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灰色帝都の紅い死鬼  作者: 平田やすひろ
空蝉の宴
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-空蝉の宴- 2‐3

 足元は泥だらけになっている。

 薄汚い路地裏を、大雨のなか歩けば当然であった。

 街灯も少なく、視界が悪い。

 手を伸ばした辺りすら見えない、本当に真っ暗な小路(こみち)に差し掛かると、犬飼は柔らかい何かを踏み(つぶ)した。

 妙に反発力のある感触に足を戻し、犬飼は目を凝らして、それを確認する。


「―――っ!」


 小太りの男が、苦悶(くもん)の表情で転がっていた。

 犬飼は慌てて屈み込み、体をゆすって声を掛ける。


「オイ!!どうした!?」


 しかし、返事は無い。

 苦痛に(ゆが)んだ顔は、ピクリとも動かなかった。

 呼吸をしている様子がなく、首に手を当てても脈動(みゃくどう)が感じられない。


「・・・マジかよ」


 出血が見られない事から、誰かに刺されたという感じでもなさそうだった。

 胸の辺りを抑えている所を見ると、その辺りが苦しかったと思われる。


 毒殺か?


 だとすると、さっきの女が一番怪しいが、毒で死ぬ相手が倒れたからといって、あんなに取り乱すだろうか。

 毒を盛ったら死ぬのは当然で、どのくらいの時間で効果が出るのか、予想が付くはずだ。

 死に様に怖くなったとも考えられるが、なんとなく、そんな玉の女ではないような気がする。

 あれは、不測の事態に錯乱(さくらん)している顔だと、犬飼は確信していた。



 ぴちゃん



 雨音とも雨垂れの音とも違う音が、ほんの一瞬だけ聞こえた。

 こんな大雨の中、気が付かないのが普通くらいの小さな音であった。

 しかし、その音にただならぬ違和感を覚え、犬飼は音のした方を凝視する。


 街灯もない、本当に真の闇が続く路地が続いていた。

 お化け屋敷でも、もっと明かりがあるだろうというぐらいに暗い。


「・・・ヤベェな」


 犬飼は、自分の中の何かが狂喜しているのを感じた。

 こんな一大イベントを逃すなと、しきりに声を上げている。


 本当に馬鹿だ。大概(たいがい)にしろ。


 犬飼は、そんな自分に溜息をついた。

 しかし、(あらが)いがたい欲望が、体を突き動かす。

 フィクションでは味わえないスリルに、心が躍っていた。


 推理小説など、犬飼にとっては出来レースをみる感覚だった。

 最初の方を読んだだけで、大体犯人の予想が付き、ドンピシャで当たる。

 犯人を分からせないという制約の中で描かれる人間模様は、薄っぺらで全く面白くないと思っていた。


 リアルな人間を相手にする方が、断然面白い―――それが、犬飼の持論である。


 例えば先日、犬飼は賭博(とばく)で大勝ちし、この辺一帯をシマにしてる組長のせがれ前に、イカサマの嫌疑で引っ立てられた。

 勿論(もちろん)、イカサマなどしていない。

 何度もはずしてスッカラカンになりかけた。

 ただ、ここぞという時に、やたらと勘が鋭く、しかも強運なのである。


 だが、そんなことをアチラさんは知る(よし)もないし、冤罪(えんざい)を晴らす証拠もない。

 その為、もう生きては帰れないだろうと、そのとき犬飼は覚悟した。

 しかし、どういう話の成り行きか、組長のせがれと趣味やら女の話で盛り上がってしまい、土産に羊羹(ようかん)まで持たされて、無事に帰宅の()についてしまったのだった。

 しかも今度、紅屋(べにや)酒饅頭(さかまんじゅう)を持って、遊びに行く約束までしている。


 こんな話を出版社ですると、普段の冗談の延長と思われて信じてもらえなかった。

 記事にも出来ない与太(よた)話あつかいされる始末である。

 ただ、当の犬飼自身も、この手の小説でしかありえないであろう出会いにビックリしているので、特に信じてもらえなくてもいいと割り切っていた。


 ただ問題なのは、現在進行形で、そんな出会いが増幅中な事である。

 そして恐らく、今追っている「何か」も、その(たぐい)に違いないのだから救いようがない。


 気が付くと、ゴミだらけの袋小路にさしかかっていた。

 ネズミ一匹いない。

 周りは建物の壁に囲まれていて、入れそうな裏口もなかった。


 珍しく、気のせいか。


 そう思って、犬飼が振り返ろうとした刹那(せつな)




「どこの(いぬ)だ」




 首筋に冷たいものをあてがわれ、犬飼は蒼白(そうはく)となった。

 水たまりで静かに歩くのも難しい中、全く気配に気が付かなかった。



 本物のヤバい奴



 犬飼の脳裏に、警鐘(けいしょう)がけたたましく鳴り響いた。

 今度こそ、助からないかもしれない。

 そう思いながらも、こんな時ですら、異常な好奇心が、後ろにいる相手を暴きたがって騒いでいた。



「さっきの・・・お偉いさんを殺したの、アンタだな」



 返事は無い。

 だが、首にあてがわれたものが、更に強く押し当てられる。

 冷や汗が、雨に交じって背筋を伝った。



「声からすると女か・・・身長は、平均よりも高そうだな」



 犬飼は、腕をだらりと下げ、ビルディングに囲まれた狭苦しい天を(あお)いだ。

 そして、口元を吊り上げ、溜息をつくように笑う。



「しかもさぁ・・・すっげぇ、美人だろ」



 これが自分の最期の言葉かと思うと、本当に笑える。

 犬飼が心の中で自嘲(じちょう)していると、首にあてがわれた物が離れ、不意に体が締め付けられた。



「お前・・・面白いな」



 両腕ごと抱き締められていた。

 心地良い低音で(ささや)かれ、心臓が高鳴る。

 しかし、柔らかな胸の感触を背に感じた途端(とたん)尋常(じんじょう)じゃない力で持ち上げられた。



「・・・な!?」



 天地がひっくり返り、自分がどちらを向いているのか分からなくなる。

 そのまま後方に投げ飛ばされ、犬飼は地面に叩きつけられた。



「―――痛ってぇ!!」



 上空から降って来る激しい雨に、視界がにじんだ。

 その(おぼろ)げな視界に、うっすらと投げ飛ばした相手の影が浮かぶ。

 姿をとらえる為に雨を拭おうとすると、急に息が苦しくなった。


 ギリギリと首を絞められているような感覚。


 目の前の人影は手を(かか)げ、虚空(こくう)を強く(にぎ)りしめているような仕草をしている。

 その手が震えるほど強く握られると、犬飼は意識を失ったのだった。

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