-空蝉の宴- 6-3
喫茶『ハルジヲン』を後にし、犬飼とカエデは大通りから外れた細い側道を歩いていた。
先程の小雨はおさまり、あるかなしかの雨が、はらりと落ちて来る。
天を見上げると、星々がチラホラと雲の間から見え隠れしていた。
「やんだな」
そう言うと、カエデは差していた紫色の和傘を閉じた。
傘は子供用なのか、長身の割に小さい。
日傘には良いが、雨を避けるには機能を果たせないのでは・・・。
いぶかしげに見る犬飼に、カエデは三日月のような口元で微笑んだ。
「可愛い傘だろ?」
「・・・デカ女には、小さくね?」
「子供の頃から使っているからな」
「物持ち良すぎだろ・・・それより、何処に行くつもりだ?」
「あてもなく、星を見ながら散歩するのは嫌いか?」
「は?」
「っふ・・・お前は、自然を愛でるとか、ワビサビだとか、興味無さそうだしな」
「デカ女って言ったから、馬鹿にしてんだろ」
カエデは薄氷の笑みを犬飼に向けた。
気がふれて笑っているように見える。
そんなカエデの笑みに、犬飼は顔をしかめた。
「まぁ、実際そうだし、イイけど。それより、さっきの白い紐・・・なんで『黒天』に絡まってたんだ?」
「あれは、夢彦の『鬼』の『瘴気』だ」
「え?」
「夢彦の『鬼』は、帰りたがっていたからな。夢彦を東京に留まらせたお前を、恨んでいるのだろう」
「帰りたい?」
「夢彦の『鬼』は『鬼喰らい』として目覚めるのを拒んでいる」
「さっきも言ってたが、『鬼喰らい』ってのは?」
「『鬼』の『瘴気』を無害なモノへと変えられる連中だ。夢彦には、その素質がある。『鬼』は認識出来ないようだがな」
不意に、カエデが鋭い目付きとなった。
その射るような眼差しに、犬飼の背筋に冷たいものが走る。
「来たぞ」
カエデに言われ、犬飼は背後を慌てて振り返った。
大通りの明かりが遠くに見えるが、辺りは閉店した店ばかりで薄暗い。
街灯はあるが、自分たちの周囲を、ほんの少し照らしている程度である。
目を凝らしても、ネズミすら見当たらない。
シャラン・・・
聞き覚えのある鈴の音に、犬飼は蒼白となった。
すぐ側まで、その音は迫っている。
しかし、姿をとらえることは出来ない。
「『遁甲』しておるな」
「とんこう・・?」
「『鬼』が、自分の姿を見えないように隠している」
カエデは和傘を左手に構えると、柄の部分を反対の手で引き抜いた。
中から、仕込み刀が姿を現す。
その刃が、わずかな光を跳ね返して揺らめいた。
「私から隠れられると思うたか!!」
カエデが大きく薙ぎ払うと、街灯の光が一瞬明滅し、二本目の街灯の先で青白い炎が立ち上った。
その衝撃が、犬飼の所まで熱波のように襲ってくる。
「――――!?」
青白い炎の中に、白い影が浮かび上がった。
白銀の髪が、地面に付きそうなほどに長い。
頭部には尖った獣の耳が生えており、飾りではない証拠にかすかに動いている。
白い着物を引きずって、ゆっくりとコチラに近づいて来た。
ぽつ ぽつ ぽつ
雨が、再び振り始める。
その勢いは徐々に強くなり、先程の小雨よりも強くなった。
顔に伝って来た雨を手の甲で拭うと、カエデは薄ら笑いを浮かべる。
「ッフ・・・最悪だな」
「・・・どうした?」
「この雨は『瘴気』だ。しかも、濡れると体に障る」
よく見れば、どうやら自分たちの周りにだけ、この雨は降っているようであった。
空を見上げると、小雨を降らせていた雲は流れて行ったらしく、澄んだ夜空が広がっている。
「普通、『瘴気』は実体を持たない。だから、『黒天』には影響があっても、我々の体が濡れる事はない」
「じゃあ、なんで・・・」
「悪いが、ゆっくり説明出来ぬ」
カエデは刀を構え直し、目の前の『鬼』をねめつけた。
今にも斬り掛かりそうな様子に、犬飼は慌てて止めに入る。
「ちょっと待て!アイツを倒す気か!?」
「無論、そうだが?」
「アイツは夢さんの『鬼』だ!!傷付けたら、夢さんが」
「死ぬだろうな」
冷ややかな物言いに、犬飼は背筋が寒くなった。
カエデの目に躊躇いはない。
「仕方あるまい。人型を成す程に育った『鬼』に、手加減など出来ぬ」
夢彦が事切れる姿を想像し、胸が鉛を仕込まれたかのように重くなった。
そんな犬飼に追い打ちをかけるように、いよいよ雨は、強く降り注ぐ。
濡れたワイシャツが体の表面に張り付き、チリチリと痛みが広がっていった。
次第に、その痛みは微かなモノから、痺れるような痛みに代わり、犬飼は歯を食いしばると、カエデの手を引いて後方へと走り出す。
「犬飼!?」
「イイから来い!!」
犬飼たちは全力で走り出すと、路地裏へと入り込む。
大人が一人、やっと入れるような狭い中を、ひたすら駆け抜けた。
すると、まとわりつくような雨が、徐々に後方へと引き離されていく。
しかし、そんな二人を追うように、獣の咆哮は、遠くで悲し気に響き渡ったのであった。




