表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰色帝都の紅い死鬼  作者: 平田やすひろ
蛇落の褥
36/153

-蛇落の褥- 7-3

 夜の(とばり)が下り、ビルディングが華やかに色付き始めた。


 恭一郎が人の流れに逆らって駆けて行くと、道行く人々が怪訝(けげん)そうに振り返る。




「『虚』、東雲は大丈夫か!?」




 ――泣いてるが、先程よりは錯乱しておらん




 結局、宝条家の屋敷に幹久はおらず、恭一郎は、外に探しに行く事にしたのだった。


 東雲は、パニック状態で手の付けようがなく、『虚』を一匹残して屋敷に置いて来たのである。




 ――恭一郎




 何だ?




 ――腹が減った




 こんな立て込んでる時に・・・我慢しろ!




 ――こんなに協力してるんだ。少しは、ねぎらえ




 分かったから、幹久を見つけるまでは耐えろ。




 ――そう言うが、何処に行く?東雲ですら分からんというのに




 とりあえず、陸軍基地まで行こうと思う。




 ――基地の中まで、一般人は入れないぞ




 だから、入ろうとすれば誰かが止めるだろ。




 恭一郎は、人混みを避ける為に、路地裏に入った。


 ゴミが散在し、ネズミが、我が物顔ではびこっている。


 大通りの喧騒(けんそう)とは裏腹に静まり返っており、下水の音が耳についた。




 ――恭一郎、お前も大概(たいがい)人好(ひとよ)しだな




 うるさい。




 ――何の得もないだろう。助ける義理すらない




 分かってる。




 ――シベリアでも死にそこなった奴に、苦しそうだとか言ってトドメをさしたり




 あれは俺のエゴだ。


 どんな理由を付けようが、殺して救われるなんてありえない。


 お前の言う通り、俺はただの人殺しだ。


 軍人である以上、やらなければ反逆の罪に問われる。


 それを回避するために、やった事実はくつがえせない。


 たとえそれが、もう助からないであろう致命傷を負った相手でもな。




 ――なんだ、俺が親父を殺した罪滅ぼしかと思っていたが?




 全く関係のない事で、どうして罪が(つぐな)える。


 大体、罪滅ぼしだと?


 親父はもう死んでいるんだ。


 謝る事も、救う事も・・・もう、何も出来ない。



 どんな理由があろうが、俺は一生・・・お前を許さないと決めた。




 ――ほぉ・・・




 殺した実感はないが、お前がやった事は、俺がやったのと同じ。


 だから俺も、自分を絶対に許さない。




 ――酷い話だな




 お前がソレを言うか。




 ――なら聞くが・・・お前、こんな事に首を突っ込んで、何がしたいのだ?




 さぁ。


 ただ最近・・・俺は相当、頭がおかしいとは思うよ。




 角を曲がろうと恭一郎が飛び出すと、向こうから来る誰かとぶつかった。


 恭一郎のガタイが大き過ぎたせいで、向こうは派手に倒れ込む。


 側に置いてあったビールケースが、やかましく鳴り響いた。



「すまん、大丈夫か!?」



 安っぽいジャケット姿に、お釜帽(かまぼう)の男性だった。


 恭一郎が手を差し伸べると、男はハッとしたように驚く。



北上(きたかみ)か?」



 苗字を呼ばれて、恭一郎は(きょ)をつかれた。


 この東京で名字で呼ぶという事は、男は陸軍兵卒である。



「シベリアで同じ部隊だっただろう。覚えてないのか?」



 正直なところ、恭一郎は全く覚えていなかった。


 いかんせん、くだらない連中ばかりであったし、明日には死んでいるかもしれない誰かと、仲良くする気にはなれなかったからである。



「お前、こんな所で何してる?」



「知り合いを探してる。アンタには関係ない」



「ふっ・・・相変わらずだな」



「じゃ、これで」



「待て待て、ココで会ったのも何かの(えん)だ。俺の話を聞いてくれ」



 面倒なことになったと、恭一郎は眉根を寄せた。


 しかし、そんな事は歯牙にもかけず、男は嬉々とした声でニヤニヤ笑っている。


 一番関わりたくないタイプの人間だと、恭一郎はげんなりした。



「お前、シベリアで村を襲撃してた時、死にそこないにトドメを打ってたろ」



 その言葉に、恭一郎は、無言で男を見すえた。


 図星であると確信した男は、更に口元を吊り上げる。



「あんな罪もない連中を襲撃するなんて、可哀想だったよなぁ」



「まぁな」



「そんな事をさせる上の連中を、良く思えないよな?」



「急いでいるんだ。簡潔に話をしてくれないか?」



 男は憮然(ぶぜん)とした顔をした。


 しかし、また(いや)しくニンマリと笑う。



「上の連中に反旗をひるがえそうって話があるんだ。お前ほど腕が立つ奴が仲間に入れば、士気も上がる」



 恭一郎は、目元を引きつらせた。


 シベリアで、赤軍(せきぐん)思想に染まる者は何人か見てきたが、まさか日本で勧誘されるとは思わず、恭一郎は男を座った目で見つめ返す。



「あいにく、政治的な事に興味はない。お前の事は他言しないでやる。放っておいてくれ」



「そういうなよ。お前だって職業軍人で金欠だろ?ココは、皆で」



「俺は、群れないと何も出来ない奴は、大嫌いだ」



 男は、つまらなさそうに舌打ちをした。


 ズボンのポケットに手を突っ込んでタバコを取り出すと、口にくわえてマッチをする。


 ふと、男が来た道の方に目をやると、何かが一瞬光った。


 嫌な予感がして、恭一郎は思わず叫ぶ。




「伏せろ!!」




 男は、恭一郎の声に驚いて振り向いた。


 しかし、とても間に合わないと思い、恭一郎は飛びかかって無理矢理に押し倒す。


 すると、光が弧を描いて目の前に迫った。


 次の瞬間、恭一郎の左の眼に激痛が走る。





 ――恭一郎!!





 辺りに、鉄を含んだ生臭い匂いが漂う。


 押し倒された男は、血まみれになった恭一郎を見て驚愕した。


 そして、後ろから迫る笑い声に、恐怖の色を浮かべて振り仰ぐ。




「みつけた・・」




 路地の闇に同化した人影が、徐々(じょじょ)に、その姿を明らかにしていく。


 その手に握られた凶器に気付き、男は引きつった叫び声を上げた。




「や、やめろ!近づくな!!」



「・・・幹久!」




 幹久が大きく日本刀を振りかざす。


 完全に腰が抜けたらしい男は、身動きが取れないようであった。


 それでも、陸軍兵卒か・・・。


 刀が振り下ろされる刹那(せつな)、恭一郎は男を突き飛ばし、建物の壁にブチ当てた。


 恭一郎の肩の辺りを、銀色の刃がかすめる。


 薄ら笑いを浮かべる幹久に、恭一郎は鋭い眼差しを向けた。



「やめろ、幹久!目を覚ませ!!」



「目を覚ますって・・・なに?」



 幹久は、陸軍基地で見せた、切羽詰まった顔ではなかった。


 その眼には、明らかな殺意と喜悦の色が宿っている。


 人の顔色をうかがっている、気の弱そうな雰囲気は微塵も無い。




「ずっと・・・コイツを探してた」




 幹久は、男に向き直って近付いた。


 恭一郎が必死に足にしがみつくと、鋭い眼光で(にら)みつける



「離して下さい」



「離さない」



「恭一郎さんには関係ないでしょう」



 五年前、夢彦に同じ事を言った自分を思い出し、恭一郎は苦々しく口元を歪めた。


 しかし、だからこそ引き下がれないと、幹久の足に力をこめる。



「そんなクズみたいな奴、殺したって損するだけだ!」



「そんなことない。コイツを殺せば・・・僕は、傷付けられる前の僕に戻れる」



「お前の『すべて』が終わるだけだ!!」



「人殺しのアナタに言われたくない!!」



「あぁ!!俺の『すべて』は終わってる!!!」



 恭一郎は上体を起こし、幹久の左手を掴んだ。


 幹久は何とか振り払おうとするが、恭一郎は全体重をかけて引きずり込む。


 さすがに二メートル近い巨躯(きょく)に引っ張られ、幹久は体勢を崩す。



「お前の姉貴が言ってただろ!!」





『自分を大切にしないという事は、アナタを想う人を傷付ける事と同じです』






 一瞬ひるんだ幹久の隙を突き、恭一郎は右手首に飛び掛かって、日本刀を取り落とさせた。


 そして、そのまま男のいる方とは反対側の壁に押しやって、背中を強く打ちつける。


 ほんの少しうめき声を上げると、幹久は必死に抵抗してきた。


 しかし、体格の違いから恭一郎の手を振りほどけず、大きな声でわめき散らす。



「本当は周りから大切にされてるくせに、それを無視して自分を孤独に追いやってるのは、お前だろ!!」



「違う!!」



「お前の家族も、東雲も、夢彦も・・・お前の為に命懸けてんだぞ!!」



 急に、幹久はハッとしたような顔を浮かべた。


 すると、恭一郎は後ろから激しく追突され、脇腹にかすかな痛みが走る。


 見ると、恭一郎の腹をかすめ、幹久の制服の(すそ)が、虫針を打つように日本刀に貫かれていた。



「思い出した・・・お前、あの時のガキか」



 後ろを振り返ると、先程まで腰を抜かしていた男が、日本刀を震える手で握っていた。


 男は離れると、震えながら日本刀を恭一郎に突き付ける。


 (おび)えた眼差しは、男が錯乱している事を物語っていた。



「どけ、北上!!」



「落ち着け」



「こんなガキ・・・殺しときゃ良かった!!」



 不意に、男がジャケットの(ふところ)に手を入れた。


 胸騒ぎを覚えた恭一郎は、咄嗟に身をかがめて男に駆け寄る。



「幹久!!逃げろ!!!」






 銃声






 路地裏に大きな破裂音が響き渡ると同時に、恭一郎の太ももに激痛が走る。


 下手をすれば急所に当たっていたかもしれないと、恭一郎は焦燥の色を浮かべた。




 ――何をやってる!こんな時に防戦に入るな!!




 左目が見えないせいで、距離感がおかしい!


 声を掛けるな!集中できない!!




 恭一郎は『虚』を叱咤(しった)すると、男から拳銃を奪おうと飛び掛かった。


 だが、掴みかかると打ち抜かれた銃創を蹴られ、痛みに耐え切れずに倒れ伏す。



「・・・・ッチ」



 そんな恭一郎に、男は間髪入れず、銃を構えた。


 しかし、慌てていたせいか手元が狂ったらしく、銃弾はあらぬ方向に外れる。


 周りの壁に跳弾した弾は、焦りに(さいな)まれている男の頬をかする。






 慟哭(どうこく)






 被弾して本格的にパニックを起こすと、男は日本刀を振り回し始めた。


 不用意に立ち上がる事すら出来ないと、恭一郎は男の乱心ぶりに恐怖する。


 刀が壁を引っかく異音が耳に痛く、目元を引きつらせると左目に激痛が走り、恭一郎は小さく呻いた。


 すると、男は明確な標的を見つけて安堵したのか、恐怖と喜悦が混じった顔で、恭一郎の方を凝視する。



「・・・・だ・・・・・ぁ・・・・・んだよ・・・・いぃ・・・ぁ」



 男はブツブツと独り言を言い始め、刃を下に向けると、(つか)を両手で握り締める。


 血で汚れた銀色の刀身が、恭一郎の頭上に高く掲げられた。







「死ねぇええええ!!!!」







 恭一郎は目を見張ると、()いつくばるように、必死に身をひるがえした。


 しかし、銃弾を受けた脚が思うように動かせず、先程の銃創近くを串刺しにされる。


 更に男は日本刀に体重をかけ、その刃をかしいだ。




「―――ッ!」




 恭一郎は、男の顔面を左手で押さえつけ、必死に爪を立てた。


 食い込んだ爪が肉をえぐり、指先に血がにじむ。


 それでも、のしかかって刃を進めようとする男を、恭一郎は無我夢中で首を絞めた。


 男は苦し気に目を見開いて唾液(だえき)を垂れ流すと、ようやく日本刀から手を離し、咳込みながら後ろに倒れ込む。



「・・・・ぃ・・・・っぐ・・・・」



 日本刀を突き立てられたまま、恭一郎も崩れるように仰向けに倒れた。


 出血し過ぎたせいか、急に体がダルくなり、右目の視界までが、ぼんやりと(かす)んでいく。




 ――恭一郎、お前、こんなクズに殺される気か?




 ・・・・それは、嫌だな




 ――どうする?




 ・・・幹久を・・・助けてくれ




 ――・・・お前、自分が殺されかけてるんだぞ




 俺が死んだら、この男は幹久を殺すだろ


































 ―――俺がお前を死なせるか、馬鹿










 つぶやくような声と共に、血だまりから赤い空蝉の大群が男に向かっていく。


 男は飛び上がるように起き上がると、目元を引きつらせて這うように後ずさった。


 しかし、赤い空蝉が鋭い爪を食い込ませながら、全身を覆うように登り詰める。


 男は必死に振り払おうと七転八倒し、悲痛な叫び声を辺りに響かせた。




 ――幹久を助けろと言うなら、俺はコイツを殺す!




 茫洋(ぼうよう)とする意識の中で、『虚』の声がうるさく響いた。


 親父の時と同じ光景が、ぼんやりと見える。




 ――俺が殺すのが許せないなら、お前が罪を被れ!!





 なんとか右目をこらして、男の足元に視線を向けると、赤い空蝉が盛り土のように集まって蠢動(しゅんどう)していた。


 その幾匹かが弾け飛ぶと、中から黒蛇が苦しそうにもだえながら現れる。



 俺が殺すか 『虚』が殺すか・・・・・・結果は同じ。



 だが、それ以外の選択肢を、選びたくても選ぶ余裕は無く、恭一郎は、自分の脚から日本刀を引き抜くと、身体を引きずらせてにじり寄った。


 そして、霞んでいく視界の中で、黒蛇をジッと凝視する。


 すると、向こうは恭一郎が見えている事に驚いたのか、一瞬動きが止まった。




「・・・・すまない」




 恭一郎は、すかさずその瞬間をとらえ、黒蛇の首元に刃を突き立てると、一気に尾の方まで引き裂いた。


 黒蛇は内臓を引き出され、ビクビクと痙攣(けいれん)しながら、のたうち回る。


 すると急に、男は奇声を上げながら転がるように大通りへと駆け出し、その後ろ姿が大通りの喧騒の中へと消えて行った。







 静寂







 恭一郎は、息も絶え絶えに、淀んだ空気を吐き出すと、ぐったりと地面に頭をすり付けた。


 ざりっとした感触が逆に心地良く、浅い呼吸を繰り返しながら、重くなってきた(まぶた)を閉じる。




 ――恭一郎




 ・・・・何だ?




 ――俺も、お前の罪に付き合ってやろうではないか




 『虚』は、二枚おろしにした黒蛇を引っ張って来ると、カタカタと嬉しそうに笑い声を上げた。


 そんな『虚』に、恭一郎は軽蔑の眼差しを向ける。




 ――別の『鬼』でもいいぞ。お前が瀕死な上、時間もないが




 ・・・そいつにしてくれ。




 言うが早いか、『虚』は、黒蛇の体に口吻(こうふん)を突き刺し、樹液を吸うように体液をすすり始めた。


 黒蛇がバタバタと暴れ回ると、他の赤い空蝉たちが寄り集まり、寄ってたかって喰らい始める。


 そのうち、黒蛇は痙攣すらしなくなり、なされるがままグッタリと横たわった。


 空気が抜けるような弱々しい断末魔が、体液をすする音にかき消えて行く。


 黒蛇の惨状を横目に、恭一郎はダルい身体をよじって仰向けになり、両手で目元を覆った。





「・・・ッフ・・・・・・ハハッ・・・・・・」






 誰かを殺すと、いつのまにか笑ってる自分がいる。


 誰かの死を思い出すと、笑わずにはいられない自分がいる。




 これが、俺の本質だ。


 ・・・本当に最低だ。




 突如、大通りから轟音と叫び声が聞こえて来た。


 多くの人々が、ざわざわと騒ぎだし、右往左往としている足音が響いて来る。




 あぁ・・・うるさい。


 故郷の蝉時雨(せみしぐれ)の方が、よっぽど静かだ。




 青々と茂る木々を思い出しながら、恭一郎は意識を手放したのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ