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灰色帝都の紅い死鬼  作者: 平田やすひろ
蛇落の褥
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-蛇落の褥- 2-1

挿絵(By みてみん)


 


 幹久(みきひさ)がアヤメの出版社で手伝いを始めて、二か月――



 他人に触れると気絶する体質に不安を抱いていた幹久であったが、アヤメが社員に周知徹底をはかり、今のところ、奇跡的に問題なく仕事に取り組めていた。


 それだけでも驚くべき事ではあったが、アヤメの勤める出版社の癖の強さに、幹久は驚愕させられる日々を送っている。


 なぜなら、普通の企業では問題児扱いされるような人たちばかりが、まるでその手の組合だろうかというぐらいに集結していたのであった。


 幹久以上に話をしない人、舞台役者のように大袈裟な身振り手振りの人、会話が成り立たない人、物忘れが酷い人、物音を立てずにはいられない人。


 例を挙げれば、きりがない。


 ただ、仕事に関しては全員が非常にストイックで、万人受けはしないだろうが、コアな内容の専門雑誌は、その方面では絶大な支持を得ており、内容のマニアックさを考えると、社員の各方面の知識や情報収集レベルは、相当なものであった。


 アヤメからの打診ではあったが、そんな社員ばかりの会社であるが故に、自分のような人物でもアルバイトとして雇ってもらえたのかもしれないと、幹久は思う。


 だからと言って甘えるワケにもいかない。


 こんな強い陽ざしが降り注いでいる日でも真摯(しんし)に頑張ろうと、幹久は心に強く誓った。





「あぁ・・・暑い・・・」





 しかし、誓いはすれど、例年以上の暑さに、幹久は軽く眩暈(めまい)を覚えた。


 憧れの先生である『(いずみ) 夢彦(ゆめひこ)』の家に向かっているのに、着く前に倒れそうだと、心の中で弱音を吐く。



「幹久く~ん!!」



 まるで子供が友達を呼ぶかのような無邪気な声が、幹久の耳に届いた。


 見た目が変わらない家々を順々に目で追っていくと、ポツンと人影が見える。


 目をこらすと、その人影は幹久に向かって、大仰(おおぎょう)に手を振っていた。


 急いで駆けつけると、着流し姿の夢彦が、ニコニコと笑顔を向けて幹久を迎える。



「よく来たね。暑かっただろう?」



「え、えぇ・・・すみません、こんな暑い中、外に出ていただいて」



「大丈夫。中も外も、大して変わらないからね」



 夢彦の(ほほ)に汗が伝うのを見て、幹久は更に申し訳なくなった。


 しかし、夢彦は笑顔を崩さず、軽い足取りで路地のような狭い庭を進んで行く。


 夢彦が玄関の引き戸を開くと、幹久は驚愕の声を上げた。



「え・・・えぇ?」



「どうしたんだい?幹久君」



「い、いえ・・・何でもないです」



 幹久が慌てて笑顔をつくろうと、夢彦は小首をかしげた。


 理由を言おうにも失礼すぎると思い、幹久は言葉を呑み込む。



 平民の住居って、玄関から階段が近すぎる・・・。



 自分の屋敷の玄関は、華族の屋敷の中では特別に広いワケではない。


 しかし、目の前にある玄関は、階段との距離が二歩しかなかった。


 靴を脱げば、すぐに階段を上がれそうである。


 失礼だと思いながらも、小説に出てきた秘密基地みたいだとワクワクしてしまい、幹久は浮き立つ心を抑えるのに必死になった。



「一階は大家さんが住んでいるから、二階に上がって」



「あ・・・はいっ」



 夢彦が階段を登り始めると、幹久も慌てて後に続いた。


 目の前の階段は奥行きが狭く、とても急な作りであった為、危うく踏み外しそうになる。


 しかも、みしり、みしりと、足をかけるたびに(きし)む音が上がり、割れるのではないかと恐怖が募った。


 簡単そうに登る夢彦に、幹久は先生としてだけでない尊敬の念を抱く。



「急だから、気を付けて」



「・・・は、はい」



 幹久は階段を登りきると、夢彦にうながされ、入口が開け放たれている和室へと、足を踏み入れた。


 天井ギリギリの高さの本棚に、古書が詰め込まれている。


 周りには入りきらなかったらしい本が、うず高く積まれていた。



「適当に座っててイイよ」



 一言告げると、夢彦は再び一階へと降りて行った。


 幹久は戸惑いつつ、更に奥へと足を進める。



「失礼します・・・」



 部屋に入ると、南向きの窓に面して文机(ふづくえ)が備え付けてあり、書きかけの原稿が、風に吹かれてヒラヒラと手を振っているようであった。


「コッチにおいで」と言われている気がして、幹久は、発作でも起こしたかのように心臓が高鳴る。




「あぁ・・・」




 感動のあまり、幹久は深い溜息をもらした。


吉原(よしわら)奇譚(きたん)』の情景が自然と思い出され、目の前に物語の世界が広がっているような心地になる。


 しかし、階段を上がってくる足音で我に返り、幹久は慌てて畳の上に正座した。


 あまりにテンションが上がっている自分を自覚し、幹久は恥ずかしさで縮こまる。



「楽にしていいよ。冷茶、どうぞ」



「ありがとうございますっ。いただきます」



 夢彦からグラスに入った冷茶を受け取り、幹久は一気に飲み干した。


 そんな幹久をニコニコしながら見つめている夢彦に気が付き、幹久は人目も気にせず、一気飲みした事に赤面する。



「あっ、すみません。一気に飲んでしまって・・・」



「おかわり、どうぞ」



 ヤカンからお茶を注ぐ夢彦に、幹久は呆気(あっけ)にとられた。


 ティーポットや急須(きゅうす)以外から、お茶を注ぐなんてありえない。


 自分の家では決して見ない光景に言葉を失っていると、夢彦は楽し気に微笑んだ。



「アヤメさんも、同じような顔をして見ていたよ」



「あ、やっぱり・・・」



「がさつ過ぎるって怒られた」



 夢彦は、くつくつと笑った。


 『吉原奇譚』に出てくる悪戯好きの妖狐みたいだと、幹久は密かに思う。


 夢彦は幹久の横に座ると、片膝(かたひざ)をついて、自分の冷茶を飲み干した。


 そして、グラスを盆に置くと、側にあったうちわを手に取って(あお)ぎだす。



「いやぁ、しかし暑いね」



「はい・・・」



「今日、幹久君が来てくれて良かった」



「・・・なんでですか?」



「アヤメさんだったら、こんな格好出来ない」



 幹久は改めて、夢彦を頭の先から爪先まで観察する。


 胸元をはだけさせ、脚をあらわにし、汗ばんだ体をうちわで扇いでいる姿は、かなり際どかった。


 これが、ガタイの大きい醜男(ぶおとこ)だったら『だらしない』だけだが、中性的な印象の夢彦がやると、どういうワケか『いかがわしい』。


 アヤメでなくてもマズいのではと、幹久は小さく唸った。




 もしかして、ワザと・・・?




 新人の自分をからかっているのだと、幹久は、楽しげに笑う夢彦を見ながら思った。


 まして、目の前にいるのは、あの『吉原奇譚』の筆者である。


 そういった下ネタを振って来てもおかしくない。



「幹久君」



 夢彦は、小首をかしげて幹久に微笑んだ。


 畳に手をつくと、ほんの少しだけ幹久に、にじり寄る。


 冗談でも言い寄られたら気絶する・・・幹久は、蒼白となって夢彦を見つめた。



「昼ご飯、食べた?」



「え・・・?」



 幹久の予想に反し、夢彦はニコニコしながら、幹久の後ろを指差した。


 その先にあった風呂敷包みが視界に入り、幹久はハッとする。



「・・・あっ、忘れてました!コレ、姉さんから差し入れです」



 幹久が風呂敷包みを差し出すと、夢彦は銀色の瞳を更にキラキラさせた。


 そして、風呂敷包みを受け取ると、上機嫌に開け始める。


 一体何が入っているのかと、幹久がのぞき込むと、大人の掌サイズほどの酒まんじゅうが五つも入っていた。


 幹久は、アヤメの何かたくらんでいる時の顔を思い出しながら、この暑い日に、水ようかんでもゼリーでもなく、口の水分を取られそうな物を何故選んだと、眉間にシワを寄せて見つめる。


 幹久は、いつも笑顔の夢彦も、さすがに怒り出すのでは身構えた。


 しかし、予想に反し、夢彦は満面の笑みで大声を上げる。



「やっぱり紅屋(べにや)(さか)まんじゅうだ!!幹久君もどうぞ」



「え?・・・あぁ、はいっ」



 手に取ると、見た目以上に、ずっしりと重かった。


 こんな猟奇的な食べ物は見たことがないと、幹久はあきれかえる。


 しかし、夢彦に勧められた手前、ためらいながら口に運んだ。




「おいしい・・・」




 意外とシットリしていて食べやすく、控えめな甘さのアンコと、お酒の香りを含んだ生地が鼻腔(びこう)をくすぐった。


 その上品さに、幹久は思わず感嘆の溜息をつく。



「ココの酒まんじゅうが好物でね。いつもアヤメさんに買って来てもらうんだ」



 そう言いながら、夢彦は無邪気な子供のように豪快にかぶりついた。


 この人は、どれだけ色んな顔を持っているのかと、幹久は呆気にとられる。


 あまりの愉快さに、『吉原奇譚』の『あやかし』たちが、夢彦を媒介(ばいかい)に表に出てきているような気分になった。




「食べていい?」



「え?」



「私は朝飯を食べないから、いつも三個は食べる」



「あ、えっと・・・僕は一つで大丈夫です。大きいですし」



「じゃあ、残りは全部もらうよ」




 完全に『あやかし』に食い殺される想像をしてしまった幹久は、ぎこちなく笑った。


 そんな幹久に、夢彦は初めて会った時のような、ふんわりとした笑みを浮かべる。




「幹久君、出版社の仕事はどう?もう慣れた?」



「あ、はい。皆さん、良くしてくれるので」



「アヤメさんが、色々こなしてくれて助かってるって、褒めていたよ」



「ほ、本当ですか?いつも文句言われてますけど・・・」



「彼女らしいね。私も褒められた記憶は、ほとんど無いなぁ」



「そうなんですか!?」



「どの作品読んでもエロティシズムとグロテスクの応酬で、人格を疑うそうだよ」



 あまりに酷い感想に、幹久は(ひたい)を抑えた。


 苦悩する幹久に、夢彦はくつくつと笑い出す。




「でも、最後に必ず言うんだ・・・『アナタらしい』ってね」




 夢彦が、ふっと微笑むのを見て、幹久は気付いた。


 あ、『そう』なのかと。


 そして、こんなに暑い日にも関わらず、なんだか胸の奥に心地よい風が吹き抜けて行くような気分になった。



「そうそう、アヤメさんの原稿は仕上がっているんだけど、『吉原奇譚』の原稿が、もう少しで仕上がるから、一緒に持って行ってくれるかな?」



「はいっ、もちろん!」



「すぐ終わるから、待ってて」



 そう言うと、夢彦は、すぐ側の文机に向かった。


 驚いたことに、いつの間にか酒まんじゅうは完食している。


 ここまで早いと一芸だと、幹久は思わず拍手しそうになった。



「ヒマだろうから、その辺の本は好きに読んでいいよ」



「あ、ありがとうございますっ」



「江戸時代の春画(しゅんが)とかあるから、気を付けて」



 幹久はすぐ側にある本を、ギョッとした眼差しで見つめた。


 明らかに戸惑う幹久の様子に、夢彦は嬉々とした表情を浮かべる。




「冗談だよ。キミが来ると聞いてたから片付けた」



「夢彦さん・・・」



「すまんね。いつもと違うから、舞い上がっているらしい」



 『舞い上がっている』という言葉をサラリと言われて、幹久は何だか気恥ずかしさを覚えた。


 歯に衣着せぬ夢彦が、幼い子供がなついて来てるように感じられ、その純粋さに心がくすぐったくなる。


 そんな幹久を尻目に、夢彦は机に向き直って、力強くペンを握った。






 空気が、一瞬で変わる。






 右手に構えたペンが原稿用紙へと降ろされると、流れるような速さで書き始めた。


 本当に文章を推敲(すいこう)しているのかと思うぐらいの速さに、幹久は絶句する。


 その全く迷いのない様子に、鬼気迫るものを感じた。




 すごい・・・




 先程の穏やかな雰囲気など、嵐で吹き飛んでしまっているかのようであった。


 呼吸すらはばかられるような気がして、幹久は息苦しくなる。


 幹久は夢彦から視線をそらすと、夢彦の善意にあやかり、近くの古書を手に取った。


 何かの図録のらしく、躍動(やくどう)する様々な獣たちが描かれている。


 パラパラとめくっていると、幹久は思わず手を止めた。




 血まみれになった白蛇を、黒い蛇がむさぼっている。




 初めて見るはずであるのに、幹久は既視感を感じた。


 刹那(せつな)、ぐらりと、体が崩れそうになる。


 あまりに激しい吐き気に目をつぶると、念仏のように自分に言い聞かせた。




 大丈夫、気のせいだ



 苦しくない



 苦しくない



 苦しくない



 くるしくない



 ク ル シ ク ナ イ

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