-蛇落の褥- 6-1
秋の少し乾いた風が、かすかに窓の外から流れ込んでいる。
文机の上には、血まみれの原稿が散らばっていた。
「あぁ・・・」
夢彦は、まるで殺人現場のような机の上を見て溜息をついた。
片付けようと原稿用紙を持ち上げると、自分の割れた爪がコロリと転がる。
完全に見落としていた為、自分で起こした惨劇に、思わず小さく悲鳴を上げた。
そして、苦笑いを浮かべながら、自分に言い聞かせるようにつぶやく。
「・・・次の原稿の、良いネタになるな」
アヤメはコラムの原稿を持って出版社に戻っており、『吉原奇譚』の原稿の為に、また来る予定になっていた。
しかし、途中の原稿を読むと、だいぶ終わっていない。
あまり待たせるのも申し訳ないので、少しでも進めておこうと、夢彦はペンを手に取った。
カラン
しかし、まるでミトンのように巻かれた包帯が邪魔で、まったく握れなかった。
夢彦は仕方なく、包帯をハラハラと外して再び握る。
「・・・・ぃいっ!!」
激痛が走って、ガーゼに血がにじんだ。
血に濡れたガーゼをめくると、真皮がむき出しになっており、鮮血がジワジワとあふれる。
「うぅ・・・しまった・・・」
どうやら真皮を更に傷付けたらしく、ダラダラと血が止まらなくなった。
包帯をつまみ上げて、夢彦は途方に暮れる。
「何やってるんですの・・・」
夢彦が驚いて振り向くと、アヤメが部屋の戸口に立っていた。
その眉間には、深くシワが刻まれている。
しかし、夢彦は素っ頓狂な声を上げて、小首をかしげた。
「あれ・・・玄関、開いてたかな?」
「大家さんが玄関を掃除していましたの。下で呼んだのに返事がないので、上がらせていただきました」
「あぁ、すまない」
「すまないじゃありません!!今度こそ死んでるかと思いましたわ!」
「キミに殺されそうだから倒れないよ」
「死んでたら、殺せませんのよ?」
眉間に寄ったシワを更に寄せて、アヤメは目を座らせていた。
これ以上、何も言わない方が良さそうだと、夢彦は、ぎこちない笑みを浮かべる。
「それより!なんで包帯を取っているのですか!!」
「邪魔だったもので、ついな」
「ついな、じゃありません!貸して下さい」
アヤメは、ほどけた包帯を巻き直し、夢彦の手を取った。
血が止まらない上に、慣れない作業に苦戦する。
そんな一生懸命なアヤメの顔を、夢彦は終始見つめながら微笑んだ。
「あぁ、看護婦さんほど上手く出来ませんでした」
「ありがとう。十分だよ」
「もう・・・だから、待ってて下さいと言ったのに」
アヤメはカバンから万年筆を取り出すと、腕まくりした。
夢彦が不思議そうに見ていると、ムッとした顔をする。
「何、ぼんやりしているんですか。書きますのよ」
「え?」
「明日、締め切りの原稿です。私が代筆しますから、アナタは喋って下さい」
そう言うと、アヤメはニッコリと微笑んだ。
自信満々の見慣れた笑みに、夢彦は面食らう。
「大丈夫です。インタビューには慣れていますから、書くのは早いんですのよ」
「すごい量だよ・・・?」
「ならむしろ、その手では無理でしょう?」
助かるとは思いつつも、夢彦は目元を引きつらせた。
明日締め切りなのは『吉原奇譚』の原稿で、よりにもよって濡れ場のシーンだったのである。
仲良く猥談し合う犬飼ならともかく、女性のアヤメに書かせるのは、非常に忍びなかった。
「アヤメさん・・・私の小説が、どんな類の物か知ってるよね・・・?」
「私の事は気になさらず、明日の締め切りを気にしていただきたいわ」
「ケンさんとのセクハラに対する復讐のように感じるよ・・・」
「これは仕事です。復讐は別の機会に致しますから、お楽しみになさって」
その発言に、夢彦は更に不安が募った。
しかし、真剣なアヤメの瞳を見て、意を決する。
「・・・私は早いよ」
「えぇ、どんどん話して下さいまし」
そう言うと、アヤメは挑戦的な笑みを浮かべた。
北極星のように強くて綺麗な瞳に、夢彦はしばし心を奪われる。
しかし、銀色の瞳に強い光を宿すと、鬼気迫る表情を浮かべ、物語を紡ぎだすのであった。




