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灰色帝都の紅い死鬼  作者: 平田やすひろ
空蝉の宴
63/153

-空蝉の宴- 6-10

 曼殊沙華が、ちらほらと咲いている。

 石畳の割れた参道に、犬飼は立っていた。


 また、あの夢だ。

 場所は違うが、犬飼は、そう確信していた。


 辺りは、静まり返っている。

 静か過ぎると言って良いほどであった。


 中天を見上げれば、木々の間から、黒く澄んだ闇が見え隠れしている。

 同じ景色を繰り返しているような参道が、何処までも続いており、どちらから来たのかも分からなかった。

 しかし、急に一方から生温い風が吹いて来て、犬飼の頬をなでる。


 おそらくコッチだ。


 犬飼は、(よど)んだ風が吹いてくる方向を見つめた。

 そして、その風に誘われるように歩き出す。



「―――?」



 しばらく歩いていると、ゴザを敷いて座っている男がいた。

 男の両隣には、持ち手のついた大きな(おけ)がある。


 江戸時代の浮世絵に、こんな姿の武士の絵があった。

 たしか、下級武士が副業で、金魚売りをしている絵だっただろうか。

 ただ、幅の広いまな板と、使い込んだ包丁が側に置いてある。

 どちらかと言うと、魚屋のようであった。


「ちょっといいか?」


 犬飼は、男の前に屈み込んで声を掛けた。

 男は、不機嫌そうに顔を上げる。


「なんだ?」


「アンタ、ココで何やってんだ?」


「はぁ?見りゃ分かるだろ、魚売ってんだよ」


「その割に、客に対して態度悪くね?」


「フンッ、『鬼喰らい』以外に売るもんなんてねぇ」


 『鬼喰らい』という言葉に、犬飼は顔をしかめた。

 つまり、『鬼』の『瘴気』を無害なモノに転化できる奴にしか売らないという事だ。

 そうなると必然的に、この男の言う魚とは『瘴気』という事になる。

 犬飼はジッと、側にある桶を見つめた。


「そんなジロジロ見たって売らねぇよ。下手に普通の『鬼』に売ると怒られちまう」


「誰に?」


 男は、気まずそうに黙りこんだ。

 そして、慌てて犬飼を追い払うように手を振る。


「あぁッ、もう!!今日はついてねぇな!他所(よそ)で売るから、とっととアッチ行け!」


 そう言うと、男は水瓶とまな板を背負子(しょいこ)に縛り付け始めた。

 犬飼は桶の中身が気になり、少しでも隙間から見えないかと、男から視線を移す。


「―――ん?」


 桶にかぶせてある巻き()に、小さな獣の手が掛かっている。

 男も、その気配に気が付いたのか、驚くほどの俊敏(しゅんびん)さで振り返った。

 そして、その小さな手を引っ掴むと、乱暴に引っぱりあげて立ち上がる。

 その拍子に桶がかたむき、巻き簾が外れて中身が飛び出して行った。


 (あか)い金魚であった。


 桶に水はなく、宙に浮かぶ紅い金魚が、何匹も怖がった様子で飛び出してきた。

 しかし、犬飼に気が付くと、まるで隠れ場所でも見つけたかのように、一斉(いっせい)にすり寄って来る。


「な、なんだ!?」


「このクソ(たぬき)ぃ!!また貴様か!!」


 男の怒号が響き渡った。

 犬飼は、あまりの気迫に視線を移す。

 見ると、男が狸の小さな前足を捕らえ、すさまじい剣幕で怒鳴りつけていた。

 狸は、なんとか逃れようと暴れているが、宙吊りでどうにも出来ない様子である。


「毎日のように売りモンを(あさ)りやがって・・・テメェのせいで、どれだけ逃がしちまったと思ってる!!」


 男は手元にあった包丁を手に取ると、狸の首に突き付けた。

 しかし、狸を持つ手が急に下がり始め、前のめりになる。

 見ると、狸の柔らかな体がゴツゴツとした岩のように変化し、男はあまりの重さに、歯ぎしりしながら狸を取り落とした。

 それが足に当たったらしく、男は苦悶の表情を浮かべ、叫び声を上げる。


「いったぁあい!」


 犬飼は、不意に聞こえた不釣り合いな叫び声に、呆気に取られた。

 男の体から緑色の炎が立ち上ると、その姿がみるみると変わっていく。

 髪が蛇のようにうねりながら伸び、男物の着物は(あで)やかな花魁(おいらん)の着物姿へと変わった。

 かんざしや(くし)の間から獣の耳が生え、足元には二本の細いしっぽがすらりと伸びている。

 そんな(なま)めかしい女の姿に驚く犬飼であったが、その花魁の顔を見ると、()頓狂(とんきょう)な声を上げた。


「あ・・・議員の男といた、ケバい女」


「誰がケバいよっ!!」


 花魁は忌々し気に犬飼を睨みつけると、足元の包丁を拾い上げ、指さすように向けて来た。

 着飾った姿が台無しになるほど口元を歪める花魁に、犬飼は軽薄な笑い声を向ける。


「すっげぇ、超便利。今のどうやれば出来んの?」


「うるさい!ホクロ男!!」


 すると、犬飼に目くじら立てている隙を突き、狸が花魁の首元めがけて牙をむいた。

 (けい)動脈辺りを噛みつかれ、花魁は金切り声を辺りに響かせる。

 狸を引きはがそうと尻尾を掴むが、引っ張れば引っ張るほど喉の肉が引き千切られそうになるのか、さらに痛々しい叫び声を上げた。


「『鬼喰らい』でもないのに・・・勝てるワケないでしょ!!!」


 花魁は包丁を高く掲げると同時に、口元を吊り上げた。

 尻尾を限界まで引っ張り上げ、鈍く光る刃を振り下ろす。

 しかし、背中に深々と包丁を突き刺されても尚、狸は食らいついた首元を放さない。


「本気で殺されないと・・・分からないのかしらっ!」


 花魁は容赦なく何度も刃を振り下ろした。

 だが、それでも一向に口を離さない狸に、花魁は歪んだ笑みを浮かべる。

 包丁をより高く振り上げると、にわかに刃が緑色の炎をまとった。



「死ねぇっ!!」



 ぎしっ・・・・・・



 骨ごと肉を切り裂く鈍い音が響いた。

 花魁の胸に、血みどろの包丁がうずもれている。

 何が起こったのか分からず、花魁は目を泳がせた。


 標的だった狸は、花魁に尻尾を握られ、宙吊りとなっている。

 口から血をしたたらせながら、弱々しい鳴き声を上げていた。

 その有様を見て、急に狸が口を離した為、勢い余って自分を刺してしまったのだと、花魁は思い至る。


「・・・しまっ・・・・・」


 狸を乱暴に地面に叩きつけると、花魁は頭を抱え、悲痛な声でうめきだした。

 すると、花魁の顔に沸騰(ふっとう)したかのように水疱(すいほう)が浮かび上がる。

 じゅくじゅくとただれ始めた顔を、長く伸びた爪で、えぐるように引っかき始めると、辺りに金切り声を響かせた。

 艶やかな髪は急に水気を無くし、根元からバサバサと地面に落ちて行く。

 大きな目から血の涙を流し始めると、口を大きく開き、引きつった笑い声を上げた。


「ッハ、ハハハ・・早く帰って、起き・・・起きられるかしら」


 力なく膝をついて顔面から倒れ伏すと、その醜悪(しゅうあく)な姿がドス黒い(かすみ)となって消えて行く。

 その凄惨(せいさん)な光景を前に、犬飼は呆然と立ち尽した。

 しかし、視界の(はし)に動くモノをとらえ、我に返って視線を移す。


 背中に痛々しい傷を負った狸が、身を起こして歩き出そうとしていた。

 しかし、体は震えており、急にガクンと膝を折って倒れ伏す。

 そんな狸の元に、宙を浮く紅い金魚たちは慌てて飛んで行き、その周りを心配そうに浮遊した。


「おい、周りをウロチョロすんな。ちょっと離れろ」


 紅い金魚たちを優しく振り払うと、犬飼は狸をそっと持ち上げた。

 大きな手に急に掴まれた狸は、逃れようと懸命に体をジタバタとさせ始める。

 しかし、傷に(さわ)って体力を消耗したのか、すぐにグッタリとうな垂れた。


「ほら、イタズラ狸。あんまり暴れると、鍋にして食っちまうぞぉ」


 軽薄な口調を投げ掛けると、犬飼はおかしそうに笑い掛けた。

 しかし、狸のつぶらな瞳を凝視すると、急にいぶかし気に眉間にシワを寄せる。

 その顔に危機を感じ取ったのか、狸は焦燥の色を浮かべて再び暴れ始めた。


「お前、もしかして・・・」


 犬飼が言いかけたところで、数匹の金魚が渾身(こんしん)の力で体当たりしてきた。

 痛くはないが、多勢に無勢である。

 ペタペタとした感触が気色悪かった。


「分かった、やめろ!言うなって事だろ!?」


 金魚たちが体当たりをやめると、肩にもたれ掛けさせるように、犬飼は狸を抱き直した。

 狸の浅い呼吸と、時々混じる小さなうめき声が、耳元で痛々しく聞こえる。

 その頭を、犬飼は掌でポンポンと軽く叩いた。


「ま、(がら)にもねぇ事するなっつーの」


 ふと、犬飼は背筋に嫌なモノを感じ、淀んだ風が吹いてくる方へと振り返った。

 轟々(ごうごう)禍々(まがまが)しい気配が、いくつも近づいて来る。

 この世の終わりだとも言いたげに、紅い金魚たちは犬飼の服をくわえ、懸命に引っ張り始めた。


「あ、逃げた方がイイっぽい奴な」


 犬飼は駆け出そうとしたが、側にあった背負子が急に気になり、足を止めた。

 花魁は消えたのに、荷物は残っている。

 その不自然さが、どうにも引っ掛かった。


「―――・・・って言っても、持ち帰るようなもんじゃねぇしな」


 犬飼は、おもむろに肩紐を持ち上げ、参道のど真ん中に思い切り投げ飛ばした。

 背負子に載せてあった水瓶が、派手な音を上げて砕け散ると、中からドス黒い生き物のようなモノが()い出て来る。

 それと同時に、幾つもの禍々しい遠吠えが、喜悦の色をにじませて響き渡った。



 ――なんと強い『瘴気』か


 ――もらっていこう


 ――ワタシも欲しい・・・



『鬼』たちは目にも留まらぬ速さで寄り集まり、水瓶に入っていたドス黒いモノを、我先にと追い掛け始めた。


 びちゃら・・・


 びちゃら・・・


 『鬼』たちが(うたげ)の如く、(えつ)()った高らかな笑い声を上げた。

 おどろおどろしい不協和音が、犬飼の鼓膜を震わせる。

 目の前に広がる地獄絵図に吐き気を覚えながら、犬飼は来た道へと駆け出していくのであった。

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