-蛇落の褥- 4-6
カーテン越しに、窓からまばゆい光が差し込んでいた。
南風が静かに吹いており、優しく恭一郎の頬を撫でる。
そんな、さわやかな室内の雰囲気に反し、恭一郎は体が鉛のように重く、腕を上げるのでさえ、億劫であった。
「恭一郎!!」
恭一郎が視線だけ横に向けると、血の気の引いた夢彦が、寝台に手をついてのぞき込んでいた。
泣いていたのか、頬がシットリと濡れている。
「夢彦・・・?」
「よかった・・・死んだかと思ったぞ・・・」
辺りを見回すと、夢彦の家の診療所であった。
恭一郎は、自分の母親が駆け出して行ったことを思い出し、この診療所に助けを呼びに行ったのだと思い至る。
「・・・すまん・・・恭一郎・・・」
「夢彦?」
「お前の言う通り・・・何も出来なかった・・・」
「・・・いいんだ」
「良くない!!それに・・・私があんな事を言ったから、親父さんは死んだんだ!!」
夢彦の瞳から、ボロボロと涙があふれ出した。
恭一郎が何か言葉を掛けようとした刹那、バコンッと軽快な音が響く。
あまりに痛かったのか、夢彦はうめきながら頭を抑える。
「夢彦、友人だからと言って、勝手に話を進めるな」
恭一郎が驚いて視線を上げると、眼鏡をかけた気難しそうな中年男性が、カルテを持って立っていた。
夢彦は意表をつかれた顔で、その男性を見つめる。
「父さん・・・」
「大体、殺してやると言っただけで、人が死ぬワケがない。それでも医者の息子か」
夢彦は完全に委縮して、恭一郎が寝ている寝台から遠ざかった。
夢彦の父親は手元のカルテを確認すると、恭一郎を神妙な面持ちで見つめる。
「恭一郎くん。キミは頭を強く打って、酷い出血をしていた。しばらく、起き上がらないように」
「・・・あの、親父は本当に」
「・・・非常に残念だが、夢彦が言った通りだ」
離れた所で、夢彦が両手で目を覆ってうめきだした。
夢彦の父親も、苦心した表情を浮かべる。
「泥酔状態で川に飛び込んだらしく、下流の橋の所で亡くなっていた。虫がうんぬんと叫び回っていたらしいから、振り払おうと飛び込んだんだろう」
「・・・虫?」
「アルコールによる幻視症状だろうな。酒を大量に飲むと、小さな虫にたかられる幻覚を見る人もいるんだ」
「そう・・・ですか」
「お袋さんを呼びに行かせるから、少し待っていなさい」
そう言うと、夢彦の父親は病室から出て行った。
離れていた夢彦が、再び恭一郎の側に来る。
「き、恭一郎・・・」
「お前のせいじゃない」
「でも・・・」
「泣くな。一応、男だろ」
「・・・一応って」
眉間にシワを寄せる夢彦を見て、恭一郎はこらえ切れずに笑った。
夢彦も、恭一郎の笑顔に安心したのか、いつもの笑みを浮かべる。
「あのな、夢・・・」
夢彦の肩の陰から、紅い空蝉が顔を出した。
恭一郎は、嫌な汗が全身から吹き出し、吐き気を覚える。
「夢彦・・・・肩・・・」
「肩?」
「肩を払えっ!早く!!」
「・・・えっ・・・え?」
夢彦は、不思議そうな顔をしながら、手で自分の肩を払った。
しかし、紅い空蝉は、まるで幽霊のように手を通り抜け、触れる事が出来ない。
また、どうやら夢彦には見えないらしく、見当違いな所を手で払いだした。
「取れたか・・・?」
どう返事をしたものか、恭一郎が言葉に詰まると、紅い空蝉は、カタリと乾いた音を上げた。
そして、急に夢彦の背中や首の裏に回り込み、恭一郎の位置からは見えなくなる。
何を始める気かと身構えたが、しばらく経っても何も起こらず、その静けさに、恭一郎は余計に不安になった。
「大丈夫か、恭一郎・・・顔が真っ青だぞ」
あらゆる最悪な想像が、恭一郎の心をかき乱していた。
紅い空蝉にたかられ、絶叫しながら走り去る父親の姿が、脳裏によみがえる。
――夢彦が、俺を望んだのだ
夢彦自身が紅い空蝉を引き寄せているのだとすれば、どうすれば夢彦にやめさせられるのか。
恭一郎が考えあぐねていると、突然、戸を静かに叩く音が響く。
見ると、今にも泣きだしそうな顔で、恭一郎の母親が戸口に立っていた。
「・・・お袋」
「恭一郎!」
恭一郎の母親は駆け寄ると、恭一郎の額に手を当て、優しく撫でた。
同時に滝のように涙が流れ落ち、恭一郎に掛かっている肌掛けが濡れていく。
その横で、夢彦は恭一郎にめくばせし、小さくうなずいた。
「恭一郎、私は外に行っている。お袋さんと、ゆっくり話しててくれ」
夢彦は控えめに微笑むと、軽く手を振って病室を後にした。
恭一郎の母親は頭を下げて夢彦を見送ると、こぼれる涙を拭いながら、恭一郎に向き直った。
「ごめんなさい・・・私が、もっとしっかりしていれば」
「お袋のせいじゃない。それに、お袋が真っ先に助けを呼んでくれたから、こうして死なずに済んだ」
恭一郎の母親は、両手で顔を覆って、すすり泣いた。
親父が死んで、もう殴られる事もないのだから、これ以上・・・泣かなくてもいいのに。
恭一郎は、心の中でつぶやくと同時に、ある考えに思い至る。
大きな障壁があったが故に開けていなかった道。
これしか無いと、恭一郎は確信した。
「お袋・・・」
「何?」
「この前、役所の兵事係と村長が、借金の帳消しの代わりに、軍に志願してくれって言ってたよな」
「・・・え?」
「親父の事があったから断ったけど、もういないし・・・ますます金が返せないだろ。だから」
「恭一郎、なに言ってるの!?」
「俺、軍に志願する」
「き、恭一郎・・・借金は少しずつ返済すればいいし、今は・・・体の事を」
「借金の為だけじゃない・・・・・・俺が、そうしたいんだ」
「・・・そんな、でも」
「次の適格者検査を受けられるように、手配しといてほしい・・・あと、誰にも言わないでくれ。小鈴にも、小梅にも・・・」
―――夢彦にも




