117 虚ろ目少女はご立腹
お手伝いの代償としてダンゴムシの食料を提供してもらえる事になり、わたし達は早速お手伝いを開始した。
ラヴィとメソメは廊下などの掃除で、わたしは厨房で料理の手伝い……では無く皿洗いなどの雑用だ。
責任者に厨房まで連れて来られ、わたしは料理長と挨拶を交わした。
「料理長、それじゃあ後は頼んだぞ」
「はい。かしこまりました」
責任者は料理長にわたしを紹介すると、直ぐに厨房から出て行った。
厨房に取り残されたわたしは、料理長と向かい合ったまま緊張して唾を飲み込んだ。
料理長は男の人だった。
歳は20代後半だろうか?
オレンジ色の髪と目をした男性で、黒いコックシャツを身につけている。
体系は細いけど、結構しっかり筋肉がついている。
目つきはつり目で、言い方は悪いけど不良の様な印象をうける。
「まずはもう一度ちゃんと紹介する。俺がこの厨房の料理長のレオだ。マナだったか? 気付かれてねえみたいだけど、お前人間だろ? 珍しい髪の色と名前だな」
わたしは動揺した。
当然と言えば当然かもしれないけど、直ぐにわたしが黒い髪の人間だと気付かれてしまった。
誤魔化そうと一瞬考えた。
だけど、それは必要無いらしい。
「ま、どうでもいいや。どうせ内緒にしてんだろ? それより、今から仕込みするから邪魔にならない様に、使い終わった鍋とか皿とか洗ってってくれ」
「……はい」
少し呆気にとられながら返事をすると、レオさんはニッと笑って料理の仕込みを始めた。
レオさんの料理の手際の良さは、流石はプロと言うべきものだった。
サラダに使うドレッシングや、料理に使うであろう出汁やらが、次から次へともの凄い速度で仕上がっていく。
おかげでわたしも忙しくて、鍋にフライパンにお皿やボール、おたまやヘラ等々、色んな調理器具を洗っていった。
暫らくして一段落つく頃、わたしはふと疑問に思い、額の汗を拭いながらレオさんに尋ねる。
「そう言えば、他の料理人はまだ来ないんですか?」
実はと言うか、料理長のレオさん以外の料理人が、最初からずっといなかった。
理由があるわけでもない、と言う事もなく、実は人には言えない理由があるとかだったらどうしようか?
なんて事も考えたけど、何となく気になって聞いてしまったので仕方が無い。
もし何か聞いてはいけない理由があるなら、聞いてしまった事を謝ろう。と、わたしは今更ながらに考えた。
だけど、それは杞憂だった。
「これはあくまで俺の考えだけどな、仕込みってのは料理の中で一番大事な部分なんだ。だから俺が責任もって、1ミリも間違いが無い様にいつも1人でやってる。他の奴等は後少ししたら来る。本当はいつもはそっから洗いもんさせてんだよ」
「あ~、成る程。そうなんですね」
わたしも料理をするから、何となく気持ちが解かる。
レオさんは話してみると、とても良い人だった。
昔は冒険者の様な事をやっていて世界中を旅していたらしく、休憩しながらその時の旅の話を沢山聞いた。
そうして2人で楽しく話していると、他の料理人が厨房にやって来た。
休憩は終わり、早速料理に取り掛かる。
わたしは料理の邪魔にならない様に雑用をこなして、時間はあっという間に過ぎていった。
料理を食堂に持って行くのは、それ専用のスタッフがいるので、わたしも食事休憩をする事になった。
時計を見たらラヴィとメソメの掃除が終わる予定の時間になっていた。
2人を迎えに行って一緒に食事をしようと考えていると、レオさんに「マナ、こっち来い」と呼ばれて向かう。
「なんですか?」
「好きなもん作ってやるよ。何が良い?」
「え? 良いんですか?」
「ああ。うちの新人よりよっぽど良い働きっぷりだったからな。サービスしてやるよ」
「やった。ありがとうございます」
正直に嬉しくて喜んだ。
雑用をしながら、他の料理人たちに指示を出しながら料理するレオさんの姿を見ていたけど、本当に見事なものだった。
その流れるような動きは芸術で、気を抜いたら仕事を忘れて魅入ってしまう程だ。
そして何より、出来上がった料理の見た目や香り、全てが素晴らしかった。
どれも美味しそうで、お姉が見たら涎を垂らしてしまいそうなくらいだ。
だけど、その料理は一般の乗客には出されない。
レオさんの作る料理だけは、全てが別料金で、高いお金を払わないと食べれない代物だった。
他の料理人から聞いた話だと、この船はレオさんの料理目当てで乗る人もいるくらいだとか。
そんな凄い人の料理をサービスで食べれるなんて、これが嬉しくないわけがない。
でも、自分が今さっき迎えに行こうと思った2人の顔が頭の中をよぎって、わたしは冷静に考えた。
これはあくまでわたしに対してのご褒美で、ラヴィとメソメは関係ないと。
残念だけど、わたしだけそんな良い物を食べるなんて申し訳ないと思ってしまい、喜びは直ぐに消えてしまった。
「ん? どうした? 俺の料理じゃ不満だったか?」
顔に出てしまったらしい。
いや、喜んでた人間が、いきなり肩を落としたら誰でもわかるか。
「いえ、そうじゃなくて……ええっと、わたしの他に別の所で船の手伝いをしてる子が2人いて、2人に悪いなって……」
「ああ、なんだよ。食いたくねえって思われたかと思って、少しショックだったぞ」
レオさんがそう言うと周囲にいた料理人たちが声を殺して笑い、レオさんが料理人たちを睨み、料理人たちは顔を青くさせて後片付けを始めた。
それから、レオさんは直ぐにわたしに視線を戻して、何も無かったかのように話を進める。
「で、何が食いたい? それとも他の2人に聞いた方が良いか?」
「へ? あの……他の2人って?」
「んー? なに驚いてんだよ。お前が2人いるって言ったんだろ? その2人の分もサービスしてやっから、さっさと決めて連れて来い」
「――っ!? ありがとうございます!」
頭を下げてお礼を言い、わたしはラヴィとメソメを迎えに駆けだした。
「おい! 先に何作ってほしいか言え! 言わねえなら勝手に作るぞ?」
既に飛び出した厨房からレオさんの声が聞こえて、わたしは振り向いて「お任せします!」と大声で返事をした。
遠くなっていく厨房から料理人たちの笑い声が聞こえた気がするけど気にしない。
わたしは急いで2人を迎えに行く。
2人がいるスタッフルームの扉を開けて中に入ると、ラヴィとメソメが楽しそうにお喋りしながら待っていた。
「お待たせー。ごめん2人とも、けっこう待った?」
「あ、マナちゃん。そんな事ないよ」
「お疲れ。今終わったところ」
「そっか。なら良かった。実はさ、料理長がご飯作ってくれる事になったんだ」
「え!? 本当!?」
「うん。料理長って凄く良い人でさ。料理の腕も凄いんだよ。本当は別で料金がかかるのに、サービスして食べさせてくれるって」
「やったー!」
「……お手並み拝見」
喜ぶメソメとは違って、何故かラヴィは喜んでいない。
と言うか、まるでモーナの様な上から目線。
ラヴィはまだ幼いから、モーナの悪い部分の影響を受けてしまってるのかもしれない。
メソメは少しだけ狼狽えて、ラヴィに料理長が凄い人だと必死に教えていた。
そんな2人の姿を見て、そう言えばメソメはこの1週間の間にご飯の美味しさに驚いて色々調べていたなあ、と言う事を思いだした。
まあ、それは今は置いておくとしよう。
「2人とも早く行こ。今料理作ってもらってるから」
「分かった」
「うん! 楽しみだなあ」
まるで何処かの戦場へ赴く様な、虚ろ目だけど顔が引き締まった表情のラヴィ。
これから向かう場所へ期待に満ち溢れて、喜びで目を輝かせ楽しそうな表情のメソメ。
そんな対照的な2人を連れて、わたしは厨房へと戻った。
厨房に戻ると既に料理が出来ていて、厨房の端にある机の上に並べられていた。
この机は料理人用の机で、食事を置いたり試食に使ったりしている机だ。
ただ普段は椅子は邪魔になるから置いてないのだけど、わたし達の為にわざわざ持って来てくれたらしく、椅子が3つ並んでいた。
「帰って来たか。丁度今出来た所だぜ」
「ありがとうございます。美味しそうですね」
「だろ? 冷めないうちに食ってくれ」
並べられた料理は、仕込みの時に作っていたドレッシングがかかった温野菜のサラダに、魚介がたっぷり入った海鮮スープとブレードシャークと呼ばれる鮫のステーキ、それから一口サイズに切られたバゲットが花びらの様にお皿の上に並んでいた。
それを見て、メソメは更に目を輝かせて椅子に座り、ラヴィは真剣な表情で椅子に座った。
わたしも椅子に座って、3人で「いただきます」をして食事が始まる。
「美味しい! 頬っぺたが落ちちゃいそう!」
海鮮スープをスプーンで掬って口に入れたメソメが、頬を押さえてとろんとした表情を見せる。
この海鮮スープは仕込みの時から作っているのを見ていたけど、流石に長い間じっくり煮込んだスープだけあって、とっても濃厚で美味しかった。
口に入れると程よい塩味と海の幸の風味が口の中に広がって、海の中を泳ぐ魚たちと、まるで口の中で一緒に泳いでいるような錯覚を覚える程だ。
もしこれが料理漫画の世界であれば、きっと本当に泳ぎ出すに違いない。
「愛那の味噌汁の方が美味い」
「ら、ラヴィ?」
どうやら、ラヴィのお口には合わなかったらしい。
ちなみにこの世界で仕入れる事が出来た味噌は赤味噌で、わたしの世界の赤味噌と同じと言いたくなる程に赤味噌だった。
とまあ、それは今は置いておくとしよう。
「もう、ラヴィちゃん。そんな事言ったら失礼だよ。せっかく作って貰ったんだから」
「本当の事言っただけ」
あれ?
ラヴィ、もしかして機嫌が悪い?
よく見ると、ラヴィは少し頬を膨らませていた。
何だかお姉の様だ。
お姉もたまにこれをする。
基本お姉は馬鹿だから怒らないけど、苦手な勉強を強制すると膨らませるのだ。
もしかしたら、わたしの知らない所でお姉が頬を膨らませていたのかもしれない。
そう考えるとやっぱり悪い影響を受けているのだろう。
でも、お姉はアレだけど、ラヴィが頬を膨らませると可愛い。
「何だ何だ? 俺の料理に不満か?」
レオさんが少しだけ不機嫌気味に尋ねると、ラヴィはレオさんの顔を見上げて、虚ろな目でジッと目を合わせた。
「美味しいのは認める。でも、愛那の方が美味しいだけ」
「ほお。そいつは興味深い意見だな」
何だか嫌な予感がした。
わたしは何も聞いてなかった事にして、再び料理を食べ始める。
温野菜のサラダも鮫のステーキも両方美味しい。
一口サイズに切られたバゲットも、とてもスープに合う美味しさだ。
少なくとも、どれもこれもがこの世界に来て食べたどの料理よりも美味しい。
そう。
美味しいのだ。
だけど何故だろう?
ラヴィとレオさんの2人の会話が気になって、料理を美味しくいただけない。
と言うか、味が感じられないまである。
わたしが料理を食べている間も、2人の話は続いていて、ラヴィがついに椅子から降りた。
「分かった。愛那が料理を作る」
「はい!?」
大きな声が出た。
いや、そりゃ出るでしょうよって感じの展開だけど。
「ちょ、ちょっとラヴィ?」
「愛那、ごめん。この人を分からせてあげて」
「いやいやいや。わからせられるのこっちになっちゃいそうだけど?」
「そうだよラヴィーナちゃん。ラヴィーナちゃんがマナちゃんの作るご飯が大好きなの知ってるけど、絶対やめた方が良いよ」
「ほら。メソメもこう言ってるでしょ? やめておいた方が良いって」
「やめない」
何がラヴィをそうさせてしまったのか、一向に引く気配がない。
これはモーナの影響か?
なんて思っていたら、メソメがわたしに耳打ちする。
「どうしよう? マナちゃん。実はね、お掃除中にラヴィーナちゃんがいっぱい褒められてて、船長さんに何かご褒美あげるって言われたの。それでね、ラヴィーナちゃんが久しぶりにマナちゃんのご飯が食べたいって言って、だったら厨房を借りれる様に言ってくれるって船長さんが言ったんだよ」
「へ? 船長が?」
「うん。それでラヴィーナちゃん凄く喜んでたんだよ。でも、船長さんが責任者の人を連れて話しに行ったら、料理長に厨房は貸せないって断られたらしくて、ご褒美は別の事でって話になっちゃったんだ。ラヴィーナちゃん落ち込んじゃって、マナちゃんが来るまでお話して元気になったんだけど……」
「そうだったんだ……」
それで機嫌が悪かったわけか。
ラヴィの中ではレオさんの印象が悪いんだな。
しかし、これで分かった。
メソメがあの時ラヴィの反応を見て狼狽えたのは、それが原因で、色々教えていたのはラヴィを納得させる為にメソメなりに必死だったんだろう。
もしかしたら、わたしがレオさんを褒めたのも、ラヴィからしたら面白くなかったかもしれない。
メソメも喜んでいたのは本心だろうけど、あそこまで喜んで見えたのは、ラヴィの事を考えると半分くらいは空元気だったのかもしれない。
そう言えば、忙しい時間に船長と責任者が一緒に厨房に来たのを見たような見てない様な……。
でも、そんな話わたしは聞いてなかったな。
レオさんだったら、一言何か言ってくれそうな気もするけど。
などと考えている場合でも無かった。
ラヴィとレオさんの視線がわたしに向けられて、わたしは2人の圧に気圧される。
「愛那、お願い」
「マナ、お前の料理の腕を見せてもらうぜ」
「…………はい」




