119 モンスター来襲
「そう言えば、マナちゃんって最近ずっと髪の毛がボサボサだよね?」
「……あはは。うん」
船旅が始まってから18日目の朝。
朝食を済ませて食後の休憩中。
ダンゴムシの上にラヴィと一緒に座っているメソメに不意に話しかけられて、わたしは苦笑して頷いた。
髪の毛がボサボサなのは自分でも分かっていた。
いつものサイドテールにしてはいるけど、髪の毛がそこ等中跳ねている。
わたしとしては、その事はあまり触れてほしくない内容だったので、わたしは思わず視線を逸らす。
「愛那は髪のセットが不器用。いつもは瀾姫がやってる」
「うっ」
漫画であれば矢印が胸に刺さるような、グサッとした何かが体に突き刺さる感触。
的を得た答えを言ったラヴィを顔を引きつらせて見る。
ラヴィは相変わらずの虚ろ目で何処か得意気だった。
「あれ? でも、お屋敷にいた時はちゃんとしてたよ?」
メソメが左上に視線を移動させながら、思いだすように呟いた。
それを聞いて、ラヴィが首を傾げてわたしに視線を向けた。
わたしは何とか話の内容を逸らそうと思い、ラヴィから視線を逸らして考えるけど思いつかない。
それどころか、メソメにまでジッと見られて、わたしは観念して白状する事にした。
「それは……チーに髪の毛をセットしてもらってたんだよ」
「え? チーちゃん?」
「うん。チーってさ、ずっとお母さんの世話をしてて、髪を梳かしてたんだって。まあ、それを知ったのは、あの事件解決後なんだけど」
「そうだったんだ~」
「納得」
「でも、マナちゃんって何でも出来ちゃうと思ってたけど、意外な事が苦手なんだね」
「何でもって……わたしはそんなに凄くないよ」
「そうかなあ? マナちゃんって私と3つしか違わないのに、ナミキさんよりお姉さんみたいだもん」
「そう。愛那は凄い」
「え~。そうかなあ」
確かにわたしは自分でもお姉よりは大人だと思ってるけど、誰かから言われると少し照れてしまう。
比べる相手がお姉って時点で、あまり凄くはないんだけど。
「でも、皆だって歳のわりには随分大人に見えるよ」
「本当? そうだったら嬉しいな」
「私は雪女だから成長が早い」
「え? そうなの?」
「そう。獣人が獣族なのと同じで、雪女は妖族。物心つくのが早い」
「妖族? ああ、そう言えば、本で見た事あるかも。体の成長は個人差があるけど、心の成長は基本的に早いんだっけ」
「妖族って地域によっては珍しいよね。私もラヴィーナちゃん以外の妖族はあまり見た事ないよ」
「成る程」
と、わたしが呟いた丁度その時、焦ったような声で船内アナウンスが流れる。
『緊急事態発生。緊急事態発生。乗客の皆さんは直ちに緊急脱出口に避難して下さい。繰り返します。乗客の皆さんは直ちに緊急脱出口に避難して下さい』
船内アナウンスが流れ終わると、扉の向こうから慌ただしい物音が聞こえてきた。
「緊急事態?」
「に、荷物をまとめなきゃ!」
「メソメ落ち着いて。緊急事態なら荷物は最低限で良い」
「ラヴィの言う通りだよ。直ぐに緊急脱出口に向かおう」
「うん」
この船に乗ってから購入した着替えは置いて、持っていく物はこの船に乗り込んだ時に持っていた物だけにする。
何があったのか知らないけど、今まで船が魔従に襲われても船内アナウンスなんて流れた事が無かった。
そう考えると、本当に結構ヤバい事が起きているのかもしれない。
わたし達が部屋を出ると、それを待っていたかのようにタイミング良く爆発音が聞こえ、更には船が大きく揺れた。
その揺れがあまりにも大きくて、わたしはよろめいて壁にぶつかる。
ラヴィとメソメはダンゴムシの上に乗っていて、しっかりと掴まっていたので落ちる事は無かったけど、ダンゴムシが一瞬恐怖で丸まりそうになっていた。
それに、わたし達と同じ様に緊急脱出口に向かう他の人達も壁にぶつかったりこけたりして、周囲はどんどん騒然としていく。
「いったぁ……。今の揺れ何? 何かに襲われてるって事?」
「この船沈んじゃうの!?」
「分からない。でも、厄介な事になった」
「厄介な事?」
そう言ってラヴィに視線を向けると、ラヴィが頷いてわたし達の背後に指をさした。
ラヴィが指をさした方向へ訝しげに首を回すと、そこには、見た事も無い大きなサソリが三匹もいた。
サソリの色は濁った様な水色で、わたしの身長よりデカい体と尻尾を持っていた。
そして、ゆっくりとわたし達に歩み寄っている。
「ひっ。何こいつ!?」
血の気が一気に引いていく。
ただでさえ虫が苦手だってのに、わたしの身長よりデカいサソリが三匹もいるなんて洒落にならない。
「愛那、下がって」
ラヴィがダンゴムシから飛び降りてわたしの前に出て、懐から打ち出の小槌を取り出して構えた。
「ラヴィーナちゃん危ないよ!」
「心配無い。愛那とメソメとロポは私が護る」
「ラヴィ……っ」
そうだ。
怖いけど、でも、しっかりしろっわたし!
カリブルヌスの剣は船の中のこの廊下では狭くて危ないので、使わない方が良いと判断して、わたしは短剣を構えた。
更に、ステチリングでサソリの情報を調べる。
毒海蠍
年齢 : 16
種族 : 蠍『昆虫・毒海変異鋏角種』
職業 : 無
身長 : 52
装備 : 無
味 : 猛毒
特徴 : 毒針・毒鋏
加護 : 毒の加護
属性 : 無
能力 : 未修得
サソリのステータスを見て眩暈がした。
身長が52と表示されてるけど、これはあくまで縦の長さで毒針のある尻尾は関係ない。
それにそれよりも、その毒針と毒鋏が絶対にヤバい。
どう考えても攻撃を食らったら最悪な事になる。
「毒海蠍……っ!? 大変! マナちゃん、ラヴィーナちゃん、逃げた方が良いよ! この蠍が出たって事は、今この船は毒海の中にいるって事だよ!」
「毒海? どう言う事?」
「この蠍は毒海って言う毒の海で出来てる海域で出る蠍なの! 凄く凶暴で毒を受けたら即死するの! ほらっ。もう何人か倒れてる!」
考えが甘かったと言いたい。
最悪な事になるとは思っていたけど、まさか即死とは思わなかった。
それに、メソメが「ほらっ」と言って指をさした方に視線を向けると、サソリの背後で本当に何人も倒れていた。
倒れている人達を見ると、濁った様な水色の斑点を肌に浮かび上がらせていた。
正直言ってグロい。
吐きそうになったけど、元々わたしにそう言った耐性があるのか、喉元まででおさまった。
ただ、それを見てしまったせいで、めちゃくちゃ気分は最悪だった。
気持ち悪さと吐き気が同時にきて、更に眩暈と恐怖で足が震えてふらついた。
とてもこんな状態でまともに戦えるとは思えない。
でも、サソリがそんなわたしに気を使ってくれる事なんてない。
サソリの一匹が勢いよく動き出して、一気にわたし達との距離を詰める。
そして、サソリは毒鋏でラヴィに斬りかかる。
「アイスシールド」
ラヴィが氷の盾を魔法で出現させて、サソリの攻撃を防ぐ。
それと同時に、打ち出の小槌を振りかぶりながら、サソリの頭上にジャンプした。
「――っ!」
刹那――サソリが尻尾の毒針を一直線にラヴィに向けて突き出して、ラヴィは紙一重でそれを氷の盾で防いで、弾かれる様にして後ろへ転がる。
サソリがラヴィに追い打ちで毒鋏を向けて接近する。
ラヴィは転がった拍子に倒れて、直ぐにサソリの攻撃に備える事が出来ない。
「ラヴィ!」
動け!
震えてる場合じゃないぞわたしいいいっっ!
心の中で己に喝を入れて、直ぐにスキル【必斬】を短剣に乗せて縦に振るう。
瞬間――わたしの斬撃に気付かなかったサソリは、尻尾ごと胴体を切断されて絶命した。
「良かっ――」
「マナちゃん後ろ!」
「――へ?」
失敗した。
ラヴィのピンチに気を取られすぎて、自分の事に疎かだった。
ただでさえ虫が苦手で体調が悪くなって本調子じゃないのだから、メソメの言う通りラヴィを連れて皆で逃げていればよかった。
気が付くと、いつの間にかわたしの直ぐ後ろまでサソリが接近していた。
もちろんただ接近していただけじゃない。
一匹はメソメが魔法を使ってくれたのか、水の網にかかってもがいていたけど、残りの一匹は違っていた。
わたしがメソメに言われて振り向いた時には、わたしの目の前にはサソリの毒針と毒鋏が迫っていたのだ。
避けれるわけがなかった。
今のわたしは加速魔法が使えなくて、体調も優れない。
それに、毒針も毒鋏も既に目と鼻の先の距離だ。
ラヴィもメソメもきっとわたしを助けようとしてくれているだろうけど、絶対に間に合わない。
瞬間――目の前のサソリがバラバラになって床に落ちる。
「っ!?」
一瞬の事で何が起きたのか分からなくて、わたしが目を見開いて驚いていると、背後から肩を叩かれた。
「危なかったな」
「――っえ!? レオさん!?」
「よお」
わたしを助けてくれたのは、なんと料理長のレオさんだった。
レオさんはニッと笑うと、水の網にかかっているサソリを剣で真っ二つにした。
そしてわたしは気が付く。
よく見ると、レオさんが持っている剣がカリブルヌスの剣だと言う事に。
「あれ? それ……」
「ん? ああ、悪い。ちょっと借りた」
「それは良いんですけど――」
いつの間に。と、言おうとして、そこでわたしはメソメとラヴィに抱き付かれる。
「――わっ、とと」
「愛那ごめん。無事で良かった」
「マナちゃん良かったよお」
「2人とも……心配させてごめん」
苦笑して2人の頭を撫でると、2人はわたしを抱きしめる手の力を強めた。
「しっかし懐かしいな、カリブルヌス。まさか今の所有者がマナだったなんてな……って、ん? なんか軽くないか? こんなもんだったかな」
「それはモーナが……って、レオさんこの剣の事を知ってるんですか?」
「ん? ああ。こいつの最初の所有者は俺だったからな。数年前に魔族のマモンって奴にあげたんだよ」
「魔族のマモン……そうだったんですね。今はモーナって獣人が所有者で、わたしはモーナから借りてるんです」
「へえ、そうなのか。まあ、あげたもんだから別に良いけど、そうかあの野郎さては売りやがったな」
「結構良い剣だから高く売れそうですもんね」
「だな」
レオさんは頷いて、カリブルヌスの剣を返そうとわたしの前に出して、途中で手を止める。
そして、天井を見上げて「ああー」と呟いてから苦笑する。
「悪い。もうちょっと借りていいか? 上の方が結構大変な事になってるっぽい」
「それは大丈夫ですけど、緊急脱出口に行かなくて良いんですか?」
「現役時代の勘が鈍ってなけりゃ、甲板に毒海蠍が20匹以上とシーガルドリルが30羽以上いる。護衛騎士も多分このままだと全滅だな。流石に見捨てられん」
「シーガルドリル!? そんな……この船が本当に沈んじゃう!」
レオさんの言葉を聞いて、メソメが狼狽えて体を震わせた。
ラヴィと一緒に読んだ本の中に、その鳥の事は書かれていたので知っている。
シーガルドリルは、ドリルの様なくちばしを持つカモメ。
凶暴で獣の中では暴獣の部類となっている。
普段から群れで行動していて、魚を餌にしているけど、より凶暴なシーガルドリルは人を襲って食べる恐ろしいカモメだ。
正直わたしの世界のカモメからは想像できないけど、かなり危険な生き物だったりする。
人を襲って、人の肉を食らったシーガルドリルのくちばしほど鋭く凶暴になっていく。
そしてその鋭いくちばしは、まさにドリルの様に回転して、簡単に船に穴を開けてしまう威力を持つ。
だから、鋭いくちばしを持つシーガルドリルは、大変危険なので見つけ次第直ぐに殺さないと被害が増え続けるのだ。
顔を青ざめさせて狼狽えるメソメを見て、レオさんがメソメの頭に手を乗せてニッと笑う。
「嬢ちゃん達が逃げるまでの時間は稼いでやっから安心しろ」
レオさんの姿は、まるで、これから死にに行くような雰囲気だった。
わたしはそれが心配で、レオさんの顔を見上げると、レオさんはカリブルヌスの剣を肩の上まで持ち上げて微笑んだ。
「心配すんな。こいつを返すまでは死なねえよ」
「はい」
「よし、さっさと行け。緊急脱出口に行けば船員と責任者はいるだろ。あと、毒海の海水には気をつけろよ」
「はい! レオさんも気をつけて下さい!」
「おう!」
わたし達はレオさんと別れて、緊急脱出口に向かって走り出した。
船の揺れ、あちこちから聞こえる戦闘の音、乗客達の悲鳴、それ等は時間の流れに寄り添うように激しくなっていった。




