001 扉の先は異世界でした
「あっ。お姉も今帰りなの?」
「愛那~! そうですよ~。お姉ちゃんも今帰りですよ~」
「ふーん。じゃあ、せっかくだし一緒に帰ろっか」
「はい~」
わたしの名前は豊穣愛那。
私立の小学校に通う小学5年生だ。
そして、お姉の名前は豊穣瀾姫。
身長150センチの、高校1年生。
ミディアムヘアーの髪型が可愛くて、学校指定のセーラー服がよく似合う。
お姉は美少女だ。
その上、身長のわりには胸のサイズが大きくて、馬鹿な男がよく寄って来る。
その度に私はハラハラするのだけど、まあ、それは今は置いておくとしよう。
今日は一学期の終業式。
明日から夏休みという事で、早く帰って来るお姉の時間に合わせて、わたしは学校の図書室で時間を調整して偶然を偽ったのだ。
我ながら上手くいったと褒めてあげたい。
お姉は馬鹿だから気づいていないだろうけど。
そんな馬鹿なお姉だけど、わたしの髪の毛を触らしたら右に出る者はいない。
わたしの髪の毛は、毎朝お姉にセットしてもらっている。
今日もお姉がセットしてくれた自慢のサイドテールは、クラスの皆が可愛いって褒めてくれた。
おかげで、気分の乗ったわたしが、お姉の自慢を話し出しそうで危なかったのだけど、まあ、それは今は置いておくとしよう。
わたしがお姉の歩くペースに合わせて歩いていると、お姉のスクールバックからピロンッと音が鳴るのが聞こえた。
「スマホ鳴ったよ」
「本当? 何ですかね~」
わたしが教えてあげると、お姉はスクールバックからスマホを取り出す。
「どうせお母さんでしょ? お父さんと二人で、今日から旅行に行くって言ってたし」
「お母さんとお父さん、二人とも仲が良いですよね」
そう言いながら、お姉は立ち止まってスマホの画面を見る。
わたしも一緒に立ち止まって、お姉を待った。
「愛那の言う通りでした。飛行機の時間があるから、お父さんと一緒に、今から家を出るっていうお知らせです」
「やっぱり」
「先に帰って来る筈の愛那が、まだ帰って来てないって、お母さんが言ってます」
そう言えば、明日は早く帰るって、お母さんに言ってたんだった。
うっかり忘れてたな~。
「予定より遅くなっただけだし、お姉と一緒にいるから心配しないでって教えておいてよ」
「わかりました」
お姉はスマホの画面をタッチして、ぶつぶつ言いながら返事を返す。
悪いとは思うけど、心配なら、わたしにもスマホ買ってくれればいいのに。
まあ、わが家はスマホは中学からって決まりにしてるみたいだから、仕方がないけどね。
「わかりました。夏休みの間は、家の事は私……愛那に任せて、楽しんで来て下さい。と……」
お姉がぶつぶつ言いながら幾つかやり取りをして、返事を返し終わる。
家の事を自分では無く、妹に任せておけとは、流石はお姉。
家事全般が出来ないだけはあるって感じだ。
わたしは、やっぱりお姉にはわたしがいてあげないと駄目だなと思いながら、お姉と一緒に再び歩き出す。
「そう言えば愛那、通知表の結果はどうでしたか?」
「通知表?」
わたしはランドセルから通知表を取り出して、お姉に渡す。
「凄いです! 流石は愛那です! オールAだなんて、お姉ちゃんは、とっても鼻が高いですよ~!」
お姉がニコニコと喜びながらジャンプして胸を揺らす。
わたしはそれを見て、湧き上がる女としての対抗心に駆られて、わたしも軽くジャンプしながら自分の胸を見るが、揺れるものなどない。
あえて言うなら、服が揺れた位だろうか?
……姉妹なのにこの差は酷すぎる。
お姉がわたしと同じ歳の頃は、もっと大きかったのに。
「どうしました?」
「別に何でもない。って言うか、小学校の勉強なんて、簡単だし当たり前だよ」
わたしが少し照れながら喋ると、お姉はわたしをニコニコと笑顔で見つめる。
お姉がニコニコしているのは、わたしが自分の胸とお姉の胸の差に絶望している様を嘲笑っているのではなく、素直にわたしの成績に喜んでの事だと分かってる。
だからこそ、わたしは浅ましくもお姉の胸に対抗してしまった事に、恥ずかしさを感じて話題を変える事にした。
「お姉はどうだったの? 成績」
「全部見事な一等賞でした~」
お姉が苦笑しながら答えるので、わたしは確認する。
「お姉の高校って、数字の5が一番良いんだっけ?」
「そうですよ~」
全部1だったって事ね。
お姉は駄目駄目だな~。
って言うか、お姉まだ高一だから良いけど、卒業出来るか心配よね。
やっぱり、わたしがお姉の分までしっかりしないと!
それからは、今日学校で何があったかとか、夜ご飯は何が食べたいだとか、夏休みの宿題の話だとか、近くの花火大会とお祭りがいつ開催されるのかだとかを話していたら家に着いた。
家に着くと、わたしは家の鍵をランドセルから取り出す。
お姉じゃなくてわたしが家の鍵を持っているのは、わたしが先に帰る予定だったとか、別にそう言う理由では無い。
どんな時でも、わが家では基本お姉に鍵を持たせる事は無い。
何故なら、お姉に持たせると鍵を無くす恐れがあるからだ。
正直言ってお姉はどんくさい。
お姉は本当にどんくさくて、その上更に要領が悪いので、わたしがいつも面倒を見てあげて……まあ、それは今は置いといておくとしよう。
「荷物を置いたら、今日の夜ご飯の材料買いに行くから、お姉も荷物持ちしてね」
わたしが玄関の扉の鍵穴に鍵をさしながら話すと、お姉はニコニコと微笑みながら頷く。
「はい。荷物持ちは私に任せて下さい。愛那のハンバーグ楽しみです」
「お姉も料理くらい作れる様になりなよ。そんなんじゃ、お姉には体目当ての男しか寄って来ないよ」
「へう。努力します」
わたしがジト目でお姉に嫌味を言うと、お姉はしょんぼりと返事をした。
他人から見れば、嫌な妹だと思われるかもしれないが、そんなの知った事じゃない。
これがわたしとお姉のいつもの関係で、いつものやり取りだ。
見た目が美少女で男受けが良さそうなスタイルを持つお姉は、家事全般全部ダメダメで、挙句の果てに勉強もいまいちだ。
運動に至っては、いまいちどころか、運動神経がゼロなんじゃないかと思える程に酷い。
そんなお姉を持つわたしは苦労が絶えないと言うものだ。
見た目だけで判断してお姉に言い寄る男を追い払ったり、お姉の部屋を片付けてあげたり、両親がいない時はわたしが料理を作ってあげているし、お風呂だって一緒に入ってあげてるし、お姉が一緒に寝たいって言った時は一緒に寝てあげているのだ。
他にもあるけど、これだけお姉の為に色々な事をやってあげているのだから、嫌味くらい言ってもバチは当たらないだろう。
今日だって、お姉が夜ご飯のおかずはハンバーグが良いって言うから、これから買い物に……まあ、それは今は置いとくとしよう。
わたしは鍵を開けて、玄関の扉を開けて家の中に入った。
「ただい――」
わたしは絶句する。
玄関の扉を開けて家の中に入ると、そこは家の中では無かったからだ。
目の前に広がるのは、玄関でも靴置場でも廊下でもなく、見た事も無い何処までも続く草原。
気持ちの良い風が私の頬を撫でて、ここがわたしの家の中では無い事を、現実味を帯びて肌で感じて教えてくれる。
わたしが絶句して立ち止まって硬直していると、わたしに続いて、この意味不明な謎の場所へとお姉もやって来た。
「わあ! 家の中に草原が広がってますよ~!」
わたしはお姉の言葉を聞いて我に返り、急いで元の場所に戻ろうと、お姉の手を取ろうとする。
しかし、後ろを振り向いてもお姉の姿は無く、そこにはわたしとお姉がさっきまで立っていた玄関先の風景が扉越しに見えるだけだった。
「あれ? お姉?」
わたしはお姉の姿を捜す。
すると、いつの間にか100メートル位離れた場所にお姉が立っていて、わたしに向かって手を振っていた。
「愛那ー! こっちに来て下さーい!」
お姉はわたしを呼ぶと、何処かへ向かって走り出す。
「もー! お姉は、こういう時ばっか行動力あるんだから!」
仕方がないので、わたしはお姉を追いかける。
お姉は運動が出来ない癖に、こういう時だけよく動く。
と言っても、お姉の場合は体力も無いので、直ぐに息切れを起こして動けなくなる。
案の定、お姉は少ししたら立ち止まるどころか、前のめりに倒れてしまった。
私がお姉に駆け寄ると、駆け寄った私に気がついたお姉が、首を回して顔を私に向ける。
「見て下さい。あそこに森があります」
「お姉……。もしかして、森を見つけて興奮して走り出したの?」
「はい。家の中に草原と森があったので、とても興味が湧きました」
「そう言うのいらないから、早くここから出ようよ。絶対やばいよここ」
「へう。私はもっと冒険がしたいです」
「お姉には悪いけど、こんな何処かもわからない場……所に…………っ!?」
ぐずるお姉を言い聞かせようとしていたその時、わたしは目を逸らしたくなる様なものを見てしまった。
それは、ドドドドと地鳴りを響かせて、わたし達の所に向かって走って来る。
「何あれ?」
わたしがやっとの思いで口を開き、それに指をさして訊ねると、お姉が上体を起こして、わたしが指をさした方へ顔を向ける。
そして、お姉はそれを見ると飛び起きて、わたしの手を掴んで走り出して大声で答える。
「巨大なトカゲですー!」
お姉の答えた通り、わたしが見たもの、それは巨大なトカゲだ。
遠目から見ても分かる位には大きく、恐らくだけど二階建ての一軒家位は大きいんじゃないだろうか?
そして怖いのは、その巨大なトカゲが一匹だけでなく、何匹も何十匹もわたし達に向かって来ていたのだ。
おかげでわたしは頭の中が真っ白になり、判断力が鈍ってしまった。
そんなわたしの手を握って走り出したお姉は、巨大なトカゲから森へ逃げる。
わたしはお姉に手を握られながら、顔を青ざめさせていた。
きっと、お姉がいなかったら、今頃わたしは巨大なトカゲに囲まれているか踏みつぶされているか食べられてしまっていたかもしれない。
◇
どれ位走っただろうか?
気が付くと、陽も沈んでいて、空はすっかり暗くなっていた。
そして、巨大なトカゲから逃げる為に、わたしとお姉は森の中に入って、迷子になってしまっていた。
そんな中、わたしとお姉の身には、更に最悪な事が起こってしまっていた。
それは、森の中に入って迷ってしまった事では無い。
確かに迷子になってしまった事も十分最悪な事態ではあったけど、今の状況を考えると、それだけならまだ良かったと思える事態だった。
「綺麗ですね~」
「そうだね」
「あっ、見て下さい。雪が降ってるみたいですよ」
「……お姉」
わたしとお姉が入った森の中は、見た事も無い背の高い木々で生い茂り、同じく見た事も無い植物で溢れていた。
背の高い木々の幹には、この暗がりの中で発光して光るキノコが沢山生えていて、そのキノコが風に揺られて胞子をばら撒く。
その胞子は光り輝いていて、ばら撒かれる度に、わたしの目には辺り一面に雪が降っているかの様に綺麗に映る。
わたしは頭を抱えたくなる衝動を抑えながら、お姉の顔に視線を向ける。
「愛那。私達、異世界に来ちゃったかもですね」
わたしは考えない様にしていた事を、お姉に言われてしまった事で精神的ショックを受けて、その場に座り込む。
迷子だけならまだ良い。
だけど、異世界に来てしまったとなると、迷子どころでは無い話だ。
だからこそ、わたしは目を逸らしたかった。
でも、ここが本当に異世界だとしたら、巨大なトカゲや見た事も無い植物の説明が全てつくのだ。
非現実的なこの現実から目を逸らしたかったけど、残念ながらそれは叶わない様だ。
お姉は事の重大さが絶対分かって無い。
絶対にやばいのに、気楽すぎて目を輝かせてる。
何とか森を抜け出して、早くあの扉の所に戻らないと……。
「わあ! 凄いですよ! 愛那、見て下さい! 空飛ぶ芋虫です!」
お姉が楽しそうに喋りながら指をさしたせいで、わたしはトンボの様な羽を生やした芋虫が目の前を飛んでいる姿を見てしまった。
「ひっ!?」
もう限界だったんだろうと思う。
わたしは空飛ぶ芋虫を見た瞬間に、あまりにも大きな精神的ショックを受けて、そのまま気を失ってしまった。