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灰色帝都の紅い死鬼  作者: 平田やすひろ
蛇落の褥
27/153

-蛇落の褥- 5-6

 ――正午



 あちこちの建物から、一時的に仕事から解放された人々が、笑顔で一斉に出てくる。


 その流れに逆らうように、恭一郎は駅へと向かっていた。


 陸軍基地の方面に向かう電車が、ちょうど停車しており、急いで電車に駆け込んで席に座ると、恭一郎は瞳を閉じ、周りから意識を遮断した。




『虚』




 呼びかけても、返事が無かった。


 黙殺するつもりかと、恭一郎は苛立たし気に溜息をついた。




 結局、名前なんて大した役に立たないな。




 ――・・・お前も、意地の悪い言い方をするようになったな




 何が意地が悪いだ。


 お前、夢彦が『鬼喰らい』だと知っていたな。




 ――あぁ、知っていた




 しかも・・・お前を『無害化』出来ると分かっていた。




 ――そうだな




 何故、隠してた・・・。




 ――教えたら、軍に志願しなかったであろう?




 当然だ!




 ――しなかったら・・・今頃、故郷はどうなっていたであろうな




 ・・・それは




 ――前にも言ったが、お前を悪いようにはしない




 自分の為に・・・死なせないの間違いだろ




 そう言うと、『虚』は小さく溜息をついた。


 苛立たし気に、軋むような音が上がる。




 ――あぁっ、そう思いたければ、思え!何でもかんでも反発しおって!!




 うるさいっ、大声でキレるな!


 頭に響く!!




 ――俺が気をつかってきたお陰で、最悪の事態を免れたのだぞ!




 気をつかう?


 ・・・甘言で惑わして、成り代わりたいだけだろ!!




 ――お前は、いつもそうだ!!何故、俺を信用しない!?




 お前が隠し事をするからだ。お前こそ、何故、ちゃんと説明しない!?




 ――今のお前に、全てを話すことが最善だと思わないからだ




 東雲が話した内容に、知られたら困る事があったか?




 ――これから話そうという時に、あの女がペラペラしゃべってしまったのだ!




 とって付けたような言い訳だな。




 ――あぁっ、もう面倒だ!一切合切諦めて、俺と成り代われ!!




 お前の本音は、やっぱりソレだ。




 ――・・・知らんっ!お前の事など、もう知らぬわ!!




 規則的な揺れが急に途絶えた為、恭一郎は目を開け、運転席を横目に見た。


 基地の最寄り駅に、ちょうど着いたところであった。


 他の乗客の流れに乗って電車を降りると、基地へ向かって歩き出す。



 恭一郎の現役兵としての任期は、まだ残っていた。


 世界情勢は未だキナ臭く、近いうちに再び出兵する事になるだろうと、恭一郎は推測している。


 あんな侵略行為を、またやるのかと思うと憂鬱であったが、戦場から帰ったところで、故郷に帰るワケにはいかなかった。




 あの頃のようには、もう戻れない。




 いっそ、敵の弾幕に飛び込んでしまった方が楽かもしれない。


 しかし、そんな考えをしていると、いつも『虚』が成り代わろうとしてきた。


 この体を手放せば、恐らく『虚』は、欲のおもむくままに人の命を奪い続ける。


 それだけは、絶対に阻止しなければならないという責務が、恭一郎をこの世に留まらせていた。




 ――おい、いるぞ




 不覚にも、『虚』の声に、恭一郎は意識を引き戻された。


 前方に視線を向けると、全身黒い服の男が、正門の前で基地の方をジッと見ている。


 見覚えある学生服に、恭一郎は肝を潰した。




「幹久・・・?」




 ――まったく・・・一体、何の用であろうな




 『虚』は、軋んだ音を上げて身構えた。


 だいぶ離れているのにも関わらず、幹久から、ただならぬ気迫が漂っている。



 赤軍(せきぐん)が潜む森を、索敵した時のような緊張感。


 殺気に満たされたルツボに放り出されたようだと、恭一郎は目元を引きつらせる。



 だが、このまま立ち尽くしているワケにもいかないと、口内に溜まった唾液を飲み込み、恭一郎はゆっくりと幹久に歩み寄った。




「おい」




 幹久は、恭一郎の方をぎこちなく振り返った。


 目は見開かれており、わずかに痙攣(けいれん)している。


 泣いてるような、笑っているような、苦しんでいるような、そんな顔をしていた。




「どうした?」




 しかし、幹久は無言で立ち尽くしていた。


 こんな顔でココにいては、誰かに職務質問されて面倒なことになりそうだと、恭一郎は幹久の背中に手を伸ばす。





 ――― 僕ニ、触ルナァッ!!!





 急に、下から巨大な白蛇が飛びかかって来た。


 青ざめて後ろに下がると、白蛇の牙は、みぞおち辺りを喰らいそこねて空を切る。


 更に恭一郎が距離を取ると、『虚』は無数の赤い空蝉を寄り集め、三、四メートルほどの一匹の巨大な空蝉の姿となり、鎌状の手を恭一郎の前に交差して振り下ろした。




 ――お前など知らんと言ったばかりだというのに、気のよい自分に嫌気がさすわ




 何が気がよいだ。自分が死にたくないだけだろ。




 ――まだ言うか・・・で、あの男をどうする?




 どうするもこうするも、止めないとマズいだろ。




 ――息の根を?




 そういう冗談を、この状況で思いつくお前に、嫌気がさすよ。




 『虚』に悪態をつきながら、恭一郎は幹久に鋭い視線を向けた。


 どう見ても正気でない様子に、緊張が走る。




「おい、何しに来たか知らないが、こんな所で騒ぎを起こすな!」



「さわいで、ないよ・・・なんで、おこるの?」



「お前が殺気立って、手を上げてくるからだろ!!」



 幹久の見開いた眼から、涙が伝った。


 中天(ちゅうてん)を仰いで、見えない何かに手を伸ばす。



「これじゃ・・・なにも、できな・・・い・・・だって・・・・だって・・・」





 ―― テ ガ ナ イ ヨ 





 急に幹久らしからぬ、嗜虐(しぎゃく)的な笑みが浮かんだ。


 刹那、恭一郎の左側から、白蛇が牙をむいて襲い掛かる。


 恭一郎は幹久に気を取られ、一瞬、動作が遅れた。




 ぐしゃ




 腐りかけのリンゴを地面に投げつけたような、鈍い音が響いた。


 だが、来るはずの痛みは来ず、恭一郎はいぶかし気に、思わずつぶった目を開ける。



「あ・・・」



 見ると、『虚』が恭一郎を抱え込むように覆いかぶさっていた。


 その顔の左半分は、痛々しくもがれている。


 殻の中に満たされていた赤褐色(せきかっしょく)の液体が、滝のように流れ出て来て、恭一郎の制服を赤黒く染めていった。



「!?」



 恭一郎が呆然として言葉を失っていると、姿を消していた白蛇が再び現れ、猛烈な速さで足元から襲い掛かる。


 しかし、その動きを予想していたかのように、『虚』は前足を振り上げ、白蛇を扇ぐように跳ね飛ばした。




 どっ・・・




 大砲の玉を土の地面に落としたような、くぐもった音が響いた。


 直撃を受けた白蛇は、思い切り地面に打ち付けられる。


 そして、痛みにもだえながら金切り声を上げると、もんどりうって霞のように消えた。


 それと同時に、『虚』の体が、恭一郎の方にギシギシと軋みながら傾ぐ。




「『虚』、大丈夫か!?」




 ――フン・・・あとで、お前が困るだけだ




 黒くにごった体液のようなモノが、びちゃら、びちゃらと音を立てて地面に落ちる。


 しかし、地面を濡らすことはなく、瞬時に跡形もなく消えていった。


 見れば、恭一郎が浴びたはずの体液も、最初から掛かっていなかったかのように、既に消えている。




 ――それより、幹久はどうなった




 『虚』の言葉に、恭一郎は、幹久の方に目を向けた。


 見ると、正門の前で、幹久は崩れ落ちるように倒れている。


 恭一郎は駆け寄って、遠巻きに様子を見たが、完全に気を失っているようであった。



「大丈夫か?」



 恭一郎が幹久を抱き起すと、静かな寝息が聞こえて来た。


 先程の鬼気迫った姿とは大違いで、恭一郎は安堵の溜息をつく。




 ――生きておるな




 でも、あれだけ殴打したんだ。


 安心は出来ない。




 ――どうする?




 ・・・家に、送るしかないだろう。




 『虚』は上体を起こし、小さな赤い空蝉の群れへと分散した。


 子猫ほどの大きさの一匹だけが、恭一郎の(えり)首に残って絡みつく。


 不安げに恭一郎が『虚』の顔をのぞき込むと、割れた顔は、先程の惨状が嘘のように元通りになっていた。




 ――やはり、この大きさでココにいるのが一番楽だな




 また、耳元がうるさくなった




 ――退屈しないだろう




 ・・・『虚』




 ――何だ?




 すまない、油断した




 ――成り代わる前に、ボロ雑巾になるなよ。使い物にならない体じゃ困る




 成り代わらないって言ってるだろ。死んだ方がマシだ。




 ――そんなんだから、お前にはアレコレと教えられんのだ




 ・・・・そもそも、話す気があるのか、お前は。




 ――お前が、平気で人を殺せるようになったら、全て教えてやる




 恭一郎は溜息をつくと、幹久を抱きかかえ、駅の方へと歩き出した。


 そして、この嗜虐的な空蝉とは、一生気が合わないと思うのだった。


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