-蛇落の褥- 6-2
――華族の集まる高級住宅街
日はかたむき、白い月が見え始めている。
道行くブルジョアらしき人々が、幹久を背負う恭一郎を奇異な目で見て来た。
ただでさえ、この長身と兵卒の制服のせいで目立つのに、気絶した官立学校の中学生を背負っていたら、後々上から呼び出されそうだと、恭一郎はげんなりする。
――恭一郎、着いたみたいだぞ
恭一郎が目を凝らすと、大きな格式ある門の前に、エプロンドレス姿の東雲が立っていた。
東雲は恭一郎たちに気が付き、長い黒髪を振り乱して駆け寄る。
「幹久様!」
東雲はスカートの裾をひるがえして駆け寄ると、幹久の額に手を当てた。
カフェでの表情とは打って変わって、悲壮な顔で幹久の手を取る。
しかし、腕時計を見ながら脈を測ると、少し安心したような顔になった。
「大丈夫そうか?」
「はい。脈、呼吸、熱は問題ありません」
「悪い。手加減できる状況じゃなかったから『虚』が白蛇を吹っ飛ばした」
――なんだその、俺が全部悪いみたいな言い方は
「『虚』様は、大丈夫でございますか?」
――俺は心配ない。恭一郎の顔が、そのうち吹っ飛ぶかもしれないがな
本当に、そうなりかねないから洒落にならなかった。
まだ異常は出ていないが、いつ、どんな形で現れるか分からず、恭一郎は内心不安になる。
「他に使用人は?」
「あいにく、ワタクシしか、この屋敷には仕えておりません」
「この、デカい屋敷で・・・?」
まるで、だだっ広い日本庭園の奥に見える催事場のような屋敷を見て、恭一郎は言葉を失った。
とてもじゃないが、一人で切り盛りしていたら、掃除だけで一か月は掛かりそうである。
「申し訳ありませんが、幹久様を運んでいただけますか?・・・ワタクシでは、抱えるだけで精一杯でございますので」
恭一郎がうなずくと、東雲は申し訳なさそうに丁寧に頭を下げた。
陸軍兵卒でも、ここまで綺麗な角度で出来ないと、その完璧さに驚く。
そして、先導する東雲について行き、屋敷の中に上がり込んだ。
――おい、地主の家の倍以上あるぞ・・・?
華族と農民との、格の違いを思い知らされるな。
幹久の自室へと入ると、これまた一人部屋にしては広い室内に、恭一郎は呆気にとられた。
部屋の奥には、余裕で二人は寝れそうベッドがしつらえており、恭一郎は祭壇に供え物をするかのように、慎重に幹久を下ろす。
すると、東雲は幹久の制服の首元をくつろげ、肌掛けを丁寧に掛けると、慈しむような笑顔を眠っている幹久に向けた。
しかし、それも一瞬の事で、恭一郎に向き直ると、悲哀をにじませた瞳で、不安そうに見つめる。
「こちらでございます」
東雲にうながされ、恭一郎は応接室に通された。
ソファに座って待っていると、東雲はコーヒーセットを運んできて、恭一郎の前に並べる。
喫茶店では見かけない高級そうなカップに、これまた香りの格が全然違うコーヒーが注がれていた。
恭一郎は一口飲んで、もう喫茶店でコーヒーは頼めないかもしれないと後悔する。
「幹久様をお助け下さいまして、ありがとうございます」
「助けたというより、返り討ちだ」
「いえ、あのような話をした後にも関わらず、こうして送っていただきました事を、心より感謝申し上げます」
「・・・アンタ、あんなのに憑かれてて、よく平気だな」
「幹久様を溺愛しておりますゆえ、何の問題もございません」
東雲は、何とも言えない悩ましげな表情でうつむいた。
しかし、恭一郎の視線に気が付くと、慌てて襟を正す。
「失礼致しました。幹久様がご乱心ゆえ、いつにも増してワタクシの心も乱れに乱れております。『鬼喰らい』とは、なんとも難儀な体質でございます」
東雲の場合、一体どういった方法で『鬼』を無害なモノにするのか。
聞こうと思ったが、東雲の抜けきれない恍惚とした表情を見て、恭一郎は聞くのをやめた。
――で、どうする気だ
左肩からわずかに乗り出すと、『虚』は東雲に向かって問いただした。
『虚』にジッと見すえられ、さすがに決まりが悪いのか、東雲は困った顔で見返す。
――あの白蛇は、幹久に成り代わる寸前だったぞ
「はい、ワタクシも『鬼』を通じて、そのように感じました」
――『鬼喰らい』が二人掛かりで、このザマか・・・笑わせる
「弁解の余地もございません」
――助ければ助けるほど、辛いのは幹久だ。成り代わった方が楽なんだからな
東雲は険しい表情で『虚』を見やった。
分かってはいるが容認出来ないという、強い意志をにじませる。
――二度と我々の周りをウロウロするな。次は・・・殺しに掛かるからな
「待て、『虚』」
恭一郎は『虚』を制すると、東雲を見すえた。
東雲は、どこか諦めたような、恐怖を抱いた眼差しで、恭一郎を見つめ返す。
まるで悪鬼を目の当たりにしているような顔に、恭一郎は溜息をついた。
「幹久は、どうして陸軍基地まで来た」
――おい、恭一郎!
「言い訳くらい、聞いたっていいだろ」
――この女は、夢彦を勝手に巻き込んで、利用しているのだぞ!
「東雲が意図的に近付けたにしても、自ら望まなければ取り憑かせられないんだろ?」
――それは、そうだが・・・
「なら、夢彦が望んだことだ。俺が口を出す事じゃない」
――俺たちまで、それに付き合う必要などなかろうが
「避けるにしろ、関わるにしろ、幹久の事が分からなければ、コチラも対応に困る」
『虚』は、呆れて返す言葉もないという様子で黙り込んだ。
一方、東雲は、ほんの少し安堵したかのように溜息をつく。
「分かりました。ここまで恭一郎様に御迷惑をお掛けしましたからには、もう少し、幹久様の事をお話し致します」
恭一郎が軽くうなずくと、東雲は胸に手を当てて深呼吸した。
すると、急に瞳に涙をにじませ、小さな指先でぬぐう。
「幹久様には何の非もございません。それだけは、ご了承下さいませ」




