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灰色帝都の紅い死鬼  作者: 平田やすひろ
蛇落の褥
21/153

-蛇落の褥- 4-6

 カーテン越しに、窓からまばゆい光が差し込んでいた。


 南風が静かに吹いており、優しく恭一郎の頬を撫でる。


 そんな、さわやかな室内の雰囲気に反し、恭一郎は体が鉛のように重く、腕を上げるのでさえ、億劫であった。





「恭一郎!!」





 恭一郎が視線だけ横に向けると、血の気の引いた夢彦が、寝台に手をついてのぞき込んでいた。


 泣いていたのか、頬がシットリと濡れている。



「夢彦・・・?」



「よかった・・・死んだかと思ったぞ・・・」



 辺りを見回すと、夢彦の家の診療所であった。


 恭一郎は、自分の母親が駆け出して行ったことを思い出し、この診療所に助けを呼びに行ったのだと思い至る。



「・・・すまん・・・恭一郎・・・」



「夢彦?」



「お前の言う通り・・・何も出来なかった・・・」



「・・・いいんだ」



「良くない!!それに・・・私があんな事を言ったから、親父さんは死んだんだ!!」



 夢彦の瞳から、ボロボロと涙があふれ出した。


 恭一郎が何か言葉を掛けようとした刹那、バコンッと軽快な音が響く。


 あまりに痛かったのか、夢彦はうめきながら頭を抑える。



「夢彦、友人だからと言って、勝手に話を進めるな」



 恭一郎が驚いて視線を上げると、眼鏡をかけた気難しそうな中年男性が、カルテを持って立っていた。


 夢彦は意表をつかれた顔で、その男性を見つめる。



「父さん・・・」



「大体、殺してやると言っただけで、人が死ぬワケがない。それでも医者の息子か」



 夢彦は完全に委縮して、恭一郎が寝ている寝台から遠ざかった。


 夢彦の父親は手元のカルテを確認すると、恭一郎を神妙な面持ちで見つめる。



「恭一郎くん。キミは頭を強く打って、酷い出血をしていた。しばらく、起き上がらないように」



「・・・あの、親父は本当に」



「・・・非常に残念だが、夢彦が言った通りだ」



 離れた所で、夢彦が両手で目を覆ってうめきだした。


 夢彦の父親も、苦心した表情を浮かべる。



「泥酔状態で川に飛び込んだらしく、下流の橋の所で亡くなっていた。虫がうんぬんと叫び回っていたらしいから、振り払おうと飛び込んだんだろう」



「・・・虫?」



「アルコールによる幻視症状だろうな。酒を大量に飲むと、小さな虫にたかられる幻覚を見る人もいるんだ」



「そう・・・ですか」



「お袋さんを呼びに行かせるから、少し待っていなさい」



 そう言うと、夢彦の父親は病室から出て行った。


 離れていた夢彦が、再び恭一郎の側に来る。



「き、恭一郎・・・」



「お前のせいじゃない」



「でも・・・」



「泣くな。一応、男だろ」



「・・・一応って」



 眉間にシワを寄せる夢彦を見て、恭一郎はこらえ切れずに笑った。


 夢彦も、恭一郎の笑顔に安心したのか、いつもの笑みを浮かべる。



「あのな、夢・・・」



 夢彦の肩の陰から、紅い空蝉が顔を出した。


 恭一郎は、嫌な汗が全身から吹き出し、吐き気を覚える。



「夢彦・・・・肩・・・」



「肩?」



「肩を払えっ!早く!!」



「・・・えっ・・・え?」



 夢彦は、不思議そうな顔をしながら、手で自分の肩を払った。


 しかし、紅い空蝉は、まるで幽霊のように手を通り抜け、触れる事が出来ない。


 また、どうやら夢彦には見えないらしく、見当違いな所を手で払いだした。



「取れたか・・・?」



 どう返事をしたものか、恭一郎が言葉に詰まると、紅い空蝉は、カタリと乾いた音を上げた。


 そして、急に夢彦の背中や首の裏に回り込み、恭一郎の位置からは見えなくなる。


 何を始める気かと身構えたが、しばらく経っても何も起こらず、その静けさに、恭一郎は余計に不安になった。



「大丈夫か、恭一郎・・・顔が真っ青だぞ」



 あらゆる最悪な想像が、恭一郎の心をかき乱していた。


 紅い空蝉にたかられ、絶叫しながら走り去る父親の姿が、脳裏によみがえる。





 ――夢彦が、俺を望んだのだ





 夢彦自身が紅い空蝉を引き寄せているのだとすれば、どうすれば夢彦にやめさせられるのか。


 恭一郎が考えあぐねていると、突然、戸を静かに叩く音が響く。


 見ると、今にも泣きだしそうな顔で、恭一郎の母親が戸口に立っていた。



「・・・お袋」



「恭一郎!」



 恭一郎の母親は駆け寄ると、恭一郎の額に手を当て、優しく撫でた。


 同時に滝のように涙が流れ落ち、恭一郎に掛かっている肌掛けが濡れていく。


 その横で、夢彦は恭一郎にめくばせし、小さくうなずいた。



「恭一郎、私は外に行っている。お袋さんと、ゆっくり話しててくれ」



 夢彦は控えめに微笑むと、軽く手を振って病室を後にした。


 恭一郎の母親は頭を下げて夢彦を見送ると、こぼれる涙を拭いながら、恭一郎に向き直った。



「ごめんなさい・・・私が、もっとしっかりしていれば」



「お袋のせいじゃない。それに、お袋が真っ先に助けを呼んでくれたから、こうして死なずに済んだ」



 恭一郎の母親は、両手で顔を覆って、すすり泣いた。


 親父が死んで、もう殴られる事もないのだから、これ以上・・・泣かなくてもいいのに。


 恭一郎は、心の中でつぶやくと同時に、ある考えに思い至る。


 大きな障壁があったが故に開けていなかった道。


 これしか無いと、恭一郎は確信した。



「お袋・・・」



「何?」



「この前、役所の兵事係と村長が、借金の帳消しの代わりに、軍に志願してくれって言ってたよな」



「・・・え?」



「親父の事があったから断ったけど、もういないし・・・ますます金が返せないだろ。だから」



「恭一郎、なに言ってるの!?」



「俺、軍に志願する」



「き、恭一郎・・・借金は少しずつ返済すればいいし、今は・・・体の事を」



「借金の為だけじゃない・・・・・・俺が、そうしたいんだ」



「・・・そんな、でも」



「次の適格者検査を受けられるように、手配しといてほしい・・・あと、誰にも言わないでくれ。小鈴にも、小梅にも・・・」





 ―――夢彦にも





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