-螺鈿の葬列- 9
季節の移り変わりは早いもので、いつの間にか桜は散り、初夏の爽やかな暑さから、梅雨のムッとした暑さに変わった。
庭先の桜は、青々とした葉を茂らせ、夏の香りを漂わせている。
水谷が散華の元に来て、二か月が経った。
学校など、ろくに行けない病弱ぶりだったのに、水谷本人も驚くほど、体調が良い。
ただ、だからと言って、学校に通うのは難しい状況であった。
頻度は減ったが、『隠世』で『鬼』に襲われ、発病する事がしばしばあったからである。
「ハァ・・・」
眠ってすぐに合流出来ればいいのだが、毎回いる場所が違う為、お互い見つけ合うのに、かなり苦労していた。
身を隠す技――『遁甲』は確かに便利であったが、合流するのも難しくなる。
だからといって無防備にしていれば、周りの『鬼』に容赦なく襲われる為、やらないワケにはいかない。
もっと、師匠みたい強かったらなぁ・・・
『遁甲』しなくても済む為には、水谷が他の『鬼』よりも強い『瘴気』で対抗する以外に方法がなく、同時に、それは諸刃の剣であった。
なぜなら、相手は人を人で無くすほどの『瘴気』の持ち主であり、それを更に上回る『瘴気』で対抗するという事は、水谷自身が人でなくなるという事であるからだった。
その為、ひたすら逃げ隠れする技術を上げ、散華のような『無害化』の出来る者と一緒にいるしかないのである。
ただ、散華いわく、『無害化』の出来る者――『鬼喰らい』たちは、必ずしも穏便な人格ではないという。
『隠世』に『鬼』をわざわざ探しに来る連中は、道徳に欠けている者が多く、『鬼喰らい』自身が、自分や他人の『瘴気』に侵され、『鬼』に成り代わろうとしているケースもあるというのだ。
そんな恐ろしい場所にわざわざ来てもらって、水谷は本当に申し訳なく思っていた。
良い打開策があれば良いのだが、カエデも散華も、妙案は浮かばないらしい。
そうこう、この二か月余りの事を思い出していると、ゆったりとした穏やかな声が、遠くから水谷の耳に届く。
「お待ちどお様でした」
村はずれの寺の住職であった。
小さな小包を持って御堂の奥から出て来ると、水谷に、それを手渡す。
水谷は笑顔で受け取ると、お礼を言って和紙で出来た封筒を差し出した。
「お代は結構です。散華さんにお返し下さい」
「あの・・・でも、散華さんに、どうしても渡すように言われているのですが」
「ほんの御裾分けですから、お気になさらずとお伝え下さい」
柔和な笑顔であったが、かたくなな意思を感じ、水谷は深くお辞儀をして、封筒をしまった。
「散華さんは、達者にしておりますか?」
「あ、はい。大事ないです」
「お弟子さんとなると、家事などもしていらっしゃるのでしょう?」
「はい」
「彼、制作に入ると、身の回りの事がままならなくなるでしょう」
水谷は、驚いた顔で住職を見つめた。
何か思い出しているのか、柔和な笑みに、ほんの少し含み笑いが混じっている。
「貴方が来る前は、私が毎日様子を見に行ってましてなぁ」
「毎日~っ!?」
「言わないと、断食のように、何も食べなくなるから心配でねぇ」
水谷は苦笑いを浮かべた。
散華は、朝になると『シキ』を取り憑かせ、蒔絵の制作に取り掛かる。
その状態になると、ちょっとやそっとでは、呼びかけても気が付いてくれなかった。
しかも、放っておくと、夜になっても飲まず食わずで制作に没頭する。
それは深夜遅くまで続き、水谷が眠気に耐え切れず眠り込んでしまった瞬間、強制的に『シキ』が離れる事で、散華は『無害化』をやっと中断するのであった。
さすがに、それを蒔絵が完成するまで続けては、体調を崩してしまう。
その為、時間になったら無理矢理作業をやめさせなければならないのだが、このやめさせるというのが、炊事や掃除などよりも、ずっと困難なのである。
水谷が溜息をつくと、住職はゆったりと微笑んだ。
「大変だろうが、気難しい彼が弟子を取るなんて、余程の事だよ」
「は、はい・・・」
「君の事を、とても気に掛けているのだろうね」
その理由が、水谷には未だに分からなかった。
初めて会った時の振舞いが特別良かったワケではないし、『シキ』も膿んだ匂いをさせて死にかけていた。
第一印象は、むしろ悪かったと言える。
それにも関わらず、快くという感じではなかったものの、こんな面倒な事を、散華は引き受けてくれたのだ。
でも、面と向かって理由を聞くのもな~・・・
散華は、自分の事を滅多に話さず、水谷の事についても、余程の必要が無ければ聞いて来なかった。
必要以上に干渉せず、非難もしない。
ほどよく放っておいてくれる距離感が、むしろ水谷には心地良かった。
それもあって、聞く事で何か地雷を踏んでは気まずいと、水谷は、その答えを解き明かすのを保留にしてしまっているのである。
医者と患者ほど、よそよそしくない。
兄弟子と弟弟子というには、散華に弟子の意識がない。
この関係を、どう言い表せば良いのか、水谷は未だに答えが出せないのであった。




