-螺鈿の葬列- 2
週末になって、水谷は無事に退院した。
と言っても、小康状態になっただけで、いつまた発作が起こるとも分からない。
その為、ギリギリ東京とはいえ、見渡す限りの畑と水田という辺鄙な場所に来て、水谷は非常に心細くなっていた。
「倒れても、すぐには発見してもらえなさそうだな~・・・」
水谷は足を止めると、丘の麓を見やった。
農作業をしている人たちが、チラホラと見える。
赤土がむき出しの急な坂を下り、水谷は泥まみれの農夫に道を尋ねた。
「あぁ、サンゲさんの家ね」
丁寧に道を教えてもらうと、水谷は頭を下げてお礼を述べた。
あの女性は、サンゲさんと言うのか。
水谷は、切れ長な瞳を思い出しながら、心の中でつぶやいた。
名前を聞く前に居なくなってしまった上に、紙には住所以外に何も書いておらず、知る術がなかったのである。
正直、名前も知らない相手の所になど、警戒して絶対に行かないのが常識だとは思っていた。
しかし、女性が自分と同じように『アレ』が見えるらしいのが嬉しく、居ても立ってもいられなかったのである。
まず、『アレ』の存在を、誰も理解してくれなかった。
言えば、気ちがい扱いされるだけで、自分の親ですら、精神病院に入れようかと言って来たほどである。
亡くなった祖母が必死に反対していなければ、一生監獄のような病棟に監禁されるところであった。
「・・・はぁ・・・・っぁは・・・・キツイ・・・」
水谷は、近くの木に手を掛けると、呼吸を整えようと努めた。
すると、汗がしたたり落ち、地面を段々と濡らしていく。
その様子をジッと眺めていると、視界の端で黒い影が動いた。
黒い狐であった。
この狐も、『アレ』の仲間であるらしい。
ただ、他の『アレ』と違うのは、決して水谷に危害を加えて来なかった。
物心ついた頃には、すでに水谷の側に寄り添っており、兄弟のような仲なのである。
「苦しい・・・?」
この狐も、子狐の頃から病弱で、いつも痙攣していた。
しかし、いくら辛そうにしていても、実体がない為に、抱いたり介抱することが出来ない。
水谷が悔やんだ顔で見つめていると、にわかに横から手が伸び、黒い狐が持ち上げられた。
「―――!?」
余程の事でも、のんびり構える水谷であったが、さすがにパニックになった。
不穏な鼓動を奏でる胸を抑え、慌てて後ろを振り返る。
「・・・可哀想に、こんなに震えておるではないか」
病院で会った女が、狐を胸に抱き、悲哀のこもった瞳で見つめていた。
その姿が、どこか教会の聖母のようで、水谷は全身に鳥肌が立つ。
「もう少しの辛抱だ。サンゲの家は、すぐソコだからな」
「え・・・?」
「どうした?」
「いえ・・・貴女が、サンゲさんではないのですか?」
女性は、きょとんとした顔で水谷を見つめた。
綺麗な顔立ちが、急に愛嬌のある顔つきになる。
すると、天衣無縫の様相で高らかに笑い出した。
「私は御堂カエデだ。サンゲには、これから会いに行く」
「カエデさんと、おっしゃるのですか・・・」
「そうだ。では行こうか」
カエデはイタズラっぽく水谷に笑い掛けた。
蠱惑的な眼差しは、どこか危険な雰囲気を漂わせている。
しかし、水谷が不安な顔で見つめ返すと、コロリと屈託のない笑みに変わった。
「心配ない。サンゲは、お前を必ず気に入ってくれる」
そう言うと、無駄のない足取りで、カエデは颯爽と歩き出した。
身長が高いせいか、足が速い。
だが、ついてこれない水谷に気付いたらしく、カエデは立ち止まって振り向いた。
その顔には、悪童を思わせるような笑みが浮かんでいる。
水谷は一抹の不安を抱えつつも、カエデと共にゆるい坂道を登って行ったのだった。




