-蛇落の褥- 8-2
――凌雲閣
今、日本で最も高い建築物で、『浅草十二階』とも呼ばれている塔である。
その展望台からは、関東の山々が一望できた。
東京は、所狭しに建物が乱立しており、上から見ても狭苦しい。
「こちらに登られるのは、初めてでございますか?」
東雲が、いつもの落ち着いた口調で恭一郎に話し掛けてきた。
恭一郎は東雲に視線を移し、小さくうなずく。
今日の東雲は、洋装ではなく和装であった。
長い黒髪を結い上げ、手には巾着を下げている。
巾着についている根付が、キラリときらめいていた。
「この度の件は、誠に尽力していただきまして、感謝の限りにございます」
「別に」
「幹久様が『鬼』から御自身を取り戻しましたのも、恭一郎様のお陰でございます」
「お前や夢彦、アイツの周りの気づかいと、アイツの努力の結果だ」
恭一郎は東雲から視線をそらし、足元に広がる東京の街並みを眺めた。
口元を真一文字にする恭一郎に、東雲はクスクスと笑い出す。
「ワタクシ、これで安心して、おいとまさせていただけそうです」
思いがけない言葉に、恭一郎は再び東雲を見やった。
東雲は、冬の暁のような、淡い笑顔を浮かべている。
「ずっと、宝条家に居るんじゃないのか?」
「幹久様が『鬼』を抑えられるまで、『鬼喰らい』として助力するというのが、ワタクシの役目でございますから」
「どこに行くんだ?」
「しばらくは、福岡にて別のご依頼主の方の為に、奉公いたす予定でございます」
「幹久を溺愛してるんだろう?離れたら辛いんじゃないのか?」
「恋心とは、常に移ろいゆくモノ・・・嗚呼、まさに離愁の果てに、新たな恋を探すワタクシは、男女の秘め事など知らぬ少女のようでございましょう」
ふざけているのか、はぐらかす為なのか、はたまた本気か。
どちらにしても、これ以上、深く掘り下げない方が良さそうだと、恭一郎は押し黙った。
「実は今日、このような所にご足労願いましたのは、『鬼』の事で、ご相談があるのでございます」
「まさか、俺に乗り換えるとか言わないよな・・・」
「まぁ、ワタクシとした事が、それは盲点でございました。灯台下暗しとは、この事でございます」
――絶対に嫌だぞ、恭一郎!!
今まで黙って聞いていた『虚』が、身を乗り出して主張してきた。
ここまで嫌がるなら了承しても良いかもしれないと、恭一郎は、ほくそ笑む。
「恭一郎様、アレをご覧下さい」
そう言うと、東雲は眼下に広がる東京を指差した。
見ると、何やら大きな影が、地表のあちらこちらで動いている。
雲の影かと思いきや、『ソレ』は意思があるかのように動き出した。
金魚であった
クジラの数倍は大きいであろう巨大な紅い金魚が、地中を水の中のように泳いでいる。
しかも、一匹ではない。
よく見れば、電車や車ほどの大きさのものが、他に数十匹はいそうだった。
武蔵野の台地が、まるで金魚鉢のようである。
――デカい・・・
『虚』が、珍しく焦燥をあらわにした。
恭一郎自身も、尋常じゃない大きさの『ソレら』に、背筋が寒くなる。
「アレは、ワタクシの恩師に当たる方の『鬼』でございます」
恭一郎は、思わず東雲の方へと振り返った。
あの『鬼』を見れば、その生みの親がただならぬ事は分かるが、「恩師」という言葉に、更に言いも言われぬ恐怖が沸く。
恭一郎が困惑していると、東雲は、急に背伸びをして『虚』に手を伸ばした。
触れるかと思いきや、まるで『虚』が陽炎であるかのように通り抜け、予想だにしなかった結果に、恭一郎は言葉を失う。
「『鬼喰らい』は『鬼』に自ら触れることが出来ません」
東雲は、かかとを床につけると半歩下がった。
逡巡していたが、意を決したような眼差しを、恭一郎に向ける。
嫌な予感がして、恭一郎は固唾を呑んだ。
「『鬼』に直接触れられるのは『死鬼喰み』だけなのです」
『死鬼喰み』
聞いたことがないのに、言葉の響きから嫌なものを感じた。
そして、『鬼』に触れる事が出来る自分が、『ソレ』だという事に嫌悪を抱く。
「『死鬼喰み』は、『鬼』を殺すことが出来る、唯一の存在です。そして」
「殺した『鬼』を、自分の『鬼』に食わせる・・・だろ?」
東雲が、にこやかな表情を浮かべた。
その笑みに耐え切れず、恭一郎は眼下へと視線をそらす。
「『死鬼喰み』の『鬼』――『死鬼』は、他人の『鬼』を喰う事で成長いたします」
「・・・まさかとは思うが、あの金魚が、こんな大きさになったのは」
「何百という『鬼』を喰らってきた結果でございます」
それはつまり、東雲の恩師は、恭一郎と同じ『死鬼喰み』であり、その能力を利用して、何百という人間を手に掛けてきたという事であった。
いくら戦地であっても、一人の人間が、その人数を怪しまれずに倒せるワケがない。
明らかに、国が後ろ盾している証拠だと、恭一郎は絶句する。
ホォオオオオオオオオオオオ・・・・・
突如、風が唸るような叫び声が響き渡った。
比較的遠くにいた巨大な金魚が、突然身を震わせ、地中から跳ね上がる。
赤黒いドロドロとした体液の満ちた体が、艶やかに宙を舞った。
しかし、空中で痙攣すると、地表へ落ちるように体を叩きつける。
ズンッ・・・・
同時に、足元がにわかに揺れた。
何かに掴まりたくなる程の大きな地震に、周りの人々が小さな悲鳴を上げる。
凌雲閣が嫌な音を立てて軋み、恭一郎と東雲は、その場に屈み込んだ。
オオオオォ・・・・・
地震が収まると、恭一郎は立ち上がって、再び地上へと目を向けた。
金魚は地中へと、隠れるように、魚影が見えなくなるまで潜って行く。
「おい・・・今のは何だ!?」
「『死鬼喰み』の『鬼』は、喰らった『鬼』を『無害化』する事が出来ません」
「え・・・?」
「あのように死に際になると、天災へと転化し始めるのです」
恭一郎は言葉を失った。
東雲も苦々しい表情を浮かべる。
「・・・今、死に際と言ったな」
「はい」
「という事は、お前の恩師は」
「肺病をわずらっており、余命一年もないと診断されております」
「死んだら・・・どうなる?」
「あの金魚の『鬼』も死にます。そして、体に溜め込んでいた全ての死んだ『鬼』の残骸が、一気に天災として放出されます」
恭一郎は恐ろしくなり、何も言えなくなった。
『虚』を横目に見ると、気まずそうに恭一郎の背中に這って隠れる。
カタリと背後から乾いた音が聞こえ、隠ぺいを自白するかのようであった。
「もし、大切な方の安全を思うのであれば、今後、『鬼』を狩る事は、お控えになられた方が宜しいかと思います」
「・・・それは」
「不可能だと、お考えなのでは?」
「・・・・」
「『死鬼』の飢餓状態を放置いたしますと、『死鬼喰み』は『死鬼』と同じように、『鬼』を喰らいたいという渇望が起こると聞いております」
「あぁ・・・」
「自我が消失し、だれかれかまわず襲うようになっては、大変でございましょう」
戦地での出来事を思い出し、恭一郎は口元を抑えた。
出兵中、恭一郎は、死にそこなった敵兵の『鬼』を『虚』に食わせていたのだが、一時期、敵兵が見つからない期間があり、飢餓状態になってしまった事があったのである。
その時は、『虚』が何処からか『鬼』を連れて来て、気が付いた時には、恭一郎は喰らいついていたのだった。
咀嚼した時の感覚がよみがえり、恭一郎は、あまりのおぞましさに吐き気がする。
「恭一郎様、大丈夫でございますか・・・?」
「・・・あぁ、大丈夫だ・・・」
「・・・『死鬼喰み』である恭一郎様が『鬼』を狩らなければ、『虚』様は『鬼』を食べる事が出来ません」
「―――」
「『虚』様だけが何処かに行って、勝手に食べてくるという事が出来ませんから、故郷に帰るのは非常に難しいかと存じますが・・・」
恭一郎は、継ぐ言葉が見つからなかった。
生きている限り、誰かの命と引き換えに、自分の命を繋がなくてはならない。
しかし、東雲の話からすると、死んでも誰かを道連れにしかねなかった。
ハッキリしているのは、全人類にとって害にしかならないという事実だけである。
「ひとつ、ワタクシの恩師から提案がございます」
「・・・提案?」
「あの金魚の『鬼』を喰らうのです」
恭一郎は、再び言葉を失った。
地表を見下ろすと、金魚は不安定に、浮くともなく沈むともなく、地中を漂っている。
「必要以上の『鬼』を喰らえば、今後、『虚』様が空腹になる事もないとの事です」
「でも、そんな事をしたら、アンタの恩師が・・・」
「同じ『死鬼喰み』である貴方様の助けになるなら、本望であると申しておりました」
東雲は、手持ちの巾着から一枚の紙を取り出すと、恭一郎に差し出した。
恭一郎がいぶかし気に受け取ると、東雲は涼やかな笑みを浮かべる。
「恩師への連絡先です。体調が優れないようですので、お早めに連絡を」
――おい、東雲
すると、背後にいた『虚』が、急に恭一郎の左肩に戻って来た。
身を乗り出すと、唸るような異音を上げる。
「何でございましょう、『虚』様」
――このままでは、東京は未だかつてない天災に見舞われるのは必至
「そうでございますね」
――天災の規模を抑えるよう国から要請され、俺たちを利用するつもりか
「ワタクシが国の差し金?」
急に、東雲の目の色が変わった。
「見当違いでございます」
瞳に鋭い光を宿し、東雲は『虚』を見やった。
怒りに満ち満ちた眼差しが、射貫くように向けられる。
「三千世界がひっくり返ろうとも、ワタクシは恩師の意志に従います」
明確な強い意志を感じる瞳は、切れそうなほど鋭い。
しかし、にわかにその瞳が穏やかに輝き、東雲はいとおしい者を見るかのように微笑んだ。
「夢彦様が、恭一郎様の味方でありたいと思う気持ちと、同じでございます」
『虚』は黙り込むと、カタリと軋むような音を上げた。
すると東雲は、いつものように涼やかに微笑む。
「恭一郎様。一つ、御忠告申し上げます」
「・・・何だ?」
「『裏御前』に、お気を付け下さい」
「『裏御前』?」
「今後も、貴方様がワタクシの味方であられるよう、願っております」
深々とお辞儀をすると、東雲はニッコリと微笑んだ。
その瞳は、冬の空のように、どこか寂し気に輝いていたのだった。




