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灰色帝都の紅い死鬼  作者: 平田やすひろ
蛇落の褥
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-蛇落の褥- 2-4

 出版社に行く途中、晴れていた空は、急に雲が掛かり始めた。


 今にも小雨が降りそうな空を、幹久は不安げに見つめる。


 しかし、表情を曇らせる幹久に対し、夢彦は浮足立った足取りで出版社の玄関をくぐった。


 慣れた足取りで進んで行くと、ノックもなしに編集室の扉を開け、たくさんの原稿用紙や本の山を縫うように進む。



「あの・・・夢彦さん」



 夢彦は口元に人差し指を添えると、楽しそうに微笑んだ。


 部屋の奥の窓際にある、一番入り口から遠い席へと着くと、原稿を睨んでいるアヤメの肩を、小鳥がエサをついばむようにつついた。



「!?」



「こんばんは」



「夢彦さん!?・・・どうしたのですか?」



「皆に久しぶりに会いたくなってしまってね。ついて来てしまった」



「・・・幹久を行かせた意味がないじゃないですか」



「そんなことはない。話し相手がいると、気が晴れる」



「さびしがり屋ですわね。孤高の文士には、ほど遠いわ」



「うん、だからアヤメさんにも、かまって欲しいなぁ」



「あいにく、ヒマじゃありません」



 まだ若手の作家とは言え、夢彦さんの方が年上で、先生と呼ばれる立場なのに・・・。


 幹久は、アヤメと夢彦の掛け合いに、ヒヤリと肝を冷やした。


 眉間にシワを寄せ、アヤメに原稿の入った封筒を差し出す。



「お疲れ様」



 アヤメは素早く中身を取り出し、原稿を読み始めた。


 あっという間に目を通すと、夢彦をチラッと見やり、急に机に手をついて仰々(ぎょうぎょう)しく頭を下げる。



「大変素晴ラシイ、原稿デ御座イマシタ」



 アヤメのあからさまな棒読みに、夢彦は楽しそうに笑った。


 反対に、側で聞いてる幹久は、冷や汗をかいて、更に目元を引きつらせる。



「あんまり、幹を困らせんなー、アっちゃん」



 不意に、後ろから軽薄な声が飛んで来た。


 頭を下げていたアヤメは、面倒そうな表情で顔を上げる。



「あら、犬飼(いぬかい)さん。ごきげんよう」



「あら、こちらこそ、ごきげんよう」



「似てません」



「ハハッ、知ってる」



「しかもなんですか!ネクタイ外してるわ、ワイシャツの前は開けてるわ、だらしなさ過ぎます!」



「悪いね。下品が売りの雑誌だからさぁ、うちの部署」




 ――犬飼兼仁(けんじ)



 女性誌の部署に隣接している、社会部の記者である。


 社会部と言っても、扱っているのは政財界や芸能界のゴシップ雑誌で、お堅い内容とは、ほど遠い。


 他の雑誌よりも裏が取れるせいか、熱狂的な愛読者が少なからずいて、この出版社の売り上げに貢献していた。



「・・・それにしたって、品格が欠片もありませんわ」



「品格もモラルも気にしてねぇから、いいネタを探して来れんだよ」



「大手新聞社に勤めてた人の発言とは思えません」



「こんなんだから解雇されたんですぅ」



「アナタは、『狂犬』というより『駄犬』ね・・・他の新聞社に再就職できなかったのも当然だわ」



 『狂犬』は、同業者の間での、犬飼の呼び名であった。


 あまりに執拗な調査をする姿から、そう名付けられたのである。


 しかも、手段も限界も考えない為、事なかれを決め込んだ新聞各社から、完全に敬遠されてしまったのだった。


 しかし、アヤメの嫌味など歯牙にもかけず、犬飼はおかしそうに笑う。



「で、夢さん。また人恋しくなって会いに来たのか?」



「うむ、ケンさんにではないが、会いに来たよ」



「またまた~」



 犬飼は、後ろから夢彦の肩を抱くと、わざと顔を近づけた。


 左目の下にある涙ボクロが、夢彦の癖のある髪に触れる。



「アっちゃんの前で、セクハラ目的の猥談(わいだん)をガチでやれるの、俺だけだろ。冷たくね?」



 際どい距離感を見せびらかすように、犬飼はアヤメを横目に見て、いやらしく笑った。


 幹久が、恐る恐るアヤメを見やると、額に青筋が立っているのに気が付く。


 本気で怒りかけてるアヤメに、幹久は蒼白となった。


 すると、夢彦はくつくつと笑い出し、犬飼の腕に手を添える。



「すまんね、ケンさん。今日は、幹久君もいるから付き合えんよ」



「幹にも耐性つける為に丁度イイだろ?こういうのは、慣れだ」



「そうだね。今度、飯でも食べに行きがてらな」



「チッ・・・今日はガードが堅いなぁ」



 夢彦から腕をどけると、犬飼は両手を上げてヒラヒラと振った。


 軽蔑の眼差しを向けるアヤメを見て、夢彦はクスクスと笑う。



「犬飼さんと夢彦さん、仲が良いんですね」



 幹久の一言に、犬飼は獲物を得たりといった顔でニヤリと笑った。


 その笑みに、幹久は不用意な発言を後悔する。



「俺が今まで、どれだけ夢さんを可愛がってきたか、知りたい?」



「え・・・いえ・・・あの・・・」



「ただの先輩後輩でしょ」



 しどろもどろになる幹久に助け舟を出すかのように、アヤメは横からピシャリと言い放った。


 これ以上怒らせたら後がなさそうな眼差しに、犬飼は苦笑いする。


 すると今度は、そんな犬飼に助け舟を出すように、夢彦が幹久に微笑み掛けた。



「ケンさんには下積みの頃、ココで記者として世話になっていたのだよ」



「え!?・・・夢彦さん、記者だったんですか!?」



「文学賞の受賞経歴もなければ、伝手もないのに田舎から出てきたからね。とにかく、就職しない事には東京にいられなかった」



 すると、犬飼は腕組みして、大袈裟に溜息をついた。


 その溜息に、夢彦は珍しく苦笑いを浮かべる。



「いやぁ、あの頃は、とんでもないガキだったな」



「そうだったかな?」



「よく言う・・・ほんっっっっとに計画性も、生活力も無くてビックリしたぞ」



「十七の小僧なんて、あんなモノだよ」



「いいや・・・アレは酷い。俺が色々世話してやらなかったら、お前は今頃、小説家じゃなくて水商売やってる」



「あはははっ」



「ま、そんなどうしようもないガキだったけど、ココの文芸部で小説を書くようになって、いつの間にか独立しちまってさぁ・・・泉先生なんて呼ばれるようになったってワケよ」



「私を先生と呼ぶ人間が、この出版社にいたっけか?」



「いねぇな。ココ、ゆるいから」



 酷い話だ・・・。


 アヤメの暴言が許されてるのはありがたいが、あまりにゆる過ぎる社風に、幹久はアルバイトにも関わらず、出版社の行く末を案じた。



「幹久、もう上がっていいわよ。私は、もう少しやっていくから、先に帰ってて」



「え、でも・・・」



「アナタと夢彦さんがいると、『駄犬』が喜んじゃって、うるさいのよ」



 幹久が視線を向けると、犬飼は軽く手を振った。


 帰っとけ、という意味だと悟り、幹久は夢彦に視線を送る。


 すると、夢彦も笑顔でうなずき返してきたので、幹久はロッカーに荷物を取りに向かった。


 犬飼も、お開きと言わんばかりに、大きく伸びをして、自分の席に戻って行く。



「アヤメさん」



「何?」



「これ、どうぞ」



「・・・あ、金平糖」



「今日は七夕だけど、あいにくの天気だからね」



「七夕の夜って、いつも晴れませんわね」



「逢引きして睦言(むつごと)にいそしんでいる二人を、邪魔するなってことだよ」



「・・・その猥談が無ければ、殿方として見直しましたのに」



「キミを、からかいたくて仕方がないのだよ」






「・・・アナタらしいわ」






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