ラブゲーム
婦人の瞳には5つの0が映った。
「ねえ看護師さん、どうしたらこんな点数が取れるんですかねぇ。うちのバカ息子」
婦人は病室のテーブルに並べられた5枚の解答用紙と睨めっこをしながら頭を抱えた。この部屋の壁のように真っ白い解答用紙を何度見つめ直しても、正答が書き加えられることはない。
「息子は昔から勉強はからっきしだったの」
テレビでは高校野球の地方大会の決勝が行われている。照りつける太陽の下で、球児たちが夢を掴もうと球場を駆ける。
「夫に先立たれて、私ももともと体が強くないから、一人で生きていける子になって欲しかったの」
わー、とテレビ画面が割れんばかりの歓声が聞こえる。試合は終盤らしい。応援席では吹奏楽部や、野球部の一年生が、顛末を見守る。祈るように手を組み、目をぎゅっと瞑る。その額には玉のような汗が滲んでいる。
「私、勉強だけは出来たの。あ、これ自慢じゃないのよ?でもね、うちの息子ったら、小学生の時は九九の4の段で躓くし、中学の時なんて“Hello”の綴り、3年間“Hallo”って書いてたのよ。笑っちゃうでしょ」
目尻に皺が寄る。骨と皮だけの真っ白い手で、口元を隠しながら笑う。些細な動作1つを取っても気品がある。
「私は人より少しだけ勉強ができたから、こうして体が弱くてもしっかりしたお仕事につけたし、看護師さんだってそうでしょう?夢があったから、目標があったから、ここまで頑張れた」
画面中央で、背番号1を背負った青年が大きく振りかぶった。
「だからね、私は息子に言ったの。勉強が駄目でも、要領が悪くても、貴方が生きていける武器を1つ磨きなさい。どんな物でも貫き通せる刀を研ぎなさい、って」
今日一番の歓声が飛んだ。勝敗が決したらしい。実況がその盛り上がりに負けじと声を張る。
『153キロ!渾身のストレートォーー!最後も直球でねじ伏せました、井上 正!夏の甲子園出場を決めたのは市立◆◆高校ーー!』
滑らかで聞き取りやすく、それでいて熱のこもった実況はまだ終わらない。
『ーー9回完投!なんと井上、直球一本でチームを勝利へと導きました!』
ねえ看護師さん、と婦人が柔らかく笑う。その瞳はまっすぐとテレビの画面に向かっていた。
「ーー本当に、どうやったらこんな点数取れるんですかね」
『ーー9回無失点!完封勝利!甲子園への切符を9つの0で掴み取りました!』
婦人の瞳には解答用紙よりも多い0が並んだ。




