-螺鈿の葬列- 12
果てしなく続く暗い森に、粘液質な風が吹きつけていた。
今日も、どこからか獣の咆哮が聞こえてくる。
「よし・・・」
水谷は、今日のカエデの姿を思い出し、深く呼吸した。
体の内側を、ゴボゴボと沸き立つような不快感が襲う。
「・・・・っう」
ゆっくりと目を開けると、視線が地面すれすれから、急に高くなった。
白と紺の道着の左側には、日本刀が収まっている。
鯉口を切って鞘から抜刀すると、見様見真似で大きく薙いだ。
武術の心得は無かったが、武器を持っているだけで、他の『鬼』に対して抑止力になるからである。
・・・でも、怖い
ただ水谷は、これだけの事が出来るようになっても、『隠世』にいる恐怖は無くならなかった。
こうしてカエデの姿でいると、なんとなく強くなった気分にはなるが、手の震えは止まらない。
散華さんくらい、強かったらなぁ・・・
蒔絵の制作ばかりで、武道の鍛錬などしない散華であったが、『隠世』では、かなりの手練れであった。
そして、あそこまでの実力が無ければ、『隠世』で平静でいるのは難しいという現実に、水谷は暗澹たる気持ちになる。
焦る必要はないと言われたが、あまりの高嶺に戸惑わずにはいられないのが正直なところであった。
落ち込んだところで、強くなれるワケじゃない・・・
とにかく今は、早く散華と合流する事が重要であった。
水谷は、いつも散華と取り決めている通り、『隠世』と『現世』の境界――曼殊沙華の咲く参道を目指して歩き出す。
今日は、だいぶ深い場所に来てるな・・・
水谷の頬に冷や汗が伝った。
奥になればなるほど、『鬼』の凶悪さが増すからである。
チラリと見える獣の影、ちょっとした藪の葉擦れの音、風に交じってくる金切り声が、水谷の神経を削っていった。
今にも叫び出したいのをこらえていると、突然見覚えのあるものが視界に入る。
「・・・『きらら』?」
それは、宙を浮く紅い金魚であった。
慌てて泳いで行く様は、初めて会った時と同じである。
水谷は胸騒ぎがして、紅い金魚の行った方へと駆け出した。
「速っ・・・」
金魚は、尋常じゃない速さで泳いで行った。
何とか踏ん張ったものの、追い付くのは不可能だと判断し、水谷は思い切って立ち止まる。
そして、金魚が逃げて来た方へと視線を向けた。
淀んだ風の風下・・・『現世』の方から来てる
しばらくすると、何やら禍々しい気配が、轟々と勢い良く迫って来る。
水谷が息を呑んだ刹那、風を切る音が聞こえた。
どっ・・・
鈍い音が、水谷の体の中から響いた。
何が起こったのか分からず、水谷は呆然と立ち尽くす。
視線だけ痛みの中心に向けると、長い木の棒が自分の胸に突き刺さっていた。
「・・・・かはっ・・・」
急に膝に力が入らなくなり、前に上体がかしぐ。
地面が迫って来る恐怖を覚えた瞬間、水谷は跳ね飛ばされるように、横に押し出された。
そのまま抱えられ、周りの景色が見えないほどの速さで、常闇の森を疾走する。
急に下から押し上げられられる浮遊感を感じた直後、水谷の体は、大きな一枚岩の上に寝かされた。
「大丈夫か!?」
散華が差し迫った様子で叫んだ。
そして、水谷の胸に刺さった棒に手を掛け、一気に引き抜く。
どうやら、その棒は銛だったらしく、返しが胸をえぐる激痛に、水谷はカエデの姿で叫び声を上げた。
抜いた傷口から、黒々とした霞のようなモノが立ち込め、同時にジワジワと力が抜けていく。
視界が霞んでいき、水谷の瞼が、幕の如く降りようとした瞬間―――
「東雲、今ここに参りました」
愛らしい声とともに、桜の大樹が目の前に林立した。
満開の桜は花びらを静かに散らし、梢の間から三日月がコチラを見下ろしている。
禍々しい獣の森など跡形もなく、あまりの変化に、水谷は手放しかけた意識を引き戻された。
見ると、市女笠を被った壺装束の少女が、一番大きな桜の古木の枝先にたたずんでいる。
「東雲!」
散華が大きな声で呼ぶと、東雲は枝先から飛び降り、水谷の元に、ふわりと着地する。
そして、笠を外すと、目を凝らしてドス黒い霞の立ち上る傷口を見つめた。
「傷の深さは大したことございませんが、強力な『瘴気』が入り込んでおります」
「払えるか!?」
「お任せ下さい。少々、痛むかとは存じますが」
そういうと、東雲は水谷の体を抑え込み、傷口に唇をあてがうと、勢い良く『瘴気』を吸い取り始めた。
体内にへばりついている何かが、血肉ごと吸い取られるような痛みが走り、水谷は叫び声を上げる。
涙をにじませ、息も絶え絶えになっていると、ようやく東雲は口を離し、吸い取った『瘴気』をコクンと飲み込んだ。
「美味でございました」
上機嫌に微笑む東雲に対し、水谷には、苦笑いを浮かべる余裕すらなかった。
散華も珍しく落ち着きのない様子で、蒼ざめた顔を水谷に向ける。
「大丈夫か・・・圭吾」
水谷が小さくうなずくと、散華は大きく溜息をついた。
すると、東雲が急に、この場に相応しくない嬌声を上げる。
「嗚呼ぁ・・・この骨の髄をえぐるような威圧的な衝動を、どう名状いたせば宜しいのでしょうか。卑しい身分のワタクシを無下に打ちすえる、筆舌しがたい喜悦な感情が」
「筆舌しなくていい、それは置いてけ」
「無理でございます。もう嚥下してしまいましたから、お持ち帰り決定でございます」
「お前な・・・」
「『裏御前』様のお側で、好みでないモノばかり戴いておりましたので」
散華は呆れ顔で、精根尽き果てたとでも言いたげに、長い溜息をついた。
東雲は恍惚とした表情をしばらく浮かべていたが、水谷に微笑みかけると居住まいを正す。
「お初にお目にかかります。ワタクシ、姉弟子の東雲と申します」
水谷は、カエデの姿から黒い狐の姿に戻った。
本当は『現世』の姿を取りたいが、もう一度、人の姿を成せるほど元気がなかったからである。
初対面の相手に不本意ではあったが、水谷は狐の姿のまま人語を操った。
「ありがとうございます。すみません、会ってすぐ、助けていただいて・・・」
「ため口で結構でございます。ワタクシ、敬語で話されるのは好みません故」
師匠といい、彼女といい、師弟なのに上下関係が成立しない・・・。
そんな困惑した心境を、水谷は散華に目で訴えた。
散華は苦笑いを浮かべると、小さくうなずいて賛同する。
しかし、その苦笑いは一瞬で消え、怪訝な表情へと変わった。
「それにしても、なんだって、あんな所に隠れもせず立ってた」
「すみません・・・・・・そうだ、『きらら』は!?」
「・・・『きらら』?」
「『きらら』が・・・師匠の紅い金魚が、誰かに追われてて」
散華と東雲は、顔を見合わせた。
お互いに眉根を寄せ、目を見張っている。
「追いつけないから・・・誰が追ってるのか、確かめようとしたら」
「胸を、うがたれたのか」
散華は、あごに手を添えると、眉間に深々とシワを寄せた。
その横で東雲は、愛らしい顔立ちをしかめながら考えむ。
「おい、東雲・・・」
「はい・・・」
水谷は、怪訝な顔で二人の様子をうかがった。
すると、東雲は、そんな水谷に涼やかな笑みを返す。
「御心配なさらずとも、大丈夫でございます。師匠は、お強い方でございますから」
「でも・・・」
「ワタクシが様子をうかがって参ります。圭吾さんは、兄様と先にお帰り下さい」
すると、桜吹雪と共に、東雲は姿を消した。
桜の森が、ざわりと一瞬騒ぐ。
しかし、再び穏やかに夜桜は花びらを散らし、月光にきらめいた。
「東雲の作り出した幻影は、『遁甲』と同じ効果がある。この森を通って、『現世』へ帰るぞ」
「・・・あの、散華さん」
「どうした?」
「師匠は・・・誰に狙われてるんですか?」
「分からん」
「でも・・・何か知ってますよね!散華さん!?」
水谷が大きな声を上げると、散華は炯々と目を光らせた。
その鋭い眼差しに、水谷は背筋が凍る。
「俺がハッキリ言える事は一つだけだ」
「――――」
「今後、カエデの姿に、絶対に変化するな」
是非も言わせぬ気迫に、水谷は、うなずくしかなかった。
散華は、狐姿の水谷を片腕に抱きかかえると、夜桜の森に沈香の香りを漂わせながら歩き出す。
その険悪な雰囲気に、水谷は受けた傷よりも、心がうずいた。
なんで・・・・・・なんで教えてくれないんだろう・・・
あまりにやるせなく、散華の肩越しに、水谷は夜桜の花びらを目で追った。
桜の花びらが沈香の香りをまとい、月の光を受けて青白くきらめいている。
それが舞い飛ぶ蝶のようで、息を呑むほど美しく、どこか儚く物悲しい。
水谷は泣きそうになるのをこらえ、かすれた声で口ずさんだ。
「 蝶々 蝶々 菜の葉にとまれ 菜の葉にあいたら 桜に遊べ・・・」
すると、聞こえるか聞こえないかというぐらいの声で、散華が笑った。
その声を聞いて急に恥ずかしくなり、水谷は先が歌えなくなる。
そんな、ためらっている水谷に代わり、散華は静かに口を開いた。
「 桜の花の 栄ゆる御代に とまれや遊べ 遊べやとまれ 」
さっきの殺伐とした空気が薄らいだような気がして、水谷はホッと肩をなで下ろした。
そして、緊張の糸がゆるんだせいで、急に眠気に襲われる。
水谷がウトウトとし始めると、散華はイタズラっぽく二番を歌い出した。
「おきよ おきよ ねぐらのスズメ―――」
もう少し、このまま夜桜が見れたらいいのに。
あまりの心さびしさに、水谷は静かに涙を流したのであった。
文章中に出て来る「ちょうちょう」の歌詞ですが、現在の歌詞に変わる前の歌詞になります。
昔は二番まであって、しかも二番はスズメの歌・・・蝶よ、どこに行った。
原曲はドイツの民謡だそうです。
ちなみに、現在の歌詞に変わったのは戦後だそうです。




