-空蝉の宴- 6-6
日付が変わって丑の刻になろうとする頃、古い家屋の一室に明かりが灯った。
家具はほとんどなく、膨大な量の古書、大衆小説、詩歌の小冊子が、部屋を埋め尽くしている。
まるで、神田か神保町の古書店の一角を、そのまま持って来たような様相であった。
そんな本の山々の中、白熱電球が橙色の光を放ち、部屋の主の影を、ひっそりと畳に落としている。
「あ~・・・」
間延びした声を上げると、水谷は敷きっぱなしの布団の上に倒れ込んだ。
校閲の作業が終わって、やっと帰宅したところであった。
生来、細かい作業が非常に苦手で遅い。
自他ともに認める、面倒くさがりで鈍くさい性格である。
この仕事を五年も続けられているのは、ハッキリ言って奇跡に近い。
水谷は眼鏡をはずすと、白熱電球の煌々とした光を眺めた。
夏の西日の太陽を直視するように、瞳に痛みが走る。
ところが、瞼を閉じようとしても思い通りにならなかった。
まるで、地獄の亡者が天界の光に憧れているかのように、目を離す事が出来ない。
「・・・無理」
側に置いたカバンから、小さな紙の包みを取り出すと、部屋の隅に置いた一升瓶を引き寄せた。
紙の包みを開き、中身の白い粉を口に含む。
日本酒をグラスいっぱいに注ぐと、それを一気に飲み干した。
吐き出しそうなのを堪えながら、再び布団の上に倒れるように横になる。
「・・・ぅっ・・・気持ち悪い・・」
小さくうめきながら、胸ポケットから万年筆を取り出した。
両手で両端を持つと、万年筆をくるりと回す。
螺鈿細工の虹色の光が、星屑のように水谷に降り注いだ。
金色の桜が、神々しい光をかすかに投げ掛けている。
「・・・綺麗だなぁ」
その美しさに、自然と口元がほころんだ。
しかし、にわかに胸の奥がギリギリと痛み出し、水谷は万年筆を握り締めると、体を丸めるように縮こまらせる。
いつもの事だった。
慣れはしないが、どの位の周期で、痛みの波が引くかは分かっている。
「・・・これ以上、手を出すなって事なのかな」
水谷は口元を吊り上げると、握り締めた万年筆を見つめた。
螺鈿が投げ掛ける光が、水谷の瞳を妖しく揺らめかせる。
「でもね・・・死人に出来る事なんて、ないんだよ?」
水谷は、苦悶しながらおかしそうに笑った。
そして、次第にその声が小さくなると、死んだように眠りにつくのであった。




