-螺鈿の葬列- 6
小窓から、暁の光が差し込んでいる。
窓辺に置かれたルリタテハの置物が、朝の陽光に控えめにきらめいていた。
体が軽い・・・
いつになく清々しい朝を迎え、水谷は、ゆったりと深く息をついた。
「気が付いたか、勘三郎」
落ち着いた女の声に、水谷は一気に眠気が吹き飛んだ。
しかし、急に上体を起こしたせいか、胸がグッと締め付けられる。
苦悶の表情を浮かべると、カエデは背中を支え、水谷をゆっくりと起こした。
その横には、作務衣姿の散華が控えており、相変わらず、気難しそうな顔をしている。
「すまない。完全に『瘴気』が取り出せてない」
『瘴気』――あの大量のウジ虫の事だろうか
水谷は、夢での事を思い出し、思わず口を抑えた。
そんな青ざめた顔の水谷を見て、散華は側にあった湯呑を差し出す。
「ありがとうございます」
水谷は軽く会釈しながら受け取り、ゆっくりとそれを飲み干した。
ただの水だったが、体の中に凝り固まったモノが、綺麗に流されていくようで、水谷はホッと息をつく。
「勘三郎。一つ、残念な知らせがある」
にわかに、カエデが神妙な顔で話し掛けてきた。
水谷は、嫌な予感が急激に湧き上がり、まだ話も聞かぬうちに暗澹たる気持ちとなる。
「取り憑いた『瘴気』を払うだけでは、お前の病気は治りそうにない」
「―――」
「お前はどうやら、私の予想以上に、特異な体質だったのだ」
「どういう・・・事?」
「お前は、寝ている間に『鬼』に成り代わる。つまり、この狐と魂が入れ替わるのだ」
水谷は、ダルそうに伏している狐に目をやった。
痙攣は止まったようだが、多少息が上がっている。
「『鬼』と入れ替わると、『隠世』という気のふれた『鬼』の巣窟に追いやられる」
「あの真っ暗な森の事?」
「私は『隠世』に行けぬ体質なので詳しい事は分からぬが、散華が言うには、常に『瘴気』にさらされる危険な場所だ」
水谷が視線を送ると、散華は苦々しい表情で見返してきた。
そして、唸るような溜息がこぼれ落ちる。
「『鬼』に成り代わると、強制的に取り憑かせた『鬼』が、離れちまうからなぁ」
「寝ていない間であれば可能か?」
「それは問題ない。問題なのは、寝ている間に、新たな『瘴気』に侵される事だ」
「そうだな・・・『無害化』が延々と終わらないな」
水谷が話について行けず小首をかしげると、散華は窓辺の蝶の置物を指さした。
更に上った陽の光を受けて、活き活きと輝き始めている。
「あれは、俺が自分の『鬼』の『瘴気』で作った作品だ」
「『瘴気』で・・・ですか?」
「そうだ。『瘴気』を作品へと変貌させる事を、俺達は『無害化』と呼んでいる」
「じゃあ、あのウジ虫も」
「さっきは『隠世』に捨ててきただけだ。『隠世』で『無害化』は出来ない」
「それじゃあ、ダメなんですか?」
「『瘴気』の強さにもよるが、『隠世』で払うと苦痛をともなう。アレを頻繁にやったら辛いだろ?」
「はい・・・」
「だから、コチラの世界――『現世』で、お前の『鬼』を俺自身に取り憑かせ、『無害化』する必要がある。だが、寝ている間は無理だ。しかも、新たな『瘴気』に侵され続けるから、イタチごっこになる」
「・・・ボクは、助からないんですか?」
その言葉に、散華は戸惑いの色を浮かべた。
あの時の、ゆったりとした心地など、まどろみの中で見た一瞬の夢のようである。
水谷は、急に目の前の道が絶たれたような心地となった。
「助かるに決まっておる」
水谷と散華は、思わぬ言葉に目を丸くした。
そんな二人に、カエデは不敵に口元を吊り上げる。
「散華も、夜更かししてまで、制作に没頭せずに済むであろう?」
「は!?」
「昼間に制作して、夜は『隠世』で勘三郎を助けてやればいい」
「・・・いや、まぁ、そうだが」
「別に『隠世』に行ったからといって寝不足にはならんと、東雲が言っておったぞ」
「そうじゃなくて、それをいつまで続けるんだ?一生か!?」
「いくら人任せの私でも、そこまで要求せぬ。私も善処するぞ」
「お前は、『隠世』に行けないだろ」
「あぁ、だから『現世』で出来る事をする」
カエデは部屋を見回すと、机の上にあったペンとインク、紙を手に取った。
一枚目の紙に『水谷』と書くと、あごに手を当てて思案し始める。
そして、長い沈黙の後、苗字の下にスラスラと文字を書き足した。
――水谷圭吾
そう書いてあった。
水谷がポカンとした表情で見ていると、カエデは楽しそうに笑い出す。
「お前の新しい名だ」
「え・・えぇ?」
「これからは、この名を名乗れ。他人の『瘴気』の影響を軽減できる」
「・・・勝手に改名したって言ったら、親がなんて言うか・・」
「本名を知っている者には効果がない。これから出会う者に対してだ」
「まぁ・・・それなら」
「それと、もう一つ」
カエデは、もう一枚の紙に、今度は迷いなくサラサラと書き始めた。
何だかウキウキとした様子に、散華は怪訝な表情を浮かべる。
しかし、そんな事などおかまいなしに、出来上がった物を、得意そうに二人に見せた。
―― シキ
散華の顔が、苦虫を嚙みつぶしたようになった。
しかし、カエデは自信満々に微笑み続ける。
「カエデ・・・まさかと思うが、『鬼』の名前とか言わないよな」
「その通りだ」
「お前・・・縁起でもない名前を付けるなよ」
「何を言う。この状況で、最善の名前なのだぞ」
カエデは『シキ』の横に、小さく何かを書いた。
見ると『死鬼』と書いてある。
散華の言う意味を、水谷も理解した。
「死んだ鬼って・・・カエデさん」
「死んだ鬼ではない。『死鬼喰み』の『鬼』だ」
「『死鬼喰み』?」
「『死鬼喰み』は、『鬼』を殺して、自分の『死鬼』に食わせる者だ。だから、『死鬼喰み』は『鬼』たちにとって天敵にあたる」
「天敵の名前を付けていいの・・・?」」
「天敵と勘違いさせるのだ。それに、『死鬼』が同類と認識してくれる」
「同類だと、味方になってくれるの?」
「少なくとも、敵対しようとは思わないであろうな。下手に『死鬼』に手を出せば、生みの親の『死鬼喰み』に殺される」
「・・・怖いね、『死鬼喰み』って」
水谷の言葉に、カエデはニヤリと口元を吊り上げた。
その悪童のような笑みに、隣にいた散華は重々しく口を開く。
「おい、カエデ・・・確かに天敵に違いないが、『死鬼』は無敵というワケじゃない」
散華の発言に、水谷は不安げな表情を浮かべた。
カエデに問いかけるような視線を送ると、カエデは不敵な笑みを返す。
「心配するな。この名前には、もう一つ意味付けをしてある」
そう言うと、カエデは『死鬼』の横に、更に文字を書き添える。
それをのぞき込んだ散華は、打って変わって感心したような声を上げた。
―― 四季
「五感で感じることは出来ても、干渉することが出来ないであろう」
「人の心である『鬼』に、どうこう出来るモノじゃないって事か」
「そして、常に移ろう形のないモノだ。他の『鬼』に見つかりづらくなる」
カエデが視線を送ると、水谷は首を縦に振った。
力なく寝転んでいる狐に向かって、小さく呼び掛ける。
「『シキ』」
すると、紫色の炎が立ち上り、『シキ』の瞳が炯々と輝いた。
立ち上がる事も出来なかったのが嘘のように、スッと立ち上がって、大きく一声鳴く。
カエデは大仰に拍手すると、嬉しそうに両手を合わせ、うっとりとした表情を浮かべた。
それを見た散華は、カエデを呆れ顔で睨みつける。
「おい、カエデ。お前が名前を考案したが、『シキ』は、お前のペットじゃない」
「分かっておる。だが・・・もう可愛らしくてたまらぬっ」
「お前の小動物愛は病気だな・・・」
「圭吾、明日から修行をするぞ!」
水谷は修行という言葉から、禅修行を思い浮かべて戸惑った。
滝行か何かだろうか・・・多少、体調が良くなったとは言え、体力に自信がない。
しかし、そんな水谷の心境が読めないのか、カエデは興奮気味に息巻いた。
「『隠世』で生き残るには、これでは足りぬ。私が『現世』で技を伝授しよう」
「技?」
「だから、私の事は師匠と呼べ」
物凄く嬉しそうに言われ、水谷は思わずうなずいた。
散華は額に手を当て、呆れたとばかりに大きく溜息をつく。
「散華、お前は兄弟子だぞ。しっかり弟弟子の面倒を見るのだ」
「はいはい・・・」
「圭吾の親には、私が話をしておく。『裏御前』様の元に、一度帰らねばならないしな」
「カエデ・・・『裏御前』に、圭吾の事は絶対に言うなよ」
神妙な面持ちの散華に、カエデは憮然とした顔を向けた。
そんな不機嫌な様子のカエデに、散華は急に口の端を吊り上げて笑う。
「秘密だ・・・その方が、面白いだろ」
すると、カエデは何か納得いったようで、ワクワクした瞳でうなずいた。
そして、にこやかに微笑むと、上機嫌な足取りで工房を出て行く。
颯爽と坂道を降りて行くカエデを見送ると、散華は疲労の表情を浮かべて横になった。
「はぁ・・・まったく、あの女は」
「・・・散華さんて、カエデさんの何の弟子なんですか?」
「『鬼術』だ」
「キジュツ?」
「『鬼』に関わる技の総称だ。それを、アイツに教えてもらった」
「どんな技なんですか?」
「基本は逃げ隠れする技だ。ただ、勘違いしないでくれ。俺を弟子と思ってるのは、カエデと東雲だけだ。俺は、アイツの気まぐれな師弟ごっこに付き合ってるだけ」
「そ、そうなんですか?」
「俺が教わった時に、冗談で師匠呼ばわりしたら、気に入ったらしい」
「でも、なんだか本気みたいでしたけど・・・」
「本気は本気だ。カエデは、面白いと思ったら全力で挑むからな。今回は、それが良い方向に向いて、お前を助ける事になっただけだ」
「悪い方にも・・・向く事があるんですか?」
「秘密」
部屋の中を照らし始めた朝日が、散華の目の奥に暗い影を浮き彫りにした。
これ以上踏み込んではいけない雰囲気に、水谷は、それ以上、聞き出せなくなったのだった。




