-螺鈿の葬列- 3
坂を上がりきると、大きな古木の桜が見えてきた。
新緑が茂り、その隙間から桜の花が薄紅色の顔をのぞかせている。
その横に、平屋の一戸建てが、ポツンと一軒だけ建っていた。
塀が無い為、どこまでが庭か分からない。
「戸を叩いてくれぬか」
水谷はうなずくと、狐を抱いているカエデに代わり、玄関の引き戸を叩いた。
しかし、返事はない。
「ムロにいるのかもしれぬ。行くぞ」
素早い足取りで、カエデは家の裏手に回った。
清々しい足取りのカエデを、水谷も慌てて追い掛ける。
すると、母屋に隣接した小さな小屋にたどり着き、カエデは乱暴に、その扉を足で蹴り始めた。
水谷は驚愕しながらカエデの側に駆け寄り、着物の裾を掴む。
「カエデさんっ、人の家を乱暴に扱っちゃ駄目ですよっ」
「心配ない。壊したってサンゲが怒るだけだ」
「それが、問題なんだよ~・・・」
水谷は、思わず口を抑える。
ため口をきいた上に、語尾が間延びした言い方をしてしまい、顔から火が出るほど恥ずかしかった。
そんな水谷の様子に、カエデはおかしそうに微笑む。
「こんな女に、敬語など必要なかろう?」
「そ、そんなこと・・・」
「自然に話せ。その語尾を伸ばす話し方も、私は好きだ」
この話し方で、友人はおろか、身内もイラつかせるのに。
だが、無理に敬語を使うのも逆に失礼かと思い、水谷は控えめにうなずいた。
「しかし、サンゲの奴、何処に行ったのだ。行くと連絡したというのに」
抱いていた狐を地面に下ろすと、カエデは母屋の雨戸に手を掛けた。
ギシギシと立て付けの悪い音を上げて、雨戸が開く。
すると、カエデは現れたガラス戸を乱暴にガタガタと揺らし、けたたましくノックし始めた。
東京だったら近所迷惑で、隣家から苦情が来そうな勢いである。
そんなカエデに水谷がハラハラしていると、不意に砂利を踏む音が後ろで鳴った。
「おい・・・家を壊すなよ」
低く落ち着いた声で呼び掛けられ、水谷とカエデは振り返った。
黒い作務衣姿の男が、目の前に立っている。
髪はボサボサで、まるで寝起きのような風貌。
手には大荷物を持っており、頑健な体格ではないのに力強さを感じさせる。
睨んでるせいで目付きは悪いが、どこか甘い顔立ちが印象的であった。
「サンゲ、何処に行ってた。連絡したというのに、待ちぼうけを食ったぞ」
「この前の手紙に、具体的に日時なんか書いてなかったぞ」
「当たり前だ。私だって、今日行くと分かったからな」
「なら、待ちぼうけしたとか言うな・・・俺にだって都合がある」
「言い訳など聞かぬ。引きこもりのくせに、今日に限って外出しおって」
サンゲは、不機嫌そうに口元を歪めた。
すると、鋭い視線で、水谷をチラリと一瞥する。
目元が一瞬引きつったのを見て、水谷は反射的に縮こまった。
「おい、カエデ。コイツは誰だ?」
「知らぬ」
「は!?」
「私も名前を聞き忘れた」
サンゲは精根尽き果てたといった溜息をついた。
そして、水谷に更に鋭い視線を向け、「さっさと名乗れ」と無言の圧力を掛ける。
委縮しながら、水谷は出来るだけ丁寧に頭を下げた。
「あの、はじめまして・・・水谷勘三郎と申します」
「『鬼喰らい』か?」
「・・・おに?」
「おい、カエデ!・・・面白半分に、何も分かってない奴を連れて来るんじゃない!!」
サンゲが、いよいよ怒り心頭といった顔を向けると、カエデはケラケラと笑い出した。
水谷は確信した。
彼女は、空気が読めない。
「そう言うな、サンゲ。幼気な狐が苦しんでおるのだ」
「狐・・・また小動物か」
サンゲは、呆れ顔で荷物を地面に下ろした。
そして、仏頂面で水谷に再び視線を戻す。
来てはいけなかったような気分になり、水谷は肩を縮こまらせた。
「ヒドいな」
「えっと・・・押し掛けて、本当にすみません・・・」
「そうじゃない・・・お前、カエデから俺の事をどう聞いてる?」
「・・・何も。ボクはただ、ココを訪ねるようにと言われただけで」
サンゲは視線をそらすと、頭をボリボリとかきだした。
かなり困っているようで、考え込むように地面を凝視する。
しばらく黙り込んでいたが、意を決したかのように、小さく溜息をついた。
「俺は大河内サンゲだ。サンゲは散る華と書く」
「散る華・・」
「本名じゃない。作家名だ」
「作家名?」
「蒔絵師をしてる。それより、お前は見えるのか?」
見えるのかと聞かれて、『アレ』―――黒い狐や宙を泳ぐ金魚の事だと思い、水谷はうなずいた。
そう言うと、散華は、急に辺りを見回し始める。
すると、カエデは楽しそうに、散華を指差した。
「頭の上にいるぞ、散華」
言われて、水谷は視線を散華の頭に向けた。
見ると、一匹の蝶が、髪の間から顔を出している。
「コイツが、俺の『鬼』だ」
ヒラヒラと飛び立つと、綺麗な青い光が見え隠れした。
ルリタテハであった。
黒地に瑠璃色の帯状の模様が映えていて、とても美しい。
蝶は水谷の周りを忙しなく飛び回ると、散華の元に戻って行った。
その様子を見ながら、水谷はハッと気が付く。
これだけ目の前を飛び回っているのに、散華は、自分の『鬼』を全く目で追っていなかった。
「もしかして、見えないの・・・?」
散華は、水谷を目を細めて睨みつけた。
ため口をきいてしまったと気が付き、水谷は慌てて謝る。
すると、散華は虚をつかれたような顔をして、苦笑いを浮かべた。
「謝るの、そこなのか」
「え!?・・・他に何かしましたか!?」
「すまん、俺の早とちりだ。何も知らないお前が、馬鹿にするワケがない」
「・・・馬鹿にする?」
「俺の周りには、見えない事を馬鹿にする連中が多いんだ。反射的に睨んじまった」
水谷は呆気に取られた。
見えない事の方が普通だと思っていたのに、逆にそれを馬鹿にする人たちがいる。
自分の知らない普通が存在する事に、驚きを隠せなかった。
「お前、声も聞こえるのか?」
「はい・・・聞こえます」
「両方認知出来るか・・・そりゃ、大変だな」
「散華さんも、聞こえるんですね」
「聞こえない」
水谷は混乱した。
散華は、明らかに『アレ』ら――『鬼』と呼ばれる異形の存在を知っている。
しかし、どうやら自分のように、見たり、声を聞くことは出来ないらしい。
困惑の表情を浮かべると、散華は溜息をつき、足元の荷物を持ち上げた。
「ここじゃ上手く説明できない。とりあえず、上がってくれ」
そう言うと、散華は玄関に向かって歩き出した。
カエデも、黒い狐を抱き上げると、踊るように駆けて行く。
西の山にかたむき始めている日の光を背に受け、なんとなく帰れないであろう予感を、水谷は、この時から感じていた。




