129 噂話
南の国、海底国家バセットホルン。
海底にばかり村や町があるこの国で、珍しく陸にそれ等がある島をわたし達は目的地を目指して歩いている。
とは言っても、島の殆どが不思議な構造で出来ていた。
半分以上が足の踝まで水があり、最早陸地と呼んで良いのかわからない陸地。
だけど島に住む人々……と言うよりは、魚人達からしたら陸地も陸地、その程度の水深では海どころか川とすら認めてもらえない。
だからこそ、この島は水に溢れた陸地を含めて島と認識されている。
尚、水温は高く、まるでぬるい足湯の中を進んでいるようで、もちろん靴や靴下の類は履いてない。
妖族の雪女であるラヴィにはきつい環境だった。
ハグレの村を出て、そんな不思議な島を歩き続けて5日が経つ。
ダンゴムシの背の上で、暑さにやられてぐったりしたラヴィが頭につけたうさ耳を垂れさせて項垂れているのを心配している時だった。
たまたますれ違った行商人に声をかけられた。
「兄ちゃんたち、この先の港町に向かってるのかい?」
「ああ。それが何か?」
「ふーん……。いやなに、俺は今その港町から来たんだけどよ、嫌な噂を聞いたもんでね」
「嫌な噂?」
「ちょっとちょっと、おじさん怖い事言わないでよお。俺達をビビらせたいの?」
嫌な噂と聞いて、リネントさんが眉を顰めて、ウェーブがふざけた口調で行商人に文句を言う。
すると、行商人はウェーブの顔を見てから、眉根を下げて頭をかいた。
「俺は親切で言ってやってんだよ。なんでも、あの“レブル”って奴がこの近くの海で出たって噂だ。俺は海からこの大陸に渡って来たんだけどよ、出くわさなくて本当に良かったよ」
「レブル……」
わたしは呟き思い出す。
モーナが追ってる三馬鹿の最後の1人レブル。
どんな人かは分からないけど、モーナがいない今は会いたくない。
まあ、またモーナの勘違いで良い人かもしれないけど。
「そうか。忠告感謝する」
「良いって事よ。あんた等も気をつけてな。っと、いけねえ。ここで会ったのも何かの縁だ。何か買って行ってくっれよ」
「はは。そうだな。では、商品を見せてくれ」
「おっ。流石は色男。話が分かるねえ」
「おい、おっちゃん。ちゃっかりしてるねえ。怖い話の次は商売かよ」
「たりめえよ」
「リネントさん、良いんですかあ? 無駄遣いなんかしちゃって」
「問題はないさ。情報を提供してくれた礼だ」
せっせと商品を並べだす商人の横で話すリネントさんとウェーブを尻目に、わたしは周囲を確認する。
すると、近くに地面が盛り上がって草が生えている場所を見つけたので、ラヴィを連れてそこに腰を下ろして休憩する事にした。
草の上に座ると、わたし達が座るのを待っていたかのように風が流れる。
風にのって潮の香りが鼻孔くすぐり、心地の良い風が頬を撫でる。
気温は相変わらずの暑さだけど、吹いてくる風は気持ちが良い程に涼しい。
ラヴィもそれを感じて、ようやくと言った感じで少しずつ元気を取り戻した。
頭につけたうさ耳も元気を取り戻したかのように、心なしか垂れていた耳を上向きにさせる。
風を感じながら目をつぶると、何とも言えない香ばしい肉の香り……香ばしい肉の香り?
風上から流れてくる肉の匂いに首を曲げて視線を向けると、牛肉を串に刺して、それを網の上で焼くウェーブの姿が。
「何してるの?」
呆れ目を向けて話しかけると、ウェーブは機嫌良さげに答える。
「腹減ってたからそこのおっさんから肉を買ったんだよん」
「だよん。じゃない。もう直ぐで港町なんだから、そこで食べればいいのに」
「まあまあ、そう言わずにマナも食おうぜ。俺の愛をスパイスにしてふんだんに振りかけた最高な肉だぜ」
「うわあ。いらない」
「はーん!?」
「不味そう」
「不味くないわ! あーやだやだ。このちみっ子たちはなんも分かってねーよ。なあ、相棒」
ウェーブがダンゴムシに触れて、ダンゴムシが触角を垂らす。
それを見て同意ととったのか、ウェーブが機嫌良さげにダンゴムシを撫でたけど、果たしてあれは同意してると言う事なのだろうか?
なんて事を思ったけど、正直どうでもいい。
そう言うわけなので、何故か仲良くなったウェーブとダンゴムシに冷ややかな視線を送り、わたしはリネントさんへと視線を向けた。
リネントさんは未だに行商人に商品を見せてもらっていて、まだまだ時間がかかりそうだ。
「ほらよ」
「ありがと」
ウェーブに肉の串焼きを出されたので、お礼を言って受け取る。
ラヴィと一緒にいただきますをして一口。
岩塩で味付けされた肉はとても柔らかくて、一噛みするごとに肉汁が口の中に広がる。
中々に美味しい。
「美味いだろ? こいつは北の国クラライト王国の冷角牛の肉なんだぜ」
「冷角牛……? あ、確か北の国の寒い地方にしか生息してない牛だよね? 角が氷みたいに冷たいのが特徴って言う」
「おおっ。よく知ってるねマナちゃん。その通り! ここ等辺じゃ結構レアな肉なんだよ」
「あー。それで買ったんだ?」
「そう言う事。珍しいもんは食いたくなるだろ? ま、俺程の男になると、有意義な金の使い方しかしないもんさ。ま、リネントさんの金で買ったけどな」
「ふーん、あっそ……って、リネントさんにお金払わすとか最低」
「後で焼いた肉を渡せばチャラだ」
「ウェーブさんって本当にクズですね」
「クズの頂点」
「おいこらちみっ子ども口が悪すぎるぞ! あとマナちゃん、敬語はいらないぜ。君と俺の仲じゃないか」
「あえて距離を置く為に敬語になっただけです。って、あっそうだ。それより港町まであとどれ位なの?」
「港町?」
何だかんだとわたしの言葉を全く気にした様子もなく、ウェーブは遠くに見える草が生い茂る少し背の高い丘を見つめて指をさす。
「あそこを越えたらもう港町は直ぐそこだな。登れば見えるよ」
「思ってたより近いね。良かったあ。今日中には船に乗れそう。それに船とは言え久しぶりに布団で寝れる」
隣に座っていたラヴィが肉を頬張りながら頷き、それを見てわたしも肉を一口。
うん、美味い。
と、そこで行商人と話を終えたらしいリネントさんがやって来て、行商人のおじさんはこちらに軽く会釈して歩いて行った。
「何か掘り出し物は買えましたか?」
「ああ、ウェーブに買わされた肉くらいだったな」
「そうですか。なら、ウェーブさんのせいで無駄使いさせられて終わったんですね」
「ウェーブは無駄」
「おいおい、ちみっ子。それだと俺の存在が無駄みたいじゃねえか!」
「だいたいあってる」
「あってねえよ! おい相棒、なんとか言ってくれよお」
ラヴィに言い負かされてウェーブがダンゴムシを連れてわたし達から距離を置き、何やらダンゴムシに語り出し、ダンゴムシは触角を垂れさせた。
ああいう大人にはなりたくないなと呆れながら、最後の肉を口に入れて頬張る。
「マナ、先に言っておく。レブルと言う名を聞いたら、それには近づかず逃げてくれ」
「へ? そうですね……まあ、気をつけます」
「気をつける……か。危険な事はくれぐれもしないでくれよ」
「もちろんです」
って言っても、あの馬鹿、モーナがいるし多分危険な事になる。
でも、それをリネントさんに言っても仕方ないので、わたしは苦笑して頷くだけにした。
「リネントはレブルを知ってる?」
ラヴィが尋ねると、リネントさんではなくいつの間にやら戻って来たウェーブが答える。
「有名人だから誰でも知ってるさ~。革命軍のトップ“魔龍のレブル”。最強の男だ」
「革命軍?」
三馬鹿の内の1人で、国家の反逆者。
そう聞いていたので聞きなれない革命軍と言う言葉に首を傾げた。
それに革命軍と言う事は、レブルには仲間がいると言う事。
わたしが想像している以上に、三馬鹿最後の1人はとても厄介な相手なのかもしれない。
首を傾げたわたしの反応に、ウェーブが呆れたような素振りを見せる。
「マナちゃーん、駄目駄目、駄目だよお。世間から言われてる犯罪者の話しか知らないって顔してるよ~」
「はあ。そうだけど」
まあ、でも、革命軍って事なら国から見れば同じ様なものでは? なんて事を考えると、ウェーブがわたしの隣にどっかりと腰を下ろす。
「いい? マナちゃん。レブルって人はバセットホルンをより良い国にしようと戦う英雄さ。悪い噂が流れているのは、国のお偉いさんが国民を騙してるからなんだぜ」
「でも、さっきリネントさんが近づかず逃げろって……」
答えると、ウェーブがリネントさんに視線を移し目をかち合わせる。
リネントさんとウェーブは見つめ合い、そして、リネントさんが頷いた。
「やだなあ。レブルの偉大さが分かるのは俺だけか」
「あまりレブルと言う人物を良く言わない方が良い。誰かに聞かれれば仲間だと思われるぞ」
「あーはいはい。分かってます分かってますよお」
ウェーブがいじけた顔をして立ち上がり、リネントさんに串に刺した肉を渡してから、網などの後片付けを始めた。
やっぱりレブルと言う人物は危険人物なのだろう。
リネントさんは深くため息を吐き出して、わたしに視線を向けて「すまないな」と呟いた。
ラヴィが肉を食べきった所で、目的地に向かって再び歩き始める。
ウェーブが言っていた丘の向こうに港町があるそうなので、わたし達は丘を目指した。
そうして、草が生い茂る少し背の高い丘の上に登り、ついに港町を視認する。
そして、丘の上から港町を眺めて、わたしは思わず感嘆と声をあげた。
「わあ! あれが【シェルポートタウン】。素敵な町ですね!」
魚人の中でも貝種の小人が暮らす港町。
それが、ここから一望できる港町【シェルポートタウン】だ。
人口はおよそ100万人。
でも、小人である貝の魚人達は、大人でも平均で約20センチの小さな種族。
手のひらの上で収まってしまいそうなその魅惑的な小さなボディで、とても可愛らしい姿をしている。
ラヴィと一緒に見た本に書いてあったイラストを見て、わたしはその可愛らしさに心をひかれた。
とまあ、それは今は置いておくとしよう。
それ程に小さい種族達の港町だから、町の規模も大きい様で小さい。
港や町の外れには他種族用の建物があるけれど、町の中心などは小人サイズで可愛らしい。
まるで小さい頃に両親に買って貰ったお人形ハウスのような懐かしさを感じる。
「無事にここまで来れて良かったな」
「はい。リネントさんのおかげです」
「リネント、ありがとう」
不意にリネントさんに話しかけられて、わたしとラヴィが返事をすると、リネントさんは柔らかい笑みを浮かべた。
「ああ。船は今日中には乗る予定なのか?」
「そうですね。少しでも早く水の都に向かいたいので」
「そうか。道中気をつけてくれ。俺達はここまでだ。短い間だったが楽しかった。無事姉に会える事を願う」
「へ?」
「リネント、一緒に来ない?」
「ああ。機会があればまた会おう」
「ま、しゃあないですよね。マナちゃんもラヴィーナちゃんもロポ虫も元気でな」
リネントさんだけでなく、ウェーブまでもが別れの挨拶を言いだしたので、わたしは驚いて焦った。
港町まで送るとは聞いていたけど、まさか港町に入る前にお別れだなんて思わなかった。
それはわたしだけでなくラヴィだって一緒だ。
わたしもラヴィも、リネントさん達とは船に乗る時にお別れだと思っていた。
だからこそ今日中に船に乗ろうと思ってたのもある。
「ちょっと待って下さい。せめてシェルポートタウンまで一緒に行きませんか?」
わたしがそう言うと、ラヴィも同意する様に首を縦に振って頷く。
だけど、リネントさんは首を横に振った。
「気持ちは嬉しいがそれは出来ない」
「そうそう。俺達ハーフだからね」
「そんな……」
ハーフ……それは、メソメ達家族を不幸にしてしまった原因。
魚人達は他種族を嫌い、混血であるハーフを憎んだ。
でも、それは昔の事。
今は関係無い。
それでも、メソメ達家族はそれが原因で引き裂かれた。
今でこそメソメは父親と再会して、ようやく新しい平和な日常を取り戻せたけど、それでも母親は帰って来ない。
だから、そんなメソメの事を知るからこそ、わたしは何も言えなくなってしまった。
今から向かうシェルポートタウンがどんな所か分からない。
ハーフだとかを気にする様な人は誰一人としていないかもしれない。
でも、いる可能性だってある。
昔の事をいつまでも問題にする人は存在する。
わたしの世界にも、そう言う人はいっぱいいるんだ。
メソメの事がある以上、異世界ならそんな人はいないなんて思えない。
わたしとラヴィが黙って俯いていると、リネントさんがわたしとラヴィの頭を優しく撫でた。
その優しい手に少しだけ目尻に涙が溜まり、ゆっくりとリネントさんの顔を見上げると、リネントさんは優しく微笑んだ。
「ありがとう。それから、リンには俺の事は黙っていてくれ。その……彼女はレブルより恐ろしいからな」
「あはは。何ですかそれ? リングイさんに失礼ですよ。でも、わかりました。言いません」
リネントさんの言葉が可笑しくて、わたしは笑って目尻に溜まった涙を拭った。
リングイさんとリネントさんは元恋人で、結婚まで考えていた仲だったらしい。
原因は教えてもらえなかったけど、何かが原因で喧嘩別れしてそれっきりなのだとか。
それにしてもだけど、まさかあの男の子みたいなリングイさんに、元カレがいたとはって感じである。
正直元カレのリネントさんに話を聞いた今でも信じられない程に驚きだった。
リングイさんに会ったら、リネントさんの事は黙ってそこ等辺聞いてみようかなって、少し企んでみたりしている。
まあ、それは今は置いておくとしよう。
わたしはリングイさんと、それからついでにウェーブと別れて、港町シェルポートタウンへと歩み始めた。
一緒にシェルポートタウンに行けないのは本当に残念だけど、それでも、別れる時は笑顔になれた。
ラヴィと手を繋いで、その後ろをダンゴムシが歩く。
背後からはウェーブの「元気でなー!」と言う煩い声が聞こえた。




