011 川上り競争 前編
ここは亥鯉の川の上流、山の上の湖のど真ん中。
猪鯉に誘拐されたお姉は、湖の中心にある小さな岩山の上で座りながら、猪鯉から貢物の果物を貰って幸せそうに食べていた。
「わあ。このフルーツも美味しいです。何て言う名前のフルーツなんですか?」
「ぺアップルですね。ここから少し北に進んだ地域にある、有名な特産物なんですよ」
「わあ。そうなんですか~。愛那にも食べさせてあげたいです」
「妹さんですか? 残念ですけど、もう妹さんとは会えないんじゃないですかね」
「何でですか?」
「そりゃあ、お姉さんは川上り競争の景品なんですから、当たり前じゃないですか。ここに最初にゴールした人に嫁いで貰って、沢山の子供を産んで貰う必要があるので、今日から忙しくて妹さんに会う暇なんて無いですよ」
「え……?」
お姉は猪鯉から説明を受けると、やっと自分の立場を理解して、驚きのあまり食べかけのぺアップルを湖に落とす。
「へうーっ!? 何ですかそれーっ!? 嫌ですよー! 私はもっと愛那と一緒にいたいんですー!」
「お、落ち着いて下さい。大丈夫ですよ。我々猪鯉はテクニシャンなんです! 直ぐに快楽に溺れますよ」
「へうーっ! そんな事聞きたくないですー! 私、まだお嫁になんて行きませんー!」
ここは亥鯉の川の上流、山の上。
湖のど真ん中で、泳ぐのが下手なお姉は、これから身に起こるかもしれない恐怖に泣き叫ぶのだった。
◇
所変わって亥鯉の川の下流。
わたしはモーナに驚いていた。
「モーナ凄い」
モーナは言っていた通りイカダをビート版を掴むように持って、押すように泳いでいたのだけど、それが尋常では無いスピードだったのだ。
モーナの泳ぎはバタ足で、特に変わった泳ぎ方をしているわけじゃない。
だけど、そんな普通の泳ぎ方なのに、もの凄いスピードでグイグイ進んでいる。
その速さは驚異的で、少なくとも、わたしが今まで乗った事のあるジェットコースターの速度より全然早い。
いったい何キロ出ているんだと思わんばかりのスピードで、わたしは必死にイカダにしがみついていた。
すると、そんなスピードの中、正座していたラヴィが立ち上がる。
「ラヴィッ!? 危ないから立っちゃ駄目だよ!」
わたしがラヴィに叫ぶと、ラヴィはトコトコと歩いて、私の目の前でしゃがんだ。
「そうでもない。立つと全身が涼しくて気持ちが良い」
「え?」
その時わたしは気が付く。
あまりの速さにわたしは錯覚を起こして、イカダにしがみつかないと振り落とされると感じていたのだけど、実際には全然そんな事は無かった。
力を抜いてイカダを離して立ち上がる。
すると、ラヴィの言う通り確かに風が涼しくて気持ちが良い。
ラヴィも再び立ち上がって、イカダの前までトコトコと歩いて行って、気持ちよさそうに風を受け始める。
「どういう事?」
わたしが疑問を独り言の様に口にすると、泳いでいるモーナが聞き取った様で、それにドヤ顔で答える。
「私は重力の魔法が使えるんだ! このボロいイカダとマナとラヴィへの負荷を抑えるのなんて、朝飯前だ!」
「モーナ……。アンタって、実は凄かったんだね」
「当たり前だ!」
今回ばかりは、心の底から凄いとしか思えないと、わたしは驚きを隠せなかった。
そして、わたしは思いつく。
「ねえ? わたしの加速魔法で、モーナの泳ぐスピードを加速させれば、もっと速く進めない?」
「私の泳ぐスピードか? 他人の魔法に自分の魔法を重ねるのは無理だけど、それなら出来そうね」
他人の魔法に自分の魔法を重ねれない?
魔法にそんな仕組みがあったんだ?
覚えておこう。
まあ、それはともかく。
「だったら、モーナに魔法を使うよ!」
「いつでも良いわよ!」
わたしはモーナの返事を聞いて、手に魔力を集中させる。
異世界に来るまでは、空想上のものでしか無かった魔法という存在。
自らの魔力を消費して、個々が持つ属性と言う名の不思議な力に具現化する事で生まれるもの。
それ故に、魔法は己の持つ魔力値以上のものは使えない。
わたしの魔力値は、そこまで多くないとモーナは言っていた。
だから、わたしが使える魔法は微々たるものだ。
だけど、それでも『加速魔法』と言う魔法は、今のわたしの魔力値でも、それを掛けた相手の実力で力を発揮する。
目的の湖が、後どれ位先なのかは分からない。
今のわたしの実力じゃ、効果時間は5分程度が限界かな?
でも、モーナのこのスピードなら、それだけあれば十分な筈。
うん。きっと大丈夫。
わたしはモーナを信じる。
わたしはモーナに向けて魔力を集中する。
すると、モーナの頭上に、わたしの魔力が宿った魔法陣が淡い光を帯びて浮かび上がる。
「ダブルスピード」
わたしが魔法を唱えると、浮かび上がった魔法陣から光が差してモーナを包み込む。
その瞬間、モーナの泳ぐ速度が爆発的に加速され、モーナの泳ぐ速度は二倍になった。
「モーナお願い!」
「任せなさい!」
モーナは上機嫌になり叫んで笑う。
すると丁度その時、わたし達より先に川に飛び込んだ猪鯉の群れの一部を、ついに視界に捉えた。
「魚っ!? 美少女ガールズが追いついて来やがったぞ!?」
「何て奴等だ!」
「後三年歳をとれば、俺ならいける!」
「これだからロリコンはいけねーぜ。大事なのはおっぱいだろ?」
「確かに」
「「「魚魚魚魚っ!」」」
猪鯉達が変な笑い声を上げて談笑する。
「笑い方が変」
「アイツ等、随分と余裕そうだね。モーナ、あんな奴等ぶっちぎっちゃって!」
「当たり前だ!」
モーナが猪鯉達に追いつき、その距離は五メートルも無い位置まで来た。
しかし、猪鯉達がまさかの行動に出る。
わたし達が近づくと、猪鯉達がわたし達に振り向いて、一斉に魔法を唱えだしたのだ。
「「「ウォータースピア!」」」
猪鯉達が魔法を唱えた瞬間、猪鯉達の目の前に魔法陣が浮かび上がり、そこから一斉に水の槍がわたし達目掛けて飛んできた。
わたしは直ぐにカリブルヌスの剣を構えて、襲いくる水の槍目掛けて薙ぎ払う。
「いたっ……!」
薙ぎ払いによる斬撃で水の槍を何とか斬り捨てる事が出来たけれど、数が多いのと不意をつかれたのもあって幾つかは逃してしまい、わたしは水の槍を左腕に掠ってしまった。
水の槍を掠った所を見ると、左腕が少し斬れて血が流れ出していた。
だけど、掠っただけで済んだので、特に気にする程でも無さそうだった。
わたしが大した怪我にならずに済んだ事を安堵していると、ラヴィがわたしの元にやって来た。
「血が出てる。早く止血しないと駄目」
ラヴィがわたしの怪我を見て眉根を下げるので、わたしは苦笑しながら、ラヴィの頭を撫でた。
「大丈夫だよ。心配させてごめんね。ラヴィ、ありがとう」
わたしがラヴィに苦笑しながら言ったその時、突然悲鳴が響き渡る。
「「「魚魚ぉおおおーっ!」」」
わたしもラヴィも悲鳴が聞こえた方へと視線を向ける。
するとそこには、爪で切り刻まれた後を残し、大量に血を流している猪鯉達が川に浮かび上がっている姿があった。
そして、その中心にはモーナの姿が……。
「も、モーナ!?」
私は驚いて、視線を向けた先にいたモーナの名前を呼んだ。
すると、モーナは魔法を使ったのか川の中からジャンプして、イカダの上に着地した。
モーナはイカダに乗ると、一瞬でわたしに接近して、わたしの怪我した腕をワナワナと震えながら見つめる。
そして、モーナは涙目になりながら声を上げた。
「大丈夫か!? 痛くないか!?」
「ぷっ。あはははは……。もう。モーナったら、アンタ何泣いてんのよ」
わたしはモーナのその反応を見て、思わず笑いが吹き出して、笑いながら喋る。
すると、モーナは一瞬驚いた顔をして、真っ赤になりながら涙を腕で拭って大声を上げる。
「泣いてないわ! 川の水が目に入っただけだ!」
「はいはい。ありがとね」
わたしはモーナに笑顔を向ける。
「ふん! 感謝される覚えはない!」
モーナが若干照れながら答えるのを見てから、わたしは大量に浮かぶ猪鯉達に視線を向けた。
「ところでモーナ。猪鯉……殺しちゃったの?」
わたしが恐る恐る訊ねると、モーナは胸を得意気に張って答える。
「多分死んでないわ! マナが受けた痛みを返してやっただけだ!」
「へ、へ~。そうなんだ……」
どう見ても、絶対わたしが受けたのよりヤバいよね。
……見なかった事にしよう。
わたしは一度目を閉じて、頷いてから目を開ける。
それから、モーナに視線を向けて目を合わす。
「先に進もう。お姉を助けないと」
「分かったわ!」
モーナは返事をすると、再び川の中に入って、イカダを掴んで泳ぎ始める。
それにしても、さっきはビックリしたな~。
モーナって、何気に強いんだよね。
それに、意外と優しい……馬鹿だけど。
「愛那、どうしたの?」
「え?」
突然ラヴィに質問されて、わたしが驚いてラヴィに視線を向けると、ラヴィは口角を少し上げる。
「笑ってた」
「な、何でもないよ」
「今度は真っ赤」
「ラヴィーッ。からかわないのっ」
そう言って、わたしはラヴィの横腹をこちょこちょとくすぐる。
「やーっ」
「ほらほらっ。お姉さんをからかうと、大変な事になるんだぞ~」
「きゃははっ」
わたしは恥ずかしさをごまかす為に、その後もラヴィをくすぐり続ける。
そして、モーナは泳ぎながら、それを羨ましそうに眺めていた。
だけど、わたしがそれに気付く事は無かった。
それから、わたし達は川の中流に辿り着き、意外な障害物の登場でモーナは一度泳ぐのを止めた。
「これは……進み辛いね」
「意外な伏兵」
「マナ。もういっその事、心を鬼にして進むわ!」
「いや流石に小さい子に怪我させちゃったら不味いし、慎重に進もう」
「仕方がないわね」
意外な障害物。
それは、家族で川に遊びに来た一般の方々だった。
小さい子供から、その両親まで、様々な年齢層が亥鯉の川で泳いでいる。
それもそうだろう。
何故なら気温は30度越え。
暑いのだから……。
流石にわたし達のいざこざに関係ない遊んでいるだけの人達を、巻き込んで迷惑をかける事は出来ないので、モーナは慎重に泳いでいく。
こればっかりは、どうにもならないと焦る気持ちを抑えながら、わたしは自分に言い聞かす。
多分、猪鯉はまだ残ってる。
ここを抜け出したら、お姉を助ける為に、わたしも全力を出す。
さっきのモーナを見て確信した。
モーナの実力なら、わたしの今の全力に絶対応えられる!
わたしは、人にぶつからない様に慎重に泳ぐモーナを見ながら頷いて、モーナに話しかける。
「モーナ。ここを抜けたら、わたしの魔力を全部使って、クアドルプルスピードを使う。だから、絶対勝ってね」
「クアドルプル? 四倍ね。任せなさい!」
「うん」
きっと、この魔法を使ったら、わたしは暫らくまともに動けなくなる。
わたしにとってこの魔法は、その位限界ギリギリの魔法だから。
障害物を抜け出す頃、わたしは魔力を集中して、モーナに向かって魔法を唱える準備をする。
目を閉じて視界を無くし、深く深呼吸をして心を落ち着かせる。
そして、両手に全魔力を集中して、目を開ける。
モーナの頭上には魔法陣が浮かび上がり、いつでも魔法を使用出来る状態だ。
「抜けた」
ラヴィの一言を合図に、わたしはモーナに向けて魔法を唱える。
「クアドルプルスピード!」
瞬間、モーナの頭上に浮かび上がる魔法陣から光が差して、モーナが光に包まれる。
そして、モーナの泳ぐ速度は圧倒的な速さへと変わる。
わたしは全力で魔法を使った反動で、イカダの上でドサッと倒れる。
ラヴィが倒れたわたしの許まで来て、心配そうにわたしの目を見つめながら、無言でわたしの手を握った。
わたしはラヴィに微笑んで、手を握り返す。
思ってたよりきついかも。
魔力が一気に抜けると、こんなに体に負担がかかるんだね。
でも、これでモーナは絶対勝ってくれる。
モーナ、信じてるからね。
あっという間だった。
わたしが倒れて間もなくして、モーナの圧倒的なスピードで先頭を泳ぐ猪鯉達に追いつき、ラヴィが指をさす。
「いた」
猪鯉の数は全部で3匹。
下流で見かけた猪鯉達よりも、圧倒的に速い猪鯉達。
「全力で行くわ!」
「行け。モーナ!」




