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灰色帝都の紅い死鬼  作者: 平田やすひろ
空蝉の宴
54/153

-空蝉の宴- 6-1


 ――喫茶『ハルジヲン』


 犬飼(いぬかい)の勤める出版社の近くにあり、和洋折衷(せっちゅう)の内装が華やかな喫茶店である。

 昼はコーヒーなどを楽しむ学生やサラリーマンが思い思いの時間を過ごしているが、夜になると酒の提供が始まり、バーへと変わる。

 居酒屋と大して変わらないが、天井から下がっているシャンデリアのせいか、どこか異国情緒があって(あで)やかであった。


 そんな(にぎ)わいを避けるように、一番奥の壁際の席に、犬飼は座っていた。

 (いな)、突っ()していると言う方が正しい。

 原稿用紙を睨みながら万年筆を(にぎ)っているが、筆が進む気配は全くなかった。


「熱ぃ・・・」


 一か月前に夢彦(ゆめひこ)に会った頃から、ずっと熱が続いていた。

 と言っても、ずっと高熱であったワケではない。

 ほんの少し、平熱より高い位である。


 なので、ずっと放っておいたのだが、ここ最近、じわじわと病状が悪化していた。

 病院に行って薬を処方してもらったが、全く効果がない。

 それどころか、病状は悪化するばかりで、全力で走ったかのように体が熱い。


 こんな状態にも関わらず家に帰らないのは、夢彦に遠慮(えんりょ)しての事だった。

 明日が締め切りだというのに、風邪をうつして倒れたら、原稿を仕上げられない。

 それに、夢彦の分の記事を全て引き継ぐ事になった為、休んでもいられないのであった。

 


「・・・ぁあ、マジで辛ぇ・・・」



 犬飼は両手で頭を抑えると、テーブルに額を押し付けた。

 だからと言って、仮眠が取れるほど生易しい頭痛ではない。

 ただ刻々と、無常に時間が過ぎていくだけであった。



 コツ・・・コツ・・・コツ・・・



 すると、規則的な足音が近づいて来て、(うめ)いている犬飼の側で止まった。

 女給か?

 その気配に気が付いてはいるものの、犬飼は放っておいて欲しいとばかりにテーブルに突っ伏し続けた。



随分(ずいぶん)と苦しそうだな」



 聞き覚えのある声音(こわね)に、犬飼は飛び起きた。

 すらりとした姿態(したい)が、目の前に立っている。


 女―――しかも、犬飼と大差ないほどの長身。


 切れ長な瞳に、鼻筋の通った端正(たんせい)な顔立ちで、髪は結っておらず、漆黒の髪が真っ直ぐ滝のように肩から落ちていた。

 白地の着物には、青と紫の鮮やかなアジサイが染められている。


 犬飼が目を丸くしていると、女は勝手に向かい側に座った。

 そして、蠱惑(こわく)的な眼差しを向け、うっすらと口元を吊り上げる。


「会いに来るのが遅くなってすまない。色々と立て込んでいたのでな」


「あ・・・アンタ」


「万年筆は、ちゃんと受け取ったようだな。くすねられてないか、少し心配だった」


 女が薄氷(はくひょう)のような笑みを浮かべると、犬飼の背筋に冷たいものが走った。

 ホテルの爺さんが(おび)えるのも無理はない。

 (おど)されているワケでもないのに、どこか威圧感がある。

 気がふれているような笑みであった。


 犬飼が無言で微動(びどう)だに出来ないでいると、女は冷たい瞳のまま、楽し気に微笑んだ。


「十年来の再会のような顔だな。それとも、どうやって逃げようか考えているのか?」


「・・・何しに来た」


「そうだな。とりあえず、お前にアイツらを見せねばなるまい」


 女は(てのひら)を上に向けると、犬飼に向かって何かを吹きかけるような仕草をした。


「痛っ!!」


 急に訪れた強烈な痛みに、犬飼は両目を抑える。

 しかし、歯を食いしばるほどの痛みは徐々(じょじょ)に治まり、犬飼はゆっくりと目を開けた。


「―――!?」


 女の後ろの席に、巨大なミミズが(うごめ)いていた。

 しかも、ただのミミズではない。

 胴の部分には、人間の目と口が無数にあった。


 更に店の入口の方を見やると、魑魅魍魎(ちみもうりょう)とも言えるモノたちが、人々に交じって楽し気に笑っているのである。

 ただのミミズや虫なら、まだ()えられる。

 しかし、どこか人の特徴を(あわ)せ持つ『それら』は、地獄絵図のようにグロテスクだった。

 (のど)の辺りに()えたモノを感じ、犬飼は口を抑える。


「気色悪いだろう?」


「な、なんだコイツら・・・」


「『(おに)』だ。人の心の一部で、誰の中にも必ずいる。普通は見ることが出来ない」


「―――」


「お前の目に、私の『鬼』の(うろこ)を入れて見えるようにした。心配するな。一刻ほどすれば、また見えなくなる」


 犬飼は、頭を抱えて戦慄(せんりつ)した。

 熱で、頭がどうかしているとしか思えなかった。

 原稿を書いているうちに、眠ったに違いない。

 だが、こんな時に限って、自分の中の何かがハッキリと言っている。


 これは、絶対に見てはいけなかった現実だと。


 犬飼は深く息を吸うと、上目(づか)いに女を見やった。

 女は相変わらず、涼やかに笑っている。


「お前の事を、色々調べさせてもらった。面白い経歴だな、犬飼」


「・・・人の名前を勝手に呼ぶ前に、自己紹介したらどうですか、お嬢さん?」


 女は、きょとんとした顔で犬飼を見つめた。

 そして、すぐに吹き出すように笑い始める。


「ッハッハッハッハ!!・・・お嬢さんって・・・お前、本当に面白いな」


「デカい声で笑うな、気ふれ女!」


「気ふれかっ、ハッハッハ!違いないっ!!」


 ツボにはまったのか、女はいつまでも笑い続けた。

 あまりに大声で笑う為、犬飼は周りが気になって様子を探る。

 すると、同じように周りも騒いでおり、自分たちの方など見向きもしていなかった。

 心配ないか、と犬飼は急に冷静になる自分を自覚する。


「私は、御堂(みどう)カエデだ。もうこの際、気ふれ女でかまわんがな」


「・・・アンタ、本当にあの日、俺を投げ飛ばした女か?」


「あぁ、楽しかっただろう?」


「楽しくねぇ!!しばらく腰痛で、歩くのが辛かったつぅの!!」


「それは、すまない。楽しくて調子に乗ってしまった」


 カエデは両手の指を組んで、テーブルに(ひじ)をついた。

 組んだ指のところに(あご)を乗せ、上機嫌に微笑む。

 コイツは空気が読めないと、犬飼は一瞬で理解した。


「で、どういった要件で来たんだよ」


「あぁ、そうだった。実は、アフターフォローに来た」


「アフターフォロー?」


「正直、お前が夢彦を引き取った後、自分の家に居候(いそうろう)させるとは思ってなかったのだ」


「・・・俺が引き取りに来るって、勝手に(ジイ)さんに言ったのはアンタだろ」


「そうだが、普通は警察に突き出したりするだろ」


「・・・まぁ、そうだな。って、そもそもアンタが自分でやれよ!!」


「人殺しの私に、警察の前に出ろと言うのか?」


 犬飼は人殺しという言葉に、咄嗟(とっさ)に身(がま)えた。

 こわばった顔をした犬飼を見ると、カエデはニンマリと笑う。


「あの時、お前が言った通りだ。あの男は心臓発作で亡くなったが、発作を起こしたのは私だ」


「―――」


「今、お前が見えるようになった『鬼』たちは、傷付けると生み出した本人も、何らかの形で傷付く。私は、その『鬼』を殺して回っているのだ」


 そう言うと、カエデは身をかがめて、テーブルの下をのぞき込んだ。

 しばらく、何かボソボソとつぶやいていたが、苦笑いを浮かべながら顔を上げる。


「犬飼、私を警戒するな」


「この状況で出来るか!!」


「なら、お前が出て来るように言ってくれ。お前の足元にいる」


 犬飼は、一瞬心臓が跳ね上がった。

 話の流れから、目の前にいるような『鬼』が、自分の足元にもいるという事である。

 犬飼は恐る恐る、自分の足元をのぞき込んだ。



 ―――キッ・・・キッ・・・



 一瞬、猫かと思ったが、耳が丸く、手足が短い。

 顔は黒っぽい毛で覆われているが、鼻の周りだけが白っぽくなっていた。


「な、なんだ・・・お前?」


「お前の『鬼』だ」



 ガンッ



 犬飼は、テーブルに頭を打ち付けた。

 それにビックリした『鬼』が、壁際に引っ込んで体を丸める。

 しかし、犬飼が頭を抑えながら手(まね)きすると、覚悟を決めたのかテーブルの上に(おど)り出た。


 イタチであった。


 胴の部分は綺麗な山吹(やまぶき)色をしている。

 周りの『鬼』と違って、普通のイタチと外見は変わらない。

 ただ、体中に真っ白な(ひも)がキツく(から)みついており、体に食い込んで痛々しい。

 気丈(きじょう)四肢(しし)で体を支えようとしていたが、苦しそうに伏せてしまった。


「お前が熱病を発症しているのは、この白い紐が『鬼』に巻き付いているせいだ」


「・・・は!?」


「ただの紐に見えるが、これは『瘴気(しょうき)』だ。これが取れない限り、どんな薬を飲もうが効果はない」


 おもむろに、カエデは近くにあったディナー用のナイフを手に取り、イタチと紐の間に滑り込ませた。

 そして、渾身(こんしん)の力をふりしぼる。



 ―― キッ―――!キッ―――!!



「―――っい!?」



 腹の辺りに激痛が走り、犬飼はソファに倒れ込んだ。

 テーブルに手を掛けるが、起き上がれないほどの痛みに悶絶(もんぜつ)しそうになる。

 あまりに苦しそうな様子に、カエデは手を止めた。


「すまん、大丈夫か?」


「・・・この前・・・投げ飛ばした後に気絶したのは、コレか・・・」


「そうだ。お前の『鬼』の首を()めて、気絶させた」


 カエデは嬉々とした表情を犬飼に向けた。

 ナイフを持ち直すと、今度は違う個所にナイフを滑り込ませる。


「では、続けるぞ」


「ちょっと待て!!無理だ、絶対に無理だ!!」


 イタチも驚愕(きょうがく)して必死に逃げようともがいていた。

 カエデはナイフを置くと、顎に手を当てて溜息をつく。


「こういうのは東雲(しののめ)が専門だからな・・・私では、やはり無理か」


「アンタ・・・ダメ元でやるなよ・・・」


「なら、対症療法(たいしょうりょうほう)にするしかない。犬飼、コイツに名前を付けろ」


「な、名前?」


「『鬼』に名前を付けると、外からの『瘴気』に対して耐性が強くなる」


「そんなんで、治るのか・・・?」


「完治はしない。原因は、そのままだからな」


「名前ねぇ・・・」


「名付けは一度しか出来ない。名前の良し悪しで耐性の度合いが変わるから慎重にな」


 犬飼は、イタチをジッと見つめる。

 イタチも、神妙な顔で犬飼を見上げてきた。


 下手な名前は付けられない。

 まるで、雑誌の売れ行きを左右するキャッチコピーのようである。

 こういう時は、あれこれ考えるよりも、最初の直感で浮かんだものが良い。


「『黒天(こくてん)』・・・とか?」


 犬飼が名をつぶやくと、イタチはその身から紅蓮(ぐれん)の炎を立ち上らせた。

 巻き付いていた紐が、その炎によって一瞬で焼き消える。

 あまりに激しい炎に、犬飼はソファの背にへばりついた。


「犬飼、お前の直感は天賦(てんぷ)の才だ。普通の人間なのが惜しい」


「・・・何が起こったんだ?」


「『瘴気』を自らの力で跳ね除けたのだ。身体が楽になったであろう?」


 たしかに、あれほどの気だるさが何処かに行ってしまっている。

 額を触ると、次第に熱が引いて行くのが分かるぐらいであった。

 楽し気に微笑むカエデは、組んでいた腕を解いて、乗り出すようにテーブルに手をついた。


「犬飼、一つ頼みがある」


「断る!!」


「まだ何も言っていないぞ」


「アンタが言う事は、嫌な予感しかしない!!」


「そう言うな、聞くだけ聞いてくれ」


「・・・なんだ?」


「『黒天』を()でさせてくれ」


「は・・・?」


 カエデは、どこか酩酊(めいてい)したような面持ちで『黒天』を見つめている。

『黒天』が不安げにキッキッと鳴くと、恍惚(こうこつ)とした溜息をついた。


「こう、魑魅魍魎に囲まれているとな、『黒天』のような小動物は希少なのだ」


 カエデの瞳が、どこか春先の雪原のように輝いている。

 先程の威圧感とは違う圧力を感じ、犬飼は思わずうなずいてしまった。


 『黒天』もカエデを恐る恐る見上げていたが、紅蓮の炎をスゥっと消し去る。

 すると、カエデは嬉々として『黒天』の(つや)やかな毛並みを優しく撫でた。


 しばらく、微笑ましい光景が続いたが、突如、カエデは『黒天』に掴み掛かる。

 何をする気だと、犬飼は焦燥の色を浮かべて構えたが、カエデは有らん限りの力で『黒天』を抱き締めると、頬ずりし始めた。

 もはや昇天(しょうてん)しそうなほど喜悦な表情を浮かべるカエデに対し、『黒天』は大慌てで暴れだす。


「・・・なんか、嫌がってるぞ」


「照れておるのだろう、可愛い奴だ」


 まるで、嫌がる愛犬を無理矢理可愛がる子供のようであった。

 おそらく、普段は滅多に見せないであろう姿を目の当たりにし、犬飼は何となく気恥ずかしく、了承したことを後悔する。


「可愛いなぁ、『黒天』」


「・・・とって食うなよ」


 カエデが目を見開いて犬飼を見た。

 あまりの驚きように、犬飼の方が驚く。


「なんか、おかしな事でも言ったか?」


「・・・いや。・・・お前、本当に『鬼喰(おにぐ)らい』ではないのか?」


「『鬼喰らい』?」


「何でもない。本当に(まれ)だが、お前のような奴が、世の中にはいるという事だ」


 カエデは、急に『黒天』をテーブルの上に下ろした。

 『黒天』も犬飼も、カエデの態度が一変した為、表情をうかがう。

 先程の輝くような瞳は、再び薄氷の(ごと)く冷たくなっていた。


「お前は(さと)い。順応性も高くて観察力もある。そして何より、切り替えが早い」


()めても何も出ねぇぞ」


「『裏御前(うらごぜん)』様に気を付けろ」


「―――・・・『裏御前』?」


 カエデは急に立ち上がると、まるで地を滑るかのような滑らかさで歩き出した。


「お、おい・・・」


「夢彦の事は、私の方で片を付ける。面倒を掛けたな」


「ち、ちょっと待て!」


 犬飼は慌てて席を立つと、カエデの手を掴んだ。

 カエデは、まるで(かたき)を見るかのように、眼光鋭く(にら)みつける。


「そこまで送る。独りで行くな」


「必要ない」


「嫌な予感がする」


 カエデが怪訝(けげん)そうな表情を浮かべると、犬飼は真顔で声をひそめた。


「ここでアンタを独りで行かせたら、取り返しがつかなくなる気がする」


 カエデは、外を横目で見やった。

 窓の外は街の明かりが明滅し、雨垂(あまだ)れに揺らめいている。


「フッ・・・お前の感は当たるからな」


 カエデの(べに)()した唇が、三日月のように吊り上がった。

 窓から見える東京は、小雨に(さら)されて色を無くしていたのであった。

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