-螺鈿の葬列- 1
雪が降っている。
はらり
はらり
それだけであった。
それ以外に、音と言えるものは聞こえてこない。
そこに、生きてるものは何一つない。
そこに、動くものは何一つない。
雪が降っている。
それだけであった。
降り積もった雪は、曇天のもとで灰色にきらめいている。
色鮮やかだった景色を、容赦なく色あせさせていく。
それだけであった。
――ただ、それだけ・・・
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病室の窓から、満開の桜が見えた。
暖かい春の日差しがまぶしく、暗い室内から見ると、モノクロ映画のように色を感じるのが難しい。
「回診のお時間になります」
看護婦が、各病室に声を掛けた。
慣れきっているのか、患者に対して全く愛想などない。
そんな聞きなれた呼び掛けに、水谷は、溜息交じりに横になった。
しばらくして、担当医と院長らしい壮年の男が目の前にやって来くる。
「こんにちは、水谷くん」
「こんにちは・・・」
「院長。彼の病名と経過ですが」
担当医が慣れた様子で病状について話すと、院長は無表情なままうなずいた。
「水谷くん、今日の体調はどうかな?」
「・・・いつも通りダルいです」
「そうか。君、血圧と脈は?」
看護婦に数値を確認し、担当医は院長に、今後の方針を説明する。
院長が無言でうなずくと、医者と看護婦たちは、来た時と同じように、ぞろぞろと立ち去って行った。
体調もそうであったが、回診もいつも通り。
なんの楽しみも希望もなく、無為に過ごして、同じような一日が、また終わる。
退屈
水谷は、心の中で何度も同じ単語を反芻した。
もはや、それ以外にする事がないのである。
「本を買ってから入院したかったな~・・・」
体調が急変したのは、神田の古書店を回っている時であった。
心臓が締め付けられるように苦しくなり、呼吸困難となって身動きが取れなくなったのである。
しかし、人の多い場所であった為、すぐに運ばれ、一命をとりとめたのだった。
「はぁ~・・・」
周りの人に助けられた感謝の念など微塵も無く、水谷は重々しい溜息を吐き出した。
再び、窓の方へと目を向けると、銀縁の丸眼鏡が、春の陽光を受けて、視界の端でうるさく光る。
その先には、キラキラと輝きながら、桜の花びらが楽し気に散っていた。
時折、ヒラリヒラリと、風と戯れるように舞い上がる。
「・・・腹立つなぁ」
悪態をついていると、花びらに交じって、紅い何かがフワリと動くのが見えた。
気になって上体を起こすと、予想だにしなかったものが目に飛び込んできて、心臓が跳ね上がる。
紅い金魚であった。
ただの金魚ではない。
宙を泳ぐ金魚である。
水谷がジッと眺めていると、その視線に、金魚も水谷に気が付く。
すると、とんでもないモノを見たかのように、大慌てで逃げて行った。
「・・・待って!」
水谷は慌てて寝台を降り、浴衣の前を適当に直して、足早に追い駆けた。
廊下に出ると、なぜか金魚は外から入って来ており、右往左往しながら逃げる。
「速い・・・」
普通に走る事はおろか、滅多に小走りさえしない為、すぐに息が切れた。
水谷はたまらず、息も絶え絶えにフラフラと歩き出す。
そして、見舞いに来た人の控室のような一角に、やっとたどり着いた。
「あ・・・」
見ると、ソファに髪の長い女が座っており、その女の髪の陰に、あの金魚がフワリと隠れた。
女の年は、二十代前半位に見える。
切れ長の瞳が色っぽく、大人びた印象であった。
女は手元の本から視線を上げると、おかしいものを見るかのように、水谷に笑い掛ける。
浴衣が着崩れているのかと思い、水谷が慌てて身なりを確認すると、更におかしいとばかりにカラカラと笑い出した。
「いや、すまぬ。どこも変じゃないぞ」
心を読まれているかのような口ぶりに、水谷は鼓動が高鳴った。
こんなに綺麗な容姿であるのに、男言葉なのにも不意をつかれる。
「辛そうだな」
「え・・・あぁ・・・はい・・・」
「私も子供の頃から肺に持病があってな、定期的に病院に通っている」
しかし、その割には、女は水谷よりも血色がよく、とても元気そうであった。
喘息か何かだろうか。
ただ、根掘り葉掘り聞くのもはばかられ、水谷は女の髪を探るように見つめた。
だが、金魚らしいものは見て取れず、何だか気が抜けてしまい、小さく溜息をつく。
「お前、面白いな」
「え?」
「見えたのだろう?」
その一言に、水谷は冷や汗が吹き出した。
まるで当然のような言い方に、戸惑いを隠せない。
すると、そんな水谷に追い打ちをかけるように、女の髪の中から金魚が顔を出した。
いよいよ緊張した面持ちで水谷がうなずくと、女は屈託のない笑みを浮かべる。
「退院は、いつの予定だ?」
「今週中には、って聞いてますけど・・・」
すると、女は手持ちのカバンから紙と万年筆を取り出し、何やらサラサラと書き始めた。
書き終わると、水谷の目の前に、その紙を差し出す。
「出たら、ココに来い」
水谷は、差し出された紙を、ためらいがちに受け取った。
見ると、東京の県境辺りの住所が書き記されている。
ただ、一体どういう場所なのか、皆目検討がつかなかった。
「あの、ココっていったい」
水谷が顔を上げると、すでに女の姿は、どこにも見当たら無かった。
白昼夢でも見ていたかのような心持ちで、水谷は立ち尽くす。
すると、不意に抑揚のない無機質な声が、後ろから投げ掛けられた。
「水谷さん、病室から勝手に出ないで下さい」
「あ・・・すみませ~ん」
急に緊張から解放され、いつもの間延びした返事をしてしまった。
素をさらしてしまった事が恥ずかしくなり、頬から耳にかけて熱くなる。
水谷は手渡された紙を畳むと、顔を隠すようにして病室に戻るのだった。




