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灰色帝都の紅い死鬼  作者: 平田やすひろ
空蝉の宴
51/153

-空蝉の宴- 4‐2

 夢彦(ゆめひこ)が出版社に勤めだして、一週間―――

 犬飼と夢彦は、あちこちの飲食店や風俗店を回り、著名人のスキャンダルを掴もうと、張り込みの生活を送っていた。

 労働時間もプライベートも度外視(どがいし)な生活であったが、夢彦は文句ひとつ言わない。

 子供っぽい人柄ではあったが、その辺の能天気な学生より、よっぽど根性がある。

 それが第一印象と大きく違う点だと、犬飼は評価していた。


「今日は、吉原(よしわら)で張り込むぞぉ、夢さん」


「・・・うむ」


 深々と帽子をかぶった夢彦は、小さく返事をした。

 夕刻前から、ずっとこんな調子であった。

 具合が悪いのかと聞いても、首をわずかに振るだけで原因が分からない。

 帰って寝た方が良いんじゃないかと思ったが、本人は(かたく)なについて行くと言って聞かなかった。

 吉原のメイン通りを歩いて行き、それぞれの店にどんな遊女がいるのかを、犬飼は説明しながら回る。


「浅草十二階下の私娼窟(ししょうくつ)が活気づいて、吉原もだいぶ客を取られてるらしくてさぁ~・・・華やかさとは裏腹にシビアな状況らしい」


「・・・そぅ・・か」


 (きら)びやかな光に最初は目を見張っていた夢彦であったが、通りの真ん中辺り来て、うつむいて顔を上げなくなった。

 そして遂に立ち止まってしまい、頭を(おさ)えて微動(びどう)だにしなくなる。


「お~い・・・夢さん?」


 (しま)いには、そのまま座り込んでしまい、小刻みに震え出した。

 近くを通った人々が多少驚いたようにざわつき始める。

 そんな状況に、犬飼は焦燥をあらわにした。


「ゆ、夢さん!?大丈夫か?」


 犬飼が肩に手を当てると、微かに嗚咽(おえつ)する声が聞こえた。


 これは、マズい。


 夢彦を無理矢理立たせ、犬飼は路地裏の方に(なか)ば強引に引き込んだ。

 まともに歩いてくれない夢彦を、途中から(たわら)のように担ぎ、そのまま浅草寺(せんそうじ)の方まで足早に駆ける。


 自分よりは背が低くく細身だが、女に比べれば、ずっと重い。

 寺の裏手に着く頃には息も絶え絶えになり、夢彦を下ろした犬飼は、石畳に倒れ込んだ。


 夢彦は、その横で両膝(りょうひざ)を抱え込むようにして、身を縮めている。

 そして、消え入りそうな声で、相変わらず泣いていた。


「夢・・・」


 先日の夢を思い出し、犬飼は途中で名前を呼ぶのを止めた。

 あの異形の姿の夢彦の表情を思い出し、寒気を覚えたからである。

 今、不用意に話しかけても、気持ちを逆なでしかねない。


 そう思い(いた)って、犬飼は黙り込み、そのまま中天(ちゅうてん)を見上げた。

 雲が広範囲に広がり、今にも雨が降りそうだった。

 何だか(どろ)の海に沈んでいるような気分になり、犬飼は溜息をもらす。


「すまぬ・・・・ケンさん」


 (かす)れた声が、風に紛れて耳に届き、犬飼は身を起こした。

 泣き腫らした目が、ジッと凝視してくる。

 ただ、そこには攻撃的な色はなく、犬飼は密かに安堵(あんど)した。


「め、目立たないようにと思って・・・被っておったのだが・・」


 帽子を(はず)すと、癖のある髪が()でつけられたように大人しくなっていた。

 しかし、大きく首を振ったため、またいつもの無造作な跳ねた髪型になる。


「やはり・・・耐えられぬ・・・」


 夢彦は、頭を抱えてうな()れた。

 顔は見えないが、すすり泣く声がハッキリと聞こえてくる。

 犬飼が()ぐ言葉を待っていると、嗚咽に交じって掠れた声が(こぼ)れ落ちた。


(みじ)めなのだ・・・」


「―――」


「隠してると・・・自分が惨めになる」


 犬飼は、納得した声を心の中で上げた。

 自分も一時期、左目の涙ボクロが、ものすごく嫌だった。

 割と大きく目立つため、小学生の頃なんか同級生に押しボタンのように触られて、相手を殴り飛ばしていた記憶がある。

 なるべく隠すために、机に座って頬杖(ほおづえ)をついている時期もあったが、そもそもコッチが悪いワケではないのに隠すのが馬鹿らしく、また相手を調子に乗せると思って早々に止めた。


 さすがに今は、そんな風にからかう奴もいなくなったが、(いま)だに見知らぬ人の第一印象は「目の下にホクロがある人」だ。

 それが不思議と気にならなくなったのは、多分、他の事で自信が付いたからだろう。


 夢彦も、今までは学業で気を(まぎ)らわせたり、身内などの理解者が側にいて(なぐさ)められて来たのだろうが、こうして単身で見知らぬ土地に来て、慣れない仕事に追われ、後ろ指を差されたのでは否応なしに意識する事になる。


 目立つからと(みずか)ら隠していると、余計悪いモノを隠してるような気がして、ドツボにはまってしまっているのだ。

 しかも、東京は人が多く、常に誰かの視線を感じてしまっている。


 実際には、他人に割と無関心で、とんでもない格好も受け入れてしまう土地柄なのだが、日の浅い夢彦には、その辺りがまだ分かっていないらしい。

 犬飼は、失笑すると夢彦の頭をぐしゃぐしゃに撫でた。


(あせ)んなぁ、夢さん」


 軽薄な口調で話しかけられ、夢彦は上目遣いで犬飼を見上げた。

 この(うれ)いと不安がない()ぜになった顔をされると、とてつもない罪悪感を感じさせられる。

 しかも、本人は無意識に相手を手玉に取っているのを分かっていないから(たち)が悪い。

 分かっていないから、手玉に取られてしまっているのかもしれないが・・・。

 そんな事を思いながら、犬飼は苦笑いを浮かべた。


「納得いくまでやれって、言っただろ?」


「・・・ケンさん」


「やれそうにない奴を、俺が側に置くワケねぇじゃん」


 ニンマリ笑う犬飼に、夢彦は呆然とした顔を向けた。

 そんな夢彦の頬を、犬飼は両手でつまんで引っ張り、悪童(あくどう)のようにケタケタと笑い出す。


「お、夢さんは大福(だいふく)みたいによく伸びんなぁ」


「っけ、ケンさん!本気で痛いっ・・・」


「ちゃんと口角上げとけぇ。泣きべそかいたら、またやるからなぁ」


 勢いよく放すと、夢彦は両頬を撫で、(うら)めしそうに犬飼を睨んだ。

 しかし、犬飼の腹を抱えて笑う姿につられ、くつくつと笑い声を上げるのだった。

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