-空蝉の宴- 4‐2
夢彦が出版社に勤めだして、一週間―――
犬飼と夢彦は、あちこちの飲食店や風俗店を回り、著名人のスキャンダルを掴もうと、張り込みの生活を送っていた。
労働時間もプライベートも度外視な生活であったが、夢彦は文句ひとつ言わない。
子供っぽい人柄ではあったが、その辺の能天気な学生より、よっぽど根性がある。
それが第一印象と大きく違う点だと、犬飼は評価していた。
「今日は、吉原で張り込むぞぉ、夢さん」
「・・・うむ」
深々と帽子をかぶった夢彦は、小さく返事をした。
夕刻前から、ずっとこんな調子であった。
具合が悪いのかと聞いても、首をわずかに振るだけで原因が分からない。
帰って寝た方が良いんじゃないかと思ったが、本人は頑なについて行くと言って聞かなかった。
吉原のメイン通りを歩いて行き、それぞれの店にどんな遊女がいるのかを、犬飼は説明しながら回る。
「浅草十二階下の私娼窟が活気づいて、吉原もだいぶ客を取られてるらしくてさぁ~・・・華やかさとは裏腹にシビアな状況らしい」
「・・・そぅ・・か」
煌びやかな光に最初は目を見張っていた夢彦であったが、通りの真ん中辺り来て、うつむいて顔を上げなくなった。
そして遂に立ち止まってしまい、頭を抑えて微動だにしなくなる。
「お~い・・・夢さん?」
終いには、そのまま座り込んでしまい、小刻みに震え出した。
近くを通った人々が多少驚いたようにざわつき始める。
そんな状況に、犬飼は焦燥をあらわにした。
「ゆ、夢さん!?大丈夫か?」
犬飼が肩に手を当てると、微かに嗚咽する声が聞こえた。
これは、マズい。
夢彦を無理矢理立たせ、犬飼は路地裏の方に半ば強引に引き込んだ。
まともに歩いてくれない夢彦を、途中から俵のように担ぎ、そのまま浅草寺の方まで足早に駆ける。
自分よりは背が低くく細身だが、女に比べれば、ずっと重い。
寺の裏手に着く頃には息も絶え絶えになり、夢彦を下ろした犬飼は、石畳に倒れ込んだ。
夢彦は、その横で両膝を抱え込むようにして、身を縮めている。
そして、消え入りそうな声で、相変わらず泣いていた。
「夢・・・」
先日の夢を思い出し、犬飼は途中で名前を呼ぶのを止めた。
あの異形の姿の夢彦の表情を思い出し、寒気を覚えたからである。
今、不用意に話しかけても、気持ちを逆なでしかねない。
そう思い至って、犬飼は黙り込み、そのまま中天を見上げた。
雲が広範囲に広がり、今にも雨が降りそうだった。
何だか泥の海に沈んでいるような気分になり、犬飼は溜息をもらす。
「すまぬ・・・・ケンさん」
掠れた声が、風に紛れて耳に届き、犬飼は身を起こした。
泣き腫らした目が、ジッと凝視してくる。
ただ、そこには攻撃的な色はなく、犬飼は密かに安堵した。
「め、目立たないようにと思って・・・被っておったのだが・・」
帽子を外すと、癖のある髪が撫でつけられたように大人しくなっていた。
しかし、大きく首を振ったため、またいつもの無造作な跳ねた髪型になる。
「やはり・・・耐えられぬ・・・」
夢彦は、頭を抱えてうな垂れた。
顔は見えないが、すすり泣く声がハッキリと聞こえてくる。
犬飼が継ぐ言葉を待っていると、嗚咽に交じって掠れた声が零れ落ちた。
「惨めなのだ・・・」
「―――」
「隠してると・・・自分が惨めになる」
犬飼は、納得した声を心の中で上げた。
自分も一時期、左目の涙ボクロが、ものすごく嫌だった。
割と大きく目立つため、小学生の頃なんか同級生に押しボタンのように触られて、相手を殴り飛ばしていた記憶がある。
なるべく隠すために、机に座って頬杖をついている時期もあったが、そもそもコッチが悪いワケではないのに隠すのが馬鹿らしく、また相手を調子に乗せると思って早々に止めた。
さすがに今は、そんな風にからかう奴もいなくなったが、未だに見知らぬ人の第一印象は「目の下にホクロがある人」だ。
それが不思議と気にならなくなったのは、多分、他の事で自信が付いたからだろう。
夢彦も、今までは学業で気を紛らわせたり、身内などの理解者が側にいて慰められて来たのだろうが、こうして単身で見知らぬ土地に来て、慣れない仕事に追われ、後ろ指を差されたのでは否応なしに意識する事になる。
目立つからと自ら隠していると、余計悪いモノを隠してるような気がして、ドツボにはまってしまっているのだ。
しかも、東京は人が多く、常に誰かの視線を感じてしまっている。
実際には、他人に割と無関心で、とんでもない格好も受け入れてしまう土地柄なのだが、日の浅い夢彦には、その辺りがまだ分かっていないらしい。
犬飼は、失笑すると夢彦の頭をぐしゃぐしゃに撫でた。
「焦んなぁ、夢さん」
軽薄な口調で話しかけられ、夢彦は上目遣いで犬飼を見上げた。
この憂いと不安がない交ぜになった顔をされると、とてつもない罪悪感を感じさせられる。
しかも、本人は無意識に相手を手玉に取っているのを分かっていないから質が悪い。
分かっていないから、手玉に取られてしまっているのかもしれないが・・・。
そんな事を思いながら、犬飼は苦笑いを浮かべた。
「納得いくまでやれって、言っただろ?」
「・・・ケンさん」
「やれそうにない奴を、俺が側に置くワケねぇじゃん」
ニンマリ笑う犬飼に、夢彦は呆然とした顔を向けた。
そんな夢彦の頬を、犬飼は両手でつまんで引っ張り、悪童のようにケタケタと笑い出す。
「お、夢さんは大福みたいによく伸びんなぁ」
「っけ、ケンさん!本気で痛いっ・・・」
「ちゃんと口角上げとけぇ。泣きべそかいたら、またやるからなぁ」
勢いよく放すと、夢彦は両頬を撫で、恨めしそうに犬飼を睨んだ。
しかし、犬飼の腹を抱えて笑う姿につられ、くつくつと笑い声を上げるのだった。




