つめる。
すると、フナさんが「ちょっと早いけど」と言って、小走りでわたし達の前に出て微笑んだ。
「ようこそ、リン姉と私達の家【海宮】へ」
フナさんがそう言った時だった。
「ぎゃああああああああああああ!!!」
突然悲鳴が聞こえた。
それは今しがたフナさんが紹介した海宮の方から聞こえてきた。
それにその悲鳴、何処かで聞き覚えのある声だった。
「……モーナ?」
そう。
その聞き覚えのある声は、モーナの声。
わたしは驚き、気付いた時には走り出していた。
「モーナ!」
何があったか分からない。
だけど、モーナに何かが起きたのは間違いない。
焦りが生まれ、わたしは必死に走った。
そして……。
「はあ、はあ、はあ……。へ? モーナ?」
海宮の目の前、そこにモーナはいた。
わたしは息を切らして、肩を激しく上下させる。
そして、悲鳴の理由を直ぐに知った。
「ああああああ!? マナアアアアア! 来るのが遅いぞ! でも良い所に来た! 助けてくれー!」
「はあ、はあ。助けろってあんた……」
モーナは誰だか知らない、お姉と同じ歳くらいの綺麗な女の人に、チョークスリーパーを決められていた。
モーナが騒いだ事で女の人がわたしを見て、顔を顰めてモーナを更に締め上げる。
「ぎゃああああああ! 離せリリィ=アイビー! し、死ぬううううう!」
「リリィ……アイビー…………」
モーナが発した、リリィ=アイビーと言う名前。
それはきっと、この綺麗な女の人の名前。
そして、あの時ダンゴムシの名前を決める時に、モーナが怒って止めた名前。
モーナは助けてと言ってる。
だけど、それはまるで仲の良い2人がじゃれあっている様で、本気で嫌がってるようには見えなかった。
「この人が…………リリー」
何故か、胸がチクッとした。




