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灰色帝都の紅い死鬼  作者: 平田やすひろ
空蝉の宴
61/153

-空蝉の宴- 6-8

 出版社にほど近い住宅街。

 小道の入り組む迷宮に、家々が窮屈(きゅうくつ)に並んでいる。


 中天を見上げれば、夜空に美しい星々が煌めいていた。

 ずぶ濡れで走っている事に違和感を覚えると、犬飼は心の中でつぶやく。



「・・・夢さん」



 犬飼は、息を切らして立ち止まった。

 通路のような長細い庭に、アジサイが咲いている。

 その先には、二階建ての一軒家が建っていた。


 一階は、犬飼の遠い親戚が大家として住んでおり、二階を格安で借り受けている。

 張り込み生活でほとんど帰らない為、物置同然であった。


 それでも、最近は、夢彦が居候するようになり、部屋の明かりが灯っている事が多い。

 今も、二階の窓からは白熱電球の橙色の光が、障子(しょうじ)の向こうにぼんやりと見える。

 その光に、犬飼はどこか安堵した。



カラカラカラ・・・



 玄関の鍵を開けると、目の前の狭い階段を静かに登った。

 引き戸の隙間から、細い光が廊下を照らしている。

 犬飼が、その隙間から部屋の中をうかがうと、夢彦は文机の前で、頭を抱えてうなだれていた。


「おーい・・・」


 犬飼の声に、夢彦は飛び起きるように頭を上げた。

 犬飼の方に顔を向けると、今にも泣き出しそうな表情を浮かべる。


「だ、大丈夫か・・?」


 夢彦は、無言で原稿用紙を睨みつけた。

 どうやら、いつものように行き詰っているようであった。

 犬飼は軽く溜息をつくと、いつもの軽薄な笑みを浮かべる。


「そう、眉間にシワ寄せんなって。思いつくもんも、思いつかなくなるぞ」


「わ、分かっておる」


「見せてみ。どこまで出来た?」


「ダメだ!!ケンさんに手伝ってもらうワケにはゆかぬ!」


「手伝わねぇ。見るだけだ」


 夢彦は渋々(しぶしぶ)、犬飼に原稿用紙を見せた。

 原稿用紙には、いつもの記事のように構成案が書かれている。

 あらすじは出来上がっていた。

 また、別の用紙には登場人物や世界設定の詳細が書き出されている。


 華族(かぞく)放蕩(ほうとう)息子が、遊郭(ゆうかく)街『吉原(よしわら)』と、もう一つの世界――『裏吉原(うらよしわら)』を行き来し、魑魅魍魎(ちみもうりょう)たちが繰り広げる怪事件を解き明かすという話であった。

 フィクションなど飽き飽きしていた犬飼であったが、設定を読んでいるだけでも面白い。

 先程の命懸(いのちが)けの鬼ごっこなど、忘れてしまいそうであった。


「へぇ、面白いじゃねぇか」


「ほ、本当か!?」


「初めて小説を書こうとしてる割には、シッカリ詰めてると思う」


 それを聞いて安堵したのか、夢彦は穏やかな笑みを浮かべた。

 しかし、再び白紙の原稿用紙を眺めると、その笑みに影が差す。


「何を、そんなに困ってんだ?」


「う、うむ・・・それが、いつもの通り、何から書けば良いのか思いつかぬ」


「この構成を見ると、まずは『裏吉原』での魑魅魍魎たちの会話から入るな」


「その会話が、まず浮かばぬ。書く事柄は決まっとるのだが・・・」


 再度、犬飼は登場人物の設定を読み返した。

 人柄だけでなく、役割や特技も事細かく書き出されており、個性豊かでありながら、実際にいそうな親しみやすさがある。

 にもかかわらず、犬飼は、一線を(かく)するような拒絶感を、その原稿用紙から感じ取った。


「なんか・・・違和感あるな」


「え・・?」


「ちょっと、下がってくれ」


 犬飼は原稿用紙を床に置き、まるで水の中の魚を探るように、視線を彷徨(さまよ)わせた。

 その何処か野性的な眼差しに、夢彦は背筋に冷たいものを感じる。



「夢さん」



 急に、その瞳が色めき立ち、夢彦を嬉々とした様子で見つめて来た。

 獲物を捕らえ、どう料理してやろうかと(えつ)()るような顔である。

 その獲物が自分であるような気がして、夢彦は息を呑んだ。


「この登場人物の設定、魑魅魍魎の名前が、外見そのままだな」


「え・・・あぁ・・熊男、猫娘、とかな」


「なんで、人間のように名前を付けない」


「・・・そう言われれば、何故であろうな」


 夢彦は、しばらく魑魅魍魎たちの名前を眺めた。

 しかし、焦燥した様子で犬飼に視線を送る。


「・・・考えようとしても、何も浮かばぬ」


「うーん・・・」


 犬飼は、胸ポケットから万年筆を取り出すと、魑魅魍魎たちの名前を全て黒く塗りつぶした。

 呆気に取られる夢彦に、犬飼は得意そうに微笑む。


「見た目に惑わされてるんだ。これで、役割とか能力で考えられるだろ」


「・・・おぉ・・たしかに」


「あと、迷った文言ってのは、大抵使い物にならない。思い切って読めなくなるまで消すと、前のアイディアに引きずられないで考えられる」


 犬飼は、文机に設定の原稿用紙を置き、最後の行を指さした。


 ―― よく笑い、よく泣く。


 それだけであった。

 他の登場人物よりも詳細がない。

 名前の部分も消してしまった為、どんな姿かも想像出来ない。


「コイツの名前を、まずは全力で考えろ」


 夢彦は息をのんだ。

 額に手を当てると、思いつめたような表情で原稿用紙を見つめる。


 長い沈黙が続いた。


 夢彦は小さくうめき、眉間にシワを寄せる。

 犬飼と顔を合わせないようにしながら、必死で脳内の辞書を引っ張り出した。

 ただ、実物の辞書もそうだが、とっかかりが無ければ、何から検索すればいいのか分からない。

 パラパラとめくっては放り出していくと、ただただ足元にうず高く積まれていくだけである。

 その圧迫感に心が押しつぶされそうになった刹那、夢彦は着物の(すそ)に冷たさを感じた。


「・・・あれ・・・ケンさん」


「何だ?」


「今、気が付いたが・・・酷い格好ではないか」


 夢彦は、いぶかし気に犬飼を見つめた。

 そんな夢彦に、犬飼はヘラヘラとした笑いを返す。


「水もしたたるイイ男だろ?」


「イイ男だとは思うが、風邪を引くではないか」


「大丈夫、大丈夫!」


「雨に降られたのか?・・・こんなに、晴れておるが」


「え・・・あ~・・・・」


 まさか、強酸の雨に降られたとか、川で(おぼ)れかけたなどと言えるはずもない。

 犬飼は苦笑いを浮かべつつ、晴れた空を指さした。


「えーっと・・・ほら、雲がないのに雨が降る奴」


「天気雨か?」


「そうそう、それそれ!」


 犬飼が正解とばかりに夢彦を指さすと、夢彦はハッとするように目を見開いた。

 急に立ち上がると犬飼を押し退け、文机(ふづくえ)に脚を乗せると、目の前の窓を勢いよく開ける。

 


スパーンッ



 盛大な音が、近隣に響き渡った。

 近所迷惑、はなはだしい。



「コラ、夢さん!!いつも言ってるが、窓を開ける時は静かに開けろ!それに、机に乗るんじゃねぇ!!」



 だが、夢彦は何も聞こえていないかのように、夜空を見上げていた。

 星々から何かを読み取っているのか、夢彦は微動だにせずに遠くを見すえている。

 すると、急に欄干(らんかん)に手を掛け、何かに手を伸ばすように乗り上げた。

 ゆらりと細い体が揺れ、重心が虚空(こくう)へとかたむく。



「っちょ・・・馬鹿!!」



 犬飼は夢彦の胴に飛び付くと、慌てて後ろに引き倒した。

 したたかに尻もちをつき、犬飼は後ろのタンスに頭を打ち付ける。

 しかも、夢彦がその上に落ちて来て、顔面に後頭部をぶつけられた。



「~~~~っ!!」



 あまりに痛すぎて叫びが声にならず、顔を抑えて犬飼は床に転がった。

 しかし、そんな犬飼にかまわず、夢彦は文机に向かい、ペンを握り締める。

 片膝をついて中腰のまま、流れるような動きで設定の紙に何かを書き殴った。


 それを床に放り投げると、まっさらな原稿用紙に鬼気迫った様子で書き始める。

 流れ作業をしているような、迷いのない速さであった。

 犬飼は夢彦の豹変(ひょうへん)ぶりに言葉を失いながら、手元に落ちていた設定の紙を拾い上げる。



「・・・!」



 すべての魑魅魍魎に、名前が書き添えてあった。

 指示した最後の行―――消す前には『白狐』と書かれた所を、犬飼は慌てて見る。



 『戯』



 と書いてあった。


 普通に読めば、『ぎ』か『たわむれ』としか読めない。

 しかし、名前にするには、どこか違和感が残る。


 夢彦に聞いてみたかったが、とても聞けるような様子ではなかった。

 まるで、印刷機のように、ためらいなく筆が進んでいく。

 もう大丈夫だと思った瞬間、犬飼は(あらが)いがたい睡魔(すいま)に襲われ、そのまま眠りにつくのであった。

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