-空蝉の宴- 1-1
『蛇落の褥』編の五年前を舞台にしております。
泉夢彦の処女作『吉原奇譚』シリーズ第一作目『空蝉の宴』の完成の裏側とは――
石畳の割れた参道に、ゴザを敷いて座り込んでいる男がいた。
男の両隣には持ち手のついた大きな桶があり、すぐ側には、まな板と包丁が置いてある。
そこへ、市女笠を被った壺装束の女が通りがかり、脚を止めた。
年の頃は十四、五歳くらいに見えた。
女は男の前に立つと、市女笠に付いた薄布――虫の垂衣を手でまくる。
布の隙間から女の顔を見ると、男はニンマリといやらしく笑った。
「よぉ・・・東雲」
「ご無沙汰しております」
「こんな所で何やってる」
「先日から奉公しております御依頼主と『隠世』を散策しているところでございます」
そう言うと、垂衣の内側から、白蛇が顔を出した。
青い瞳が鬼火のように、ゆらりと揺れている。
それを見ると、男はニタニタと笑い出し、そのうち腹を抱えて大笑いし始めた。
「ざまぁねぇな、東雲!!『死鬼』殺しを外されて、ガキのおもりか!」
それを聞いた白蛇が、青い炎を身にまとわせ、口から烈火のごとく炎を立ち上がらせた。
男は突然の豹変ぶりに、一瞬たじろぐ。
今にも暴挙の限りを尽くしそうな白蛇を、東雲は涼やかに笑いながらたしなめた。
「申し訳ございません。子供の致すことでございますから、寛容に」
東雲の言葉に、男は苦虫をかみつぶしたような顔をした。
しかし、再びいやらしく笑うと、桶にかぶせていた巻き簾をめくる。
中には、手のひらほどの金魚が泳いでいた。
水は無い。
宙を泳ぐ金魚である。
男は一匹をすくい上げると、まな板の上に押さえつけた。
瞳に嬉々とした色を煌めかせ、躊躇いなくエラの隙間に包丁を差し込む。
金魚は抵抗する様子もなく、わずかにヒレを跳ね上がらせると静かに事切れた。
「・・・・・・っ」
東雲が息を呑んだ刹那、エラからドス黒い体液があふれ出し、何かの生き物のように蠢き出した。
ドス黒い『何か』を乱暴に掴み上げると、男は口元を吊り上げて、東雲の目の前に突き出す。
「持って行くか?」
「結構でございます」
男は高らかに笑うと、ドス黒い『何か』を近くの水瓶に押し込んで蓋をした。
一方、まな板の上の金魚は赤く輝き、針を刺された水風船のように、ばしゃりと爆ぜて跡形もなく消える。
東雲は、まくっていた布を離して顔を隠すと、『現世』の方へと歩き出した。
――泣カナイデ
白蛇が囁くと、東雲は目元を拭って涼やかに微笑み返した。
「お気遣い下さり、ありがとうございます」
――アイツ、キライ
「まぁ、ワタクシもでございます」
――オソロイ
「はい、おそろいでございます」
クスクスと笑い合う声が、静かに闇の奥へと染み込んで行く。
曼殊沙華の群生は、そんな二人を艶やかに彩るのであった。




