-蛇落の褥- 2-5
出版社の玄関まで行くと、幹久は、見覚えのある人影に気付いた。
向こうも幹久の視線に気が付き、ワンピースタイプのセーラー服をひるがえし、小走りに駆け寄ってくる。
「東雲さん!?」
「あぁ、幹久様!!」
「ど、どうしたの?こんな所まで」
「お帰りが遅かった為、お迎えに参りました」
「えぇ!?」
幹久は、まるで子供扱いされている気になり、顔を赤らめた。
気まずそうに夢彦を見やると、穏やかに微笑み返される。
「良かったじゃないか。私もキミの家まで、ついて行かずに済む」
「えっ、ついて来るつもりだったんですか?」
夢彦が苦笑いを浮かべると、幹久は気まずそうに頭を下げた。
すると、横に控えた東雲も、見本のような角度で頭を下げる。
夢彦は二人に、いつもの穏やかな笑みを向けると、背を向けて自宅の方へと歩いて行った。
夢彦が見えなくなるまで見送ると、幹久は、東雲に控えめに微笑み掛け、夜の大通りを歩き出す。
「幹久様、今日は、いかがでございましたか」
「そうだなぁ・・・夢彦さんの事、色々知れて面白かったかな」
「一ファンとしては、編集者冥利につきるというものですね」
「うん。ちょっと変わったところはあるけど、一緒にいて気持ちのいい人だったよ」
「まぁ、幹久様!ついにソチラに目覚められたのでございますか!!」
「っちょ・・・そういう意味じゃなくて」
「嗚呼ぁ・・・ワタクシの妄想の世界が、まるで文明開化したかのごとく、華やかに夜明けを見るようでございます!!」
「東雲さんっ!・・・誤解だし、公共の場では静かにっ」
「あぁ、失礼いたしました」
幹久は、小さく溜息をついた。
ただ今は、このやり取りも、いつもの調子を実感させてくれるので、ありがたいと密かに思う。
「幹久様。ワタクシ、こうして幹久様が出版社のお仕事をされて良かったと思います」
「どうして?」
「今の幹久様は、どこか輝いておられて、ワタクシの妄想に近付きつつあるように思うからでございます」
「・・・どんな妄想かは言わなくていいからね」
「ワタクシの妄想は、ワタクシだけのモノでございます。幹久様とはいえ、詳細にお話しする気は毛頭ございません」
幹久は、意外だという眼差しで、東雲を見つめた。
そんな幹久に、東雲は、うっとりとした目で微笑み返す。
「それに、ワタクシがお話しすることで、幹久様がワタクシの妄想に染まってしまっては、大問題でございましょう」
「まぁ、ね・・・」
「ワタクシも、自分の妄想が実現してしまったら妄想でなくなってしまうが故、妄想を取り上げられた気分になってしまいます」
「あぁ・・・そう」
「幹久様」
東雲は、急に足を止めた。
幹久も足を止め、彼女に向き合う。
「どうか穏やかに、輝いていて下さいませ」
いつもの恍惚とした表情ではなく、夢彦にも似た、穏やかな微笑。
こういう顔も出来るのだと、幹久は初めて知る。
そして、控えめに微笑み返すと、東雲と共に、小雨が降りだした帰路を急いだのだった。