-空蝉の宴- 7-3
―― 大正十一年 十二月 陵雲郭
冬の冷たい風が、獣の唸り声のような音を上げて、天に舞っている。
そんな中、恭一郎は、全身にひりつくような寒さを覚えていた。
東雲からカエデの連絡先を渡されたあと、そのまま一刻ほど立ち尽くしている。
――恭一郎・・・下に降りないのか
すでに、東雲は展望台を降りており、ただ独りであった。
周りにいた他の客も、急に強くなった寒風に耐え切れず、ほんの少し前に帰ってしまっている。
――俺は、実体がないから平気だが・・・お前は寒いだろう?
「・・・・」
恭一郎は、目の前の囲いに手を掛けて真下を見やった。
人々の頭が、まるでアリのように小さく見える。
その見慣れぬ高さに、恭一郎は、足がすくんだ。
――き、恭一郎・・・
見えない何かに、自然と体が引き込まれそうな感覚が、恭一郎に押し寄せる。
恐怖より勝る絶望の誘惑に、恭一郎は展望台の手すりに力を込めた。
「恭一郎~!!」
しかし、聞きなれた屈託のない声に、恭一郎は、一瞬で我に返った。
後ろを振り返ると、いつの間にか、すぐ後ろに夢彦が立っている。
夢彦は、嬉々とした笑みを浮かべて恭一郎の隣に来ると、黒いトンビコートのポケットに両手を突っ込んで身を縮めた。
「冬場に来るところではないぞ、ココは」
「あ、あぁ・・・」
「あまり身を乗り出すと危ないぞ。なにしろ十二階建てだからなぁ」
「・・・なんて言ったらいいか、その・・・」
「ん?」
「その・・・尻尾が」
恭一郎は一歩下がって、足元を指さした。
夢彦の着物の裾から、白く長い尾が、すらりと伸びている。
夢彦は蒼白となって、自分の背後を振り返った。
――― 相変わらず、変化がヘタクソだな・・・『戯』
溜息まじりに『虚』がつぶやくと、夢彦の姿をした『戯』が苦笑いを浮かべた。
『戯』は、膝を曲げて屈み込むと、コートの裾をひるがえす。
シャラン・・・
水琴鈴の清らかな音ともに、白銀の長い髪が絹糸のように、はらりと揺れた。
頭部からは、獣の耳が天に向かってそびえ立っている。
平安時代の文官のような着物が、曇天の空に映えていた。
異形の姿でありながら、顔立ちは夢彦と瓜二つである。
「夢彦の『鬼』・・・なのか?」
「『虚』の幻影ではないぞ?」
『戯』は、獣の耳をピンと立て、くつくつと楽し気に笑い出した。
姿は違えど、湯が煮えるように笑う様子は、夢彦そのものである。
見慣れた笑顔に、恭一郎は、思わずつられて笑いそうになった。
「どうして今まで、姿が見えなかった」
「『虚』に出て来るなと言われておったから、ずっと隠れておった」
恭一郎は、鋭い眼光を『虚』に向けた。
忌々し気な形相に、『戯』は苦笑いを浮かべる。
「その様子だと、色々聞かされてない事が多そうだのう」
「そういうアンタは、何でも知ってそうだな」
「当然だ。私と『虚』の付き合いは、夢彦と恭一郎の付き合いの長さと同じだからのう」
『戯』は、フワフワとした尾を上機嫌に揺らした。
灰色の瞳がキラキラと輝いており、人懐っこそうな性格が見て取れる。
「別に『虚』と共謀して、お主をはかろうとしたワケではないぞ」
「『鬼』の言う事を信じろというのか?」
「ほらな。そのように、お主が偏見を持っておるから、『虚』に出て来るなと言われたのだ」
「―――」
「『鬼』が見えるようになった直後では、殺されてもおかしゅうなかったであろう?」
『戯』は急に目を細めると、『虚』に非難の視線を向けた。
『虚』は気まずそうに、恭一郎の背後に隠れる。
「それにしてもだ。東京に帰って来たら、すぐに会えると思うておったのに・・・何にも話が出来ておらぬではないか」
―――シベリアで、『鬼』を狩らせるだけで、精いっぱいだったのだ・・・
「だから、恭一郎が軍に志願するのを止めろと言うたであろう!恭一郎の性格では、とてもじゃないが戦地で人を殺すなど向かぬ!!」
―――だからと言って、村の誰かを殺すワケにはいかぬだろうが!
「私が、どこの誰だか分らん『鬼』を、連れて来ると言ったではないか!そうすれば」
―――そうすれば、『鬼』を殺したら、その生みの親が死ぬと分らぬな
「そうだ、だから」
―――しかし、どこかで誰かが死んでると気付かれたら、それこそ大変な事になるであろうが
「なら、最初から隠さず、すべて明かせばよい。恭一郎の信用を得るには、隠し事が一番良くないと思うがのう」
―――何でも知っていれば良いワケではない!
「だが、お前に疑心暗鬼になっておるではないか。しかも、ダメ押しに成り代われなどと暴言を吐きおって・・・それで信用しろなど、無理に決まっとる!」
―――ちょうど今、『死鬼喰み』の事を東雲から聞いて、自害しようか考えておったのだぞ!?
「え・・・」
―――それでも、なんでも話せば良いと言えるのか!?
『戯』は、恭一郎に視線を移し、困惑した瞳でジッと見つめた。
「そうなのか?」
今にも泣き出しそうな表情に、恭一郎は、自分がいじめているような罪悪感を覚えた。
だが、どう弁明したものか全く思いつかず、真っすぐに見つめて来る『戯』から視線をそらす。
そんな恭一郎に、ますます『戯』は、悲壮な表情となった。
「辛いのう・・・」
『戯』は恭一郎の手を取ると、しみじみと、その手を眺めた。
「無駄な殺生を好まぬというのに、この手で『鬼』を狩らねばならんとはな・・・」
「夢彦と同じような事を言って、惑わす気か?」
「恭一郎・・・『鬼』は確かに害もなすが、誰かを想うのも『鬼』がいるが故なのだ」
「・・・意味が分からない」
「理性では、どうにも出来ぬ心持ちが『鬼』そのものなのだよ」
「―――」
「人を憎む心も、慕う心も、花を美しいとめでる心も、『鬼』そのものなのだ」
『戯』が手を伸ばすと、『虚』が恭一郎の肩から乗り移った。
止まり木を這うように進むと、『戯』の左肩にしがみつく。
「お主が、命を慈しむ心持ちも、『虚』がいるが故なのだよ」
信じがたいといった面持ちで、恭一郎は『虚』を見やった。
そんな恭一郎の考えを感じ取ったか、軋むような音を上げて、『虚』はそっぽを向く。
それを見た『戯』が、おかしいとばかりに吹き出して笑った。
「行こう、恭一郎」
「・・・何処に?」
「夢彦の所で、温かい茶でも馳走になろう。それは、良いであろう?」
「・・・まぁ」
「決まりだのう!」
『戯』は白狐の姿になると、『虚』を背に乗せたまま、恭一郎にすり寄った。
ふっさりとした白い尾を恭一郎に絡ませると、つぶらな瞳で猫なで声を上げる。
「恭一郎、茶請けに紅屋の酒まんじゅうを買ってたも~」
「・・・別に、かまわんが」
「本当か!では、十個ほど宜しく頼む」
「ちょっと待て、茶請けの量じゃない・・・」
「執筆しとると甘い物が無性に欲しくなるのだ。頼む、買ってたもう~」
「・・・仕方ないな」
―――恭一郎・・・お前、『戯』に対して甘すぎないか!?
「土産をもらう本人の希望なんだ。仕方ないだろう」
―――俺の言う事には、まったく耳を貸さんくせに!
「自分に厳しくしないと、人は堕落する」
―――・・・解せぬ
『戯』は二人のやり取りを聞きながら、声にならないほど笑い始めた。
恭一郎は、たしなめるように白狐の頭をなでると、陵雲閣を後にするのであった。




