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灰色帝都の紅い死鬼  作者: 平田やすひろ
空蝉の宴
42/153

-空蝉の宴- 2‐1

 ――大正六年 六月 浅草 十二階下


 幾つもの狭い通りが、迷宮のように広がる私娼窟(ししょうくつ)である。

 裏口のようなホテルの出入り口から、高価なそうな背広(せびろ)を着た小太りの男が出てきた。

 側には、(あで)やかなドレスを身にまとった、ド派手な化粧をした女を連れている。


「あらヤダ・・・雨だわ」


「水もしたたるイイ女になるなぁ」


「もう、先生ったら」


 下品な雰囲気を(ただよ)わせ、二人の男女は路地裏の奥へと歩みを進める。

 そんな二人を見送るように、物陰から一つの影が身を乗り出した。


「気持ち悪っ・・・」


 げんなりした顔を浮かべた男は、左目の下にある涙ボクロの辺りを手で(ぬぐ)った。

 しかし、顔に伝った雨垂(あまだ)れは、止めどなく流れてくる。

 溜息をつきながらホテルの中へと入ると、男は受付の老人を呼び出した。


(ジイ)さん、どうだった?」


「あぁ、バッチリ撮れとるよ」


 老人が出したネガを受け取ると、男は財布から2円――現代でおよそ2万円分の金を渡した。

 それを見て、老人は渋い表情を浮かべる。


「そんな顔しないでくれよ、爺さん。現像してボケてなかったら残りを払うからさ」


「そりゃないよ、ケンさん」


「アンタ、この前の写真・・・全っ然!!使い物にならなかったぞ」


「ぐぬぅ・・・」


「もう少しカメラの勉強をしてくれたら、一括払いにしてやるからさ」


 そう言うと、(ふところ)から煙草(たばこ)を二箱取り出し、カウンターに置いた。

 頬杖(ほおづえ)をつくと、蠱惑(こわく)的な眼差しを向けて楽し気に笑う。


「これでも吸ってさぁ、頑張ってくれよ。頼りにしてるから」


「・・・かなわんなぁ」


 老人は苦笑いを浮かべていたが、まんざらでもなさそうであった。

 そして、あご(ひげ)をなでながら、溜息交じりに言う。


「しかし、『狂犬(きょうけん)』と呼ばれたケンさんが、ゴシップ記事の記者とはなぁ」


「言うなよ、爺さん・・・マジで心傷付いてんだから」


 この軽薄な口調の男、名前を犬飼(いぬかい)兼仁(けんじ)という。

 大手新聞社で新聞記者をしていたが、とある政治家の汚職事件を深く追求し過ぎたが為に、政界から圧力を掛けられて、解雇(かいこ)されてしまったのである。

『狂犬』とは、同業者の間で呼ばれている通称であった。

 狂っているとしか思えない執拗(しつよう)な取材を繰り返す姿から、名付けられたものである。


「他の大手新聞社も、政界からの圧力が怖くて(やと)ってくれないんだってな?」


「ホント・・・真正面から行くもんじゃねぇ」


「まぁ、お偉いさんの尻を追うのに変わりないんだ、元気出せ」


 苦笑いを浮かべると、犬飼はホテルの入口へと歩き出した。

 先程の小雨は本格的に降り出していて、犬飼は重い溜息をつく。


「梅雨とはいえ・・・しつけぇ雨だな」


 肩をしっとりと()らしながら、犬飼は路地裏を足早に駆けた。

 獲物(えもの)を見出せずに肩を落とす姿は、薄汚れた闇ににじんでいくのであった。

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